2011/5/15 11:17 《現在地》
前回最後の場所、蘭木トンネル南口前の県道交差点からの続きだが、上の現在時刻の表示が前回の最後から2時間近く経過している。
これは誤記ではなく、この地図に緑線で示したような、約10kmの大掛りな寄り道探索をしたためだ。
その最大の目的だった新潟県道477号荒谷竜光線(荒谷狭区)のレポートは、本作に先立つこと12年も前(探索直後)に執筆を終えている。よろしければご覧下さい。
過去作の宣伝?も終えたところで、本編の続き。
目の前の交差点を左折して、蘭木トンネルの旧道を使ってトンネル直上の峠を目指す。
ここから峠のてっぺんまでの道路距離は約800m、高低差は60mほど。
線形的には明らかにトンネルに対する旧道であるにも関わらず、トンネルを潜ってきた県道71号の順路になっているのがポイントだ。
「越えたのになぜ戻るんだよ」と、何度でもツッコミを入れたい。
チェンジ後の画像は、左折直後の県道風景。
どこにでもありそうな1.5車線の舗装路だが、もうここは、“夢とロマンの大動脈”ではない。
11:18 《現在地》
旧道(県道だけど)に入って180mほどで、卒塔婆標識が建つ分岐点が現れた。
この界隈に沢山ある地味過ぎる県道の一つ、新潟県道519号南荷頃薭生線の起点だ。
ストビューすら対応していないマイナーな狭隘路線だが、一応、信濃川に面する小千谷市ひ生の国道291号に通り抜けられる。「ひ生」は珍しいひらがな交じりの大字名だが、本来は「薭生(ひう)」と書いていたことを、県道の路線名が教えてくれた。
ちなみに、かなり鋭角に接続しているので、自動車で左折して県道519号へ入るのはかなり厳しい。何度か切り返さないと曲がれない車が多いんじゃないだろうか。
同県道交差点を振り返り撮影。
賑わっているな(笑)。
通行止ゲート代わりに、ネコでも動かせそうな三角コーンに「雪崩あり」の張り紙がペロンしているのが、おかしい。
長閑すぎる。しかも誰かがコーンを端に寄せたままになっているし。
通れるのか通れるのか、皆目見当が付かん(笑)。
ちなみに、見慣れた「通行止」の道路標識に「冬期間」の文字を追加したこのオリジナル道路標識は、新潟県内でも中越エリアでよく目にする。
オリジナル標識なので法的な拘束力はないものと思う。それに、具体的な冬季閉鎖区間がどこからどこまでで、期限がいつなのかも、ゲートや表示物がないので、現地で知る術はない。
このフィーリングで雪と付き合っている感じが、むしろ日本有数の豪雪地のプロっぽさを感じさせる。
最後に、卒塔婆標識へのコメント。
ここが県道71号であること、道路管理者には忘れられていなかったようで、安心した。
ゆったりとしたカーブを連ねながら、棚田と養鯉(り)池と家屋が点在する解放的な斜面を、1.5車線の県道が登っていく。
前述の県道519号の他にも、いくつもの生活道路が右に左に分岐している。
疎らな家並みは峠のすぐ下の辺りまで、陽当たりの良い南向き斜面に広く展開している。
ここが、難読地名の蘭木(うとぎ)集落だ。
蘭(らん・あららぎ)の字からこの読み方は想像しづらく、なぜこの字があてられたかは分からないが、「うとぎ」という音の由来については、『小千谷市史 上巻』に、「天正8(1580)年の薭生城陥落のとき、城主の奥方と若君とが山中に落ちのび、この村の大木の洞(方言のウト)に隠れて助かり、この村を開いたという伝承を持っている
」とあり、大きな洞を持つ木から来ているようである。
チェンジ後の画像は、さらに上っていった先の道路風景だ。この後は奥の平らに見えるところへと進む。
カーブを切り返す度に、地中を真っ直ぐに貫くトンネルと交差しており、地図上に【このような】不思議な県道の線形を描き出していくが、実際の道路風景としては、地中が見えるわけでもないので穏当な道路である。
ここまで上ってきた蘭木の南向き斜面を見下ろして。
水が張ってある池は、棚田跡を活用して行われている養鯉池だったり、普通に棚田だったりする。
東山丘陵一帯では棚田跡を利用した養鯉業が大変盛んで、大きな産業へと成長している。
峠が近づき、やっと沿道の民家が途切れたところで(入口から約600m)、先ほど県道519号の起点で同県道に向けて掲げられていた「冬期間通行止」のオリジナル道路標識が、この県道にも現れた。
当然のようにゲートの類はない。
通行を規制するものというよりは、「この先は冬期の除雪をしないよ」という道路管理者側の意思表示アイテムとして、この標識はあるのだと解釈している。
11:30 《現在地》
峠のてっぺんに辿り着いた。
標高約260mの名前のない峠だが、頂上は意外に大きな切通しになっている。
江戸期までは峠を境に蘭木村と南荷頃村があったようだが、明治22(1889)年の町村制施行時からは共に古志郡東山村に属し、昭和29(1954)年から揃って小千谷市となった。峠は明治以来ずっと大字南荷頃の域内にあって、いわゆる行政界になったことが一度もない峠のようだ。
また、峠の旧道の歴史についてだが、麓の報恩碑によると、昭和40(1965)年に県道小栗山川口線へ認定され、50年には無雪道路(冬期も除雪を行う道路)に認定されたというから、少なくともこの時点では峠越えの車道が存在したのだろう。そして昭和51年に県道川口岩間木線となり、55年には早くも主要地方道小千谷川口大和線へと昇格しているそうだ(おそらくこれは昭和57年の誤りだと後日に判明)。同時にトンネル整備の陳情も続けられていたらしく、昭和57(1982)年に蘭木トンネルが起工し、平成元(1989)年にトンネルが開通して現在に至る。
いま、峠を越える!
トンネルで越えた峠を、山越えで戻っただけだけどね……(苦笑)
切通しを真っ直ぐ抜けると、急な下り坂が、真っ直ぐに北へ延びていた。
広大な丘陵を感じさせる、海のうねりのような山並みが、見渡す限りに広がった。
しかしこちら側も峠の頂上近くまで耕されていて、風景が明るい。
旧道が封鎖されずに命脈を保っているのも、耕作のお陰だろう。
この爽快な眺めに身を任せ、思わずブレーキを解放したくなるが、
県道71号の走破を目指す者(いる?)は、ぐっと堪えよ!
11:31 《現在地》
県道71号は、ここを左折するッ!
ついにあのしぶとい卒塔婆標識すら現れなくなってしまったうえに、
なにやら無言の三角コーンが通せんぼしている。(ストビューだと解放されている)
そして、峠を上り詰めたばかりだというのに、凄い上り坂だ!
一応、舗装だけはされているようだが……。
起点「小栗山」まで、推定3.6km。
“険道”区間へ突入!
2011/5/15 11:32 《現在地》
ここを県道の色で塗ってくれている地図を持っていなければ、絶対に思いつきで飛び込んでみようとは思わなそうな脇道だ。
ここまで県道71号の分かりにくい分岐地点には最低限設置されていた“卒塔婆標識”すらなく、この先が県道だと察せられる要素が、現地には全くない。
道路管理者の名義で「通行止」の看板でもあったら興味を引くだろうが、(誰が設置したかも分からない)三角コーンで雑に封鎖されているだけだ。
しかも、勾配が異なる急坂同士を無理矢理繋げたような雑さ加減が……。
もともと一連の道だったように感じられない継ぎ接ぎ感がある。
県道71号のマイナーな“険道”区間へ、突入!
おおおっ!(驚)
確かにこれは、県道の匂いがする。
狭い舗装の幅いっぱいに敷かれた両側の白線。
県道の証しと言ったら言いすぎだけど、でも確かに、新潟県に沢山ある激狭県道の景観上の大きな特徴になっていると思う。
舗装があれば車は満足なんでしょ! ってなツンデレ口調が今にも聞こえてきそうな、本当にただ舗装と白線があるだけの激狭道。舗装や白線が妙に綺麗なのも、この手の県道の共通点だ。
入口に三角コーンが通せんぼしていたのに、1台の乗用車が路肩で休んでいた。地元民の山菜採りかな?
ほぼ峠の頂上から始まった道なのに、最初の200mは物凄い急な登り坂だった。
そして上り詰めると、先ほど越えた峠よりも一回り小さな切通しが開いていた。
海抜約280m、最初の峠よりも20m以上高い位置にある切通しで、再び尾根の南側斜面へ道は移る。
チェンジ後の画像は、切通しを振り返って撮影。
置いてある自転車と比べて、舗装された道幅の“ギリギリ感”が伝わるかと思う。
切通しを出た所に、「蘭木簡易水道施設」の看板を掲げた小さなコンクリートの建物があった。
ここまではインフラを支える道としての必要性が感じられる。道路沿いの電線もここを目指していた。尾根のてっぺんという立地からして、電気を使ったポンプアップで周囲の農地へ水を供給しているのだろう。
簡易水道施設の横から砂利道が出ていて、何気なく見渡したその行く手には見事な棚田景観が広がっていた。
周囲に柵が張ってある水面が多いので、現在は専ら養鯉池として使われているのだろう。
地形図でも小さな池が無数に描かれていて、まるで棚田のように見えるが、るが、水田なら水面が描かれることはない。それらは一年中水が張っている養鯉池と化した棚田跡だ。
それにしても、河川からの自然取水は不可能な尾根のてっぺん近くに、これだけの水が湛えられているのが興味深い。
現代はポンプでの揚水もあるだろうが、元来は冬の豪雪と遅い雪解けが、こういう立地での稲作を可能にしていたのだと思う。実は探索中も路傍で何度か残雪を見ている。それらは自然に残った雪ではなく除雪車が集めた排雪山の名残だったと思うが。
11:37 《現在地》
切通し&簡易水道施設を過ぎて間もなく、入口から350mほどの地点で、道は唐突に舗装を失った。
まあもともとが簡易舗装だから、道づくりの手間としてはそれほどの違いはないが、外見的には大きな変化だ。
外見から受ける印象も、一気に、ヤバイ感じが出て来る。
「スーパーマップルデジタル」の表記を鵜呑みにして、車で通り抜ける気満々で訪れたドライバー(いないと思うけど)は、焦る場面かも知れない。
なんだかんだ言って、通り抜けられる県道で未舗装というところは、新潟県には多くない。だいたいが、未舗装になると行き止まりが現れる…。
未舗装になったことで、この道本来の通行量が、暴き晒される形となった。
畦道レベルである。
相変わらず県道を感じさせるアイテムの類(ヘキサ、県名付きデリニエータ、県名入り用地杭など)は全く見当らない。
とはいえ、廃道という感じはない。
道は尾根の稜線上に付けられており、陽当たりと眺めのよい沿道にときおり耕作地が現れた。こんな美しい畑で過ごす余生も悪くなさそう。
地形に私を恐がらせる険しい感じや、鬱蒼とした感じがないので、狭くともホッとする道だった。
前の画像の矢印の位置にある丸い石だが、よく見ると素朴な石仏だった。
丸っこい石の表面に「二十三」の文字が浅く刻まれており(この下は土の中で判別不能)、二十三夜塔だろう。
隣のより小さな石もたぶんそうだが、土に隠されていて文字を判別出来なかった。
石仏の存在は、道……それもとりわけ、大勢が通り抜けをした道としての歴史の古さと関わりが深い。
一つだけではまだ弱いが、単なる畦道ではなかったのかもしれない。
このような姿で、準国道の位置にある主要地方道にまで昇格を重ねた道のバックグラウンドが気になる。
細々と、しかし確固たる轍を乗せて、車1台分の道が伸びている。
道はずっと尾根の近くにいるが、頂上から少しだけ西に寄っていて、右山左谷の景色が続く。
通行を妨げる荒れた要素はないけれど、「もし通り抜け出来るなら通り抜けたい」と思わせるような近道的要素が皆無な区間なので、道路マニア以外の部外者は近づくことが無さそうである。
チェンジ後の画像は、路傍にあった小さな建物の基礎。
農具小屋とかだろうか。
11:43 《現在地》
入口から約800m来た。
最初こそ急坂だったが、尾根に取り付いてからは緩やかなアップダウンに終始していて、進行のペースは良い。
ここで道が二手に分かれた。
地理院地図にこの分岐は描かれておらず、どちらも同じくらいの道に見えて悩んだが、「スーパーマップルデジタル」には描かれており、右が県道のようである。(左は行き止まり)
右へ。
11:45
分岐を過ぎたところから、上り坂が始まった。尾根の稜線も一緒に高度を上げていく。
樹木のため視覚では捉えられないが、この先に一連の尾根上のピークである若宮山がある。
地図上の道は、若宮山の山頂のごく近くを左へ巻いて越えるように描かれている。
距離的にも高度的にもそろそろ、ウィキペディアに「この間未開通区間あり」と
書かれていた蘭木〜小栗山の区間内の中間地点に差し掛かろうとしている。
ここまで特に、通り抜けが出来ないことを示唆するようなものは現れていない。
強いて言えば入口の【三角コーン】があったが…。
この写真の奥の道が見切れたところで撮影したのが、次の写真(↓)
…………
…………
普通に行き止まりなんだが…?
11:45
崩れてうんぬんという感じじゃなくて、
普通に、道の終点のように見えるんだが…?
GPSで現在地を確かめると……(↓)
平然と、路上だった。
地図上の道から左右にずれたりはしていない。
俺には見えない が、あるってことか?
どこに?
起点「小栗山」まで、推定2.6km。 道なくなる。
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