島の北端にやって来た私は、そこで地図にも描かれているトンネルと遭遇。
入口に簡単なフェンスがあったが、なぜ封鎖しているのかの具体的説明は一切無し。
果たしてこのトンネルの先はどうなっているのか?
もしこの地図通りなのだとしたら、ちょっと面白そうだ…。
島の北端にやって来た私は、そこで地図にも描かれているトンネルと遭遇。
入口に簡単なフェンスがあったが、なぜ封鎖しているのかの具体的説明は一切無し。
果たしてこのトンネルの先はどうなっているのか?
もしこの地図通りなのだとしたら、ちょっと面白そうだ…。
2013/4/2 7:37 《現在地》
島唯一の集落から海岸沿いの道路をひた走ること5.6kmで、島の北端に辿りついた。
もし自動車で来たら、ここまでほんの10分弱の道のりであろう。
なるほど、こういう走りやすい道だけを選んで走れば、神津島は大きい島ではないということが理解出来る。
この目の前に聳え立つ、迂回のしようもない柱状節理の岩山が、黒根と呼ばれる北限の岬である。
道は説明なくここで塞がれているが、形としてはまだ続いている。
そして、この先は集落があるのとは反対の東岸を南下していくわけで、“裏神津海岸”などと言ってもいいのかもしれない。
だが、東京からの定期船は必ず島のこの面を目指してやって来る。
つまり、外からの来訪者にとって島の視覚的第一印象を決めるのが、この先の海岸線である。
「 神津島に上陸出来る場所なんてあるのか?
無人島の間違いじゃないのか? 」
昨日の朝、船上の私にそんな穏やかではない第一印象を与えた風景が、目前のトンネルの向こうに待ち受けているはずなのだ…。
…それでは、進んでみよう。
まず、地図には書かれていなかったトンネルの名前が判明した。
大黒根トンネルという。
ここで早速疑問符が付いた。
地名は黒根なのに、トンネルの名前は大黒根である。
つまりこの「大」は地名ではなく、「思い」である可能性が高い。
例を挙げれば、上越線の清水隧道→大清水隧道のようなものではないのだろうか。
このトンネルは神津島で3番目のトンネルであるわけだが、どんな思いを込めて「大」黒根トンネルと名付けたのだろうかということが、まず気になった。
そしてそんな大仰に思われるネーミングに対して、外見は良い意味で洗練されてきたというか、「普通」になっている。
よく分からない年輪調の外見にしたり(錆崎トンネル)、変なところに扁額を取り付けたり(赤崎トンネル)してみたが、いよいよ3度目には熟れてきた感じを受ける。トンネルはこれで良いのだ。
内容に(個人的)注目が集まる工事銘板に接近!
「大」を名乗ったにしては、その全長は310mと、ライバル(←勝手に思ってるだけです)新島の平成新島トンネル(2878m)の9分の1程度であり、大した物ではない。
しかしこれでも神津島のトンネルとしては、120m→176m→310mというふうに、順当に長大化してきている。
皆さまは、この3本のトンネルをいやに比較するとお思いかも知れないが、それには根拠があって、これまた銘板に書かれていた施工者が同じなのだ。
すなわち、神津島トンネル界のゴールデンコンビ、「佐藤工業・大洋建設共同企業体」のお仕事であった。
そして発注者も前2本と同じく神津島村で、東京都ではない。
また、竣工年は平成10年3月とあり、この先未成であるとしても、平成10年までは確実に工事が行われていた事が分かる。
想定しうる最長の放置期間は(探索当時で)15年目であり、遠い昔ではないものの、既に「最近」でもない微妙な年月が経っている。
いざ、入洞にゃう。
工事銘板が取り付けられているということは、工を終えている(竣工している)と言う意味だが、鋪装はおろか照明まで完備しているのには少し驚いた。
そして通行止めのため、当然のように点灯はしていない。(果たして完成時の試験以外で点灯したことはあるのだろうか)
なお前回最後にも書いた通り、トンネルをもの凄い勢いで風が吹き抜けている。
それが今は順風であり、少々の風では順風は気付かないこともあるのだが、自転車が押されるほどなので相当強い。
少なからず島の東西の海を短絡する位置に掘られているのだから、風が強いのも不思議ではないが。
ということからも貫通しているのは間違いないと思われるが、現時点で出口は目視出来ない。うっすら奥の方の壁が反射で白いようには見えたが、線形はやや左へカーブしているようだ。
ともかく私が心配に思ったのは、余計なお世話かも知れないが、この照明のことである。
使われないまま強烈な潮風に吹きさらされており、このまま使い物にならなくなったら、さすがに気の毒である。
未成道のトンネルで照明が設備されているというのは、なかなか珍しい光景である。
見えてきた!
手元の照明を頼りに100mほど進んだろうという辺りで、
左カーブの向こうに白色の出口の光が見えてきた。
トンネル内には特段に語りたくなるようなものはなく、
ただ照明が点灯していないだけの既成トンネルであった。
だが、
今はまだ光満ちたものとしか見えない出口に対する、
気持ちの昂ぶり、期待感は、
決して一通りではなかった。
さあ! 地図のアレは、
実際はどんな風景なんだ?!
?!!
な、何?!
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これはひどい。
ひどい有り様である。
トンネルの東口は、外から大量の土砂が洞内へ20mくらいまで雪崩れ込んでいた。
幸い壁面などに痛み(亀裂)は見られないものの、明らかに土砂災害を被っていた。
いったい道は、外の道はどうなっている?!
………、
道はどこだ?
洞内からは、土砂と草むらしか見えない!
これはまさか本当に、地図通りの地点までしか、道は作られていないのか?
外へ出る前に、工事銘板がこちら側にも取り付けられているのを確認した。
また、坑門から僅かに外へ出た所に巨大な岩が鎮座しているが、
その大岩の下には金属製の側溝の蓋が、ひどく押し潰されていた。
つまり、この大岩は明らかに施工後の災害でここに現れたものなのだ。
坑口前の濡れた土の斜面を登り、やっと外を見通せるところへ。
7:42 《現在地》
道が無い!
マジでこれが終点なのか?!
なぜトンネル掘った…?
なぜここで止まっている?!
なぜ、なぜなんだ。
上の写真を撮影した所から一歩も動かず、今来た道を振り返って撮影したのが、この写真。
2枚の写真を見較べれば、どれほど唐突に道路が終わっているか、トンネルを抜けたところで即座に途切れているということが、お分かりいただけると思う。
この場所については、珍しく地図が正確であったといえそうだが、作図者も現場を見たのでない限り、「変な道だな」と思ったに違いない。
地形図なんて、ここはトンネル坑口だけ描いていて、その先には1mmだって道を描いてないのである。
普通に変な状態だが、それが現実を最も反映した表現だったらしい…。
そして、そんな状態なのにトンネルまでは描いているのが、律儀ですごい。
とにもかくにも、大黒根トンネルはやはり完工していて、こちらの坑門も扁額も完璧。
こちらからの通行人に対する出迎えの準備も、既に万端である…。
そして旁らには海!
トンネルに入る前にもずっと海はそこにあったが、路上をゆく限り、さほど間近には感じない存在だった。
高い防潮堤と、何より「ここは道路」という意識が働いているので、この距離にあり続けた海も“背景”に過ぎなかった。
それが今や距離相応の存在感をもって、私の心を威圧的に睨んでいた。
今日はじめて出会う東海岸の海には、強雨のため、本来見えるべき島影がまるで見えなかった。
私がこれから帰るべき本土は、この海の向こうに確かに温存されているはずだが、そこから私を迎える船は、今この海を渡ってきているのだろうか…。
前を見て、後ろも見て、片方の海も見た。
残るは、もう片方の山の眺めであるが…。
トンネル内に大量の土砂を流入させた、坑口前の土砂崩れの全貌が明らかとなった。
落差250mを越える神戸山の北側絶壁斜面が、その半ばの土が乗っている辺りから
地表の薄い植生を全てめくり上げながら、この海岸線まで崩れてきていたのである。
それはそれは、ひどい有り様で…、
相当大規模な治山的処方を行わない限り、このトンネルを復旧させ、
安全に道路を延伸開通させることは困難ではないかと思った。
…山のてっぺん辺りから、順繰りに全部施行しないといけないのでは…。
それはそうと…
さっきから気になってるんだが、
あれって道の工事跡なのかなぁ…。
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