2019/6/26 11:10 《現在地》
確かにここは、車道だったようだ。
林道とは路面が接しておらず、2mの落差があったが、そこさえ目をつぶれば、この道は最新の地理院地図が描くとおり、いわゆる「軽車道」らしい幅と、緩やかな勾配を有している。
なるほどこれは、隧道があったとしても不思議はない昔の車道ということか。なるほどなるほど、ちょっとは期待が持てるぞ。ふふふっ。
とはいえ、これは自転車を連れていって役に立ちそうな雰囲気ではない。自転車は大人しくここに置いていくことにしよう。後で回収するのが手間だが…、仕方がない。ここから先は徒歩で進むことにする。
なお、当面の目的地である“隧道擬定地点”までの距離は、8〜900mと推測される。ここで少しばかり手間取ったが、もう目的地は遠くない。一気に行くぞ!
道はいくらか上り坂で、最初のうちは路肩の下に先ほど走り回った林道が見えたが、それはすぐに木々の緑に隠されて見えなくなった。
孤独の道行きの始まりだ。
すると今度はすぐに明るい草地の斜面が現れ、そこには電信柱が立っていた。
柱の識別標に、「中村・蓑輪通信線」と書かれていたが、私もいま蓑輪を出発して中村方面へ向かおうとしている。今後再びこの電線と遭遇することがあるのだろうか。
だが、とりあえずこの段階では電線と道は直角に交差していて、関わりは見通せなかった。
で、この電線を潜った先が、私が再び緊張を強いられる場面だった。
なぜなら、私が地形図に描かれている“お目当ての道”を正しく辿っているならば、この先で間もなく左に切り返していくようなカーブがあるはずだからだ。
もしそれがなく、このまま南へ行くようだと、また地図の道を失ったということだろうから、ここは要注目の場面だったのだが……
よし! 目論見通りだ。
草地の中に、切り返しの急カーブが横たわっていた。
周囲の緑の濃さが不穏だが、何者かが比較的最近に刈り払いを試みたらしく、何とか道を判別できた。
おそらくは、北陸電力の鉄塔巡視路として利用されているのだろう。
助かる〜。
正しい道を辿れていることに確信を得た私は、さらに意気揚々とした足取りで、切り返した先の上り坂を歩いて行く。
周囲は密生した草木に覆われているが、鉄塔巡視路という強い味方が私には付いていた。いやはや、これツイているな。
ぶっちゃけ、6月末の探索ということで藪の濃さを心配していたし、現にここまでの行程でも、路外の藪の濃さには危機感を持っていた。
ありがとう、北陸電力さん!
11:15 《現在地》
グワーーッ!
強烈な藪だぁぁーっ!
なんで刈り払いを最後までしてくれなかったのー?
なんで途中で投げ出しちゃったんだよー。神聖かつ高邁なお仕事を!!
ううぅーー
キチーーッ!!!
藪が濃いという以外、述べる言葉がない。
ただそれだけ。
辺りは完全なる密林の様相を呈していた。
電線を敷設するために伐採したからなのか、この周囲は樹木が低い。
そのため、いわゆる、マント群落になっている模様だ。
オブローダーなら誰しもが恐れる最悪の藪、それがマント群落である。
どこまでもマント群落が広がっているという林相は考えづらく、進んでいけば脱出できると思う。
だが、マジで1m前進するのに要するエネルギーがハンパないので、
早く終わってくれないと、身体よりも先に心を折られかねない。
↑ 少しマシになったと感じたので、歩きながら動画を回した。
動画の中で、道の続きを見つけて喜んでいるが、
マントに揉まれている間に道を見失わなかったことは、自分を誉めてやりたい。エラいぞ俺。
植林らしき杉林に辿り着いて、なんとかマント区間を脱出した。
最も濃いマントは100mほどだったが、かなり苦しかった。
出来ればもう同じ道は引き返したくない。
とはいえ、また同じような激藪がいつ現れるかと思うと気が重い。
探索の時期を見誤ったのは、言い逃れの出来ない事実であろう。
豪雪地として知られる地方だけに、藪の生育の遅さを期待したが、このような低山ではもう完全に藪の最盛期へ突入していた。
今さら探索日を公開しても仕方がないのだが、肝心の隧道擬定地付近の藪があんなに深かったら、見つけられるものも見つけられない気がして、それが一番恐い…。
……ともかく前進だ。
現在地はGPSによって把握できているが、林道からは250mほど進んでいる。
地形は、左にあまり深くない谷があって、谷沿いをトラバースしている。
道形は不鮮明だが確かに存在する。
11:27 《現在地》
おわぅ!?
いきなり藪が開けて、道らしいところに出た。
嬉しくはあったが、全く思いがけなかったので驚きが先に出た。
確かに車道と思える道幅があるが、道のど真ん中に太く育った杉が2本生えていることが、廃道としての年季を現わしていた。
今さらだが、なんで地理院地図はこの道を、「軽車道」として、平然と描き続けているのだろう。重要なのは道幅ではなく、実際に軽車両が通っているかだと思うが…苦笑。
これは、振り返って撮影した写真だ。
突然藪から出られた理由は、ここが現役の道だからだった。
地形図に描かれていない現役の道が、地形図に描かれている廃道と、重なり合いながら存在していた。
おそらくこの道の正体も、北陸電力の鉄塔巡視路ではないだろうか。それっぽい看板が路傍に立っていた。
この先、この巡視路がいつまで一緒に居てくれるのか分からないが、ずっと居てくれたら楽だなぁ…。
11:28 《現在地》
はいはい。そんなウマい話はないよね。分かってた。
一瞬で、本当に一瞬で、巡視路は左へ逸れていった。
苦しいマントを抜けた先、思いがけず差し伸べられた救い手のような、現役の道。
うっかり気を許し、そのまま左へ連れて行かれそうな場面だったが、地形図に描かれている「軽車道」は、正面の密生した藪の奥へ続いている。
……敢えて現役の道を紛れさせることで、私の攪乱を狙ったのだろうが……、
そうはいかないぞ!
こんな姑息な技で、まだ私を試そうとするか。
これはちょっと、私も負けられないぞ。
隧道があるかは分からんが、擬定地までは絶対に辿り着いて、暴いてやる!
気まぐれな鉄塔巡視路にほんの30mだけ利用されるも、秒で棄てられてしまった哀れな廃道。
めげずに再び藪へ突入すると、急傾斜の斜面を横切っていく道形が、濃い緑の中に微かに見通せた。
周囲は杉の植林地のようなのだが、既に管理はされていないようで、下枝も倒木も荒れ放題だった。
ところで、チェンジ後の画像に「○」を付した部分に――
路肩の石垣を見つけた!
規模は小さく、平凡な自然石の空積石垣だが、とりあえずこの廃道区間へ入って約400m前進する中で初めて見つけた“道路構造物”だった。
コンクリートブロック擁壁や丸石練積の擁壁ではなく空積みの石垣だったということは、道が作られた年代を考えるヒントになる。
基本的に江戸時代までの山道は車道ではないから、一定の道幅を確保する意識が弱く、石垣で拡幅するということは少なかった。また、戦後になると山間部の小工事でもコンクリートやセメントを用いることが普通になった。
そんなわけで、明治、大正、昭和戦前や戦中期……、だいたいこのひろ〜い範囲が空積石垣の適用時期だ。
再度の藪に突入して3分ほど前進すると、なにやら前方に大きな空間の広がりを感じられる状況になった。
写真では空が白飛びしているので見えないが、肉眼では上空を横切る送電線が見えた。
送電線の下の樹木が刈り払われているために、空間が広がっているのだ。
もちろん、嫌な予感がした。
で、オチが近くにありすぎて草wwwww↓
やっぱりだよ!!
嫌な予感は安定して的中しやがる。
ここは、マント群落よりは幾分マシなススキ主体の草藪だが、こんもりしすぎていて、道の存在を感じることができない。
ちなみに、風景からも察せられると思うが、この日はとても暑かった。
気象台の過去の発表を確認してみたところ、この日の富山市は最低気温17度、最高気温30.9度にもなっていた。
滑川もこれとあまり変らない気温だったと思うのだが、とにかく暑かった記憶だけがある。
したがって、“クサイキレ”という名の熱暑監獄に閉じ込められるには、6月としては稀に見る最悪の日だったと思う。
自然と解放的な写真になる全天球カメラの写像も、ご覧の有様である。
中心に写っている人物が、“クサイキッテ”いてマジで暑苦しいが、これがリアル。
青虫毛虫の世界である元気過ぎる草の海を泳ぐリアリティが、この画像にはある!
周りに木がないのと傾斜が結構キツいので、確かに見晴らしは良かった……ようだ。(←記憶が写真ほどない)
眼下に見える世界は、本編のタイトルに入っているのに、ここまでほとんど存在感を示さなかった早月川だ。
水面までの落差は現在の地点で150m以上ある。このあと徐々に減少するが、間近になることはない。
ガサガサガサガサ
暑い“クサイキレ”の海に溺れそうになりながら、
5分ほどガサガサガサガサ泳ぎ続け……
11:36 《現在地》
どうにかこうにか、次の森へ!
鬱蒼と杉が茂る森である。
そして、この森で私は、奇妙な光景を見た。
2段の道が、見えないだろうか?
この画像には敢えて補助線を入れないが、私の目にはかなりくっきりとよく見える。
現地では、もっと立体的に見えるので、さらにはっきりとしていた。
次の画像は、中央付近の拡大を、補助線付きで。↓↓
はっきりと2段の道が並走しているのが見える。
私が最初にいたのは下段の道であった。そして、自分のすぐ上にあるもう1本の道に気付いた形だ。
2本の道?は、非常に近接しており、今にも合流しそうだ。
なんなんだこれは?
別の道がこんなに近くに来るまで接近に気付かなかったが不思議だったが、振り返ってみると(←)、“上段の道”は遠くまで伸びている感じはなかった。すぐそこで終わりなの?
でも、何のための道??
ますます不思議だったが、引き返せば、直ちにあの“クサイキレ”に突入することになる。
あそこで何かの地上物を見出すことは不可能だ。やるだけ無駄。絶対戻りたくない。
なので、引き返しての確認はしなかった。
しかし、改めて最新の地理院地図(→)を見直すと、この辺りの道の表記は異様だ。
旧来の紙ベースの地形図と比べて、ディスプレイベースの地理院地図は、同じ2万5000分の1縮尺であってもかなり詳細に道を描くようになった。
だがそれにしても、この辺りの道の表現は、いささか過剰と思える。
どういう調査からこの図が生み出されたかは分からないが、何本もの道が輻輳していて、現地の荒れ果てた実態とはかけ離れた印象を与える。
まず注目は、私がここで目にした不思議な2段の道を示すかのように、並走する2本の「軽車道」が描かれている。
“クサイキレ”の辺りで道が上下に分かるように描かれているが、現地では気付かなかった。
また参考までに当日のGPSログデータ(赤線)も重ねて表示しているが、これを見る限り、確かに私は「下段の道」を歩いたらしい。GPSも地図も、そこまで正確なものであるかについては疑問もあるが。
加えて、現在地の10mほど下には、別の「徒歩道」があるように描かれているのも気になる点だ。
この「徒歩道」は、林道から分岐していた【この道】の続きのように描かれているが、現地でこの「徒歩道」の実在は確認できなかった。
「軽車道」をダブって描いてしまったのではないかと疑っている。
ますます謎だ。
上下2段の道は、間もなく合流して1本になった。
地理院地図に描かれている内容とこれを合わせると、上下段の道は僅か100mほどの区間だけ分離して並走していたことになる。
まるで、山間部の高速道路が上下線を別ルートにしているみたいな、不思議な状況だ。
或いは、林鉄なんかが狭い傾斜地に複線の交換施設を設けるときにも、こういう上下2段の分離があったりするが……。
なんなんだ、これ……。
…………
ここはただの藪道、ただの廃車道じゃないのか……???
11:43 《現在地》
謎を抱えたまま、1本に戻った道を前へ進むと、すぐに尾根を回り込むような場面があった。
太い樹木が路上にも生えており、地理院地図が「軽車道」としている道が実際はどれほど昔から廃道状態であったのか、計り知れないものを感じた。
この尾根には涼しい風がそよいでいて、“クサイキレ”にヤラレタ身体を癒してくれた。
尾根を回り込むと、立派な道幅を持った廃道が延びていた。
この辺り、道形の遺存度は全体的に悪くない。
道幅も結構あるので、もっと狭い林鉄跡なんかよりは安定感がある。
藪さえなければ、比較的に歩き易い廃道かも知れない。
が、良い場所ばかりが続きはしない。
地形は全体的に急峻で、所々に古い崩壊地を横断している場所がある。
そういうところでは、草木に縋って斜面を横断しなければならなかった。
崖はあまりないが、土の急斜面なので、滑りそうで恐い。
それに、藪のせいで足元がよく見えないところがあるのも恐かった。うっかり踏み抜いて滑り落ちそうで。
ただ、崩壊地や急傾斜地には、“小さなご褒美”が用意されていることが多かった。↓↓
それは、北アルプスの北限近くに並ぶ、私には名前が分からない山々の遠望だった。黒部峡谷の西側を画している稜線だと思う。出発時点では見えたこの山塊の盟主的存在である剱嶽は、見えなかった。
私はただただ足元の一本道を辿るだけだが、その進行方向が東から南へ変化した。
これにより、木々の隙間からときおり見える遠くの景色が変わったし、道を取り巻く地形も変化してきた。
景色についてはスッキリと見晴らせる場所がないので説明が難しいが、地形の変化については、傾斜がキツくなってきたという言葉に集約できる。
現在地は、GPSのおかげで逐次把握している。
このとき私は、隧道擬定地点まで残り200mというところまで迫っていた。
隧道があるとしたら、きっと険しい場所があるのだろう。私が感じた地形の変化も、隧道擬定地への接近を教えてくれているようだった。
隧道は、本当にあるのだろうか。
もしあるなら、どんな姿をしているだろうか。
ぜひとも、あって欲しい。そして出来ることなら、貫通も望みたい。
心の中で隧道への臨戦態勢を整えつつあった私だが、次に現れたのは、またしても予想外の光景だった。
11:56 《現在地》
藪消失。
下から登ってきた歩道が廃道の進路を乗っ取ったことにより、再度の路面復活が起こった。
今度も送電線の巡視路なのだろうか。
だが周辺にそれらしい表示板は見当らない。
私はこの下から登ってきた道の出所を確認していないが、ここから50mほど下の斜面を室山野用水の旧水路跡が横断しているとみられ、そこに旧水路跡を観察するための「学習広場」があることを大日公園の案内板で見ている。おそらくそこへは【この切り通し】から行けたのだろう。
もし、旧水路沿いの道が歩きやすいものであるなら、今回の“隧道擬定地”を目指すのにも便利な近道として使えそうだ。
藪がなくなっただけで、もの凄くすっきりとした、快適な道になった。
なんか今でも普通に自動車が通れそうな道幅と路面だが、さすがに車の轍はない。
でも、藪さえなければこんなにも立派な道だったのかと驚いた。
周囲は再び鬱蒼とした杉の植林地となった。
この森へ来るために歩道が利用されているのか、あるいはそれだけでなく、このまま“隧道擬定地”を乗り越えて、地図上で約3km先にある中村集落まで、昭和27年の地形図にあった里道をなぞって生きた道が続いているのだろうか?
実は今回、この一連の道を歩き通した場合を考えて、あらかじめ中村集落付近に車をデポしてから探索を始めている。
ここまでの探索過程で既に自転車を途中に残してきてしまったので、どうせ一度はスタート地点に戻らねばならないが、いま来た激藪を引き返すのではなく、このまま中村のデポ車を目指しても良いとも思っていた。
全てはこの先の道の状況次第である。
そしていよいよ、GPSが指し示す現在地は、隧道擬定地へ接近!
今日イチの期待と不安が、私の全身を緊張に強ばらせた。
↓↓↓
明るくなる?!
ええぇーーー……
なんか、嫌な予感がするんですけど、大丈夫です……?
良い景色〜〜。
だけど
いま見たいのはコレじゃない!!
この見晴らしの良い場所は、ちょっとした広場みたいになっていて……、
広場からの…………
行き止まり?!
と見せかけての
行き止まり
&
崖
崖
からの
穴
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