2020/4/24 6:00 《現在地》
ここまで妙理谷という高時川の支流を遡ってきた。
その右岸の山腹を横断しながら一定ペースで登る道は、最初の1kmで50m以上の標高を稼いだ。
谷底の高さも少しずつ追いついてきているが、登っていくペースの方が早いから、進むほどに谷を見下ろすようになった。
この間に1本のトンネルと4本の橋があった。
橋はいずれも、妙理谷右岸に注ぐ小さな枝谷を渡っていた。
そしていま、5本目を確認する前に、6本目と思われる橋が、行く先の遠望という形で姿を見せた。
その橋は、これまでのどの橋と比べても圧倒的に大きくて……、ここまで私を連れてきてくれた妙理谷を渡るものだった。
だが、
道路断絶。
定めた行き先へ辿り着くことなく建設を打ち切られてしまった未成道というものの悲劇性を端的に表現するのが“唐突な行き止まり”の存在だが、中でもこのような“掛けかけの橋”の存在は、最強の象徴といえる。
これまでも、進むほど、山へ分け入るほど、構造物の規模は大きくなっている気配があった。
それはさながら、もう引き返せないという意思表示のようであった。
そして道はついに、妙理谷という育て親を越えるほどの覚悟を示した。
ホップ・ステップ…………
勇気の跳躍を見せた道路に対し、運命は、あまりにも酷薄だったと言わねばなるまい。
先に終わりが見えてしまったが、その限られた世界の中に、5本目の橋が現れた。
これもここまで見た中では一二を争う大きな橋だった。
ダム付替道路にありがちな風景といえばそれまでだが、理想的な線形の道路が出来上がっていた。
5本目の橋の銘板には、次のような自己紹介があった。
「ろくろ橋」「ろくろはし」「ろくろ谷」「平成15年11月」。
「ろくろ」は陶芸や木工で使われる回転する機械で、かつて日本の山深い地方で転住生活を行っていた木地師との関わりで、しばしば地名に残っている。この地にも木地師が住んでいたかは分からないが。
チェンジ後の画像は、ろくろ橋から見下ろした妙理谷だ。
だいぶ谷底との比高が大きくなったことが分かると思う。対岸の低い所にガードレールが見えるが、あれはもともとは林道だったものが、付替県道の工事用仮設道路として改築された姿である。
ろくろ橋を渡った辺りで、ずっと一定の勾配だった上り坂が、少しだけ緩やかになった感じがした。
また、ずっと変化のなかった路上だが、茶色の電信柱が現れるようになった。
しかし電信柱には肝心の電線が架かっておらず、これも未成の構造物と言えそうだ。
当然、目的があって設置したに違いないのだが…。
そして道は、緩やかなアールを描きながら、右へ静かに曲がっていく。
その先に待ち受けるのが、妙理谷との約束された直交だ。
未成ここに極まる!
思わず私のテンションが暴発しそうになった。
これはヤバいな……。 めっちゃアガる風景だ!
入口からずっと続いていた上り坂は、どうやら橋の中央付近に頂点を置き、そこから今度は下り始めるように見える。
ただ、橋を渡った先には、寸毫も道がないらしい。
山にぶち当たって、文字通りに、玉砕している。
この橋の向こう側にどんな道路が計画されていたのか。
ダム建設中の道路計画図(→)によれば、付替県道はこの橋の先へさらに9.9kmも建設されるはずだった。
そしてその始まりを飾るのは、妙理谷と高時川の本流を結ぶ長大なトンネルだった。
図からトンネルの全長を読み取ることは難しいが、1kmではきかない長さがある。
ずっと妙理谷を遡ってきた県道は、ここで山を抜き、一躍本流の湖畔に躍り出る手筈だったのだ。
きっとそれは鮮烈な風景の変化をもってドライバーを喜ばせたであろうし、技術的な面からも、この付替県道のハイライトといえるものだったと思う。
このように支流谷の山腹を使って必要な高度を稼ぎ出し、そこから長大なトンネルで本流へ戻るというルート設計は、珍しいもののように思う。
菅並集落とダムサイトの距離が僅か2kmと近いのに、ダムの高さが145mもあるので、付替道路が本流沿いでこの高度を稼ごうとすると自然と勾配が厳しくなること、およびダム本体工事と工区か重なり合うことによる工程管理の難しさなどが嫌われて、敢えて支流の谷へ迂回しつつ緩やかに高度を稼ぎ、トンネルでダムサイトより上流の湖畔へ抜け出すルートを設計したのだと想像する。
しかし、なんとも皮肉なことに、妙理谷を遡るだけ遡ったところで打ち切られてしまったことで、本当に使い道の乏しい未成道が出来上がってしまった感がある。
せめて本流に戻るトンネルまで完成していれば、違った未来があったかも知れないが…。
まあ、費用的な意味では、1kmを越えるような長大トンネルが不必要に建設されず済んで良かったとも言えるか。
6:07 《現在地》
これが最後の橋だ。6本目。
対岸までは間違いなく行けるが、その先に抜け道があるかは、ちょっとまだ分からない。
地形図だと、渡った直後に左へ折れて谷底の道に抜けられる車道が描かれているが、ここから見る限り、渡ったらそのまま行き止まりのように見える。
しかし、少なくとも渡る前のこの位置からなら、谷底の道へと降りることができる。
橋の袂に、左へ分かれる舗装路があった。これが谷底の道に続いている。
このような谷底の道との接続路は、ここまでの橋にもあった。それらは付替県道の延伸に合わせて放棄された工事用仮設道路の跡であり、本来ならここも放棄されるはずだったと思う。だが、予期せぬ“終点”となったために、残されたのではないだろうか。
それでは最後の橋を味わおう。
まずは、橋頭の親柱に設置された左右の銘板をチェック。
「みょうりはくさんばし」。
漢字にすれば、「妙理白山橋」。
妙理は橋が架かっている川の名前で、日本語としての意味は「不思議な道理」だそうだ。
白山は山の名前っぽいが、由来は分からない。
(←)
花咲くツタに絡まれていた左の親柱には、「平成15年12月」と書かれていた。
付替県道の既設区間の最奥に位置するが、最初に通り過ぎたあわくじ橋が平成16年3月竣工だったので、それよりも古い。
谷底の工事用仮設道路の活躍によって、最奥部の工事も遅れることなく進められたことが分かる。
なお、帰宅後に読んだ資料によれば、菅並集落からこの橋までが妙理工区といい、付替県道のなかで唯一着工していた工区だったようだ。
ここまで見た各構造物の竣工年を基準にすると、この妙理工区(全長1.9km)は平成14年11月(杉谷橋)から平成16年3月(あわくじ橋)の期間に、6本の橋と1本のトンネルが相次いで竣工し、ほぼ完工したようである。
本当に見事に完成しているようなのに、とんだ徒花となってしまった……。
一応、これを建設している当時は、平成22年度のダム完成を目指していたはずなので、この工区の完成から10年は遅れることなく残り9.9kmの工区も順次建設され、開通する手筈だったはず。
まるで、目には見えないトンネルがそこにあるかのような、異様な風景。
雨雲に頂を隠された新緑の山に、橋は突き刺さって終わっている。
なんとも印象的な光景だが、この橋の衝撃的印象を伝えるのには、
このような正面の写真だけでは全然もの足りない。
この橋の印象は――
全天球画像でこそ、その真価を発揮しよう!
見よ! この素晴らしい空間!
妙理谷に、空中歩行の奇妙の場が誕生していた。
そのことを目的に作られた道……、そうとしか思えない。
妙理白山橋の終わりは、付替県道の終わりであった。
ここまで白線以外は完備していたように見えた道路だが、左岸の橋台を降りたところには路面がなく、車なら無事には通過できないほどの大きな段差になっていた。
急に未成道である現実が暴露された。
それに、なぜかこの橋には、左岸側に親柱がない。もちろん銘板も。
そのため、これまでの他の橋では明かされていた内容の2つが明かされない。漢字で書いた橋名と、河川名が未公開となっている。
このことも、本橋右岸橋頭部分の工事が完成していない証しのように思われる。
前述した通りここで妙理工区は終わりで、この目の前の壁に掘られるはずだったトンネルから先は、名前が分からない次の工区に属していた。
その工事を進めるところまでは進まず、工事打ち切りとなったのである。
妙理白山橋における僅かな未完成部分は、この狭間に属していた。
左図が、付替県道として建設された区間の全貌+建設されなかった次なる区間の予想図だ。
予想図は、国土交通省の資料を元に描いた。
海抜270mの菅並集落から1.9kmで海抜330mまで登り、そこで妙理白山橋を渡り終えた道路は、即座に付替県道中最長となるはずだった約1200mのトンネルに入る。そしてトンネルを抜ければ、目前には丹生ダム湖の巨大な水面が広がっていたはず。そこはかつて小原という小集落があった、高時川右岸の高所、谷底から150m以上高い山腹だった。
しかしこのトンネル、サイクリストには喜ばれなかったかも知れない。
なぜなら、トンネルの両坑口には30mを越える小さくない高低差があったはずだから。
今いる下流側の坑口は標高約330mだが、湖畔側の坑口はダムの天端の高さである362mに合わせて作られたと思われる。少なくともダム湖の満水位である352mを下回ることはないし、10m以上は余裕を持たせたに違いない。
想像の世界にしかない道路風景に思いを馳せた。
6:13 《現在地》
短くとも濃密だった付替県道の旅は、これで終わり。
しかし、単に来た道を戻る以外の選択肢が用意されていたのは、地味に嬉しいところ。
地形図に描かれている妙理谷沿いの工事用仮設道路が、橋を渡ったところまで迎えに来てくれていた。
路面に段差があって、道路としては繋がっているといえないかもしれないが、自転車なら容易く行き来できる。
チェンジ後の画像は、その道路に入ったところだ。
舗装されており、意外に道幅も広い。
さすがは現代の大規模工事である。
工事用仮設道路は、完成した妙理白山橋を全周囲から眺めるための展望台としても機能していた。
これらの写真は、いずれもその路上から撮影したものだ。
舞台を降りる役者が、最後にもう一度だけ舞台を回り、たった一人の観客に雄姿を見せていた。
橋の型式はπ型ラーメン鋼橋であった。これのPC版は高速道路の跨道橋でよく見る。
昭和40年代末頃から、橋脚を中央に下ろしにくい立地でよく使われている型式だ。
山に突き刺さり、終わる橋。
この衝撃的未成の態は、下から見上げるのでも十二分にインパクトがあった。
先ほどまで眼下の谷底に見下ろしていた道路を下る。
道はやや荒れ始めていたが、まだ余裕で使える状況だった。
途中にあるあらゆる橋が、頑丈さだけが取り柄である鋼鉄の仮設橋に置き換えられていた。
水資源機構の計画では、これらの仮設橋は撤去することになっている。
撤去後は、もともとの貧弱な橋が、再び使われることになろう。
たとえばこの写真の橋などは、仮設橋のすぐ下に高欄を撤去された従来の橋が僅かな隙間を空けて隠されていた。
この沿道、“子ずれ熊”が出るらしい。
奴らとしても、ある日から急に静けさを取り戻した山を前に、安堵と困惑を綯い交ぜた複雑な心境になったろう。
この道を使って菅並集落外れの付替県道入口の【交差点】まで戻るのには15分もかからなかった。
今回の道路は、現代社会が生み出した典型的な未成道であった。
出来上がっていたものは、とても美しい道路だったが、具体的な活用の方策を考えてみろと言われたら、悩んでしまう立地にある。
無理矢理何かに使おうとして傷口が広げるよりは、このまま「なかったもの」として、ひっそりと眠って貰うことになるのだろうか。