房総半島の内陸に位置する大多喜町は、山がちな町域の全体に無数のトンネルが掘られており、関東地方では横須賀市と並ぶ“トンネルの街”である。
が、今回紹介するのはトンネル絡みではない。
戦国時代から城下町として栄えた大多喜町の中心市街地から僅か2kmの位置に計画されていた大多喜ダム関連である。
右図は大多喜ダムに関する千葉県発行の資料からの転載である。
ここにまとめられているとおり、大多喜ダムは夷隅川水系の沢山川を高さ32.5m、幅318mという巨大なアースフィル形式のダムで堰き止め、そこに治水と利水を目的とした17万平方メートル(東京ドームの約4倍の広さ)の人造湖を誕生させる計画であった。
このダムは、平成元年に千葉県が策定した「南房総広域水道事業計画」によって建設が決定された。
計画の背景として、昭和50年代頃の南房総地域では、夏場に集中して首都圏から膨大な観光客(海水浴客)が訪れる事により、毎年のように給水制限が行われる事態となっていたことが挙げられる。もともと南房総には大きな河川が無く、渇水しやすい地域だった。
計画では、香取市の利根川取水堰と長柄町の長柄ダム間に完成していた70kmの房総導水路から、さらに南へ伸びる30kmの南房総導水路を建設し、その終点付近に新たな水瓶となる大多喜ダムを建造することとされた。完成すれば南房総地域の水不足が一挙に解消し、工業用水の拡大、房総リゾート地域整備構想への転用、夷隅川の洪水対策にも寄与すると期待された。
事業は千葉県と、新たに設立された南房総広域水道企業団との共同事業として、進められることになった。
平成3年に大多喜ダム建設が着手され、平成8年からはダム建設現場への進入道路や、水没する町道の付替工事が始められた。
全体の完成予定年度は平成29年度であった。
だが、平成19年に突如、南房総広域水道企業団は用水の需要が当初見込みよりも減少していることを理由に、事業からの撤退を表明したのである。
県はこれを受けて改めて事業再評価を実施したところ、ダムは建設中止が妥当と判断され、平成23年3月4日に大多喜ダム建設事業の中止が決定された。
なお、南房総導水路は平成9年に完成しており、既に利用されていた。
この画像は、既に消去された「千葉県大多喜ダム建設事務所」サイトなどに掲載されていた、大多喜ダムの完成予想写真である。
高さに較べて幅広な印象のダム堤体の奥に、満々と水を湛える樹枝様の湖面が広がっている。
そして湖畔を周回する立派な鋪装道路が、目立つように描かれている。
周回道路の途中には湖面を跨ぐ橋がいくつもあり、さながら森と湖のサーキットである。
また、ダム堤体の下流側や、隣接する山中には公園らしきものが整備されており、大多喜町中心部からの近さを活かした町民憩いの場所が構想されていたっぽい。
今回探索するのは、この美しい夢の 跡 である。
続いて、地理院地図からダム建設予定地の現状を探る。
既に計画は正式な中止の段階を迎えているが、まだ地図中には「ダム建設中」の注記が残っている。
私がここに書き足したのは、計画されていたダム堤体と主な付替町道である。
千葉県の複数の資料によると、付替町道は全部で3819mが計画され、このうち約6割の2207mが計画中止時点で完成していたそうだ。
地図中の赤い実線が既成部分だが、地理院地図には全く描かれていない。
これから紹介する現地探索は、平成21年3月18日に自転車で行った。
当時はまだ県から正式な事業中止の発表は行われていなかったが、平成19年度で工事は中断されていた。(そして再開されなかった)
当サイトで紹介したダム建設中止関係の探索としては、「十二ノ森公園の謎の道」(戸倉ダム)を覚えている人もいるかも知れないが、大多喜ダムはあそこよりも遙かに工事が進捗していた。それだけに湖面無き付替道路の虚しさがより実感された。