雷電岬。
こんなに恐ろしげな地名は、一度聞いたら容易に忘れないと思う。日本に稀な漢語調地名はインパクトが強烈だ。
私にとって、雷電といえば、4号機の個人的名機「闘神雷電花田勝」がまず思い出されるが、それを上回るインパクトがある。
字面も忘れがたいが、これほどの名前に負けない地形も凄いのだ。ここは険しい。
そんなところに、私がいつか、北海道に上陸することがあれば、真っ先に行きたいと思っていた国道がある。
その名も……
雷電国道。
どうだよこの名前。もうこの名前だけで震えが走るよ。格好よすぎるよ。何が雷電国道だよ。やべぇよ。
北海道に慣れている人には、道内に大量に存在する道路通称「●●国道」に馴染みがあるだろう。これは内地でよく見られる「○○街道」と同列に使われている通称である。だが、不慣れな私には、この「●●国道」は、国道マニア心をくすぐるというか、とにかく「○○街道」よりも遙かに萌える。そのうえで、「雷電国道」は最高に格好いいと思う。
(ただ、この名前では旅行者を喜ばせられないと考えられたのか、愛称が別に設けられている。)
手元のスーパーマップルにも道路通称として表示されている雷電国道は、国道229号(小樽〜江差)のうち、余市〜茂津多岬までの約180kmに対する呼称であるようだ。これはちょうど旧後志支庁管内(現後志総合振興局)の区間に対応している(小樽〜余市間は国道5号重用のため除外される)。これが旧檜山支庁(現檜山振興局)に入ると檜山国道に変わる。
このように雷電国道と呼ばれている区間はとても長く、地名としての雷電岬はそのうちの僅かな部分でしかない。
しかし今回探索するのは、この雷電国道の中でも雷電岬にある区間である。
そして、現役区間ではなく、例によって、閉鎖されている旧国道である。
右図は雷電岬一帯のスーパーマップルデジタル(ver.20)の画像だ。
岩内郡岩内町敷島内から磯谷郡蘭越町港町まで約13kmあり、地図上の雷電岬はそのやや南寄りに存在する。
岬と言っても、それほど大きな突起があるわけではないように見える。
このように等高線が目立たない画像だと、そもそも険しいように見えにくいとも思う。だが、海岸から約5kmの至近位置に標高1211mの山、その名も雷電山が聳えていることに違和感を覚える。
日本中探しても、これほど海岸に近いところに、この高さの山がある場所は多くないと思う。(この標高差は、険しさで勇名を馳せた北陸の親不知に匹敵する)
海岸を伝う国道(雷電国道)に目を向けると、険しさの実証はより確かとなる。
赤い破線で強調した部分は、全てトンネルである。敷島内から港町まで13kmのうち半分どころか6割はトンネルの中にある。合わせて7本のトンネルがあるが、1本目の入口から7本目の出口まで約10kmあって、このうち明り区間は約1.7km、実にトンネル率83%に達する。奥只見シルバーラインを海水浴に連れてきたかのよう。
名前が凄いのは分かった。地形もどうやら険しいらしい。分かった。
それでも、私のような内地人にはまだピンとこない。雷電岬がどんなものなのか。
私が探索前に集めた情報はさほど多くなかったが、その中で読んで印象的だった『角川日本地名大辞典』(昭和62(1987)年)の雷電岬の解説文を、以下に全文転載する。これは少し長いが、誰しも気になる地名の由来や、通じている道路のことなど、知りたいことが一通り入っている。
上記説明文にあるとおり、この険しい雷電海岸に国道が全通し、岩内町と蘭越町が車道で結ばれたのは、昭和38(1963)年のことだという。
だが、当時の国道と現在の国道とでは、細部のルートがかなり変わっている。そのほとんどは平成に入ってからの換線である。
右図は、「ビンノ岬」付近の新旧2枚の地形図の比較だ。
新旧といっても、古い方でも平成10(1998)年版とさほど古くなく、新しい方は平成26(2014)年版である。
これを見れば一目瞭然、「ビンノ岬」から「ウエントマリ」の間の道は、3本のトンネルと「樺杣内覆道」と注記された長大な覆道(シェッド)からなっていた海岸道路から、1本の長い長い「雷電トンネル」に換線されていることが分かる。
旧道は新しい地形図から完全に抹消されている。
国交省北海道開発局小樽開発建設部のこちらのページに、この区間の各トンネルの名称・延長・竣工年の一覧が公開されているが、雷電トンネルは全長3570mもの長さがあり、竣工は平成14(2002)年となっていた。
このトンネルの開通によって、実に4km近い旧国道が一挙に廃止されたようであり、これが今回探索のターゲットである。
(一帯にはこの他にも多くの旧国道があるが、今回紹介するのは雷電トンネル旧道のみ)
なお、これは先ほど掲載した『角川』の解説にも出ていたが、実は昭和43(1968)年までは、今回訪れようとしているビンノ岬が雷電岬と呼ばれていた。
これは当時の地形図(→)もそうなっているし、古い道路地図をお持ちの方は確認してみるといい。
地名移動の事情を想像するに、当時、海岸線に待望の国道が全通したことで、区域内最大の景勝地として名高かった刀掛岩をより明確に観光地として売り出すべく、刀掛岩がある旧「刀掛岬」に「雷電岬」の名前を移動させ、「ビンノ岬」には先住民の時代から伝わる古名を甦らせたようである。しかし今もビンノ岬に雷電川が流れているなど、地名剥奪の微かな痕跡は存在している。
話が脱線した。
今回探索するのは、このビンノ岬で平成14年まで使われていた旧国道である。
対して古くない、というか新しいので、いくら地形は険しくとも、さほど困難ではないと考えるのは甘い。甘すぎる。
問題は、ここが北海道だということだ。
北海道でオブローダーを悩ませる特異な問題として、すぐに思いつくのはヒグマ害だが、他にもある。
それは、北海道開発局による“特異な廃道対策”だ。
広範な意味での危険防止(オブローダーが立ち入ってどうのこうのということよりも、ヒグマの冬眠繁殖地を増やさないためとも聞くが真相未確認)を目的とした措置であろうが、内地とは比べものにならない高確率で、使用中止となった旧トンネルの完全閉塞(両側坑口のコンクリートでの密閉)が実施されている。
このトンネル閉塞の結果、今回探索しようとしている全長3.7kmの一連の旧道は、いくつものパートに分断されている。
このことは予想ではなく、確定していた。私が平成22(2010)年に執筆に参加した『廃道をゆく2』で、のがなあつし氏(Twitter)が書いているレポートを読んだからだ。曰く、ビンノ岬トンネル東口と鵜の岩トンネル西口が閉鎖されており、これらに挟まれた樺杣内(かばそまない)覆道が横たわる“中央部”は、到達困難とのことであった。
こんなことを聞かされて、燃えないはずがない。
北海道へ行くことがあればここに挑戦したいと思ったのは、のがな氏のためである。
もっとも、私は探索前に、陸路からの到達が絶対に無理というわけではないことも確認していた。
探索を行った平成30(2018)年当時、私の簡単な検索では、上記“核心部”への陸路到達方法を解説しているサイトは見つけられなかったが、到達したという話だけは読むことが出来た。
それは、道内の滝を紹介するサイト「きたのたき」にある、車滝と梯子滝の紹介文だ。
地形図を見ると、確かに旧国道沿いの海岸線にこの二つの滝が描かれている。
きたのたき管理人氏によるこれらの滝の紹介文を、以下に抜粋して紹介する。
これらの情報の更新日は平成24(2012)年5月27日となっていて、おそらく到達者はM.カトー氏という人物だ。
どのような装備で到達に成功したのか分からないし、少し時間も経っているが、とにかく陸路で到達できたことは確からしく、またそれはビンノ岬側(東側)からではなく、親子別側(西側)からであったということは、とても有用な情報であった。
私もこの険阻に挑んでみたいと思う。
幻と謳われる壮大な滝たちではなく、たった16年前までは車で走り抜けることが出来た旧国道を目指して!
困難だろうが、勝算はあった。
なぜなら、旅立ちの前に見た昭和32(1957)年の地形図には、国道開通以前の徒歩道が、ウエントマリからカバソマナイ(樺杣内)にかけて、海岸に通じていることが確認できたから。
この道を発見し、辿ることができれば、おそらく……!
探索は、私の初の北海道探索(平成30(2018)年4月23日〜27日(5日間))の3日目、4月25日の夕刻に行った。