あなたなら、
どっちの道を
選びますか?
この2本の旧道を知った後に見る
現道(深山隧道) |
の “ありがたさ” は、感涙もの!
何の変哲もない隧道のそんな部分に気付けるのも、廃道歩きの醍醐味…かな?
2007/12/7 15:11 《現在地》
旧道の探索開始から11分が経過。
大きな難所をひとつ乗り越え、とりあえずは平穏な路盤に復帰。
全長500mの旧道のうち、ちょうど半分の250mから300mほどを攻略したと思われるところだ。
この短い平場(すぐ先にまた大きな崩落土砂の山が見える…)に、右写真の標識が立っていた。
何をどうすれば、こんな形に変形してしまうのだろう。
落石が直撃した様子もないので、風? 雪?
おそらく後者だろうが、せっかくの「落石注意」が可哀想だった。
軽くなでなでして、先へ進む。
遠目にはさほど大きな崩落とは見えなかったが、いざ近寄ってみると、これもかなり大きい。
積み上がった瓦礫の高さは、先ほどの難所以上である。
だが、ここはもう崩壊の活動がほとんど終わっているようで、落ち着いて登っていけば越えるのは難しく無さそうだった。
冷たい風に体の前面をあてられながら、文字通りの岩山を黙々と登っていく。
“おやまのてっぺん”辺りに到達。
登ってきた分だけ下った先に、またしても平穏無事な旧道の一角が見えている。
どうやら、こんな感じの繰り返しで道は続いているらしい。
…これが「続いている」といえるのかは、少し微妙だが。
再びの“平穏ポケット”(フィーリングで命名)に到着すると、そこには、明らかにただの枯立木ではない標柱のようなものが、1本だけ立っていた。
道路標識の柱にしては太いし、そもそも今までは廃レールを使っていたので、多分違う。
相変わらず路肩からの眺めは素晴らしいので、そういう観光関係の標柱だったのだろうか?
そして、この謎の標柱は謎の標柱として、それとはおそらく別に立っていただろうもう一本の標柱が、すぐそばに折れて転がっていた。
私はその標柱を見て…
余りの意外性に、ぶっ飛んだ。
世界人類が平和でありますように
…た、確かに書いている内容は間違ってないと思うが…
その願いに、いまここで耳を傾ける事は、かなり難しいと思う。
これも布教…というのか分からないが、なかなか意外性を突いて来た。
うげぇー!
状況が更に悪化!
平和の祈りで、状況が悪化!!
だ、大丈夫なのか? ここは!
中ほどの辺り…ちょうどグネって曲がってる辺りが、また路肩の欄干も全てへし折られていて、先ほどと同じような“活崩壊斜面”になっているようなんだが…。
突破は大丈夫か?!
―核心部を通過中―
さ、先ほどの件で少し慣れというか、覚悟もついたせいか、今度はさっきよりは楽に感じる。
あまり高巻きはせず、すり鉢状にえぐれ込んだ曲線の内側を、静かに通過していく。
核心の数メートル以外は、全体的に路盤が瓦礫の斜面に埋もれてはいるが、通り抜けが難しい状況ではない。
あくまでも怖いのは、活崩壊斜面だった。
ガラガラ… ホッ
これまででは2番目の難所と言うべきカーブを、その核心部を、通り抜けた。
振り返って撮影。
これでゴールならば、誇らしげに見下すことも出来ようが、今はそこまでの余裕はない。
この後の展開次第では、戻ってこなければならなくなるかも知れないのだから。
そして、このカーブも確かにすごかったが、見た目の凄さという意味では、それよりもう少し視線を左に向けたところがすごかった。
ちょうどそこは、「世界平和」の祈りが書かれていた辺りだったが…。
よくこんなところに、道を通そうと思ったな。
よほど、隧道に懲りてたんだな。
そうとしか考えられない。
「この山は、絶対に隧道を受け付けないんだ!」
旧隧道を知る世代がそのくらいの気持になっていたとしても、不思議はない。
…で、あくまでも地上に道を作った結果が、
この有様だよ…。
こっちもはっきり言って酷い。
崩れ方は、地下も地上も大して変わらないということだろう。
現役の道として使われた期間も、旧隧道が12年間、こちらが26年間であり、
どちらもこれだけ手間を掛けて作った道としては、短い感じがする。
しかし、いよいよゴールも近付いてきている。
さっきまでは正面方向に見えることの無かった現道のガードレールが、今は向かいに近付いてきた。
残りはせいぜい、100〜150mくらいだろう。
15:16 《現在地》
そんなわけだから、そろそろラストスパートというか、こっち側からも人が入ってきている気配がない理由が明らかになるはず。
ようは、もう一発は大きな崩壊があるんだろうなと。
そう予想できたのである。
…目の前の光景は、それがもう始まっているのかも?
うん、間違いなく始まってるね。
一山越えて、また一山。
それ自体は先ほどまでと変わらないのだが、その“一山”同士の間隔が近すぎて、ほぼ連続した崩壊斜面になっている。
というか、現時点ではその終わりが見えない!
どこに道が埋もれているのかさえ、もう分からない!
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50m近く見失ったままだった路盤だが、ここでようやくその「位置」だけは判明した。
というのも、路肩の位置が分かったのだ。
お馴染みとなったコンクリート製欄干の列として。
でも、そこに辿るべき「道」があるわけではない。
完全な崩落斜面が、まだ見渡す限り続いている。
また、土砂の質も前半とは変化していて、だいぶ土が混ざっている。
そのために、斜面はそれほど急でなくても足がかりや手がかりが少なく、進行に非常な慎重さを求められるようになった。
今までは崩壊斜面の核心部分だけだった危険地帯が、範囲を増して全体に広がっている感じだ。
ここは今までで一番新しい崩壊っぽい!
土山が内側から“破れるように”崩れた様子が見て取れた。
元々の“地面”が、まだ青いままの笹や冬枯れの立木を乗せたまま、斜面の至るところに島のように漂っていた。
そしてこの斜面内に漂っているのは、地表の草木ばかりではない。
写真の左側に見える畳6枚分くらいの巨大な一枚岩だが、これも本来は路上であるはずの位置を占めている。
すなわち、この大岩も崩れ落ちてきたものなのだ。
ゴールの現道は、もう間近に見える!
だが、旧道はほとんど最後まで、この新しい崩壊斜面に埋もれているようだった。
土を主体とした斜面は、今までの1,2番目の大崩壊に比べれば地味に映るかも知れないが、実際の踏破の難しさは侮れない。
滑りやすさという要素もある。
この場所を通りながら撮影した【動画】があるので、ご覧頂きたい。
決して侮れないと言うことが、お分かりいただけると思う…。
15:22 《現在地》
出発から22分――完抜達成!
500mに22分かかったのは、かなり難路寄りの数字であった。
なお、この最後のところで道を横切っている巨大な土管。
これは明らかに廃道化後に敷かれたものだが、どこに通じているかというと…
それは深山隧道の坑門裏手に繋がっていた。
これとは別の時に登ってみたことがあるが、坑門裏側に集まる沢水を誘導しているようだった。
わずか270mの隧道で用なしになった苛烈極まる旧道も、最後は平穏な姿を見せていた。
お馴染みとなった廃レール使用の欄干も、最後の最後まで続いていた。
私の見た限り現道区間には1mもない欄干だが、昔は至るところにあったんだろうなと思う。
…ふう。 楽しかったが、少し気疲れした。
あなたなら、
どっちの道を
選びますか?
この2本の旧道を知った後に見る
現道(深山隧道) |
の “ありがたさ” は、感涙もの!
何の変哲もない隧道のそんな部分に気付けるのも、廃道歩きの醍醐味…かな?