道路レポート 国道229号キナウシトンネル旧道 第1回

所在地 北海道古宇郡神恵内村
探索日 2018.04.24
公開日 2024.09.21

《周辺地図(マピオン)》


北海道の積丹半島に、壮絶な姿と化した廃道があるので紹介したい。


その名は、“キナウシ”旧道。

名前だけなら、なんか優しそうな感じ?

過去いくつかの決死レベルの高難度探索も行っている(例1例2ほか)一般国道229号が、再びの舞台となる。

(なお、私がそうであったのだが、ここはマジで何も知らずに出会えると衝撃的なので、近々自分で行ってみようと思っている人は、途中で読むのをやめた方が楽しめると思う…。)


@
平成8(1996)年
A
昭和51(1976)年
B
昭和36(1961)年
C
昭和32(1957)年

本編の前に、少しだけ周辺の予備知識を。
右図は、半島を巡る主要道路の変化を示している。

北海道の西海岸沿いに全長300km近い長さを有する国道229号(小樽〜江差)であるが、その約3分の1は日本海に突き出した巨大な積丹半島を周回する区間である。この国道が全線開通し、車で半島を一周できるようになったのは、平成8(1996)年(図@)のことである。それまで半島の西側に道路がない区間があった。

国道229号が制定された昭和28(1953)年当時、この国道は古平(ふるびら)から神恵内(かもえない)へ当丸(とーまる)峠を越える経路だった。国道が通らない半島先端部には昭和32(1957)年(図C)道道192号神恵内入舸(いりか)古平線が認定されている。

同県道には長い不通区間があったが、南側から徐々に道路が延伸され、昭和36(1961)年(図B)には神恵内村中心部から同村珊内(さんない)まで開通していた。また、当丸峠越えの国道229号は昭和42(1967)年に開通した。

昭和51(1976)年(図A)に道道192号神恵内入舸古平線は道道896号古平神恵内線へと改称され、ルートの一部も変更された。
さらに昭和57(1982)年に道道古平神恵内線は道道古平積丹神恵内線と改称されたが、同年中に国道229号との間でルートの交換が行われ、当丸峠区間は改めて道道998号古平神恵内線に認定された。
その後、国道229号として最後まで残されていた不通区間(川白〜沼前)の工事が進められ、平成8(1996)年に晴れて全線開通となったのである。


このように、積丹半島西海岸にかつて存在した20kmを越える長大な不通区間の解消には、いくつかの県道と国道が関わっており、今回紹介するキナウシトンネルのある区間も、この大きなストーリーの一員である。このことを頭の片隅に置いておいてほしい。


右図は、最新の地理院地図と、平成3(1991)年版地形図の比較である。

前者には、珊内とキナウシの間に全長1008mのキナウシトンネル(平成15(2003)年開通)と、全長306mのマッカトンネル(平成8(1996)年開通)があり、前後の区間は共に2000m超級の長大トンネルに挟まれている。そのためこの地図の範囲内にはほとんど地上に道路が見えず、“地下国道”の様相を呈している。

だが後者では全く様相が異なっている。
珊内とキナウシ間にはトンネルが2本あるが(矢印の位置)どちらも短く、大部分は海岸線の明り区間である。
今回探索したのは、この道路(旧国道)である。

なお、平成3年といえば、まだこの先の国道には不通区間があり、開削工事(=一次改築事業)が盛んに進められていた最中であるが、全通後の交通量増大を見越して、平成元年には早くも既存の区間を対象とした2次改築事業である積丹防災事業がスタートしていた。

平成8年11月1日、遂に不通区間の解消がなされ、車での半島一周が初めて可能となったが、その8ヶ月前には半島東海岸の古平町で豊浜トンネル岩盤崩落事故が発生した。事故現場と同様の地形条件を持つ道路を対象とした積丹防塞事業は、これをきっかけに一層大掛りなものへと変わった。
そうして20年あまりの月日を費やして徐々に形作られたのが、今の“地下国道”である。


それでは、珊内の地より、衝撃の光景に出会う旧道探索をはじめよう。



 前哨戦のマッカトンネル旧道


2018/4/24 8:45 《現在地》

ここは古宇(ふるう)郡 神恵内(かもえない)村 珊内村(さんないむら)という。
明治39(1906)年に、珊内村は神恵内村の一部となったが、それ以来長らく続く捻りのない大字名だ。
神恵内村の中心地から約10km離れたこの地の珊内集落は、明治以前から存在し、ニシン漁場の繁栄と共に和人による定住が進んだことなど、周辺の似た立地にある集落と共通の土台を持っている。

かつては文字通り陸の孤島であって住人はもっぱら舟で出入りをしていたが、昭和36年頃にようやく神恵内から車の通れる道が通じた。最初は軒先を掠めて通るなけなしの凸凹道であったのだろうが、それから半世紀あまり時を経た今では、逆に軒並みを圧する広く立派な国道229号が南北に貫いている。

この日は私が北海道で行った最初の遠征探索の2日目で、積丹半島を一周する旧道巡り旅の2日目でもあった。
予め旧道がありそうだと考えていた区間を自転車で走り、目についたそれらを一つずつやっつけていこうとする捻りのない試みは、敢えて事前の情報をあまり得てこなかったせいもあり、北海道お得意の塞がれた旧トンネルに阻まれること度々となっていた。そのため予定よりも行程は遅れていたが、新鮮な発見の歓びには代えがたいものがあった。



8:46

自転車に乗って、珊内集落南端に架かる珊内橋で珊内川を渡る。
積丹半島の脊梁をなす珊内岳(1091m)より流れ出る珊内川は、この河口にしか集落や農地を有さない原始的な河川で、その豊富な水量からサンナイ(アイヌ語で「流れ出る沢」のような意味)の地名のもとになったようだ。私が住む秋田市内にも同じ読みの山内があり、ここに限らず秋田や青森では良く耳にする地名だが、敢えて「珊」の文字を持ってきたセンスが面白いと思う。珊瑚(さんご)という熟語くらいでしか普段目にしない漢字が、それとは真逆の印象を持つ日本海の寂しい港町に根付いている。



8:47

集落を外れるとすぐに荒涼感のある海陸の際をゆく風景となった。
しばらく集落はない。
その事実を物語るように、この先5.2km(ちょうど次の集落までだろう)が【事前通行規制区間】大雨や台風による土砂崩れや落石等の恐れがある箇所について、過去の記録などを元にそれぞれ規制の基準等を定め、災害が発生する前に「通行止」などの規制の実施を事前に通告している区間であることを示す看板と非常電話、道路情報板、通行規制ゲートなどがまとまって現れた。

それから間もなく……



8:48 《現在地》

ゴツゴツとした岩山のマッカ岬が見えてきた。
手前でトンネルに呑み込まれている現道から分れ、岬の突端へ近寄っていく旧道が見える。覆道(ロックシェッド)が残っているようだ。
現道のトンネルはマッカトンネルといい、全長360m、竣功は平成8(1996)年である。

そして例によって、旧道は入口で封鎖されていた。
そもそも現道とは少し高低差があり、わざわざ封鎖しなくても路面が旧道とは繋がっていない。
そして、どうせ旧道上の旧トンネルは封鎖されていることだろう。
それが分かるから、自転車は路肩に残して徒歩で進んだ。



8:50

旧道の路上に、謎のオブジェが(?)があった。
ラフレシアの化石?
まあ、たぶん重要な発見ではないので、スルーだ。



8:51 《現在地》

間もなく覆道に入口に立つと、短い覆道の奥に塞がれた旧トンネルの坑門が見えた。
塞がれていたことは予想通りだが、後補とみられる覆道に繋がっているため、坑口自体ほとんど見ることができない。
そのため、トンネルの扁額や銘板なども見当らない。

トンネルを潜らず向こう側へ通り抜ける方法として、マッカ岬を歩いて回り込むことが考えられる。
ここから見える範囲では歩いていけそうな岩磯だが、旧旧道的な道形はなさそうだ。
それでも超えられるかも知れないけれど、自転車を置いてきたことだし、今回は大人しく一度引き返し、反対側からアプローチしてみよう。
私とて、立ち塞がる全ての障害物に牙を剥くわけではない。



8:57

戻って現マッカトンネルを通過する。
写真は出口付近で撮影したもので、トンネルからそのまま次の覆道が続いている。
そして覆道が開けても、短い明り区間の向こうに次のキナウシトンネルが控えていた。

(チェンジ後の画像)地形図を見る限り、マッカトンネル旧道の片割れは、この覆道部分に外から接続してきているようだ。
またしても路面は繋がっていないが、覆道のたくさんある“窓”の向こうに、旧道の路面が見えた。
窓を塞ぐフェンスをすり抜けて、外へ出る。自転車は、またお留守番。



9:00 《現在地》

再び、鉄格子の向こうにある旧道上へ。

(チェンジ後の画像)そこからマッカ岬を振り返ると、見覚えのある岩のツノは間近だった。
地形図からも、現道からも、すっかり存在を抹消された旧道を行く。



すぐに旧トンネルが見えてきた。
案の定、こちら側もトンネルは塞がれていたが、覆道のような視界を遮るものがないので、見たかった本来の坑門が明け透けに見えている。
有名な雷電岬(弁慶の刀掛岩)のスモールサイズモデルのような形をしたマッカ岬の岩崖を、最小限のトンネルで潜り抜けていたのが、この旧道だった。



9:04 《現在地》

坑口前の路上にはクマほどもある大きな岩塊を含む多数の落石が散らばっていたが、同時に高波の影響を受けていることも路面の陥没が教えていた。これらは旧道が置かれた厳しい自然環境を物語っている。
平板な重力式コンクリート坑門に、小さな笠石の出っ張りと、化粧コンクリート板で再現したアーチ環、そして白タイルの扁額で控え目に飾り付けた坑門の外観は、無数にある国道229号の旧世代トンネルとして一番典型的な姿であった。その大半が今日既に旧道となって、廃止されているものである。

(チェンジ後の画像)こちら側より見る岬の先端は、反対側から見た時の印象とは一転し、波打ち際まで非常に険しく切り立っていて、到底歩行によって回り込むことが考えられないものだった。ここを越えようとしたら、トンネル直上の高巻きよりないであろう。



トンネルの名前が、取り付けられた扁額と銘板によって明かされた。
「マツカトンネル」。
地図にある地名はマッカ岬だが、トンネル名は撥ねずに「マツカトンネル」となっていた。

(チェンジ後の画像)
銘板も同じ名前で、昭和44(1969)年10月という竣功年、84.0mの全長、5.5mの幅員などが記されていた。
だが、マッカ岬に初めてトンネルが掘られた時期は、もう少しだけ遡れるようだ。



というのも、昭和32(1957)年版の地形図には、既にこのトンネルが描かれている。
ただし、トンネルそのものも、その先の道も、昭和51(1976)年版と比較して、とても頼りなさそうである。
現地の遺構や地形の状況から見て、これらは別のトンネルではなく、同一トンネルの改修であったと考えられる。
また、改修時にはトンネル名も変化したらしく、お馴染みの『道路トンネル大鑑』巻末トンネルリスト(昭和41年3月31日現在)には、珊内隧道というトンネルが掲載されている。

路線名トンネル名竣功年延長幅員有効高壁面路面
(一)神恵内入舸古平線珊 内昭和29(1954)年77m5.5m4.5m素掘り未舗装
『道路トンネル大鑑』より抜粋

これがマツカトンネルの改修前のデータなのだろう。



9:05

旧トンネルより引き返し、次なるステージ……「キナウシ岬」を目指しはじめる。

マツカ旧道からは、弓なりの海岸線の向こう側に、マッカ岬を遙かに上回る高さを以て聳えるキナウシ岬の姿が見えた。
キナウシとは、松浦武四郎によると、「蓆(むしろ)物に織る草多きよりして号しものなり」(武加和誌)という。いぐさのような種類の草が茂る土地であったろうか。
とりたてて私の興味を惹くような由来ではないが……、そこには、



驚くベき壮絶なる姿へ変貌した廃道が、待ち受けていた。





お読みいただきありがとうございます。
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口

このレポートの最終回ないし最新回の
「この位置」に、レポートへのご感想などのコメントを入力出来る欄を用意しています。
あなたの評価、感想、体験談などを、ぜひ教えてください。



【トップページに戻る】