道路レポート 青ヶ島大千代港攻略作戦 第1回

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.05
公開日 2018.01.08

 


2016/3/5(土) 7:20 《現在地》

現在午前7時20分だが、青ヶ島で過ごす時間が貴重で仕方がない私は、今朝明るくなる前から池之沢のキャンプ場を抜け出しており、既に動き出しから2時間半が経過している。この間に準備運動代わりの探索を一箇所終えており、朝日が最高にまぶしいこの時刻からいよいよ、島での最大の探索目標であった大千代港攻略を開始したのだった。

スタート地点(現在地)は、池之沢と村落の間を隔てる流し坂のてっぺんにあたる外輪山稜線上の峠だ。空がとても近いこの場所に、島を周回する都道236号青ヶ島循環線と、大千代港へと向う村道18号線大千代港線の分岐地点が存在する。

写真は村落側から分岐を撮影した。
見ての通り、特に行き先の案内などは見当たらない。



分岐から、村道18号線を覗き見る。
都道は2車線分くらいの広さがあるが、こちらは完全な1車線道路だ。
行き先表示がないこともあり、重要そうな道には見えないのだが、大千代港が今も使われていたなら、もう少し道も整備されていただろうか。
もしかしたら、私がこの道を通って島への出入りをする未来だって、あったのかも知れないのだ。
そんな風に思うと、この何の変哲もない地味さも、悲しみを帯びた景色に見えてくる。

地図上の終点までは、ここからちょうど1kmだ。
果たしてどんな行程なのか、恐る恐るの気持ちで、村道18号線の探索をスタートした。




青ヶ島には、人に自慢したくなるような素晴らしすぎる道路風景が沢山あるが、ここもその一つだと思った。村道に入るなり、すぐにこの感動を得た。
島の骨格であり屋根でもある外輪山の稜線を、幅3mほどの村道がほとんど占拠している。そこから見る景色が、全方位に素晴らしかった。

正面すぐに見えるのは、ナイフエッジのように尖った稜線だ。朝日に燦然と立ち向かっている。
また少し遠くには、大きな弧を描く稜線の続きが、まるで影絵のように、明るい空に聳えていた。あれは大人ヶ凸部(おおじんがとんぶ)という標高336mの山だ。

チェンジ後の画像は、振り返って撮影した。
流し坂を上り詰めてきた都道が、村道のすぐ下を通っている。向って左側が池之沢カルデラ内、右側は海に落ち込む落差300mの斜面である。
そして次の写真は、ここから池之沢カルデラ方向を見た。
これを見るためだけでも、この村道へ入る価値はあるだろう。



青ヶ島が一望の下に!

昨日、上陸するなり苦闘を演じた“残所越”に、青々としたジャングルに沈む池之沢、

そして一夜を過ごした中央火口丘の丸山まで、島の大半部を締めるカルデラが一望の元にあった。

洋上の小世界。その支配者にでもなったような、痛快な眺めだった。




豪快な眺望でいきなり強烈な印象を私に与えてきた村道18号線。
しかし、カルデラ内部を見渡せるのは初めだけで、すぐに外輪山の海側斜面に入り込んだ。
以後はそこが定位置となり、徐々に下りながら南進して終点の大千代港へと近づいていくことになる。

それにしても、明るい。今はちょうど逆光だから、なおさらそう思う。日の光を遮るものがない。
強烈な海風をもろに受ける外輪山の外側斜面の中でも、特に強く風を受けるこの稜線付近は、森林限界の世界にある。
ススキや笹や灌木しか生えていないので、道から見る海の眺めは素晴らしかった。




これがその、海の眺め。

何か特別なものが見えるわけではないのだが、とにかく雄大さにグッとくる。
青ヶ島の青は、やはりこの海の青さに由来するのか。
諸説はあるのだが、青ヶ島の海の青さは、やはり半端ない。

そんな海面は、まるで湖のように凪いで見えるが、実際にはそれほど波静かではないと思う。
なんといってもこの海面は、おおよそ300mも下にあるのだ。ここからは小さな皺のように見える海面の凹凸も、近くで見れば小さくはなさそうなのだ。

ちなみに、ここから見える陸地の斜面は、海抜150m付近くらいまでのようだ。そこから先は急峻な海食崖になっていて、見通せない。



凄い下りになってきた!

序盤は全体的に緩やかな下り坂だったが、500mほど進んだ辺りから、急激に下り方が増した。
昨日今日と島内の各所で目にしてきた目を剥くような急坂と較べれば、これはまだ普通に感じてしまうが、それでも10%は軽く越す、おそらく15%程度の下り坂が始まった。
写真を見て欲しい。カーブの先に見える明るい背景、よく見ると、海原の模様であることが分かると思う。
海へ落ちていくような急坂というのが、これに相応しい表現だと思う。

この下りは、自転車の私には特に業が深い。

この道は最終的に行き止まりである。
そして、もし大千代港まで辿り着けたなら、起点からの高低差は実にマイナス300mとなる。サイクリストや登山を愛する諸兄ならば分かると思うが、この数字は人体にとってそれほど気軽なものではない。
だが、ここで下った分は全て上り返さなければ、三宝港へ帰ることは出来ないのである。予め帰り道に掛かる時間を計算して行動しないと、帰りの船に乗り遅れて島に数日取り残されるという大失態を、本当にやりかねない。
島内に公共交通機関の存在しない青ヶ島では、自らの足で地形のダイナミズムに立ち向かえないなら、自由に散策することは難しいのである。

探索4日目の私の足は、とても疲れ切っていた。だから、探索後の帰路については、とても考えたくない辛い現実だった。
まさに、下るほど業が深くなるような気分。
しかし、ここで逃げてしまえば、大千代港には絶対に手は届かない。
行くしか、ない!



ブレーキレバーを握る手に痺れを感じるほどの急坂の途中、路肩に停まる1台の無人軽バンを発見した。
写真だと分かりづらいと思うが、ものすごい下り坂の途中である。
ガードレールが切れた路外に、軽トラが1台収まるくらいの駐車スペースがあるのだが、バックで収まった車の後ろは直で海に落ち込む急斜面である。
慣れた島民の仕業と思える、ちょっと私には恐くて出来ない停め方だ。

だが、この車の主はどこへ消えたのだろう?
ここから行く場所となると、私と同じ大千代港くらいしか思いあたらない…。

まさか、復旧工事中とか、そういうの?
立ち入り禁止だと関係者に怒られて探索終了となる、そんな一番悲しい未来が脳裏をよぎった。

軽バンから100m弱進んだ地点の路傍には、大きなスピーカーが取り付けられた電柱が立っていた。おそらくこれは村内放送用のスピーカーだろう。
昨日からの島滞在中に何度か放送を聞いている。その内容は定期船の運航に関することが多いようだった。



7:25

軽バンに、村内放送のスピーカー。
まだ出発から5分しか経っていないのだが、1本道に突然現れたこれらの物体と、下り坂ゆえ容赦ないハイペースで進んでいる現状の組み合わせに、ある予感を感じた私は、GPSを取り出して現在地を確認した――

!!! もう来てるぞ!

早くも私は村道の起点から750mほども進んでいて、間もなく、地図上ではぴょこんと突きだした岬のように描かれている大千代港の直上に達することが分かった。

道は一度港の上を横断してさらに250mほど進み、そこで切り返すそぶりを見せた直後に終わっている。
その“終点”がどうなっているのかを確かめる必要があるが、直上である現在地から直接港に下りる道が存在する可能性もある。
それを確かめたいし、なにより、この目で大千代港を目視する最初のチャンスが来ているのである!

私は速やかに路肩の笹が途切れている場所を見つけ出し、意を決して、下を覗いてみた。




見えた!

幻の港、大千代港の埠頭。


しっかりとした造りという印象を受けるコンクリート製の岸壁が、直下やや右側の海上に数十メートルほど伸びているのが見えた。
だが、それ自体はしっかりした造りでも、青ヶ島を取り囲む余りにも大きな海を前にすると、心許ないというか、とにかく、

孤軍奮闘感が半端ない!!

これで、辿り着く道が本当に途絶えているのだとしたら……、泣けるほど寂しいじゃないか!


いろんな意味で、ゾクゾクきた…。



なお、これで現在地との比高は230m前後である。

くっきりと見えるから近いような気もするが、やはり険しいなというのが、一番の感想。

一応足元から草付きの急斜面が続いていて、そこは草にしがみついて下りれないこともなさそうだが…、
その見えている部分の下には、より険しい海食崖の絶壁が潜んでいる可能性大である。
やはり、これは道に頼らなければ無謀だろう。少なくとも私はここから直接下る気にはなれない。



最大ズームで、ロックオン!

埠頭には船影、人影、ともになし! だが、左側には係船用のビットが並んでいるのが見える。
一度は完成して供用を開始していた施設なので、あのビットも使われたことはあるのだろう。
しかし、荒天でもないのに埠頭上が波で濡れているのは、どういうわけだ。少し見ていると、その理由が分かった。
たまに少し高い波が来ると、埠頭を乗り越えまではしないものの、激しく弾けた飛沫が全体に降りかかっていたのだ。
……恐い、港だ。


それにしても、今から1時間後、遅くとも2時間後、

私はあそこに立てているのだろうか?

そうありたいが、率直に言って自信はない。

なぜなら、昨日から今まで青ヶ島での“そのような企て”が、ことごとく失敗しているからだ。

海食崖に壊された廃道を踏破して海岸付近まで上り下りするという企ては、
これまで島内2箇所で挑戦し、いずれも失敗に終わっていたのである。
その2箇所と較べて、大千代港が与しやすい相手だと考える根拠は特にない。
だから、自信が持てない。それが正直な私の感想だった。
(頼りなくて申し訳ないが…、この島で私は謙虚を教え込まれた…。)



7:26 《現在地》

あっ!封鎖地点っぽいぞ!

スピーカー地点から100mも進んでいない、起点から800mほどの地点。イコール、大千代港埠頭の直上付近。

依然として激しい一方的な下り坂が続いているのだが、次のカーブの先に見えているのは、道を塞ぐバリケードらしい。
起点からここまで一度も「通行止め」であることを予告するような表示はなかったので、びっくりするくらい突然のバリケードだ。

そして、バリケード直前のこの場所には、人の世界から切り離されなかったギリギリの存在が二つ。
いずれも道ばたの笹藪の中から私を見ていた。(“手前”と“奥”の矢印の位置)



←“奥”にあったのは、これ。

神社と呼ぶにはとてもささやかだが、祀られている古ぼけた石祠に「大千代神」と刻まれている以上は他に相応しい表現も思いつかない、やはりこれは神社である。
小さな小さな、大千代神社だ。

こうしたものが祀られている以上、村落からは遠い位置にあるこの大千代の一帯も、古くから島民との交渉を持っていたと考えるべきだろう。

これから私は、そんな神域であるのかもしれない海岸に挑もうとしている。だから珍しく神に祈った。おそらくは猛々しい荒神にあらせらるる、大千代の神に。




そして、神社のすぐ“手前”にあったのは、この見るからに新しい石碑。
否、この辺境にあって献花と供物の絶えない、篤く祀られた慰霊碑だった。

表面
「若桜などて 散りなむ 青ヶ島の里」
裏面
平成六年九月二十七日村道崩落により没した三名の霊に捧ぐ
 平成七年六月
 (3人の氏名が並ぶ)

私はこの碑を見るまで知らなかったが、大千代港が使用中止となるきっかけとなった平成6(1994)年9月27日に発生した村道の崩落事故で3人の島民が犠牲になっていた(東京都の記録では、死亡2人、行方不明1人)。
崩落と隣り合わせに暮らす島民の宿命というには残酷過ぎる事故の先に、私は自ら望んで進もうとしている。
改めて、絶対に無事故で帰らなければ誰にも顔向け出来ないと肝に銘じる。



何の説明もない、進入者を防ぐ力も弱い、バリケード。

しかしその向こうには、雄弁な景色が。

村道は、完全に沈黙している。



タイムリミット、三宝港での乗船手続き開始まで
4:34