国道158号旧道 水殿ダム〜奈川渡ダム 第3回

公開日 2008. 9.20
探索日 2008. 7. 2

小雪なぎ隧道にも、旧道を発見


2008/7/2 8:54 

ずみの窪隧道に、予想外の旧道を発見した我々は、その足で隣接する小雪なぎ隧道へ戻った。

すると、ここにも明らかに旧道と分かる入口があった。
これほどはっきり残っているのに、一度はスルーしていたのが恐ろしい。 テヘヘ…




照れ笑いとともに、旧道への進入を開始する。

平行する小雪なぎ隧道は約270m。旧道も距離はさほど変わらないだろう。
そもそも、これらの隧道は距離を短縮するために掘られたものではない。
あくまで、土砂崩れの危険度の高い場所を地下に迂回するためのものだ。

先ほどまでの劣悪な崩壊斜面にまみれた廃道とは異なり、今度は僅かながら車の轍も残っている。
路肩にはガードレールの支柱がずっと続いている。
昭和42年までの国道も、未舗装ではあるが、路幅に関してはそれなりに広かったようだ。
これは、意外であった。




ここまで続いていた車の轍の正体見たり、ハニーフラッシュ!

nagajis氏のコブシの意味は不明だが、前方には養蜂箱が無数に並んでいた。
もちろん、道一杯に生きたハチたちがぶんぶん飛び交っている。

…ここ、通るのか?

通るのか?

刺されたりしないのか?




きっと大丈夫。
彼らはただの蜜蜂さ。

こっそり横を通り抜ける分には、大丈夫だと思う。

そう言いながら、先を行く私の狡さ。
こういう場面では、後続の方が遙かに刺されるリスクが高いのである(笑)。

でも、nagajis氏はさすがに廃道に愛された男。
ここを無傷で通り過ぎてきた。




こ、 これは…。

この擁壁の四角い切り抜きは…。

内部は完全に埋まっており奥行きは確かめられなかったが、これもまた横坑の跡と思われる。

それにしても多い。
延長500m足らずのずみの窪隧道に2本、270mの小雪なぎ隧道にも1本である。
よほど工期に追われていたのでなければ、考えにくい横坑の多さだと思う。


そう… 実は工事を急がねばならぬ、特別な事情があった。
この道は、単なる国道の旧道というわけではなかったのだ。

まもなく、そのことを我々に気付かせる、ある決定的な場面が現れる。




初めに異変に気付いたのは、nagajis氏だった。


nagajis: なんや下にも道あらへんか?

 ?

あ、 あるか?

あるかなぁ?

もしあるとしたら、何の道だね?




あ。 ありますね。道。

下にもう一本。

しかも、どんどん登ってきた。近づいてキタ。

結構路幅も広いみたいだ。
今歩いているのと同じくらいありそう。


ただの林道とかでないとしたら、これって…

 もしかして… 旧旧道か?




8:59

下から登ってきた幅広の廃道は、我々が辿っていた旧道に合流してきた。
そして、この合流してきた道こそ、当初我々が探していたもの。すなわち、安曇三ダムの工事が始まる前までの旧国道である。

実は、これまで辿ってきた二つの旧道は、極めて利用期間の短い「中継ぎ」としての道であったのだ。


なんと、実質1年間しか使われていない。




今回の探索によって、ダム工事が始まるまでの国道は、緑色のルートのように通っていたものと推定された。

そして、昭和40年にダム工事の本格化をうけて新設(現在地以東は拡幅)されたのが、赤色のルートである。
まだ本編で紹介してはいないが、現国道にある入山、大白川第一、第二の各隧道は、このときに建設されたものである。

本来ならこの新道を舗装してダム関連の付け替え工事は終わるはずだったのだが、昭和41年の春、「ずみの窪」で大規模な土砂崩れが発生。前年に開通したばかりの国道は、あっという間に崩壊してしまった。
そこで復旧工事として新設されたのが、現在の小雪なぎ隧道とずみの窪隧道であった(黄色のルート)。
翌42年の観光シーズンまで(GWか?)には開通に漕ぎ着けたというから、合計700m以上の隧道を1年以内で掘り抜く、大変な突貫工事だったことになる。
前回紹介した滅茶苦茶に崩壊した旧道は、昭和41年の大崩落のまま復旧されることなく放置されていた姿だったのである。
7km下流の猿なぎ洞門」と同じような事が、ここでも起きていた。(なんという地形条件の劣悪さだ)


これで、ここまでの全ての謎とフラグを一挙に回収できたと思う。
・ダム以前の旧道はどこに行ってしまったのかという疑問。
・三つもある横坑の謎。
・ずみの窪の旧道の凄まじい崩壊ぶりの謎。

 すべて、解決! キモチイイ─!!


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いよいよ、ダム建設以前の旧道へ


9:00

廃道同士の分岐地点を左折。
再び上流を進行方向にして、今度は旧旧道の踏査を始める。
先ほど上から見下ろすことが出来たように、両者は初めのうち並行している。
昭和40年を境に国道が下の道から上の道へと切り替えられたのも束の間、翌年の土砂崩れで通行止めとなったまま現在に至る。

nagajis氏の倒木を跨いで歩く速度が異常で、写真では透けていることに注目(幽霊ではない)。


ちなみに、旧道の方はこの分岐地点を無視して直進すると、50mほどで現道の小雪なぎ隧道坑口へ脱出することが出来た(写真)




旧旧道へ入ってまもなく、道ばたの斜面に裏返って捨てられた看板を見つけた。

埋もれている部分は読めないが、地上に出ている部分には「安全」と書かれていた。
交通安全の標語だったのか、或いは工事現場にありがちな「安全第一」だったのか。
おそらくは後者だろう。




50mも進むと、もう旧道とは結構な高度差が出来ていた。
いうまでもなく、この道が水殿ダムの湖面へ向かってどんどんと下っているのである。
最終的には、どこかで湖底に突っ込んでいく結末が予想される。

だが、まだしばらくそれは先だろう。
その前に、湖畔すれすれを通る発電所の管理道路と交差するはずだ。




旧旧道にも、擁壁があった。
だが、今度はコンクリートではなく、空積みの石垣だ。

こんな所にも、二つの道の生まれた時期の違いが現れている。

ちなみに、「安曇村誌」には「大正14年に奈川渡まで自動車道開通」とあるので、これをもって本道の開通と考えている。
それ以前のルート「飛騨街道」もおそらくそうは離れていなかっただろうし、或いは重なっていたのかも知れないが、とりあえず不明である。
ちなみに、大正時代に自動車道が出来たのも、奈川渡に発電所を作るためだった。(奈川渡発電所だが、現在は湖底に沈んでいる)




路上に小屋掛けの跡。

明らかに邪魔な位置にある。
昭和40年の国道切り替え後に建てられたのだと思うが、不思議であることに変わりはない。
一体何のための小屋だったのか。
中は当然、もぬけの空だ。




 ムオッ!

小屋の先には、道がない!

路肩の駒止が、土の中へと無言の行進をしている。
この先は、またも巨大な土砂崩落の下か。
我々は早くも、「ずみの窪隧道」の直下辺りまで来ているようだ。
頭上から頻繁に聞こえてくる車の走行音も、その推測を支持している。

先ほどの小屋は、土砂崩れを見守るというか、監視するための小屋だった可能性が高い。
実際に安曇村では、江戸時代から崩壊地に番人を住まわせて道普請を行わせていた記録がある。
もっとも、この小屋の場合は工事関係者が建てたものだろうが。



崩落地帯に入ってすぐに振り返って撮影。

路上にいるときには気付かなかったが、上も下も随分と高い石垣である。
また、小屋が土砂の先端に今にも呑み込まれそうな、本当にギリギリの位置であることも分かる。





ずみの窪の大崩壊地帯へ再侵入。

上にある旧道より傾斜は緩やかだが、被害を受けた区間はより長そうだ。
すそ野に近いだけに。



実際、旧旧道の高さでは崩壊斜面というよりもむしろ、崩れ落ちてきた岩塊が堆積したロックガーデンとなっている。
最近はここまで大きな岩が落ちてくることは少ないのか、どの岩も一様に苔をまとって落ち着いている。

そして、岩の姿をよく見ると、中には砕けたコンクリートの塊も何食わぬ顔で混ざっていた。
ねじ切れたガードレールの破片もあった。
明らかに、崩壊した旧道の残骸であろう。




完全に道は埋もれており、例によって正確にその上を辿ることは出来ない。
しかも、今度はほぼ水平であることが分かっていた旧道とは違い、下り勾配の道である。
山腹を50m、100mと歩いている内に、自分がどのくらい下ったのか分からなくなってしまうのだった。

道の痕跡を求めて進んでいくと、やがて見慣れぬ物に出会った。

桟橋の跡のようだが、石垣の上に乗せられている橋桁は、余りに飾り気の無いH鋼だ。
道路は道路でも、まるで工事用道路の残骸のようだが…?




うわっ、nagajisさん小さい!

んじゃなくて…

橋でっけー!

そして、こんなにぶっといH鋼がぐにゃりと谷側へ曲がっているという、土砂崩れの崩壊力が恐ろしい!

例によって、この上が本来の路面であろうが、まったく跡形もない。
ここから見て、初めて道が埋もれていると気付くのみだ。




橋があると、それがどんな物であっても目の色が変わってるものな、nagajis氏は(笑)。

まるで工事用道路のようなこの鋼鉄の桟橋部分は、本来石垣の所までが道であった物を、無理やり拡幅したのだろう。
ダム工事の絡みで、それまでは通らなかったような大型ダンプや、或いは発電機のパーツなど、大重量物を通さねばならない事もあっただろう。
おそらくは、そのために臨時で設置された構造物だと思われる。この鋼鉄の部分は。

しかしそこまでしたにもかかわらず、ずみの窪の大崩壊は、旧道もろとも、工事用道路として利用が予定されていたこの旧旧道をも一撃で屠った。
それで新たに作られた工事用道路が、例の東電の管理道路だったのだろう。(写真)



推定だが、現在地はこの辺りだ。

ずみの窪の大崩壊の最中である。

眼下に湖面が見えてくるのも、もうすぐなはずだ。
(実際、100mも離れていないが、緑が深く見通しは利かない)




9:22

さらに数分歩いて、ようやく崩壊地帯を横断し終えたらしい。

再び美しい石垣の道が現れた。

これは後半戦も期待できそうだ。






時間は、いよいよ湖に消える旧旧道。 とても印象深い景色が待っていた。