道路レポート 国道465号 黄和田隧道旧道 第1回

所在地 千葉県大多喜町〜君津市
探索日 2010.02.05
公開日 2023.08.17


一般国道465号(茂原市〜富津市)は、房総半島の中央部、最も肉厚な部分を横断する路線だ。複雑な起伏を有する房総丘陵を長い距離を使って横断するため、いくつもの峠を越える。いずれも峠としての名を持たない低い峠だが、まだ十分に整備の行届いていない区間もあり、変化に富んだ豊かなワインディングが楽しめるので、走って楽しい国道である。

この国道の大多喜町と君津市の境にも、やはり無名の峠がある。
半島の二大河川というべき小櫃川水系と養老川水系の分水嶺を越えるものだ。
素直に峠を越えたとしても230mくらいの高さに過ぎないが、国道は標高200mに掘られたトンネルで抜ける。
そのトンネルを、黄和田隧道(きわだずいどう)という。

峠の西口が君津市黄和田畑(きわだはた)なので、そこから名付けられたのだと思うが、正式に「隧道」を名乗るだけあって、明らかに最近のものではない。

外観と内部の写真を右に掲載したが、飾り気のないコンクリートの坑門を覆い尽くす苔の色や、コンクリート吹き付けの凸凹した内壁など、多分に年季を感じさせる姿をしている。

そして、国道の現役トンネルとしては稀なことだが、現地にはトンネル名を表示した標識や銘板などが全くない。そのうえ、地形図や市販の主な道路地図、さらに各社のオンライン地図に至っても、なぜかトンネル名を記載しているものが全く見当らない。トンネル自体はとてもありふれている房総半島だが、国道のトンネルとしては謎の冷遇ぶりだ。
とまれ、この隧道は先述のとおり、黄和田隧道という名で行政発の資料にはちゃんと記録がされている。なお、近くの県道上にもやはり古い「黄和田畑隧道」があるので、混同に注意。


資料名(データ年)隧道名竣功年全長高さ
道路トンネル大鑑
(1967年)
黄和田隧道昭和13(1938)年154.5m4.5m4.5m
平成16年度道路施設現況調査
(2004年)
昭和49(1974)年157m7.5m4.5m

(→)
黄和田隧道のデータを、時代が異なる2つの資料から拾ってみた。
お馴染みの『道路トンネル大鑑』と、国交省が作成した平成16年度の『道路施設現況調査』には、全長はほぼ同じだが、竣工年と幅が大きく異なる黄和田隧道が記録されている。
後述する地図上の表現のされ方や、全長の変化の小さいことから、拡幅改良によって生じた同一のトンネルのデータ違いと考えられる。

すなわち、黄和田隧道は昭和13(1938)年に竣工し、昭和49(1974)年に大規模な改良を受けて、現在に至っていると判断している。

だが、この黄和田隧道には、さらなる旧隧道の存在を疑わせる資料が存在!



@
地理院地図(現在)
A
昭和55(1980)年
B
昭和19(1944)年
C
明治36(1903)年

その資料というのは、歴代の地形図のことだ。
右図は4世代分の地形図を比較している。
新しい@から順に見ていこう。

@は最新の地理院地図である。
黄和田畑と筒森を結ぶ区間に1本のトンネルが描かれているが、これが黄和田隧道だ。
旧道らしい道は特に描かれていない。

Aは昭和55(1980)年版だ。
国道465号の指定は平成5年であり、それ以前は(現在も当区間の国道465号と重複している)県道市原天津小湊線のトンネルだった。現在と同じ青矢印の位置に黄和田隧道があり、旧道は見当らない。

Bは昭和19(1944)年版だ。
道は「府縣道」を表わす太い二重線で描かれており、赤矢印の位置に峠を貫くトンネルが描かれているのだが、@やAと比べると、明らかに短いし、北側に寄っている?

昭和19年という年代的には、『大鑑』が昭和13年竣工としていた現トンネル(改修前)が存在していたと思われるが、その地形図への反映が遅れていた可能性も…。

Cは明治36(1903)年版なんだが……
既に隧道が描かれている!
その位置は、Bと一緒だ! (これにより、Bは新トンネルの完成を反映していないだけの可能性が大きくなった)


以上の@〜Cをまとめると――

現在の黄和田隧道のやや北寄りの山中に、短い旧隧道が存在した可能性が大! ――となる。

新道と旧道を同時に描いている地図が見当らないので、両者がどのくらい離れているのかよく分からないが、とにかく現地へ探しに行く価値は十分ありそうだ!
同時期に、房総エリアのエキスパートである「トンネルコレクション」管理人まきき氏からも、旧隧道および旧道の存在を示唆する情報提供メールをいただいていた。


平成22(2010)年2月5日、現地探索を決行!



 ヨッキれん、ネット依存症になる


2010/2/5 8:13 《周辺地図》《現在地》

ここは黄和田隧道の大多喜側(東側)路上であり、もう450mほど進めば坑口がある。
私は自転車のゆっくりとした速度で、麓からトンネルへ向けて走りながら、未知の旧道の入口を探している。

歴代地形図の比較により、おそらく峠に旧隧道があったということは読み取れたが、そこに通じる旧道が現道からどの位置で分かれて登っていくのかは、見当が付かなかった。だからまずは旧道探しをしている。

そしてこの写真の場所なんだが、現道の山側に草生した空き地があり(これを執筆している2023年時点では電波塔が建っているようだ)、さらにその先(トンネル方向)の切り立った法面に(棒人間の位置から)目を向けると……

(→)この写真のように、落石防止ネットに覆われた高く切り立った法面の中腹を横切る“謎の平場”が発見された!

落石防止ネットの裏側とか……、正直、全く良い印象がない場所だが、旧道の可能性があるので、広場に自転車を置いてから踏み込んでみることに。



初っ端、いきなり心を折られそう。

法面の中腹に見えた平場は、手前の広場の高さから素直に始まっているわけではなく、
最初にこの写真のような3mくらいの段差をよじ登る必要があった。

登るのが難しい訳ではないが、このような段差があるという時点で、
平場が旧道の名残であるという説に黄色信号が灯るのを感じた。

それでも、ここさえ登ればネット裏の“謎の平場”に辿り着ける
ことが分かっている状況なので、引き返さず前進すると……。




うおぉぉおぉ!

マジでネットの裏に平場がある!!

それも結構な幅だ。2mくらいはあると思う。いかにも昔の道にありそうな幅?!



冷静に、凄いなこの状況…。

いまままで数え切れないほど旧道を見てきたが、現道との関係性において、

こんな形で保存……? されていたものは初めて見る。

旧道ごと、崖全体を落石防止ネットでパッキングしちまうとか…。



ネットの裏側に入っての点検がどのくらいの頻度で行われているのか知らないが、
私が踏み込んだ時点では、なかなか現国道の安全性を担保する構造物としては、
やべー感じに見えなくもなかったが、私は素人なので、画像を見た専門家の判断に委ねたい。

そんなことよりも、私にとって重要なのは、本当にここが旧道の跡かどうかだ。
これで全然関係ない場所へ入り込んでいるとしたら、悲しいことになりそうだ…。




うおーーー!狭い!!!

まだ辛うじて平場から続く“もの”はあるが、もうそれは“道”と呼べるようなものでない。

落石防止ネットの裏側に積もり続けた落石や土や落葉が、あったかも知れない旧道を埋め立てており、
ネットと崖のために前後にしか選択肢がない私を厳しく責め立ててくる。
私はいまネットの裏で、激しくモゾモゾ!!している!


…………

……………………

お気づきだろうか?


実はいま、非常に危険な状態だ。




落石防止ネットと法面の隙間に入って、ネットを揺らすのは、
私の頭に落石を降らしてくれと懇願しているようなものである。
なので、基本ネットには触れないほうが良いし、やむなく触れるなら、
頭上に落ちてきそうなものがないことを確認してからだ。

そしてもう一つの危機は、
この写真の中の黒い闇のような、ネットと崖の狭い隙間に落ち込むことだ。
考えるだけで震えが走る。高い崖から自由落下するよりマシなのかもしれないが、
ネットと法面の隙間に落ち込んで身動きが取れなくなり脱出困難に陥ったらと思うと、
まさに生殺しの刑となる。(まあ、この場所ならいつか通行人に見つけて貰えはするだろうが…)

というわけで、こんな特殊な危険性を知る機会なんて、
普通に日常生活をしていたら絶対にないとは思うが、

  1. ネットと崖の隙間でネットに触れるときは落石に注意!
  2. ネットと崖の狭い隙間への転落に注意!

この2つをヨッキれんと約束してくれ。



この画像だけは、後から撮影したものだ。

国道の路上から、私がいまいるネット裏の旧道“らしき”部分を撮影している。
ネットの下端は路面の近くで崖に接着されていて、そこを人間の大きさのものがすり抜けることは出来ない。
なので上から滑り落ちて下手な姿勢で填まったら、本当に自力では出られなくなる可能性がある。

私は、これが道なのか何なのか分からないまま、
気付けば深いネットの裏に填まり込み、なんと……



8:23

8分も費やしてしまった!

長さにして30mくらいの“ネット裏謎平場”を通過するのに。

だがどうにか、出口に辿り着いた。危うくネット依存症だ。

ようやく脱出するとッ!



ずいどーはっけん! ってなったら面白いんだが、もちろんそんなことはなく……

………… ここはどこだ?

でも、左下に見えている現国道の位置からして、ここが旧道跡の可能性はまだありそう。

ほんのりとだが、平場が続いているし……。




 ヨッキれん、フライングする


2010/2/5 8:24 《現在地》

果たしてここは、探し求める旧隧道へ繋がる旧道なのか。

「そりゃあ、こんな詳細に紹介しているんだから、そうなんだろ」というようなメタ的ネタバレはやめてもらおう(笑)。
少なくとも現地の私は、この時点ではまだ、大いに半信半疑であった。
だが、それが良い方の確信へ変わったのは、この次の場面だった。

前方、妙に明るく見えている。
とても嫌な予感がしたが、私が旧道ではないかと疑っている平場が突入していく以上、私はそこを避けない。





うおぉおお!!

大崩壊!

想像を超えて巨大な崩壊斜面が出来ていた。
地滑りによって地表の樹木が広い範囲で根こそぎ失われており、そのため明るく開けて見えたのだ。
せっかく苦労して“ネット裏”を突破したにも拘わらず、結局は道なのかそうでないのかも分からぬまま、離脱を強いられるのか…。

チェンジ後の画像は、現国道がある下方を見下ろして撮影した。
高いコンクリート擁壁が立ちはだかっていて、その先にある道路が見えない。
擁壁がまだ新しく見えるので、ここ数年内に山が崩れ、防災対策が施されたものと見える。
国道側だとこの場所だ。


……ん?



( ✧Д✧) くわっ!

鋭い崩壊地の対岸、

いままでいたのと同じ高さに、

平場の続きらしきものを発見した!

マジでここが旧道か?!




対岸に平場を見つけた私は、この地滑り現場を正面から突破することを決意した。
かなり険しいので迂回することも考えたが、よく見ると粘土質の崖を横切るように草付きがあり、そこが獣道になっている気配があった。
私もケモノと同等のものとなれば、これを使えると判断した。

それにしても、よくぞこんなにスパッと綺麗に切れ落ちたものである。
この日はかなりの冷え込みで、国道の路面も日陰は凍結していたし、写真にもほんの少しだが積雪が見える。これらは房総では珍しい冬景色だ。
普通なら凍結は不利な条件だが、この場面においては、凍り付いて硬い粘土のようになった草付きが、逆に滑り止めになってくれた。



8:30 《現在地》

やりました!

私の目に狂いはなかった! 

“ネット裏”から始まった一連の平場が、確かに旧道に由来するものであることを、ここで初めて答え合わせできた。
まだ峠の隧道に辿り着いたわけではないが、旧道であることは間違いあるまい。国道より15mくらい高い位置に、意外に広い幅を有する道の跡が明瞭に残っていた!
(チェンジ後の画像は振り返って撮影)

手前味噌だが、一発でこの旧道へ辿り着いた私の嗅覚はヤバイと思った。
最初のネット地帯か、直前の大決壊で進むことをやめていたら、ここに旧道があることに気付くまで、まだしばらくかかったはずだ。
ここまで来ると旧道は完全に国道の視野から離れており、路上から見上げても、擁壁と急斜面と植物のため全く見えない。

というか実は、この旧道が国道から見えるのは、最初のネット地帯だけだったりする。
そのため、旧道の存在を意識せず偶然見つけることは、まずないように思う。
私自身、これまで何度も通りながら全然気付いていなかった。これはステルス性能Aランクの旧道といっていいだろう。
それゆえにこの旧道は、“旧国道”という比較的オブローダーに探されやすい名目を持ちながら、今日(というか探索当時)までほとんどその存在を知られていなかったのである。
まあ、“旧国道”という表現が、国道になる遙か以前に役目を終えたこの旧道に相応しいかは、また別の問題だが…。



面白い!
下からは全然見えないのに、一度辿り着けば、こんなにもしっかりとした幅を持った明確な道形が残っているなんて、なんとも愉快だ!
ここも過去の土砂崩れ跡なのか、旧道はほとんど切断されている。
その切断された部分から、国道の路面をほぼ真上から見下ろす角度で眺めている。電柱も電線柱も眼下にある。落石防止ネットのアンカーボルトだけが旧道まで登ってきていて、これを設置した工事関係者だけは、旧道の存在を認識したはずだ。

それにしても、地形が険しい。
房総なんて低山しかないというのは正しいが、緩やかな山しかないというのは大間違いだ。
房総半島の山中にある川や谷は、大抵が両岸に険しい崖を所持している。全く侮りがたいのである。

ここでは国道が広い谷底の左岸寄りを通じており、旧道はそこから15mほど高い山腹を並走している。
山腹と書いたが、実際の地形の印象は、谷底から尾根の近くまで連なる落差100m近い崖である。崖同然の急な山肌だ。
そんな地形を横断し続けるのが旧道だから、緩む場面がなく、ずっと険しい。全く侮りがたい!



小欠落を越えて再び路面に辿り着いたが、この先もまた嫌な明るさが感じされる。
廃道で明るいのは大抵ヤバイ場面だって、もう常識過ぎる。
どうなっているんだこの先は……。

チェンジ後の画像は、少し進んだところ。

嫌な予感は大的中。

やっぱり道がないじゃないか。どういう状況ナンダコレ……。




8:37 《現在地》

ヤラレタ!

国道の法面によって、旧道は無残に切断されていた。

こういう立地の旧道ではよく見るパターンの障害だが、道理で誰も歩かないわけだ。
ここから降りるのは現実的ではないので、高巻きで法面の上を突破するしかない。全く以て油断も隙もない。

チェンジ後の画像は、後で撮影した写真だが、国道から見上げた「現在地」だ。
国道の黄和田隧道東口より450mの地点で始めた旧道探索だが、残り150mの位置まで来ている。
旧道上の障害はいろいろとあるが、それでも峠の旧隧道を捜索するという最大目標の達成は、もう遠くない。

頑張って、この難関を突破するぞ!



高巻きを試みるが、これが非常に恐ろしかった。
少し登れば楽に横断出来る緩斜面が現れと期待したが、実際は甘くはなかった。険しい斜面がずっと上まで続いていた。
労力的には法面のすぐ上を横断するのが楽だが、万が一に滑ったときの安全マージンを考えると恐ろしく、意外に大きな高巻きを余儀なくされた。

国道の路上にヨッキれんの転落死体が転がってるとか、当サイトの読者ならば何が起きたか察してくれるだろうが、そうでなければ、なんで道もない所からこの人は落ちて死んでるんだって、かなりのホラー事件になってしまうだろう。それは避けたかった。




8:42 《現在地》

大きな高巻きに5分ほど費やし、冷や汗も掻かされて、なんとか法面の先の旧道へ降り立つことに成功した。

ここまで来ると、国道より20m以上高いところにいる。
しかも単純に傾斜がキツいだけでなく、国道側の法面がどこも壁に遮られているので(参考:ストビュー)、旧道にアクセス出来る場所は非常に限られている。
国道のすぐそばではあるが、この旧道、マジで侮れない!

チェンジ後の画像は、また少し進んだ場面だ。
障害がなければ、このように綺麗な道形が残っている。
昭和13年に新トンネルが開通したと考えられるので、谷底の新道(=現道)に切り替わったのもその時だろう。
馬車が通ったかは分からないが、荷車なんかは間違いなく利用しただろう。自転車やバイクも通ったかも知れない。



道の山側に非常に大規模な炭焼窯の跡があった。

右の写真は、道に面している窯口の部分から、岩場を削って半地下状に作られた窯奥を見ている。

屋根部分はすっかり失われているものの、奥行きが5mくらいもあり、背面の岩場を利用しているものも大きな特徴だ。石壁を作る石材を得がたいために、地形を利用したのだろうか。

東京という大消費地に近い房総半島の山間部では、近代を通じて木炭の生産は最大の産業だった。
昭和30年代以降、化石燃料の台頭や電気製品の普及によって木炭産業は急激に衰えたが、房総の山ならどんな奥地でも炭焼窯の跡だけはあるという印象を持つほど、今なお沢山の窯跡が残っている。しかしこれだけ規模の大きなものは珍しいと思う。
一応路上を避けて設置されているようなので、旧道が現役だった時代に作られたものかもしれない。




またも進路上に障害が。

小さな谷が、行く手を阻んでいる。
すぐ近くに道の続きが見えており、取るに足らない障害物だと思いきや……。


(→)
小さな谷が、まるでウオータースライダーか、ボブスレーのコースのような形をしているではないか!

幸い水が流れていないので横断出来そうだが、流れていたら無理だと思う。すっごい滑りそうだ。上まで続いるので高巻きでも越せそうにないし。

そして、対岸へ這い上がるのにも少し苦労した。ツタのようなものを上手く使ってよじ登ったが、ないと厳しかったかも。





8:47 《現在地》

!!!

この景色を見た瞬間、私の中の特殊な“アンテナ”が作動した。

チェンジ後の画像は、前方の地形の注目すべき部分にハイライトを入れたものだ。

旧道はこの先で、枝谷、枝尾根、主稜線を、順に越える必要があるようだが、

枝尾根の切り立ち方が想定を越えている!



まさか




あれは




隧道☆新発見

しかもこれ、峠を越す隧道ではないぞ……!



峠の手前でフライングした

隧道を新発見!!!



谷キチー!!!

嫌がらせのような隧道前地形が…