2008/4/3 11:33
現行地図にない2本目の隧道は諦め、3,4本目が待つ北へ進路をとった。
すると、すぐに道が二手に分かれた。
またしても地図にない分岐。
直進は山を登り、右は谷へ下っている。
地図を見た限りでは、直進が正解か。
ただし、右の道は舗装されているというのが、ちょっと気になった。
直進の道を選んだものの、心は右に引きずられている。
舗装されている右の道は、ゆったりと確かな足取りで下っている。
一方、私の選んだ道は、初めのうちこそ地図通りの形だが、隧道の描かれている地点にそれらしいものが無い(涙)。
そればかりか、道としてのリアリティを喪失したような惨い上り坂が待ちかまえているようだ…。
またしても、何か上書きされたような印象を受ける地形。
こんな急坂が許されるなら、一番最初のいじましいようなヘアピンカーブや短い隧道は何だったんだと言うことになる。
これでいいなら、隧道なんていらねーだろが。
チクショウこんな坂が許される訳はねぇ!
俺の肉体は、30%もある坂を上れるようには出来てねーんだよ!
半ばやけくそになりながら、夢中になって坂を上る私。
しかし遂に力尽き、チャリを押す。
4月とは思えぬ房総の太陽に、上がりっぱなしの私の体温。
それと共に、乱されつつある心の平静。
私の楽しい隧道探しばかりを邪魔するような「乱れた」開発に、吼えたい気持ちになってきた。
痩せた尾根の上に立つ。
本来ここは、3本目の隧道が潜り抜けるべき尾根ではなかったのか。
南の見晴らしが特によい。
砂地にシカのものと思われる足跡が、気持ち悪いほどたくさん付いていた。
彼らがこの高台に立って、開発によって失われ行く野山を嘆くのだとしたら、それはある種の名場面だが、今は私の進退の問題が重要。
11:41
こいつ…。無責任だろ…。
道は上るだけ上って、尾根の天辺でぶっつりと終わった。
何のための道だったのか…、私にとってはただ苦労させられただけであったが、この道なりに意義はあったらしい。
それは、左写真に写る白い小さなもの。
コンクリート製の蓋のようなものである。
おそらく、何か埋められているのだろう。
そして、この施工はかなり最近らしく、まだ新しい色をしていた。
終点である三畳ほどの広場からは、先ほどとは逆に北側の眺めが良好であった。
捕らえどころのない皺のような山地が見渡す限り広がっている。
高いところでも海抜300mに至らないという低山だが、決してたおやかなものではない。
その証拠に足下の尾根は南北とも鋭く切れ落ちており、隧道の北口を探すために、北の山腹へ強引に下る作戦はいきなり断念させられた。
南口の跡さえ定かではない隧道の北口を手探りで探せるほど、見晴らしの良い地形および林相ではないのだ。
さあどうしよう。
当然来た道を戻るのがセオリーだろう。
戻るのは下るだけであるから、楽だ。
でも、私は要らないものを見付けてしまった。
踏み跡…。
見なければ良かったと思ったよ。正直。
でも、行き止まりから伸びる一筋の踏み跡には、夢があると思ってしまった。
私がオブローダーになる前、ただのチャリ馬鹿だった時代の忘れ形見のような私の嗜好である。
…しっかりチャリまで持ち込んでいるし…。
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11:44
巾30cm足らずだが確かに新しい踏み跡の残る砂地斜面を10mほど下ると、道らしい巾になってきた。
しかし、同時に砂が形を潜めたせいか、踏み跡らしさは失われた。
明らかに尾根の南側へ下っている。
実りの期待できる方角では無かったが、チャリを持ってきてしまった手前、上り直すのは億劫だった。
おそらく下りきれば、そこには先ほど別れた舗装路があるはず。
行ってしまおう。
やべぇな。
思った以上に谷は深かった。
右下遙か下に見えるのが目指す谷底で(こんなに下だと思ってなかった…)、踏み跡らしきものがウネウネと斜面を下っている。
このパターンは、良くないパターンである。
谷底に降りても期待した道がなくて半日遭難した、高校を朝からサボって河辺町の林道に入ったときのパターンに異様に似ている。
あのときより近くに道はあるだろうけれど…。
でも、絶対捜し物(隧道)なんて出てこないだろ。これ以上行っても…。
そう分かっていても冒険心をそそられるというか、この踏み跡に対抗心を燃やしてしまうのを、跨ったチャリが止めてくれなかった!
早速、転倒。
イデデデデデ!!!
イデーー!!
イデー!!!!
周りトゲだらけ!
当然、流血。
いやだ!
踏み跡が裏切った!
なんかもう、これはただのガリーだ。
チャリごと無事に下れる筈がない。
チャリ、転落。
廃道を辿るのに苦労するのは熱いけど、道でもない山に勝手に分け入って騒いでいる自分を冷ややかに見つめる、オブローダーとしての自分も居た。
でも、もう駄目。
戻れないんだよ!! マジで(涙)
11:50
谷底らしき場所に着いたというか、落ちた。
やっぱり踏み跡自体は本物だったらしく、工事現場に見られる杭があった。
それも新しい杭だ。
さあて、道を探さなきゃ…。
だれもが、隧道のことなど忘れていた。
なに? あれ?
思わず目を剥く光景だった。
穴だ。
隧道?!
隧道なのか?!
それは、隧道ではなかった。
だが、壁一面に引っ掻いたような鑿の痕があり、人工的な穴と考えられるものだ。
高さ1m、巾3m、奥行き3mほどで、扁平な半円断面である。
行き止まりの壁は垂直に均されており、その中央に地蔵でも安置していたような高さ50cm奥行き30cmほどの凹みがある。
また、傍に一本の一升瓶が倒れている。
この時は何かの祭壇と供物の酒と思ったが、後日、房総の別の場所で現役の「これ」を見たことで、正体が判明した。
これは、凹んだ部分に口を開けた瓶を立てておき、滴る地下水を貯めて飲むような使い方をする、人工的な水場だったようなのだ。
澄んだ沢水を容易に得難い房総丘陵における、生活の技であろう。
水場の存在は、この谷間にもかつて人の営みがあったことを教えていた。
しかし、田であったはずの谷は出口を高い堤に閉じられ、枯れ葦の原となっていた。
そして、その中央に閻魔のように君臨する、コンクリート製の巨大な基礎。
この基礎は、これまで見た杭や蓋より遙かに古いものに見えるが、上部に裸の鉄筋が突き出していて、未完成である。
いったいこの場所に何が起き、またこれからどうなろうとしているのだろう。
分からない事ばかりだ。
12:00 道路に脱出。
少し大げさに言えば、私とチャリは満身創痍に近い状態になっていた。
両手に無数のひっかき傷があり、一部血も滲んでいた。
さらに酷いのはチャリで、サドルが酷く曲がり、泥よけが折れ、チェーンが外れ、しかもヘッドステムというハンドルを固定する部分まで緩んでいた。
何かを得たかと言われれば、房総の古い暮らしの痕跡を見たと言うより無い。
もしあの穴に一滴で雫があったなら、私はまだ癒されただろう。
このあとの展開も、変わっていたかも知れない。
図の青いラインのように進んできた。
舗装路もこの堤の上が終点で、堤やコンクリートの基礎を作るための道だったのだろう。
わざわざ舗装されているというのは、ただの工事用道路としてはちょっと不思議だが…。
私は3本目の隧道を捜しながら、舗装路を分岐まで上った。
で、気づけば分岐も通り越し、そのまま下山を始めている私がいた。
この様子だと、3号隧道も無事ではあり得ない。
山を駆けずって捜せば何か痕跡を見付けられるかも知れないが、チャリと一緒に通り抜ける事は難しかろう。
南側からの捜索に拘泥して、また訳の分からない藪に誘い込まれるのが嫌だった。
林道の貫通は断念して、一旦国道へ出て北側へ回り込むことに決めた。
妥協だが、地形があんまり可愛くないんで、私もへそを曲げた。
この荒れ果てた山に、何台もの車が入り込んでいる。
こいつらが入ってきた“ちゃんとした”入り口がどこにあるのか、気になる。
もう私の闖入は見つかっていると割り切って、気にせず彼らの通路を使うことにした。
言い訳はもう決まっている。
秋田名物 「山菜採りをしていたら、迷い込んじゃった」 だ。
気づけば道は砂利敷きになり、ますます普通な感じになってきた。
南西方向へ緩やかに下っているが、まだ丘陵上にいることに違いはない。
途中には、何か所かボーリングをしている櫓が建っていた。
精力的ではないが、散発的に工事は進んでいる。そんな雰囲気の「現場」だ。
単なる採砂場の跡地整理ではないようで、何かを作ろうとしているのが分かる。
ある地点から急に下り坂になった。
そこに、未成道路でお馴染みの光景があった。
路肩の縁石と側溝が、砂利の路盤から20cmほども浮いた状態で設置されている。
これはすなわち、将来の舗装を見越した施工である。
採砂場の場内道路ではあり得ない施工と言っていいだろう。
駐車場か、建物か、まさか料金所ではあるまいな。
妙に広い場所がある。
しかし、不法投棄物などは全く見あたらず、一般人が入り込んでいる気配は薄い。
下りとなればあっという間で、出口へたどり着いた。
しかし、最後に壁が現れた。
想像以上に高く、厳重だ。
これなら“ネット”の方が楽だったと思い直しても、もう戻るのは嫌だ。
なぁ。村山さん。
村山さんならばいざ知らず、私もチャリもこれはちょっと無理がある。
結局、壁が尽きるところを捜して脱出する羽目になった。
しかも、そこをモロ目撃されてしまった。
こいつらに。
12:25
最終的に、スタート地点から500mほど南西の滝原地区で国道465号に下り着いた。
ゲートを振り返ると、普段私が絶対入り込まないようなつまらなそうな景色だった。
しかし、掲げられている緑の看板に、山中の広大な現場の素性につながるヒントがあった。
「サニーヒル亀山 資材搬入口 ○○○(管理者名)」と書かれていたのだ。
名前から言って一目瞭然。ゴルフ場である。
ネットで検索すると、ここは長年工事が中断していたゴルフ場で、最近また再開されたらしい。
おそらく最初は採砂場であったのだろうが、バブル華やかなりし頃に、ゴルフ場として生まれ変わろうと途中まで工事されたのだと思う。
いずれ、私が求めた釜生林道は開発者たちの版図に存在しなかった。
次回! 心穏やかなるときを…
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