道路レポート 大多喜ダム付替町道 前編

公開日 2014.12.23
探索日 2009.03.18
所在地 千葉県大多喜町


【周辺図(マピオン)】

房総半島の内陸に位置する大多喜町は、山がちな町域の全体に無数のトンネルが掘られており、関東地方では横須賀市と並ぶ“トンネルの街”である。
が、今回紹介するのはトンネル絡みではない。
戦国時代から城下町として栄えた大多喜町の中心市街地から僅か2kmの位置に計画されていた大多喜ダム関連である。

右図は大多喜ダムに関する千葉県発行の資料からの転載である。
ここにまとめられているとおり、大多喜ダムは夷隅川水系の沢山川を高さ32.5m、幅318mという巨大なアースフィル形式のダムで堰き止め、そこに治水と利水を目的とした17万平方メートル(東京ドームの約4倍の広さ)の人造湖を誕生させる計画であった。

このダムは、平成元年に千葉県が策定した「南房総広域水道事業計画」によって建設が決定された。
計画の背景として、昭和50年代頃の南房総地域では、夏場に集中して首都圏から膨大な観光客(海水浴客)が訪れる事により、毎年のように給水制限が行われる事態となっていたことが挙げられる。もともと南房総には大きな河川が無く、渇水しやすい地域だった。

計画では、香取市の利根川取水堰と長柄町の長柄ダム間に完成していた70kmの房総導水路から、さらに南へ伸びる30kmの南房総導水路を建設し、その終点付近に新たな水瓶となる大多喜ダムを建造することとされた。完成すれば南房総地域の水不足が一挙に解消し、工業用水の拡大、房総リゾート地域整備構想への転用、夷隅川の洪水対策にも寄与すると期待された。
事業は千葉県と、新たに設立された南房総広域水道企業団との共同事業として、進められることになった。

平成3年に大多喜ダム建設が着手され、平成8年からはダム建設現場への進入道路や、水没する町道の付替工事が始められた。
全体の完成予定年度は平成29年度であった。
だが、平成19年に突如、南房総広域水道企業団は用水の需要が当初見込みよりも減少していることを理由に、事業からの撤退を表明したのである。
県はこれを受けて改めて事業再評価を実施したところ、ダムは建設中止が妥当と判断され、平成23年3月4日に大多喜ダム建設事業の中止が決定された。
なお、南房総導水路は平成9年に完成しており、既に利用されていた。



この画像は、既に消去された「千葉県大多喜ダム建設事務所」サイトなどに掲載されていた、大多喜ダムの完成予想写真である。

高さに較べて幅広な印象のダム堤体の奥に、満々と水を湛える樹枝様の湖面が広がっている。
そして湖畔を周回する立派な鋪装道路が、目立つように描かれている。
周回道路の途中には湖面を跨ぐ橋がいくつもあり、さながら森と湖のサーキットである。
また、ダム堤体の下流側や、隣接する山中には公園らしきものが整備されており、大多喜町中心部からの近さを活かした町民憩いの場所が構想されていたっぽい。

今回探索するのは、この美しい夢の 跡 である。



続いて、地理院地図からダム建設予定地の現状を探る。
既に計画は正式な中止の段階を迎えているが、まだ地図中には「ダム建設中」の注記が残っている。
私がここに書き足したのは、計画されていたダム堤体と主な付替町道である。

千葉県の複数の資料によると、付替町道は全部で3819mが計画され、このうち約6割の2207mが計画中止時点で完成していたそうだ。
地図中の赤い実線が既成部分だが、地理院地図には全く描かれていない。


これから紹介する現地探索は、平成21年3月18日に自転車で行った。
当時はまだ県から正式な事業中止の発表は行われていなかったが、平成19年度で工事は中断されていた。(そして再開されなかった)

当サイトで紹介したダム建設中止関係の探索としては、「十二ノ森公園の謎の道」(戸倉ダム)を覚えている人もいるかも知れないが、大多喜ダムはあそこよりも遙かに工事が進捗していた。それだけに湖面無き付替道路の虚しさがより実感された。




新旧道が交雑するダム現場入口付近


2009/3/18 7:19 《現在地》

現在地は大多喜町西部田(にしべた)の大多喜ダム現場入口の交差点だ。
ここへ来るには、国道297号の旧道である千葉県道231号から夷隅川を渡ってすぐ(約1km)で、道なりに左へ行けば上総中野駅方面への近道である。
町道だが、国道の抜け道として交通量は結構多い。

ダムへはこの正面に見える町道へ入る。
2車線の舗装路だが、これもダム工事の進展に伴って整備された結果である。

前述したとおり、当時はまだダム建設の正式中止前だったので、大多喜ダム建設事務所が設置した看板が入口に立っていた。
(googleストリートビューで見ると、最近もそのままのようだ…笑)




入口から100mほどで、道は唐突に二手に分かれていた。

だが、早速にして右は、未成道路の気配を濃厚に漂わせている。
右の道は、路肩に埋め込まれた縁石が薄い芝草の緑の中にカーブしながら続いている状態で、将来の2車線道路が未舗装のままである。
しかも、電信柱はそんな路肩の縁石を無視して、“路上”となるべき敷地に立っているなど、カオスである。

そもそも、この分岐自体が地形図には描かれていなかった。
正面の道しか描かれていないのである。

この場所こそ、付替町道の起点であった。




こちらが、地形図に描かれている旧来の町道。
ここはまだ水没エリアではないが、もう少し先でダム堤体に行く手を遮られてしまう筈だった道だ。

ここには大多喜ダム建設事務所が立てた2枚の看板があった。
奥に見えるのは、ダムの工事中であることを理由に関係者以外の通行禁止を訴える看板。
手前は、不法投棄防止のため出入口の幅を最小限度に制限すると訴える看板である。
おそらく手前のものは、ダムの工事が中断してから設置されたのだろう。こちらの看板だけならば、歩行者の通行までは禁止していないと取れる。 (googleストリートビューで見ると、最近もここは封鎖されたままのようだ。また2枚の看板は、奥がそのまま。手前は無くなったようだ)



右の道。
こちらは、地形図には描かれていない付替町道である。

路線名は、当時の記録によると、町道上原紙敷線とされている。
上原(うえばら)はダムサイト予定地の大字名(現在地は大字西部田と上原の境界上)であるが、紙敷(かみしき)はダム集水域を区切る稜線の外側の地区名である。
将来的にはダムの上流から西に尾根を越え、紙敷地区まで道路を建設する構想があったのかも知れない。

この道に入ると、すぐに丁字路を予告する標識が現れる。
だが、正面の道はシールで隠されていた。
(googleストリートビューで見ると、最近ではこのシールがはげているようだ。しかし、次の写真で見て頂く道の状況に変化は無い)



7:22 《現在地》

付替町道へ入って20mほどで、今度は道が三方に分かれている。
このうち右は民家の入口だが、正面と左折は共にダムの付替町道である。

直進は前述した町道上原紙敷線。
左折は、町道西部田打越線の名前がある。西部田は現在地の地名、打越は場所不明であるが小字とみられる。

この2本の付替町道は、ちょうどダム湖を両岸から包むように進行し、最終的にはダム湖の上端(打越?)で合流する計画であった。(地図)

だが見ての通り。ここでどちらの付替町道も封鎖されていて、クルマだとこれ以上進む事は出来ない。
私は先に正面のガードレールを越え、先へ進んでみたが、20mほどで路盤が完全に消え、あとはただの原野であった。
計画では、この先で沢山川を渡り(第1号橋)、ダム湖の左岸へ向かう事になっていたが、未開通なのである。



さっそく現れた未成道。(振り返って撮影)

私のテンションも急上昇である。

次は、もう1本の付替町道、西部田打越線へ向かう。



2枚上の写真の交差点を左折し、ダム湖の右岸へ向かう町道西部田打越線に入る。

するとすぐさま写真の十字路になる。
地図を見て頂ければ一目瞭然だが、ここで交差する道は先に分かれた旧道である。
ここで旧道を突っ切って進む。

これでようやく、新旧道がゴチャゴチャしていたエリアを脱する事が出来る。




これから走る西部田打越線は、平成8年に着工され、平成16年度末時点で、既に全線が開通していたらしい。
それにもかかわらず、なぜか最新の地形図にも描かれていない。

この道はまず、直線的な上り坂で沢山川右岸の山腹へ取り付く。
こうして、計画されていたダムの高さである33mを最初に登ってしまう。
登り始めには大きなフェンスゲートが存在するが、解放されていた。
ただし、車両の通行を防ぐための着脱式車止めが設けられていた。




大多喜ダム建設予定地(ダム軸)現場


7:27 《現在地》

自転車で3分くらい登ると、呆気なく水平路となった。
そして道沿いの空き地に何気なく視線を向けて走っていくと、「ダム軸」と書かれた立て札がポツンと立っているのを見付けた。

ダム軸、つまり河川を横断して設けられるダム堤体の基準となる線で、厳密に一致するわけではないが、ダムの中心線といっても大きく外れてはいない。

辺りは無人で、建物一つ見あたらない。
この光景からも分かるとおり、大多喜ダムは本体の着工に至らずに中止されたダムであった。
平成3年に事業が採択され、平成8年から付替道路の整備が進められていたが、本体工事には入らなかった。
当時の資料を見ると、ダム堤体建設現場の用地取得も一部未了の状態で、その解決が大きな課題になっていたようだ。




ダム軸上から、ダム予定地の沢山川を見下ろしてみよう!

↓↓↓


堤高は33mとさほどでもないが、堤長は318mにもなる予定だった大多喜ダム。
こうして眺めて見ると、確かに対岸の遠さが実感された。

仮に工事が順調に進んでいたとしても、これを書いている平成26年時点では、
まだ一生懸命に堤体を積み上げている最中であったろう。
完成は、平成29年度を予定していた。


次に、写真の中央付近を望遠で覗いてみる。



あっ!
建設途中っぽい橋がある!


現在地や地形などから、ここで見た建設途中らしき橋は、
ダム湖の長軸方向に800mほど離れた所に計画されていた、
付替町道上原紙敷線の第3号橋(仮称)と判断された。

ひとつ、この探索の楽しみが増えたな!