16:22 《現在地》
現在地は六厩川橋から約1km六厩川を遡った谷底。
少しでも明るい内に先へ進みたくてこの場所にいるが、何をどうやっても道無き道の歩みはノロく、もはや下山前の夜入りは避けがたい情勢であった。
せめて、林道と谷底を安全に行き来できる場所を見付けたうえで夜を迎えたかった。
だが、そう願う私の眼前には、再び「地獄谷」のように狭まりつつある六厩川。
最も険しい岩場はダムの満水位以下になる部分であり、この先にある満水時のバックウォーター(ダム湖の上端)まで行かなければ、登りやすい土の斜面は無いかも知れない。
そこに至るまで、谷底の遡行が不可能となるような場面が現れないことをひたすら願いつつ、重い足に鞭打った。
なんだこれは?!
目の前の岩場から、一筋の鮮明な平場が始まっている。
それは視界から消えるところまで、途切れながらもずっと続いている。
もちろん、六厩川林道ではない。
林道はいま、間違いなくこの岩場の上を通っているのだから。
“謎の平場”の正体として、思い当たるものはたったひとつ。
ダム工事によって水没し、そのために現在の六厩川林道へと付け替えられた、林鉄の路盤跡である。
上の写真から50mほど進んだ地点(この間にも2度川を渡っている)から振り返ると、上下二段となった林道の関係は明らかだった。
これは谷底を歩いたことによる、思いがけない成果であった。
この頃、谷底へ届く光は目に見えて減っており、この発見を喜ぶ余裕はもう無かったが…。
誤算だ…。
森茂川より、六厩川の谷底は歩きづらい。
とにかく谷幅が狭く、50mおきに河原の位置が川の左右に入れ替わる。
しかもバックウォーターが近付いたために一時的に川の堆積力も増しているようで、河原の平坦面と水面の比高が大きくなっている。
とにかく時間と体力を消耗してもなかなか進めない。
水量自体も森茂川よりは多く、平均的に水が深い。
どこを選んでも強引に渡ってしまえるレベルではない。
こんなところで転倒して全身濡らしたり(カメラを壊していままでのデータをパーにしたり)、チャリだけ流されて下流まで取りに戻るような事になったら、それだけで生きていく気力を奪われそう。
やばいよ…。
林道へ復帰できそうな場面がないよー…。
16:34
林道に橋を発見!
その手前に林鉄も通っていたはずだが、一切痕跡は無くなっていた。
満水位以下ではやむを得ないだろう。
で、この地形から推定された現在地だが…
最低。
全然進んでない。
もう谷底は無理だな。
これで林道よりペースが速いとは言えないと思うし、そろそろ林道は手の届きそうな位置に下がってきたので、早く復帰しよう。
ただ、ここは無理。
急流となった淵が渡れない!(涙)
16:48
橋を仰いだ地点から、さらに15分を経過。
この間、林道へ復帰できそうな場所を探しながら進んできたが、駄目だった。
最悪だった。
登れそうな斜面があったと思えば淵に阻まれ、穏やかな河原が現れれば林道は切り立った岩場の上だった。
この間に私は4〜5回は川を横断しているが、その軌跡は梯子を使って“あみだくじ”をするようであった。
私は、己の微力を呪った。
いったいどこまで行けば救われるのだろう。
頭上の軌道跡が林道と不鮮明ながらも合流し、一本となった。
つまり、このあたりがダムの満水時のバックウォーターである。
六厩川橋からは、約1400mの上流。
この距離が、私の精一杯の時速である。
六厩集落までは、あとこの10倍近い距離があるわけで…。
………。
16:57
また、廃吊橋だ…。
前に見たのとは、ほぼ同じ規模、同じ作り。
そして、吊り橋の架かっている高さが、すなわち林道の高さである…。
…登れないよ…ね。
そして、この写真を最後に、空は光を失った。
本当に廃道しか見えない状況、しかも谷底で…、夜を迎えてしまった。
17:15
さらに20分ほどが経過。
現在地は、不明。
また林道に橋が見えたが、相変わらず高く、登れない。
そして、暗くなったために川の深さが見通しづらくなり、無駄に渡ったり、戻ったりを数度した。
「やべぇな。 これ失敗ルートだったかもな。」
でも、目先の楽のためにチャリを捨てたら、それこそジ・エンド。
車まで戻るには、まだ30km以上あるんだ。
とても歩き通せない。
いま見ても、この写真は恐怖を思い出させる。
真っ暗に近い徒渉の最中、チャリがぶわッと流されかけた。
私は夢中になって追いかけて、なんとか岸にたぐり寄せた。
この時にカメラを水撥ねで酷く濡らしてしまったが、なんとかまだ撮影できた。
ただ、これ以降はもう、写真をほとんど撮らなくなった。
17:21
さらに5分後。
現在地は、不明。
河原はもうほとんど無い。
ほとんどずっと河中を歩き始めるようになる。
逆流に反して進むも、足を上げるのが精一杯で、ほとんど進んでいかない。
チャリを担ぐ肩はじんじん痛む。
さすがにこのまま前進し続けた場合に、下山まで体力を残せる自信が無くなってくる。
…駄目だ。
川が深く、渡れない。
でも、渡らなければ進めない。
これ以上は進めない!
少し戻って、改めて林道へ登れる場所が無いかを探すことにした。
これ以上の前進を諦めてビバークするにしても、川の中というわけにはいかない。
これから雨が降るかも知れないという場面ではなおさらだ。
17:24
ほんの少しだけ戻って、とりあえず濡れない岸辺にチャリを上げて固定する。
この斜面…
登れないだろうか?
ライトで照らしてみても、林道は草木に隠れて見えないし、所々に岩場も露出する決して緩やかではない斜面だ。
一度通り過ぎたときにも、容易に登れまいと判断していたのだから当然だ。
だが、全く手も足も出ない岩場では無さそう。
明るければ、もっと簡単に判断もできたのだろうが…。
チャリを置き去りにして、単身登ってみることにした。
子供用のビーチサンダルを岩場で発見。
普通なら気にも留めないか、あるいは「ゾクッ」としそうな場面なのに、いまはなんか少しだけ癒された。
もっとも、こんなところで子供が遊んだわけではないだろう。
増水した川に流されてきたに違いない。
でも、ここで人の臭いは嬉しかった。
よっしゃ!
林道の状況は、良いぞ!
生きて帰れそうだぁ〜。
見える範囲の10mだけだが、全然良い。
轍はないから廃道ではあるようだけど、チャリを押して歩くには問題無さそう!
あとは、いまの斜面でチャリをどう持ち上げるかと言うことだが。
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17:54
林道にチャリ復帰!!!
この作業には、30分を要した。
高低差にして15mほどの斜面は、通常であればチャリを持ち上げることは不可能な勾配と、潅木の密集ぶりであった。
仮にロープがあっても、意味はなかっただろう。
そこで私は、最後の手段を使った。
チャリを一旦車輪とフレームに分解して、前輪&後輪で1回、フレームで1回というふうに、2度(偵察もいれて3度)斜面を往復したのである。
路盤に復帰した私だが、あまりの疲れのため、数分ほど寝っ転がって動けなかった。
この方法は、確かにチャリでの行動範囲を大きく広げてくれはするが、あまり疲れることと、時間がかかりすぎるのがネックである。
でも、今回はこれが生還の決め手となった。
推定される現在地は、六厩川橋から1.7km地点の「シツ沢」出合附近。
小簑谷隧道から始まった谷底迂回が正解だったのか失敗だったのかは、一方しか辿っていない現状では判断できない。
しかし、結果としてこの区間の移動に丸2時間以上を要してしまった。
…たぶん、失敗したんだろう…。
なお、六厩集落までの残距離は、13km程度と推定された。
17:57
復帰した林道には、なんとも嬉しいことに、人の通った痕跡があった。
←まだそう古くない刈り払い跡。
何かの目印と思われるペンキ痕。→
これらを見た私は、自身の生還をほぼ確信できた。
時間はかかっても、いずれ生きて帰れるだろう。大丈夫だ。
少しホッとしたところで告白すると…(明らかに恥なので書きたくなかったが、うっかり「序」で煽ってしまったので…)
私は今回二つの忘れ物をしていた。(気付いたのは、暗くなってから)
ひとつは、いつも使っているメインの照明、ヘッドライト(HW-767H)を車に置いてきていた。
サブのマグライト(SF-X502)は光量こそ大きいが、光跡が直線なので廃道では使いにくいし、サブと言うことで予備電池(CR123A)も持ってないので、4〜6時間くらいしか保たないだろう。
もうひとつは…、自分がつくづく情けなくなったが…、
非常食(常備食)も忘れてきていた。
そのため手持ちの食料は、クリームパンの食べかけ残り半分と、おにぎり一つだけだった。
この失態のイイワケはしない。
マジ自重しろよな、俺。
18:07
路盤はしっかりしており、邪魔な潅木には刈払われた跡があった。
さすがに車両の轍はないが、人はたまに入っているようだったから、いまにも廃道が明けるかもしれないという期待をさせた。
そんな中、路傍にこの小屋を発見。
まるで昔の駅のトイレみたいだが…
それは営林署の物置小屋だった。
床も壁も抜けてしまっていたが、それでも雨ざらしよりは全然良い。
ここで夜明かししようかと真剣に考えた(体力的にちょっと辛くなっていた)ものの、残り食料があまりないことと、路盤の状況が良いことを理由に、頑張ってこのまま進むことに決めた。
そして実はこの決断が、私のオブローダー生涯さえ左右しかねないほどの大きな決断だった事を、後に知ることになるのだった。
小屋の前の林道の状況。
さっきまでの苦戦が嘘のように状況は改善している。
だが、これでもチャリに乗車して進むにはちょっとキツイ。
基本的にオール押しの作業となった。
さらに少し進むと、この大きな看板が立っていた。
何も書かれていないのっぺらぼうの看板だが、砂防ダムとかに良くありそうなスタイル。
茶色なのはペンキの塗色で、錆ではない。
周囲は刈払われたようになっていて、もうそのすぐ先に現役の林道が有るのではないかと思わせた。
だが、実際にはまだまだ廃道は長かった。
ここから先は、ほとんど写真の撮影は行わなかった。
これでは六厩川林道の探索をしていないも同然だが、いずれは再訪もしたいと思っている。
写真の代わりに、ときどき実況動画を撮影して、自らを鼓舞した。
その一部を見ていただこう。
時間の経過とともに変化する、私のボイスと口調に注目だ(笑)。
20:34 大原谷林道分岐
廃道が明けたのは、林道に復帰してから実に2時間30分も経ってからだった。
この間に進んだ距離は、推定3.8km。(六厩川橋から5.5km)
すべて廃道だった。
確かに刈り払い跡は続いていたが、随所に路盤の寸断はあり、何度か河原を歩きもした。
森茂林道よりマシだとは思うけれど、辛い廃道だった。
結局、六厩川橋へ至る3本の道の全てに5km以上の廃道があったことになる。
…これは何かの呪いですか?
我ながら良く耐えたと思う。
もう、当分ここには行きたくない。
林道出口(六厩集落)までは、まだ10km近い距離と150mのアップがあるが、勝利は確定している。
いずれは帰り着けるだろう…。
20:43
なんか、喋っている内容というか、口調が色々酷いことになっているが、これこそ、“オブローディングのビフォー&アフター”である。
廃道とは、時として人をここまで、追いつめるのだ。
でも、廃道区間内で雨が降り始めなかったことを、私はもっと感謝して良いはずだった。
いまさらだけど、ごめんなさい。
しして森茂峠の神さま、100円以上の御利益をありがとうございました。
21:05 《現在地》
廃道が明けて3.5kmほど進むと、六厩赤谷林道が右に分岐した。
そして、ここに本線を塞ぐ簡単なゲートがあった。
反対からだと、ここまで車で来られたことになる。
林道の残りは6kmほどだ。
雨は激しく降り続いている。
だが、私にはもう恐れるものは何もなかった。
21:46 《現在地》
ゲートからさらに40分かかって、この六厩川林道の起点に到着した。
全線登り坂であったことを思えば、相当ムキになって漕ぎまくっていたことが伺える早さだ。
舗装が復活したのも、ここだった。
また、標識の林道名は「荘川森茂林道」となっていて、これが現在の名のようだ。(林道の名前が変わることは珍しいことではない)
それから5分ほどで寝静まった六厩集落を通過し、国道158号に出た。
この少し前、15時間ぶりに復活したケータイ電話(朝出発してすぐからずっと無感地帯だった)に、秋田の実家と見慣れない電話番号の2箇所から、5,6件の着信記録があった。
とりあえず実家にかけてみると、なにやら私が心配されているではないか。
どうやら、清見の公民館に停めたままにしている車を、地元の方が入山自殺者(この辺は多いらしい)のものと心配してくださって、警察に通報したらしい。
警察の方がナンバープレートから実家を割り出し、「思い詰めた様子はありませんでしたか?」と親に聞いたらしいのだ。
そりゃ心配するよな。
というか、ごめんなさい。
地元の方、警察官(電話したら優しかった)さん、ごめんなさい。
もし、山中泊を決定していて翌朝までに下山しなければ、山狩りされていたかも知れない。
そうしたら、私はオブローディングを続けていけなくなったかも知れないと思うと、今回一番やばかったのは廃道でもなんでもなく、車の取り回しだった。
事件は“現場”では、起きていなかったのだ。
今回はちょうど秋田→岐阜→東京という大移動の途中の探索だったため、車内に家財道具一式(ちょっとオーバーだが)を積んでいたことも、自殺者を疑われる原因だったらしい。
今後、これを教訓として用心しなければ…。
22:51
スタート地点に無事生還。
正味55kmの行程で、要した時間は約16時間。
夏の日の長い時期であれば、これでもぎりぎり明るい内に済ませられたのかも知れない。
(朝4時出発→20時着で16時間)
いや、藪が深い状況でのロスを考えれば、やっぱり無理か…。
ともかく当初予定の攻略はほぼ達成できたが、反省も多い探索だった。
山チャリの辛さも嫌と言うほど味わった。
軽くトラウマになるくらいに。