2012/6/1 4:42 【周辺図(マピオン)】
撮影された写真のタイムスタンプを見ると、この日は異例なほど朝早くに出発していた。
確かに6月の朝は4時台から明るいとはいえ、日の長い時期に朝から頑張りすぎると後半体力的にキツくなる場合が多く、あまり早い出発は自重した方が良いと最近思うようになったのだが、この日はノッていたに違いない。
ここはJR大糸線の根知駅前。糸魚川から算えてまだ3駅目だが、平屋の母屋が好ましい典型的なローカル駅の佇まいだ。
駅の空き地に車を駐めて、降ろした自転車で出発。
峠は一回だけの一周13kmの行程だから、首尾良く行けば3時間以内で戻って来れそうなものだが、途中に劣悪な廃道があることが確定しているので、果してどうなるものか。
駅前を通る旧国道を一旦糸魚川方向に北進し、すぐに現れる十字路が県道225号との交差点だ。それを右折して踏切を渡ると、姫川の大きな支流である根知川沿いの旅の始まりとなる。
姫川に国道148号が沿っているように、根知川には県道225号「川尻小谷糸魚川線」があって、「根知谷」と総称される地域の生活道路として重要である。
そしてこの県道225号も、“険道”の顔を持った路線である。
2年前の国道148号旧道探索の終盤に、隣県長野の小谷村内で同じ路線名(ただし番号は114号に変化)の県道に出会っていて、レポートにも少し登場しているのだが、あれこそこの県道の「起点」だった(こっちは終点)。
しかし長野県側の区間に長大な未開通区間が存在しており、いずれは挑戦したいと思っている。
とまあ、話が逸れてしまった。
今日はこの県道225号の“無難な区間”をアプローチに使うだけなので、今の話は忘れてOKだ。
写真は根小屋集落内の旧県道で、川縁の田んぼを直線的に切り開いた2車線の現県道と、山裾の狭い旧県道というありがちな光景が展開していた。
もちろんそういうときには旧道を選ぶというのが、初通行時のセオリーである。
それはそうと、ここの根小屋という集落名でピンときた。
ここは城下町…というほど都会的には見えないけれど、いずれは古い館や山城に附属する町場に由来する集落ではないかと。
そしてその予想は、山へと向かう路地に取り付けられた「根知城址」の案内板に帰結したのだ。
全国に点在する根小屋という地名は、山城と関係する場合があることを知っていたのだ。
これまた今回の県道よりいささか地理的なスケールの大きな話しになるが、国道148号はいわゆる“塩の道”(糸魚川街道・松本街道などとも)の道筋にあたっている。
この根小屋集落の佇まいもまた、そんな歴史に裏打ちされた風情を感じさせるものといえた。
根小屋集落を抜けると県道は一つになり、田園風景を走るようになる。
道自体は至って平穏なものだが、背後に折り重なる山々の妙に起伏に富んだシルエットが、心を駆り立てた。
今のところは接点のない山々だが、いずれこの県道を完全踏破しようとしたら、あの山々のどこかを超えねばならない。
…でも、今日は、あっちじゃないからね。大丈夫…。
それとは全く別に、出発前に地図を眺めていて、この左の辺りに面白い地名を見つけていた。
「東中・根小屋錯綜地」という名前の大字があるらしい。
そこには川と田んぼがあるだけで、住所としている人がいないだろう事は残念であるが、なかなかに厳つい大字である。
場所的には根知川の氾濫原のような感じなので、氾濫の度に右岸と左岸を行き来して帰属も定まらずといったところだろうか。
写真は県道端で見た、とある民家の外壁だ。
こういう景色が目立つ路傍にあるかどうかで、ある程度だが、その地域のローカル度(田舎っぷり)が推し量れると思ったり(笑)。
ここまで県道に入ってからの3km強は、水田が広がる大きな河谷を緩やかに登るという景色的には変化の乏しい展開だったが、地名(大字)は根小屋、栗山、和泉、大工屋敷と矢継ぎ早に変化しており、この土地に沁みた人跡の深さを感じさた。
最近の私は、馴染みの薄い土地での探索時ほど、バス停などに出てくる小さな地名を出来るだけチェックするようにしている。これは現地のローカル地名に多く触れる事で、部外者である私なりに、いち早く地域に溶けよう(理解しよう)と思ってのこと。
また、今回もいきなりターゲットの廃道(県道)からスタートせず、短いながらも平穏で冗長なアプローチを組み込んだのは、ただ身体を慣らすという目的だけでなく、土地勘が働かない場所でいきなり“廃”に挑むのはナンセンスで、まずは“廃”を育む“生”を見てからだろうという、ちょっと偏屈な考え方による。
5:17 《現在地》
出発から35分、県道225号をのんびりと3.7kmほど辿ったところで、ご覧の青看がまもなく現れる重要な十字路を予告した。
↑ 直進、県道225号、大久保。
← 左折、県道221号、来海(くるみ)沢。
→ 右折、県道526号、蒲池。
ここにある地名は全て、糸魚川市内の地名である。
しかも平成の広域合併で含まれるようになった地名というわけもなく、昭和29年に根知村がまるごと糸魚川市に合併して以来、ずっと同市の大字である。
ローカル地名のオンパレードが良い感じだ。
そして何より、我らが県道526号の行き先の「蒲池」という地名にも注目したい。
何を隠そう、蒲池とはこの交差点がある大字に他ならず、起点で「起点の地名」を行き先表示するという、少々奇妙な現象が発生していた。
敢えて終点の地名「西山」を表示していない理由は…。
いかにも後から「ヘキサ」シールを貼付けたらしいこの青看、平成7年に県道を壊滅させた水害よりも新しくは見えないが…。
信号機はおろか、横断歩道も、停止線も、一時停止の道路標識さえも見あたらぬ交差点。
だが、ここには3本の県道が介在し、そのうち2本の起点となっている。
もし、旧根知村の道路元標が現存するならばこの交差点である可能性は高いと思い、辺りを探してみたが見あたらない。
旧根知村の役場はこのすぐ近くの大字上野山にあったらしいが、上野山には目立った道路が無いので、道路元標を置くならここが相応しいと思ったが…。
県道225号を拡幅した際に撤去されてしまったのだろうか。
お待たせしました。
これが今回私も、そしておそらく大半の皆様も初めて目にすると思う、新潟県道526号蒲池西山線の入口(起点)です。
2年前に見たきりの反対側(終点)に較べれば、封鎖されていたりはしないし至って普通なのだが、最初から「くったくのない」1車線!
土地的には切羽詰まっても無さそうだったが、別に拡幅するつもりも無さそうだった。
この背後に見える山の裏側にあるという、まだ見ぬ西山の土地。
そしてさらにその先の「終点」を目指し…
いざ、入道!
県道526号の起点から最初の7〜800mは、家並みと水田の狭間を行く。
しかしこれまでの谷底平野のなだらかな道ではなく、その西縁を画する山裾に真っ向から挑む登坂路だ。
谷底の平坦で水利に恵まれた土地は出来る限り水田として生産活動に利用し、多少の往来不便はあっても日当たりが良く、かつ河川の氾濫から命と財産を守りやすい東向きの裾野に集落を置くという、分かり易い先人の知恵である。
地形図曰く、起点の交差点の標高が200mある。
そしてそこから道は約3.4kmで、標高480mのピークに達している。
高低差は280mで、平均勾配は8.2%と推定された。
これは前回推測した終点側の平均勾配(12%)に較べればだいぶ緩やかであるが、一般的な車道の峠道と比較すれば決して緩やかとは言えない。
基本的に自動車の推力がなければ、車道たり得ない勾配と言える。
長閑な県道の眺め。もう少しで集落が途切れて、森に入りそうだ。
向かう山の高さはそれほどでもないが、問題はあの裏側だと思われ。
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根知谷の西側緩斜面に広がる、大きめな段々畑。
さほど遠くは見えない国境の山々は、まだ雪化粧が濃い。
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根知川対岸にはこちらのような集落もなく、鬱蒼とした黒い森が広がっていた。
背後はスタート直後から見えていた特徴的なテーブルマウンテン(海谷三山)だ。
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5:36 《現在地》
根知駅を出発して56分経過。
これより私は山岳区間へ入る!
ってとこで、まだバリケードこそ無いものの、1枚の案内板が見張るように立っていたぞ。
↓ ↓ ↓
「お知らせ!!」が明るい感じだが、内容はそうではなかった。
県道蒲池西山線という名前からすれば、蒲池から西山まで行ければ、確かに役目を果している感はある。
山の向こう側の土地へ、わざわざ遠い側から峠越えでアクセスしなければならない非効率にさえ目を瞑れば、
西山から先の国道148号までの区間なんて、この県道にとってそう重要ではないのかも知れない。
そう妙に納得させるところのある、古びた案内板だった。
でも!そこに認定された県道が存在する限り、道のある(あった)限り、
辿りきらなければ寝付けないのが、オブローダーという悪道ハンターだ。
「注意して下さい。」って、それはカーナビに惑わされたドライバーさんに言ってやってくれ。
俺ははじめから完抜狙いじゃ〜!