六厩川橋攻略作戦 第4回

公開日 2009.12.20
探索日 2009.11.24

謎の小径に見そめられ…



9:21 【現在地:三の谷林道分岐】

この写真を何度も使い回しまくっているが、今度こそ最後だ。

左の森茂林道本線を進む。




そこから50mばかり進むと、左の山手にやや大きな空き地が現れた。
待避所ならば意にも留めぬところだが、どうも雰囲気が違う。

振り返り気味に覗いてみると…




うむむ??

こ、 これはなんだ?

地図にない分岐がある…。


どどど、どうしよう…。

もう寄り道はしないって決めたはずなのに、この道はどうにも気になる。
廃道っぽいということもそうなんだが、ただの支線の分岐と思われない雰囲気。
なんというか……

林鉄っぽい雰囲気!




自転車を広場に放り出したまま、分かれ道へと吸い込まれる私…。

5分……いや、10分だけでいいから調べさせて…。

路面にはうっすら草が生えているが、妙に堅く締まっていて歩きやすい。
林鉄跡を疑った最大の理由は、林道にしては狭すぎるこの道幅だ。
1.5mくらいしかない。




この道は今の地形図はもちろん、歴代のいかなる地形図にも描かれていない。
その事がより興味を惹いたのは言うまでもない。

いったいどこへ通じているのか。

何より、これは本当に軌道跡だろうか。
あっても不思議のない所だけに、何か一つ確信を得られるものを見つけられれば、今回は引き返してやらんでもないぞ…。




落ち葉が積もった路面に半ば埋もれていたのは、たくさんの標識類だった。

それは一般的な「道路標識」ではなく、林道なんかでよく見る「“トラ柄”の落石注意板」とかだったが、一番多かったのは「造林地」を示す標識だ。
これは空欄だらけで未使用品のようだが(もちろん年号の部分は「昭和」だった)、なぜ道の真ん中に棄ててあるかは不明。

いずれにしても、この道が林業と関わり深いものであったことは間違いないだろう。(当たり前すぎてヒントになってないな…)




うお!うお!
斜面の少し上手に小さな廃屋を発見!

こういうブロック造りの小屋は、昭和40年代あたりに物置として盛んに作られたもの。
木製だったらしい屋根はすっかり抜け落ちてしまっている。
中ももぬけの空だった。
そして、この近くにはもう2箇所ほど、同じ規模の小屋掛けの跡が残っていた。




道はなおも真っ直ぐ東へ続いている。
方角的にも地形的にも現在の森茂林道と並行しているのは間違いなく、50mと離れていないはずだ。
進めば別の方向へ分かれるのかと思ったが、なかなかそう言う素振りも見せない。
雑木林を淡々と突き抜けていく。

位置関係だけなら新道と旧道のようだが、これが車道として作られたようにはどうしても見えない。
明らかに林鉄の幅なのだ。

成果を焦った私は、何度か路盤の落ち葉を払ってみたりもしたが、レールも枕木も出て来なかった。




香ばしい発見を求めてなおも進んでいくと、今度は古代遺跡のように風化した炭焼き窯が現れた。

これなどは、いったいどれほどの時間が経っているのだろう。
生まれた場所を離されて久しい川石が纏った緑は、どことなく恨めしげに見える。
そしてその一隅からは一抱えもあるような巨木がにょっきり。

窯は、おそらくこの道よりも古くからあったものだ。
この地で人が暮らすのに手近な木を伐って燃料とするのは当然のことだが、或いはもっと大規模な消費の時代…、つまりは「森茂金山」が稼働していた1700年頃までに築かれた“遺跡”である可能性は無いだろうか。




道の方は、相変わらず…

淡 々 坦 々 と続いている。


しかも、この道に入り込んだあたりから急に明るい日射しが消え、寒々とした曇光が地上を支配していた。

この道は、罠なのか。
私に時間を浪費させる罠。
これ以上深追いすると、後が怖いか……。

でも、立ち止まって引き返そうとすると…

なんと恐ろしいのだろう!!



「なぜ引き返すのだ?」


そう意地悪く問いかけてくるのだ。道が。



…否。嘘。

自らの優柔不断を呪うのみだ。


進もうと思えば進めるような容易な廃道で、何ら撤退のきっかけや目印になるようなものを見出せぬ時に、自分の意志の力だけで引き返すのは、私が最も苦手とする事だった。
情けないことに、今までスマートに成功した試しが無い。
いつもズルズルずるずると進んでしまって、「余計だった」と後悔する。




そうです。

これは反省会もんです。

ずるずるずるずるずるずるずるずる…

すぐ左下に、さっきも通った森茂林道が見えている。
もういつだって脱出して引き返せる状況なのに、足元にある道が何かを教えてくれるまで、引き下がれない。

決断が、出来ない!

(ネタじゃなく、マジで俺のの欠点だ…)

時ならぬ日の陰りと、かれこれ1時間近くも“前進していない”という2つのコンプレックスが、私をものの見事に“鬱”にしてしまった。



つまらなそうに早足で進むと、突如前方が明るくなった。
と、そこで道も途切れた。

猛烈な灌木帯に辟易すると同時に、撤退の根拠認めたりと言ってすかさず左へ脱出すると…




9:38

森茂林道と筋川支線の分岐地点《現在地》へ出た。(赤矢印)

筋川支線は例の森茂金山跡へ繋がる(と思われる)道だ。
私が辿ってきた林鉄跡らしき廃道も重なっているようだが、先は分からない。
けれど…、流石にこれ以上追いかけてはいられない。

走って自転車まで戻る。



断定は出来ないが、廃道の正体はやはり林鉄跡だと思う。

その場合、森茂林鉄の本線との繋がりは右図のようになっていたと考えられる。
「森茂橋」より下流については、現林道と林鉄跡は一致しそうだ。

その行き先は恐らく筋川上流で、“高度稼ぎ”のため今の林道より山側にあった区間が廃道の正体と考えられる。




マジで見飽きたココを駆け足で通り過ぎ…



9:46 

チャリの元へと帰ってきた。

1周25分の“寄り道”、終わり。

今度こそ

今度こそ

マジで六厩川橋へ向かう!!




森茂の下流へ…



失われた1時間を取り戻そうと、にわかに漕ぎを速めた道は、危なっかしいほど川のぎりぎりにつけられていた。
過去何度も洗い流されたような雰囲気がある。

そして、このあたりから上流を振り返ると、“アレ”がよく見えた。




お気に入りの橋、森茂橋。

このアングルから見るのが一番「絵」になりそうだ。
背景の高い岩山と、どっしり落ち着いた橋、そして川原の枯れススキ。
この取り合わせが素晴らしい。

じっくり見ていたかったが、さすがに写真1枚で自重。



息抜き(ばっかりじゃねーかと言わず)に見て欲しい。

道の脇にあった沢留工の名前が奮っていた。

「筋ザコ第1号鋼製自在枠床固」。

何がおかしいって、筋ザコって… 笑。

確か、小さな沢のことを「ザコ」っていう表現(方言?)はあったと思うが、「筋」というのもこのあたりでは沢の事を指すらしい。
そういえば、「洞(ほら・ぼら)」も沢の事だった。
流石は山谷の入り組んだ飛騨の国、沢の表現も多彩なことである。




三の谷林道分岐から600mほど進むと、これまでで一番大きな広場が現れた。

この広場は今も車が転回するにの使っているようで、多くの轍が刻まれていたのだが…、
こう言うのって不安になるよね…

この先、もしかして車で進めなかったのかなって…。
少なくとも、引き返した車の数だけこの先の轍は薄いんだろうなって…。

六厩川橋まで残り6kmを切ったが、一昨日アタックした“南ルート”(岩瀬秋町線)はそろそろ廃道になった頃だ。(秋町隧道から3kmが廃道だった)



でも、まだ頑張る!

まだ廃道になんてならない!

ここなども川が道にぎりぎりと迫っていて、保守を怠ればたちまち失われそうな感じだが、本当によく粘っている。

この道はもう2度も物理的なゲートに阻まれているのに、まだちゃんとしている。

正当な使命を帯びた人々が今も頻繁に入り込んでいるのだろう。




9:55 《現在地》

三の谷林道分岐から1.5km、大谷起点から数えて9.5kmの地点にて、またしても支線が分かれる。

そう。
左が本線、正面が支線ではない!

ないのである…(涙)。

正しくは、
左が名前の知れぬ支線であり、正面の…




これが本線…

明らかに轍が薄い。
明らかに “乾いて” いる。
明らかに “緑” だ。 …苔で…。


六厩川橋まであと丁度5kmの地点まで来ているのだが、

これは遂に “危ない” かも…。




ちなみに、かつての森茂林鉄が川を渡って森茂集落下の終点へと入り込んでいたのは、この辺りだったはずだ。

橋が残っていないかと思い、林道から見える範囲で川べりを調査してみると…。




林鉄の橋ではないようだが、吊橋の残骸を見つけた。

人を支えるのがせいぜいと思われるくらい細いワイヤーが数本、水面近くを渡っているのが見えたのである。
踏み板は1枚も残っていなかった。
当然渡ることは出来ないし、時間のないなか敢えて水を蹴って渡ろうとも思わなかった。

どちらにせよ、軌道時代の橋は残骸すら残っていないようだ。
時期的に考えておそらく木橋だったのだろう。
そして、これまで何度も見せられたこの森茂谷川の荒れっぷり。
何も残っていなくても不思議はない。




支線を分かち、すぐに無名の沢を、無名の橋で渡る。

まだ、辛うじて轍はある。
…新しいものも…。


だが、その量も密度も今までとは雲泥の差だ…。

あとは、

細々とでもいいから、

長々続いてくれることを祈るのみ。




そしてまた川べりの道。

本当に川が近くて、路肩も一部が削り取られていた。
当然そこの道幅も狭まっている(写真中央付近)。

こういう場面。
これまでならば復旧されていたはずなのだが…、
もう、その力は届いていないらしい……。

カーブを曲がるたび、新しい景色を前にする。
それは自ら漕ぎ進むチャリ旅にとって“希望”そのもの。

今は、それすらも恐ろしかった。




10:00

最後の分岐から200mくらいだろうか。

…3分。

たいして来ていないのは確かだ。
ここにまたしても、無名の小さな橋が現れた。

橋の両脇の地面に廃レールが突き立てられていた。
それはおそらくチェーンゲートの柱だが、チェーンはない。解放されている。

それにもかかわらず、これまで続いていた僅かな轍は、そこに見えないゲートがあるかのように終わっていた。




道も、終わっていた。




“終わりの先”には、
凍った丸太橋が、待っていた。


いきなりの難所





目指す六厩川橋まで、あと4.km。
日没まで、あと時間。