2008/7/2 13:38
旧道路盤上の広い範囲に、無差別無作為の落石を発生させ続けている雷岩。
地形図にもはっきりと描き出されたそれは複雑な地下構造によるものらしく、全長800mの新山吹トンネルという「土の鎧」をもってこの危険区間を完全に破却した現道でさえも、トンネル内の微妙なS字カーブとして、無視できないその影響圏を示している。
そんな現代の土木技術でさえ逃げ出すような悪地形に、ほぼ「裸のまま」挑んでいた旧道。
行く手に現れた赤茶けたロックシェッドは、裸の旧道が纏った最後の良心であったはずだが、今やボロ布に等しい姿を晒していた。
これは酷い…。
近づいてみると、それは当初の予想を遙かに超えて、破壊され尽くしていた。
まさに、蹂躙されたという言葉がぴったり来る。
路上は比較的クリアーなのは、余りに路盤が狭すぎ、落石が次々川に滑り落ちているからに他ならない。
まあよくぞこんな場所に、道を通したものだ…。
というか、それを許した神経を疑ってしまう。
さすがはあの釜トンネルと同じ路線、同じ設計思想の元で開削された道である。
百年も前ならばいざ知らず、ここは一般の交通の用に供するような場所じゃないと思う。
まして、何かあっても小回りが利かず、しかも恐ろしく重量のある自動車なんかでここを通ろうというのは、運を天に任せた無謀行為に等しいのではないかとさえ思ってしまう。
ここに許されるのは、せいぜい、工事用軌道である。
どう見ても、国道の姿じゃない…。
国道はこんな場所を通ってはいけない…。ほしくない…。
今まで色々な道路構造物と、その破壊された状況を見てきた私だが、これほど規模の大きな破壊の現場は稀だ。
いったい、この壁の向こう側で何が起きているのか。
この目で確かめる術はないが、おおよそ想像はつく。
壁の上にまで目一杯積み重なった巨大な岩の群が、教えている。
いつか壁が耐えきれなくなって倒れたとき、梓川は膨大な土砂に埋まるだろう。
そのとき、そしてそれが決壊したとき、下流にどんな影響を与えるか、ダムがあるから沢渡以下では被害はないと思うが…。
幅1m足らずになった壁際の路盤を恐る恐る通過。
遂にこの「第1ステージ」の…、
いや、国道158号の旧道全体を通しても一つのハイライトといえる、「雷岩ロックシェッド(仮称)」の内部へ入り込んだ。
予想していなかった遺構の発見と、その凄まじい姿に、我々の元から高かったテンションは、完全にレッドゾーンを振り切った。
普段は(私よりは)冷静な永冨氏も、まるで茹で上がったような顔をしている。
リュックからヘルメットを取り出すことも忘れ、いつ雷撃に見舞われぬとも知れぬシェッド内を歩いた。
来た道を振り返る。
おそらく本人は何とも思わず歩いているのだろうが、端から見ると結構ぎりぎりな状態だ(笑)。
またよく見ると、削り取られた路盤の中に、左の擁壁の基礎となる部分が露出している。
これは本当なら、絶対に出てきてはイケナイ部分である。
ここが裸になるということは、壁が歯槽膿漏になっているということだ。
スケールがスケール名なだけに、そう直ぐ“事態”は起こらぬかも知れないが、10年後には相当えげつない状況になっている予感がする。
シェッドの現状は、何かの爆発事故に巻き込まれた、報道写真の中の工場のようだ。
本来ならば相当に禍々しさを感じて然るべき場面であろうが、空にドーンと突き抜けた「明るさ」ゆえ、むしろ爽快である。
…いや。普通は爽快じゃないだろうな。
脳内分泌物質の過剰放出による錯誤だ。
本来は1パート10m弱の鋼製シェッドを5連繋げた構造だったようだが、沢渡側から数えて2番目のパートは完全に屋根が落ち、全体としては歯抜けになってしまっている。
おそらくその残骸は、1mほどの厚みで積もった瓦礫の下に、潰れて埋もれていると思われる。
左の写真は、これもほとんど屋根が抜けてしまった第1パートである。
恐ろしいことに、シェッドの天井とほぼ同じ高さにある法面擁壁上には、もう一押しで間違いなく墜落してきそうな瓦礫の山が出来上がっている。
そもそも、この擁壁自体が先ほど見たとおり、こちら側へ大きく傾斜、転倒しつつあるのだ。
モノが大きすぎるだけに、現実的な恐怖感はそれほどでもないが…。
お空に、
どーーーーーん!
高低差500mの断崖である。
擁壁の向こうがマジ気になるが、やはり壁を登ることは出来ない。
影に同化してしまっているが、永冨氏が写っている。
彼と比較して貰えば、シェッドの中途半端な大きさがお分かりいただけるだろう。
コンクリートの大擁壁に較べて、シェッドの幅は余りに頼りない。
少しの路肩を入れれば、車道は1車線ちょうどしかなかったに違いない。
山側を削って拡幅できなかったのは、そこが手の付けようがないほどに脆い崖錐斜面であったからだろう。
もう、高い壁で抑えておく以外、何とも出来なかった。
改良工事の痕跡を留めながら、それでもとびきりに幅が狭いという状況。
それは、岩と谷に挟まれたこの場所が、どうにもならない難場だったのだと教えている。
やや落ち着きを取り戻した感のある、後半の3パート。
日陰にめげず育った樹木、雑草の多さが、そのまま路盤の平穏を示しているようである。
ただし、度が過ぎると… ちょっと… 嫌だよ。
夏場の廃道に藪はある程度やむを得ないが、自転車同伴の今回は、特に藪を避けたい心情があった。
お察し下さい。
貫通弾…
怖すぎる…
そこいらのトタン屋根よりは、遙かに頑丈なはずなのに…。
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13:42
雷岩の試練は終わった。
続いて現れたのは、屏風のような岩戸の下を歩く道。
とてもそこがかつての車道で、しかも国道で、バスも通り、すれ違いもあったとは…信じがたい道路状況。
しかし岩盤自体は堅牢なのか、草刈りさえすれば路盤は良く残っていそうだった。
愛すべき山岳廃道の美景。
我々のテンションが下げるものは、何もない!!
頭上を半ばまで覆う、オーバーハングした自然の岩盤。
そんな場所が、見渡す限りに続いている。
この場所にも、昔の人は名付けをしていた。
その名も、百間長屋。
長さ百間(約180m)もある長屋など山中にあるはずもないが、オーバーハングした岩場を軒になぞらえ、その下をくぐるように往く道。
そんな意味で名付けたのだろう。
いわゆる、片洞門である。
百間長屋より振り返る、雷岩ロックシェッド。
おつかれさまでした
圧倒的自然の膂力の前に、誰に看取られることもなく独り死に行く老いた道。
誰のためでもなく、なお最後の足掻きを続ける「彼」に対し、私が投げてやれる言葉はほかに無い。
傾きつつある擁壁の裏側がどうなっていたのか。
はっきり見えた。
そりゃ、傾きもする…。
なお、シェッド部分は梓川の護岸も、相当堅固に補強されていたことが分かった。
まさに山と谷の板挟みに耐え続ける数十年だったわけだ。
川の流れに沿って右にカーブすると、藪が一層深くなった。
それでも、かつての鋪装が未だ地下には温存されているのだろう。
我慢できないほどの藪ではない。
自転車を押しながら、少しずつ進んでいく。
この旧道に入って初めて見た、ガードレール。
平凡な白いガードレールだが、この旧道にあってはそれさえも頼もしい。
13:46
こういう事もあるのである。
渡り終わって振り返るまで、橋を渡っていたことに気付かなかった。
それは間違いなく橋なのだが、銘板もなければ親柱もない。
ほとんど桟橋に近いような橋であり、橋の下にあるのはただの川原だ。
橋の見た目は工事現場などに架けられる仮設の橋そのもので、おそらくこの橋も同様の由来があるものと思われる。
洪水で路盤が流出し、慌てて架け直したのではないだろうか。
そして、そのまま本復旧される前に現道が開通したと、そう言うストーリーを想像する。
橋を過ぎると、路肩に「ガードパイプ」が現れた。
いまも市街地を中心によく使われているが、山道では滅多に見ない気がする。
昔は今よりも適応範囲が広かったのだろうか。
ちなみに、橋の上にあった板状のものを「ガードレール」。
山道でよく見かけるワイヤー状のものを「ガードロープ」。
最近は滅多に見ないが、中が空洞になった肉厚なガードレール状の防護壁を、「オートガード」という。
いずれもJISで定められた規格品である。
ちょ、 垂直!!
もしかしてこれは…
まだ、終わってないね?
百間長屋が。
この写真、何気なく法面を見上げて撮ったんだけど…。
落差200mあります。
「百間」あるのは、もしかしたら長さじゃなく、高さか?
いや、どっちもか??
これだけ尖っていながら全然崩れてないのはお見事だけど、それはおそらく人工的に崖を削ったのではなく、川を埋め立てて道を作ったという証しなんだろうな。
自然のままの崖だから、何千年分の緑が素晴らしく定着している。
文句なしに美しい。
ここに来て川幅はいくらか広がっているが、左岸の崖の迫り上がりっぷりは尋常でない。
ほんと、川は美しいのだよ。
ぶっちゃけ、「これが上高地だよ」って言われたら普通信じるレベル。
私なら間違いなく、「OK!」である。
が…
視界の半分は岩。
しかも、 なんか…
滅茶苦茶に崩れているような雰囲気が見て取れるんですけど…。
ひ
で
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!!!
第1ステージの終点である現道合流地点まで、残すはあと300m足らず。
たとえここで引き返しても、先へ進めなくなる訳ではないけれど、迂回はとても長くなる。
急がば回れは真理なれども、廃道を突き詰めるという趣味性においての正解は、一つじゃない。
敢えて困難を克服したいとする欲求もまた、正論なのである。
長年「自転車×廃道」をモットーとしてきた点において、まるで兄弟のように似通った2人であるから、
この場面で欲した行為も、全く同じだった。
13:58
もっとも、眼下の流れが激流だったり、高さがこの倍もあれば、さすがにおとなしく引き下がっていただろう…。
葛藤無く即座に踏み込めるほど、それが容易な場所ではないのは、明らかだった。
2人のどちらが先陣を切っても良かったが、成り行き上、先頭を歩いていた私が斜面に切り込んだ。
永冨氏と自転車を残し、単身で崩壊斜面の偵察に入る。
一歩二歩、三歩… 四歩……
…うん。
結構柔らかいな。 オーケー 悪くない。
こういう斜面は、土の目が細かく柔らかい方が、遙かに容易なのである。
柔らかい=崩れやすいわけだが、裏を返せばそれだけ体を深く受け止めてくれるという意味である。
特に自転車のような重量物を通す場合、斜面が堅くて滑りやすいような状況ではまず無理だ。
慎重に歩を進めながら、自転車を押しながら、或いは担ぎながら通行するイメージを確かめる。
斜面が特に急で滑りやすいと思われる部分には、思いっきり爪先を突き立て、何度も蹴って道らしきものをこしらえていく。
永冨氏の声援を背中に受けながらの作業は数分続いた。
崩壊斜面は、おおよそ25mほど。
ほとんど一様の土質で、斜度30°程度で安定している。
表面にほとんど草木が生えていないことから、崩壊は新しいか、今なお続いていることが伺える。
また斜面が乾ききっていることから、崩壊の原因は浸食ではなく、単純に上部の崖が風化して崩れたのだと推定できる。
一の踏み跡もない活崩壊斜面。
そこに真新しい足跡を刻んでいく。
この後自転車を通すことさえ考えなければ、楽しさの方が勝る作業である。
そう。 問題は自転車。
この赤茶けた崖の色。
6年経つのに未だ自身の恐怖体験筆頭にある、松の木峠の悪夢が甦る。
「ここまで来れば安全」と思える場所にたどり着いた。
その先にもまだ崩壊がない保証はないが、おそらくは大丈夫だろう。
偵察&道普請を終わり、自転車と永冨氏の元へ引き返す。
引き返しの最中に撮影。
斜面中央付近の土が掘り返されている部分は、私が爪先で掘った「道路」だ。
セオリー通り、万が一滑り落ちても大丈夫な場所で斜面を登り、落ちたらおしまいの場所ではリスクの少ない下りトラバースに専念できるようなルート取りになっている。
大丈夫。
計算通りなら、無事越えられるはず。
13:59
OKでした(早)。
もう既に私の自転車は安全地帯に移動したので、今度は永冨氏の横断を見ている。
ジトッと動画を撮りながら…。
彼と私の決定的な違いは、私は自転車を押して進み、彼は担いで運んだという点だ。
それぞれが得意の方法で難関の突破に成功。
楽しかったけど… もう勘弁な。
なんだかんだ言ったって、怖いし危ないことに違いはない。
一度二度は成功しても、いつか失敗することだってあるだろうから、ネ。
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