2009/3/18 7:44 《現在地》
大多喜ダム関連の未成道も、残りはダム湖の北岸を取り囲むように建設される計画であった、町道上原紙敷線だけとなった。
そして、つい先ほども通ったこの写真の分岐地点から右の道を選ぶことが、上原紙敷線への唯一のアプローチである。
(この方向へは通行止めにはなっておらず、外部からも通行する事が可能)
沢山川を小さな仮設の鉄橋で渡り、北岸(左岸)エリアへ。
やがて道は上り坂となり、水没するはずだった領域からの脱出へかかる。
その途中、緑の切れ間から見えたのが、写真の大きなコンクリート橋。
あれこそが目指す付替町道の橋だ。
計画図面に「2号橋」と書かれていたものである。
7:47 《現在地》
途中から鋪装されていた工事用道路を上り詰めた先が、ご覧の丁字路。
この左右の道が、付替町道上原紙敷線である。
丁字路だが、向かって左側だけ交通が解放されていた。
右は未開通なのであろう。
変化後の画像は、左の道である。
悲しいほどに立派であった。
片側歩道付きの2車線道路が、どうしてここに必要だったのか。
完成時には、それほどの交通量が見込まれ得たのだろうか。甚だ疑問。
もともと交通量のあった道が水没するならば、分かるが…。
さて、今度は右側だ。
未成道マニアとしては、このように真新しい道が塞がれているのを見るだけで、全身の血液が湧く。
いかにもやる気の無さそうなバリケードを自転車もろども通過して、外見的には完成しているが開放はされていないエリアへ。
そしてその先に待ち受けていたのが、先ほど遠くに見た「2号橋」であった。
橋は完成しているようだ。
しかし、その先には明らかに、道が無かった。
まるで絵に描いたような、未成道。 私はこれを待っていた。
橋は完成していたが、路面に白線が敷かれていない点でのみ、未完成であった。
この橋は、未成でなければ語られる事も無かったろうと思う。
歴史もなければ、特別な外見もない。現代の橋としては取るに足らない、どこにでもあるような橋である。
だが現実として、私が今の仕事を一生続けても、この橋を架ける費用を稼ぐ事は出来ない。それくらいには尊い。
ダム建設の中止によって、付替道路の全体が空しい存在になってはいるが、中でもこの橋の虚しさは群を抜く。
この姿でどんな役目を担わせられるのか、想像も出来ない。橋の上からの眺めは、それなりにそれなりだが、それなりであり、展望台として整備したって、あなたたちは来ないでしょ?
銘板によれば、本橋の完成は平成14年3月と、探索時点では完成から7年目であった。
もう少し早く工事が中止されていたら、完成せずに終わっていたに違いない。
まあはっきり言って、こんな状態では、完成せずに終わったのと何も違わないのだが…。
そして、この橋にも完成の証しとして、2号橋などという仮称ではない、正真正銘の名前が与えられていた。
おそらく今まで工事関係者の除けば私のような奇行者の目にしか触れていないだろう、そんな悲しき銘板に刻まれた名前は、小滝橋。
別段語る事も思い付かない平凡な名前だったが、その存在自体が、この橋には重いのである。
そして、上の銘板の正面に飾られているのが、こちらの銘板だ。
「大多喜ダム」
そうはっきりと刻まれていた。
地上に出現することの無かったダムの名前が、この橋には、確かなものとして刻まれていた。
ダムが完成すれば、おそらくそれによって誕生する人造湖の名前が、公募によって選ばれただろうと思う。
だが、この銘板は湖の名前の決定を待たず、未だ水を湛えないダムの名を刻んだのであった。
これからも、人目に付かぬ場所でひっそりと、このダムは生きていく。
今度は丁字路の反対側へと向かう。
ここへ通じる唯一の出入り口が車止めで塞がれているので、こんなに立派な2車線道路ではあるが、歩行者天国である。道は自転車でイキがった蛇行運転を見せるなど、独り占めを楽しんだ。
この湖側にある歩道の脇に、まだ若木ばかりではあるが、桜並木が作られていた。
もう半月早く訪れていたら、ささやかながらも花の回廊を目にする事が出来たと思う。新緑の中に、いくらかの花弁が残っていた。
だが、これらの桜の木が大きく育てるのか心許ない。どうにも私には、今から20年後の歩道が深い夏草に覆われている未来しか見えないのだ。その時、桜は無事ではないだろう。
さすがに車道部分は、廃道にはならないだろうが…。
悠々とした直線をしばらく進むと、その先は緩やかに左へカーブして、将来の湖のカタチを囲んでいる。
ここで歩道からカーブの先を見ると、枯れススキの遙か向こうに、真新しい白さを全体に纏った、大きなコンクリート橋が見えた。
先に南岸の町道西部田打越線からも少しだけ見えた、“3号橋”である。
事前に見た資料によれば、付替道路の工事は、あの3号橋の手前までが既成という事になっていたが…。
7:55 《現在地》
来た! 未成道名物の唐突な行き止まり!
未完成であることをカムフラージュする気さえ無さそうな、何とも潔い工事の終端であった。
私もこれには大満足!
この橋は工事中であり、
高欄も未施工で危険なので、
立入禁止とします。
大多喜建設事務所
大多喜ダム建設事務所
……「工事中」って書いてあるけど、正確には、
「工事中止」なんだよなぁ……。
辺りには当然のように重機も無ければ人影もなく、
鋪装が行われていない行く手には、雑草が生い茂っていた。
それはどこからどう見ても、工事中止の無情な現実。
しかも、再開される見込みは、ない。
うおぉぉぉおお!
マジで、欄干が無い橋が架かってる!! 興奮マッタナシ!
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うおおぉっ!!
未成道の橋は今までも数多く目にしてきたが、橋そのものが未完成というのは珍しい!
もっとも、実際には欄干と親柱が無いというだけで、橋そのものは完成しているといって良い。
しかし、欄干が綺麗さっぱりと存在しない橋が醸し出す未完成感は半端無かった。
ここまで出来上がったならば、せめて欄干くらい取り付けてから中止しても良さそうな物だが、それさえも許されないほど急に中止となったのだろうか。
或いは、欄干を取り付けて“完成”させる事さえ馬鹿らしいと思えるほどに、この橋を完成させる意義は皆無だと、そう言いたいのだろうか。
どっちにしても、こんな状態で放置されてしまった橋は我々以外の誰にも喜ばれ無さそうであり、無惨でもあった。
怖 っ え ぇ … 。
思いのほか橋は高かった。
誰かに突き落とされでもしない限り、自主的に落ちるような場面ではないものの、分かっていてもこの高さは生理現象的に足をすくませた。
…まあ、高いのは当然なのだ。
完成予想図では、この橋が湖面を跨ぐように架かっていたのである。
それだけの高さがあって然るべきなのだ。
また、橋の下の谷は、橋を架ける過程で大規模な整形を受けていた。
自然地形ではないのがあまりに歴然で、正直不格好だが、本来は水面下に隠れる予定だったから、これでも景観的な問題は無いはずだった。
左岸には、現在架かっている橋のすぐ下流側に、ご覧の橋台の跡が残っていた。
ダムの工事が始まる前からここに橋が架かっていたのならば、旧橋の跡と考えるところだが、いかにも使われていた形跡が薄い。コンクリートが新しすぎるのである。
また、対岸には旧道が存在した形跡もない(橋台も無いが、おそらく現橋の橋台に飲み込まれている)。
これらのことから、この橋台は工事用仮設橋のものと判断した。
現橋を架けるには対岸にも予め物資や人員を送る必要があるが、工事の初期にそうした役目を担ったのだろう。
なお、仮設橋の材料は、今もどこかの工事現場で形を変えて活躍しているはずであり、それによって作られた本橋がこの有り様というのが、泣ける。
橋の先に、道は無し。(本日2度目)
計画では、この先さらに800mほど道は伸びて、湖の南岸を巡る町道西部田打越線へ
接続するはずだったが、この区間は最後まで着手されなかった。 私もここで引き返す。
最後に、橋の側面が見える場所へ回り込んでみると… なんということでしょう!!
親柱がないために絶望的と思っていた、橋の名を知るチャンスが、巡ってきたのである。
これは最近の橋にちょくちょく取り付けられている、工事銘板というやつだ。
トンネルの工事銘板は、普通に坑門に取り付けられているので目にしやすいが、橋の場合は大体こういう場所に取り付けられていて、普通に利用していても目にする事は難しい。
工事銘板はその名の通り、橋の下に回り込む用事があるような人向けの業務的メッセージだ。
(もっとも、実際には小さな銘板の情報ではなく、設計図面を参考にメンテナンスが行われる。そう考えれば、工事銘板も結局は飾りである)
前置きが長くなった。
計画中の仮称3号橋の正式名は、沢山橋と名付けられていた。
そして、完成は2005年6月…すなわち平成17年6月で、探索のわずか4年前だった。多分これが大多喜ダム関連の付替道路における、最後の完成品である。
また、この橋が欄干未施工で終わっていたことから、実質的な工事中断の時期が、平成19年の「南房総広域水道企業団」の参画中止表明よりも早かった可能性が疑われた。
以上をもって、大多喜ダムに関連した付替町道の探索は全て終了である。
未成道好きには溜まらない一天地が、大多喜の街からほど近い房総の山中に形成されていたという事実をお伝えした。
最後はオマケである。
こんなものがあったな、本編とは関係ないが、伝えないわけにはいかないだろう。
オマケへの道は、今紹介した「沢山橋」の袂から、この道へ入る。
これはダム工事の影響をほとんど受けていない、旧来からここにあった道である。
地図だと北側のゴルフ場の敷地を経て県道172号線に抜けているように見えるが、ゴルフ場が通過出来ないため、実質は行き止まりである。
で、封鎖されているダートを道なりに200mくらい進むと、道路脇にこんな場所がある。
穴 である。
周囲を簡単な柵で囲まれただけの、直径は10mくらいもある大穴が、ぽっかりと天に向かって口を開けているのであった。
そして、この穴の中からは、水の流れる音が聞こえるのだ。
なんと大穴の底には、満々と水を湛えた川が流れていた。
水は溜まっているのではなく、渓声を響かせながら流れているのである。
「 地下河川 」であった。
もちろん、こんなものが天然だとしたら、ここはもう少し立派な観光名所にもなっていただろう。
おそらくこれは、沢山川の古い流路変更(川廻し)のトンネルで、縦坑は自然に崩落して陥没した跡だろう。
付近を探索される場合は要注意を。房総の川は、どこを流れているか分からない事がよくある。