2020/4/24 5:43 《現在地》
それではこれから丹生ダムの建設中止に伴って、建設中止となった付替県道へ入っていこう。
付替県道の入口は、もちろん現県道との分岐地点である。
現県道は分岐地点までの全区間も全面的に改修されており、立派な2車線道路になっているが、付替県道への分岐においても、直進する付替県道側を優先した取り付け方となっている。
当然のことながら、ダムの建設中止は付替道路の設計者にとっても予想外の出来事であったのだ。
現状、この分岐の周辺に県道の案内標識はないので、全く土地鑑のない利用者は全員が直進してしまうだろう。そして、行き止まりの付替県道へ……。
何も知らないベイビーのふりをして直進すると、すぐにまた分岐。
右へ行くのは市道であり、菅並集落の外れにある洞寿院というお寺に通じている。観光名所でもあるので良い道である。
付替県道は、入って僅か30mの地点にあるこの分岐までが、今後も引き続き活用される区間である。
残りの区間は山間部へ通じる行き止まりの道であるため、今後活用の方策を練ろうにも、おそらくどうにもならないのではないかと思う。
いわゆる、未成道としての廃道となってしまう可能性が極めて高いと予想している。
市道分岐地点で、付替県道は封鎖されていた。しかし脇が甘い。
先ほど探索した工事用道路や現県道も封鎖されていたが、今後しばらくは工事が続き、県道として利用するための改良が行われる。
一方の付替県道については、今後新たな工事が行われる予定はないようだ。これについては根拠と共に後述するが、現にこの日も工事関係者が出入りする気配を感じなかった。
看板によると、付替県道の封鎖の理由は、「この先 スズメバチ注意」という、いまいち説得力が乏しいものだった。他に、「関係者以外立入禁止 場内での事故等は一切責任を負いません」という看板もあった。他にもう1枚、看板の骨組みがあったが、肝心の看板が消失していた。全体的に、古くないのに廃れた印象の封鎖だった。
付替県道は全長11.8kmという長大なものが計画されていた。
完成した丹生ダムの湖畔を通り、水没する県道の代替となるはずのものだったが、ダムの建設が中止になったことで建設する理由がなくなってしまった。
付替県道の工事は平成7年に着手され、現在地から1.9kmの地点まで整備が進んだがが、平成18年3月以降はダムの本体工事全体が中断されていたので、付替県道の工事も止まっていたと思われる。
さて、実際に足を踏み入れてみた道路の状況だが、全く持って想像してきたとおりの代物だ。とても綺麗な道路である。現代のダムに附属する付替道路のご多分に漏れず、既存の道路よりも明らかに上等な造りだ。
既存の県道は残念ながら利用したことがないが、地図やネットの情報を見る限り、かなりの“険道”であったらしい。
しかしこの付替県道にそんな饐えた匂いは微塵もない。白線こそ敷かれていないが、完備された2車線道路の姿である。
まだバリケードが見える位置で振り返って撮影した。
1,2,3, 左へ分かれる分岐が3つも見えた。
それぞれ、市道、現県道、工事用道路で、後者2つは探索済だ。
将来的には、このうちの「工事用道路」が、新たな県道となる。
その入口には直角より鋭い屈折があるが、ダム推進派の人は将来ずっとそこを曲がるたびに、実現出来なかった直線ルート(付替県道)を悔しく思うのかと考えると、気の毒である。
橋とトンネルだ!
最新の地理院地図にもしっかり描かれていた橋とトンネルが、目の前に現れた。
未成道としての“痛さ”は、コストの大小に比例する。
道路において、コストが最も掛るのは橋やトンネルといった大掛かりな土木構造物である。
活用される見込みの薄い橋やトンネルこそは、未成道の花形だ。
探索者以外にとっては、間違いなく良い意味ではないだろうが……。
橋とトンネルが現れた時点で、路肩のガードロープ越しに見る景色は、こんなに高度感を持っていた。
付替県道は入口から即座に登り始めており、勾配は常識的だが、ひとときも休むことがないので、どんどん高さを稼いでいる。
5:49 《現在地》
入口から約500mの位置にこの橋とトンネルはある。
まずは橋だが、ゆったりとした曲がりを持った曲線橋だ。
四隅の親柱に銘板があり、それぞれ次のような内容である。
「あわくじはし」「平成16年3月」「あわくじだに」「あわくじ橋」。
つまり橋名は平仮名のあわくじ橋であり、平成16(2004)年3月の竣功である。
変った名前だが、調べてみても来歴のようなものは分からなかった。
これは少し後に、下にある道路から撮影した、あわくじ橋の全容だ。
道路上からは下を覗き込まないと分からないが、大型のV脚ラーメン鋼橋である。
ラーメン橋とはヒンジのような可動部を持たない一体構造の橋のことだが、橋脚が方杖になっているものがV脚と呼ばれる。
現代ではこのような大型橋が珍しくはないとは言え、国内最大級となる大型ダムの付替県道に相応しい格を感じさせる、外見的に洗練された構造物といえる。こうして下から見られることも意識していたのだろう。
「ここまで完成する前に、もっと早く中止の決断をしてくれていれば…。」
良い橋なのに、オブローダー以外のほぼ全員にそう思われていそうなところが、なんとも気の毒な徒花である。
橋を皮切りに構造物続出という名の堰が切られた。
あわくじ橋に連なるトンネルは、塩谷トンネルという立派な扁額を掲げていた。
やはり名前の由来は分からないが、塩泉でも湧いているのだろうか。
坑口から出口まで見通せる直線トンネルで、地上の道路から続く一定の上り勾配が最後まで継続するという、自転車だと少しうんざりする線形だ。
写真からもそれなりの長さが見て取れると思うが、銘板によれば全長は284m。ついでに幅5.5m、高さ4.7m、竣工年は平成15(2003)年10月であった。
橋より奥にあるトンネルだが、竣工年はトンネルの方が少しだけ早い。
この理由は、先回りする工事用仮設道路によって前側と奥側からの同時進行的工事が行われたためだろう。
塩谷トンネルへ突入!
ちょっと驚いたのだが、ちゃんと照明まで取り付けが終わっていた。
トンネルとして、備品も含めて完全に完成した状況である。路面に中央線が敷かれていないことを除けば…。
しかし、北海道トンネルと同様で点灯はしていない。封鎖されているので当然といえば当然だが、今後もおそらく点灯の機会がないまま、朽ちていくのかと思うと、なんとも悲しい。
トンネルそのものは簡単に崩れたりしないだろうが、照明は手入れをしないと案外すぐに駄目になる。
レポートの冒頭で紹介した付替道路の計画図を見ると、全長11.8kmの全線の間に4箇所のトンネルが計画されていたようだ。
距離の割には少ない気がするが、代わりに橋は非常に多く計画されていた。
そして既設となった1.9km区間に設置されたトンネルは、この塩谷トンネルだけだった。
5:56 《現在地》
おおよそ2分間、視覚情報をほぼ全てカットされた状態で黙々と自転車を漕ぎ上がり、出口へ。
外へ出るなり次の橋が待ち受けていた。
現代の道路は、お金があるとすぐに力技である構造物を多用して、地形との細かな対話を避けようとする。
……なんて考えているのは、橋やトンネルが特別なものだった時代に拘束された考え方で、むしろ地形を乱暴に改変しないこういう“力技”こそ逆にスマートな道路と見做される時代になっている。
とはいえ、作った道路を利用しないことだけは、確実にスマートではないと断言できる。
未来には、もっと人は賢くなって、こういう未成道は生まれなくなるのだろうか。
多分そうなるとは思うので、今のうちに楽しめるだけ楽しもうね。
塩谷トンネルを出たところにある橋は、4枚の銘板で次のような自己紹介をした。
「下津羅橋」「しもつらばし」「南谷」「平成15年12月」。
型式はオーソドックスな2径間連続PC桁橋だった。下の道からだとこんな風に【見える】。
チェンジ後の画像は、振り返った塩谷トンネルだ。
未成道には荒れ果てたものも少なくないが、この未成道は工事中止の時期が極めて新しく、かつ既存部分をちゃんと舗装まで完備して終えているために、まだ全然荒れているということがない。よほど大きな災害でもなければ、これからも末永く形を留め続けることだろう。
そして、現県道とは比較にならない高規格な道路である。
ダムが中止になっても、これを現県道の代替として活用できれば良かっただろうが、水没区域を迂回するために初っ端から大きく高度を稼いだ付替県道は、現県道との高度差が大きい(ダム高145mを計画していたのでそれより高く登る必要があった)うえに、これから見ていただくことになる“末端”の位置的にも、現県道と繋いで活用するのには無理があったようだ。
封鎖された未成道だと言われなければ、おそらく誰も不審を感じないような綺麗な道が続いている。ずっと一定の勾配登る道は、自転車の私にとって、前方を観察するのに十二分過ぎる時間を与えてくれた。
この先にも、少なくとも2本の橋が見えている。架橋をすることに、本当に遠慮がない。
この立派な道路の将来がどうなるのかについて、皆様が知りたいのは私の予想ではなく、もっと確固たる証言だろう。
実はこれについては、事業主体である水資源機構が平成29年に公表したダム建設中止後の事業計画である「丹生ダム建設事業の中止に伴う地域整備実施計画」には明記がない。また、、最終的な付替県道の管理者が誰になるかも書かれていない。
しかし、平成29年3月9日に開催された滋賀県議会・県民生活土木交通常任委員会の会議録に、大略次のようなやりとりがあるのを見つけた。
「取付道路は途中で終わっていますが、それはそこで放置ということでよろしいですか。」
「それについてはそこで放置ということになります。
ただ、そのままでは危険なことがありますので、機構のほうでは先ほど言いました追加的事業の中で安全対策等をされると聞いております。」
ここで述べられている「追加的事業」というのは、機構が行う総額40億円の「丹生ダム建設事業の中止に伴う地域整備実施計画」のことであり、その中でなされる「安全対策等」というのがどういう内容であるかは不明だ。
が、たぶん………、封鎖するだけだよな。
最終的な管理者が誰になるのかは引き続き不明だ。しかし、県道に移管されるということはおそらくないだろうし、水資源機構としても永遠に管理し続けることはないと思われ、いずれ実質的には廃道状態の長浜市道になるような未来が見える。
現地の写真は、これが3本目の橋である。
これまでより短い(確か)1径間のPC桁橋で、銘板の自己紹介は以下の通り。
「杉谷橋」「すぎたにはし」「杉谷」「平成14年11月」
スギの植林地に架かっているから杉谷橋なのか。
地味な橋だが、進むほど橋やトンネルの竣工時期が少しずつ古くなっていくことが、工事の順序を現わしていて面白い。
5:59 《現在地》
でかい橋!
上り坂であること以外の障害が全くないので、入口から15分で1.2km前進した。
そしてそこには、これまで見た中で最大の橋があった。
独り占めにすることが、なんか申し訳ないような、いい橋だ。
これらは、橋上からの眺め。
まだゾクリとするような根雪が残る稜線が、振り返った方向に横たわっていた。岐阜県境方面だ。
眼下には妙理谷があり、この付替県道の工事用仮設道路として整備された鉄の仮設橋が見えた。
雲間に煙る谷へ分け入っていく4本目の橋は、3径間の合成桁橋であり、銘板による自己紹介は次の通り。
「栗ヶ沢橋」「くりがさわはし」「栗ヶ沢」「平成15年1月」。
橋が欲しいと願っている誰かの元へ、今すぐ届けてあげたい橋である。
チェンジ後の画像は、例によって下の道路から見上げた本橋の姿である。
地理院地図に描かれている距離、残り600m。
数字が減っていることなどまるでお構いなしに、とびきりの良い道のまま、妙理谷へ突き進んでいく、未成道。
だが、その行く手は……
にゃー…
(↑とびきり低い声)
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|