2007/12/7 12:46
楯岩隧道南口 (ゲートから500m地点)
年齢不詳の怪しい隧道を抜けると、道は再び幅の広い舗装路となる。
そして、下りが始まる。
路面を大量の落ち葉が殆ど隠しており、その下には見えない落石が結構ある。
スピードののったチャリにとって、下手に乗り上げると転倒する危険が高く、快走とは行かない道だった。
道の様子は北側と殆ど変わらない。
錆びたガードレールが谷を護り、一方で法面は無普請のままである。
全体的には大きな崩壊もなく、隧道までの道は簡単な作業で車道として復帰できそうだった。
このあと数百メートルほどで鬼怒川有料道路に合流するはずだが、そこはどのような作りになっているのか。
それが、隧道を攻略した私の最後の関心事だった。
帰りはこの道を戻ろうとは思わないので、さっさと有料道路を通って戻りたい。だが、チャリが通れるのかも分からないし、通れたとしても有料かも知れない。
私が一番恐れたのは、有料道路が自動車専用道路であって、それを知らずに合流してお咎めを受けたり、何かのトラブルになることだった。
雑木林から杉林へと、来るときと逆の順序で景色は推移し、遂に左手に広大な路側スペースを有する有料道路が見えてきた。
思い起こせば私は、立入禁止を初めに冒しているるわけだから、この時点で通行人によって見咎められる危険性も意識しなければならなかった。
まさか、わざわざ車を止めて叱る人もないだろうが、遠くに料金所のブースが見えており、そこにいるだろう係員は警戒せねばならなかった。
相手が有料道路という、“慣れない相手”であることから、いつも以上に私は警戒した。
上の写真の位置から、ガードレールや舗装が一新されていた。
それはおそらく、有料道路の工事に関連して、この旧観光道路も位置を少しずらしたと言うことなのだろう。
ぶっつり切断されている事も懸念したが、どうやらちゃんと繋がっている様子だった。
いよいよ有料道路が間近に迫った地点で、こちら側では初めて見る「通行止」の看板があった。
右の写真がそれで、振り返って撮影している。
文言は向こう側のバリケードで見たものと一緒だ。
また、こちらはバリケードなどの人為的な障害物が設置されていない。
あなたにはこの文字が見えますか?
見えない人が殆どでしょうから、私には見えてしまったその文字を、ハイライトしてみましょう。
いったい、この立て札の主は何をそんなに採取されたくないのだろう。
背後は段差になっており、その下は有料道路に付随した空き地である。(将来道路が無料化したら「道の駅」でも作りそうな空き地だ。)
私の見たところ、何も採取したくなるような植物はない。
「100万円頂きます」とは、ただ事ではないぞ。
有料道路との合流を目前にして、意外な景色が出現。
道が二手に分かれていて、一方は暗渠で道路の下へ潜っていく。
右の道はそのまま有料道路に合流しているようでもあるが、途中からススキの藪に覆われていてはっきりしない。
実はこれ、廃道相手に何と大袈裟なのかと思うが、ジャンクションになっているのである。
平面交差で合流してはいないのだ。
左は自作によるジャンクションの平面図だ。
赤い線が「下り線」、青が「上り線」である。
もっとも、現地には特に一方通行を示すような標識類はなく、構造的に私がそう判断しただけだが、それでもしっかりと上下線が分離されている。
私が進入した「上り線」は、有料道路(本線)と「下り線」の隙間に潜り込んで、右写真の暗渠となる。
この暗渠は幅3m、高さ2.5mほどのかなり窮屈なもので、楯岩隧道以上に狭い。
この暗渠を設計した時点で既に、主要道とは認識されていなかったのだろう。
旧道と起点と終点が完全に一致する新道(有料道路)が開通するとなれば、その収益性を考えても、旧道を生かしておくことは得策ではない。
そういう金勘定も当然、公言はされずとも、この道の廃止に影響していると考えるのが自然だ。
はたして、このジャンクション設備はまともに利用されたことがあるのだろうか。
本レポート内で度々書いているが、有料道路の開通は平成4年である。
着工はその数年前だろうから、昭和の末頃になろうか。
この道を車で通ったことがあるという人がいらしたら、是非当時の状況を教えていただきたい。
もしかしたら、新道建設時の地元補償などとして旧道に対するジャンクションの設置は盛り込まれても、危険防止を理由に今日まで解放されていないという可能性もあるのではないか。
暗渠をくぐり抜けると、今度はすぐに古釜沢を小さな橋で渡る。
頭上には平行して本線および「下り線」の、「古釜沢橋」が架かっている。
頭上の橋は正味3車線あるわけだから広い。
対して、本線からその存在を伺うことは絶対に出来ないこの「上り線」の橋は小さい。
銘板さえ無く、名前も知れない。
だが、この無名の橋からだけ眺められる絶景があった。
古釜沢は岩肌を縫うように小さな滝を連ね、それぞれの間には透き通った水壺が出来ている。
落葉が流れの浅い場所を隠しており、深い滝壺だけが限りない清浄感をもってその存在感を現している。
もう数週間早く訪れていたとしたら、錦に彩られた美景を欲しいままにしたことだろう。
ここは、極めて良く隠された景勝地である。(頭上に橋があるから、雨の日でも濡れずに堪能できるぞ)
ジャンクションという言葉から連想されるゆったりした線形とは裏腹に、小刻みな直角カーブを連ねて、ようやく目指すべき本線の上り線側へ移ることが出来た。
いかにも“一応ありますよ”的な設備だ。
路面の舗装は奇麗だが、たっぷり落ち葉が溜まっていて、普段通行する者のないことを伝えている。
ここで車道から右手に、細いスロープが分かれていった。
結果から言うと、この歩行路を辿っていけば料金所を通らずにUターン出来たのだが、私はそこまで頭が回らなかったし、まずは車道を最後まで辿りたいと思っていた。
このスロープは、先ほどの図には点線で示してある。
スロープが右手の高い壁の上に消えると、あとは孤独な日陰道。
有料道路は巨大な人工地盤の上に本線を中心として、さらに料金所や駐車場などの施設を置いている。
しかし、“部外者”である我が道は、それらの“膨らみ”の外側を虚しく迂回させられている。
平坦な人工地盤に対し、我が道は本来の地面の起伏を忠実になぞり、ときに彼我の高低差は左の写真ほどにもなった。
まったく冷遇された我が道も、ようやく現道との接続の光栄に浴した。
って、余り虐げられたせいで、妙に言い回しが卑屈になってしまった(笑)。
言い直せば、「合流」するのである。
もちろん、対等な合流ではない。相手は“天下の往来”国道であるから、何の標識も案内もない、黙っていれば誰も気付かないような小さな入口であった。
だが、ここにも柵はない。
つまり、楯岩隧道入口まで、ひとつも柵がない?!
「廃観光道路」の南口には、特に柵が設けられていなかったという意外な展開。
もっとも、明示するものが何もないとはいえ、構造的にはおそらく上り線専用の道である。
そこから入っても良いかどうかは、よく分からない。
ともかく、12:53。
ここで折り返しである。
先ほども言ったように、帰りはさっさと有料道路で帰りたいが、果たしてチャリは通れるのか。
そして、料金はいくらなのか?
国道121号を50mほど北上すると、料金所のブースが見えてきた。
見たところ、生きている通行レーンは両端のみ。
平行する旧国道が空いている平日は、たった1.7kmで250円(普通車)も取る有料道路を利用する車は多くなく、辺りは閑散としている。
敷地が無駄に広いのでキセルもできそうな気配だったが、さすがにそれをネット上に晒すわけにも行かないし、正直に料金所へ向かっていった。
幸い、料金表には軽車両という欄が見えるので、チャリは大丈夫そうだ。
小さな金属製の料金徴収箱が歩道に向けて設置してあり、「50円だしたまえ」みたいなことが書いてある。
ちなみに、歩行者も通れるが、無料である。
それを知って、おもむろにリュックから輪行袋を出し、チャリをそれに詰めて“手荷物化”したりするほど暇ではなかった(笑)。
財布からせかせかと小銭を出していると、向かいのブース人の良さそうな徴収員のおじさんが声をかけてきた。
領収証が必要なら、こちらで受け取りますよと言う。
いい記念になるから、そうしよう。
ちゃんと領収証が貰えた。金額は50円。
“シートベルト”は締められないぜ。
全く他の通行が無かったので、ついでにおじさんに旧道のことを聞いてみた。
私が「通ってきた」と言うと、「ふーん」といった感じで、さほど驚かない。
拍子抜けである。
さらに聞くと、「今も何とか車が通れる」という。
オイオイ…通れやしないだろう…。何年前の情報だ。
「このバイパス(有料道路)が出来るまでの旧道だ」とも言っていたが、誰がいつ造ったというような詳細は知らないようであった。
重箱の隅を突くようだが、この道ではデフォルトで歩道を自転車も通ることになっているようだ。
料金箱が歩道向きに設置されていたことからも明らかだが、本来は標識などで指定のない限り、自転車は車道を通る交通ルールである。
ちなみに、この写真の左隅に見える舗装路。
それは、「廃観光道路」の「下り線」である。
料金所よりも手前に分岐があったようだが、気付かなかったのでおそらく塞がれていたのだ。
ここから少しの間、「本線」とこの「下り線」とが同一平面上で、歩道を挟んで平行することになる。
今は殆ど呼ぶ人のいない、この有料道路の愛称「鬼怒川シルクウェイ」。
そんな名前が残された観光案内板数枚の前を通り、いよいよ有料道路は廃道と分かれて鬼怒川トンネルへと向かう。
古釜沢を渡る橋の手前に、こんな標識があった。
おそらく多くの歩行者と自転車が、車道の本線へ降りる段差を嫌い、自然と左へ行くと思うが、全員あとで後悔することになる。
標識にもあるとおり、左はそのまま廃観光道路の「下り線」なのである。
ここで分かれると、もう本線に戻れないと言うことが起こる。恐ろしい廃道誘導の技だ。
ここは、なんらかの対策が欲しい。
疑うことを知らない純な私も騙され、何の気無しに「下り線」の古釜沢橋に。
こうしてみると、これは明らかに歩道などではなく、ひとつの車道と分かる路幅だ。
一方、本線の方は歩道もなければ路肩も殆どなくて、歩くのは辛い。
橋が終わると、そこでススキの藪に突入である。
一応はアスファルトの上だが、この藪は深い。
事実上の、「下り線」バリケードである。
ガードレールをチャリごと突破し、本線へリカバリを果たす。
あとはもう一本道である。
左側のガードレールで塞がれた空き地が、例の「100万」の空き地である。
ここにも、旧道へ登る階段がある(先の図では赤色の破線で示してある)が、完全に藪に塞がれていて使われていない。
結論から言うと、有料道路を走っている限り、ジャンクションの存在に気付くことはまずない。
唯一、自転車や歩行者が騙されて、その一部に足を踏み入れてしまうだけだ。
全長780mの鬼怒川トンネルへ差し掛かる。
あの楯岩の直下を深く貫く、申し分のないトンネル道である。
景観はゼロだが、命を懸けてまで旅行したくない大勢にとって、これが正解である。
あとは、無料になれば言うことない。
せっかく料金所のおじさんが好印象だったから、わずか数分の行程に50円も要したことにも納得していたのだが、最後になってこれは酷い仕打ちだ。
自転車は車道だよと言われればそれまでだが、この植え込みは歩行者をも車道へ放り出す。
無造作に。
有料道路は、トンネルを出るとすぐに陸橋となる。ちょうどその真下が、廃観光道路の北口であった。
そこから半ループの線形で下って国道に合流、終点となる。こちら側には料金所もない。
結局、今回の廃道が私に残した謎は、未使用と思われるジャンクション施設の存在と、妙に小綺麗な楯岩隧道内部の様子のふたつだ。
いずれも、ただ危険だから廃止されたにとどまらない、複雑で矛盾をはらむ経緯がありそうだ。
引き続き、関連市町村史にあたって謎の解明を行いたいと思う。
総評すれば、短距離ではあるが様々な廃のエッセンスが凝縮した、とてもエキサイティングな廃道であった。