道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間 第1回

所在地 長野県飯田市
探索日 2011.4.21
公開日 2018.8.09


国道256号は、岐阜県岐阜市を起点に、長野県飯田市に至る、実延長約221kmの一般国道であるが、最新の「道路統計年報2017」によると、この路線には長野県内に全長12.3kmの【自動車交通不能区間】供用中の道路のうち、幅員、曲線半径、こう配その他道路の状況により最大積載量4トンの普通貨物自動車が通行できない区間をいう。があることになっている。
酷道ファンにはよく知られた事実だが、飯田市内にある小川路峠は現在も自動車が通れない。これが上記した自動車交通不能区間の正体である。

ついでに小川路峠の説明を、『角川日本地名辞典 長野県』に行ってもらおう。

 小川路峠 (おがわじとうげ)
飯田市と下伊那郡上村との境にある峠。標高1,494m。飯田の町と静岡県の秋葉神社とを結ぶ秋葉街道が,小川路峠・青崩峠を越えて通じ,江戸期から秋葉参りや善光寺参りの人々でにぎわった。伊那谷から遠山郷への最短ルートで,明治10年頃から峠道の改修が進み,牛馬などによる物資の流通も盛んになった。しかし上下5里(約20km)の難路で五里峠とも呼ばれ,遠山郷へ赴任する教員や警察官が職をやめたくなることから辞職峠の異名をとるほどであった。大正12年,下伊那郡喬木(たかぎ)村の小川と上村の程野の間に竜東索道が設けられ,昭和7年,現在のJR飯田線が平岡まで開通してから,峠の交通量は減少。現在,国道152号になってはいるが,峠は通行不能。同43年,喬木村と上村の上町とを結ぶ赤石林道が開通した。同62年,長大トンネルで越える新国道の工事が始められた。
『角川日本地名辞典 長野県』より

上記内容は少し古いのでいくらか更新すると、「現在国道152号になっている」は、国道256号に変わっている(平成5(1993)年から)し、「喬木村と上村の上町を結ぶ赤石林道」は、長野県道251号になっている。そして、「長大トンネルで越える新国道の工事が始められた」も、国道474号でもある自動車専用道路「三遠南信自動車道」上の矢筈トンネル(平成6(1994)年開通)として結実している。あと、上村という村名も、平成17(2005)年に飯田市と合併したことで消えて、現在は飯田市上村になっている。

標高1494m、全長20kmもの険しい峠道であった、未だに自動車の通えぬ小川路峠。
ついに「山行が」も、全国有数の酷道である小川路峠に挑むのか! そんな風に期待して下さった向きもあるかも知れないが、今回は「表題」のものが主役であり、小川路峠越えは(探索は済んでいるが)別の機会に譲りたい。
今回紹介したいのは、小川路峠の東側の麓にあたる、飯田市上村の国道風景である。



ここに掲載した2枚の地図は、国土地理院が作成している『地理院地図』(左)と、昭文社が作成した『スーパーマップルデジタル ver.18』(右)で見る、飯田市上村の国道256号終点付近だ。
いずれも最新の内容だが、国道と県道の塗り分けに大きな違いがあることに気付く。

地理院地図では、「上町」の国道152号との交差点から国道256号がスタートして(実際は終点だが)「伊藤」を経て「清水」まで「幅3〜5.5mの道路」が続き、そこで県道251号を分けて左折。以後は点線で表現された「徒歩道」に国道の色塗りがなされた「登山道国道」的表現になっている。そしてこのまま小川路峠へ向う。

対してスーパーマップルだと、国道256号は図中に全く存在しない。
もともとこの地図は徒歩道を国道や県道として塗り分けない描き方なので、清水から先の「登山道国道」区間が国道として描かれていないのはやむを得ないが、地理院地図だとちゃんと車道として描かれている上町〜清水間も県道251号として描いており、国道256号はどこにも存在しない。

皆様もお手元にある道路地図帳にどう描かれているか確かめてみると良いだろう。
私の手元にあった道路地図は、どれも「スーパーマップル」と同じような描き方をしており、道路地図業界は長らくこの“説”を採ってきたことが伺えた。
一方で国土地理院は、平成2年測量版の2万5千分の1地形図「上町」でも既に今と同じ描き方であり、両者の表現は何十年も平行線を辿ってきたようである。

果たしてどちらが正しいのか?

このような疑問にぶち当たることはたまにあるが、今までは多くのケースで国土地理院に軍配が上がった。
やはり今回もそうだろうか。




『飯田建設事務所 台風第7号と前線による大雨に伴う交通規制箇所』より

実は、どちらも正しくない。

国道に限らず道路の正確な位置を知りたい場合、最も詳細なのは道路管理者が保管している道路台帳を見ることである。しかしこれは手続きのハードルが高いし、本当に詳細なので、ある程度広い範囲を見るには不向きだったりする。そんなときは、道路管理者が作成した管内図がオススメだ。
今回の場合は長野県飯田建設事務所の管内図が見たかった。管内図をPDFや画像データとしてネットで公開している管理者もあるが、飯田建設事務所は非公開であった。現地へ行くなり郵送で購入するなりといった手段もあるだろうが、裏口的な技として、管内図はしばしば行政の用いる様々な地図資料の下地に使われていることを利用した。

左図は、飯田建設事務所が作成した『台風第7号と前線による大雨に伴う交通規制箇所』(リンク切れ)という資料である。
この地図の下地に飯田建設事務所の管内図が用いられており、だいぶ小縮尺ではあるが、上村周辺の国道256号と県道251号のルートがどのようになっているのかを見ることが出来た。

拡大した部分に注目していただきたいが、国道と県道はほとんど重なっておらず、並行した別々のルートを通っていることが分かると思う。



私が以前、“とある関係者”から見せてもらった地図(残念ながら掲載はできない)には、この部分の国道と県道の詳細なルートが描かれていた。
それを私が現在の地理院地図上に書き写したのが右図である。

国道256号の終点から約2kmは、県道251号と並行する別のルートを通っている。
地理院地図にも市販の道路地図にも全く描かれていない道だが、道路法に定められた供用開始の手続きを経た、法的に有効な国道256号の現道がここにある。

冒頭に、「道路統計年報2017」では本国道に12.3kmの自動車交通不能区間が存在すると書いたが、この数字にもからくりがある。
よく知られている「登山道国道」の入口である清水から、小川路峠を越えた先のバリケード地点である飯田市上久堅の卯月山(位置)までの距離は、どうカウントしても12.3kmには足らず、約10.5kmしかない。この足りない分が、この“地図にない国道”である。

地理院地図と道路地図のどちらが正しいかの答えは、どちらも正しくなかった。しかしどちらかといえば、道路地図の方が犯している誤りは少ないだろう。国道でない部分を国道扱いしつづけてきた国土地理院の罪は重い。


ともかく、今回紹介するのは、この区間だ。
名付けて━
国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間」 !!




飯田市上村の上町交差点から、国道256号の旅をスタート!


2011/4/21 13:49 《現在地》

飯田市上村の国道152号路上より、自転車でスタート。
あと150mほど直進(南下)すると、国道256号の終点がある。
頭上に掲げられた青看に注目して欲しい。
青看には、右折する道が国道256号であることがはっきり示されている。
この時点で、【地理院地図】の記述は正しいが、【スーパーマップル】は早くも誤りということになる。

しかし不穏なことに、青看に国道256号の表示はあるのに、行先の地名はない。
この段階で、「この国道はなにかおかしい」と感じる人が大半だろう。
というか、青看の表面をよく観察すると分かるが、「飯田 喬木」と書かれていた行先がシールで隠されている形跡がある。
実際ここを右折すると、県道251号を経由して喬木(たかぎ)村や飯田市中心部へと抜けることが出来る。しかし現在はもっと便利な矢筈トンネルが開通しているので、わざわざ県道251号で峠を越えようとするのは好き者か、自動車専用道路である矢筈トンネルを通行できない自転車や歩行者くらいだ。だから青看も“無言”になったのだ。矢筈トンネルの開通以前は、県道251号が上村一帯の生活道路として非常に重要な位置にあったそうだ。



青看から150mほどで、名前の分からない丁字路がある。
ここが一般国道256号の終点だ。

交差点には信号も“卒塔婆”【こういうの】もない。国道256号の行先が空白になっている青看があるだけだ。(国道152号を北進してきた場合も、同じような青看あり)
かといって、「通行止」であるとか「自動車交通不能」の看板が出ているわけでもないので、全体としては淡泊な印象だ。はるばる岐阜から200km以上も走ってきた苦労人の国道が辿り着いた、じみ〜な終点。

ところで、平成17(2005)年に上村が飯田市に編入合併するまで、国道256号といえば岐阜市と上村を結ぶ路線であった。国道が村を起終点としているケースは珍しかったが、飯田市と上村の間は最後まで国道256号として開通することなく、先に合併が完了した。矢筈トンネルが整備されたいま、国道256号が新たに整備される可能性はほぼないと思われる。




丁字路を一旦スルーして国道152号を直進すると、100mほどでいま通り過ぎた丁字路の青看が現われたので、振り返って撮影した。

今度はさっきと逆で左折が国道256号であるが、やはり行先はシールで隠されていた。「喬木」と書かれていたようである。
対して直進する国道152号の行先に、かなり無理矢理な感じで「飯田 喬木」が追加されていし、緑色の「三遠南信道 矢筈トンネル」という部分も後からの追加だろう(しかも重ね張りされている)。

国道256号終点丁字路に関わる青看にある様々な修正の痕は、この道の紆余曲折を表わしているようであった。




改めて丁字路を曲がって国道256号へ入ると、即座に上村川を渡る。
この橋は向橋といい、平成8年竣功の銘板がついていた。2車線の車道と広い歩道がある近代的な橋だ。振り返ると【こんな感じ】

橋を渡ると目の前に大きな鉄筋コンクリート造の建物があるが、これは飯田市上村自治振興センター、いわゆる旧村役場である。
ここは合併当時に人口約750人を要していた旧上村の中心集落「上町」である。飯田市の上村にある上町というのが少しややこしい。

道はこの旧役場前でも二手に分かれる。
青看はないが、再び直角に右折するのが国道256号だ。直進は上町集落の中を通る旧国道(国道152号の旧道)だ。
私は当然、右折する。



13:52 《現在地》

向井橋の袂を右折すると、道は早くも1.5車線に。
それと同時に、山がドーン!!

普通だったら…という表現はおかしいだろうが、しばらく谷沿いに小さな集落を拾いながら徐々に高度を稼ぎ、いよいよ谷が狭くなったら山道に入って峠へ至るという、そんなオーソドックスで穏便なパターンはここにない。

村の中心集落をはずれたら、即座に峠道! 即座に高低差1000mに挑まされる!(上町が標高約550m、小川路峠は約1670m) 国道なのに、えらいせっかち!

それもこれも、中央構造線という日本最大の物凄いはっきりした谷(赤石構造谷)に上町やら国道152号があるのに、国道256号はその地形の流れに逆らって脇道へ逸れようとしたからである。
天与の地形に逆らって飯田へ近道したいなんてナマイキだから、めっちゃ苦しめ! そんな風に天造の神によって意地悪されているようなものだ(被害妄想)。



国道終点からスタートしてここまで約200m、入口の青看の中では気前よく“おにぎり”を見せてくれたというのに、実際に国道に入ってから“おにぎり”は無し。
それどころか、先に“ヘキサ”こと県道標識が現われたではないか!
国道どこ行った?!

だいぶ排ガスや砂埃に薄汚れて反射能力が下がっている長野県道251号の“ヘキサ”と、最近はだんだん数を減らしつつある昔ながらの手差し式の道路情報板のセット。道路情報板には県道の路線名である「(一)上飯田線」の文字もある。

長野県道251号上飯田線とは、飯田市上村の国道256号と飯田市座光寺のJR飯田線善光寺駅を結ぶ、全長約30kmの一般県道である。
このうち赤石トンネルを頂点とする峠越えの区間は、昭和43(1968)年に開通した赤石林道を県が引き継いだもので、矢筈トンネルの完成まで上村と飯田市を結ぶ唯一の車道だった。

しかし、道路管理者が設置したアイテムを前にこれを言うのはちょっと勇気が要るが、厳密にはここは県道ではなく、国道256号であるはず。県道251号の起点は、もう少しだけ先だ。(少なくとも私が関係者から見せてもらった資料ではそうなっていた。あれから10年以上経過しているので変化した可能性がないとはいいきれないが、これらのアイテムの設置はそれほど最近ではないと思う)



これは県道標識の前で振り返って撮影した景色。
広い駐車場と公衆便所があり、どことなく離島の船着き場を思わせる風景は、いかにも村の玄関口らしい。

この景色を、足元の道の利用者のほとんどが、国道256号ではなく、県道251号という意識で見てきたことだろう。
繋がっていない道が存在感を示したら、いくらそれが格上で正当であろうとも、無駄に混乱を招くだけなのかも知れない。

今度こそ町を背にして、私と国道の間の秘めごとのような旅を再開する。




ヘキサ地点から100m(国道終点から約300m)ほど進むと、駐車帯のように幅が広くなっている場所があり、その先に悪夢めいた数の「落石注意」のマークを取り付けた1枚の大きな警告看板が、威嚇するように設置されていた。

これより先15kmの間は
落石の恐れがあります
十分注意して下さい!!
 長野県飯田建設事務所

かつて上村と南信濃村の一帯には、一大秘境を印象づける“遠山郷”という地域称があった。その都会からの遠さを決定づけていた峠道の長さと険しさが既に伝わってくる。



看板を見て先へ進むと、道は一段と狭くなり、いよいよ対向車との交差は難しい。
そしてここにも、その存在に気付いた通行人たちを少しだけ恐がらせるアイテムたちが集合していた。

手描きのイラストが個性的すぎて怪しくなってしまった、おそらくは落石への警告を促していた看板。
すっかり表面が錆び付いて、柳の木の下に立たせておけば幽霊と見紛うばかりの、14t制限の標識。(見えなくても良いのかこれ?)
さらには、かつては高さ制限用のロープを張っていたとみられる安全門のような門柱。
もひとつオマケに、路傍にひっくり返って落ちていた、手書き感溢れる【道路工事中の標識】

現役の道路だというのに、ちょっとしたお化け屋敷のようである。
大変興味のあることだと思ったが……

残念なことに――




国道は、こっちじゃないんだな。


ちょっとだけ戻って……(↓)



ここを右ッ!

これが国道ッ!!

道路地図も地理院地図も正しく示すことが出来ていない、本当の国道256号だーっ!




しかし、ここを右だと言われても、俄には信じがたいような風景である。

伊藤谷を渡る橋(銘板等ないため橋名不明)は、まあ1.5車線の普通の橋だからいい。

最大重量9トンの制限があるのも、実用上何ら問題はないだろう。

しかしその先は集合住宅(上村市営住宅)が建ち並んでいるだけで、おおよそ国道らしく見えない。

それどころか、どこかへ通じているような道に見えない。どう見ても集合住宅への進入路じゃないか?!




だが、注意深く周囲を観察した私は、驚くべき、

国道の証明に限りなく近いものを発見した!

それは、分岐地点の路面上に白いスプレーでペイントされていた、白いスプレーの文字だ。

251
-BP-
-EP-
256-2

BPやEPは測量用語で、よく工事現場に打ち込んである杭なんかでも目にする。
それぞれの意味するところは、BP=Beginning Point(始点)、EP=End Point(終点)である。
それに数字がついているので、上記の内容はこのように解釈できる。

(県道)251号 ここから
(国道)256号(の区間)2 ここまで


国道256号は、自動車交通不能区間によって、同じ飯田建設事務所管内でも2つの区間に分断されている。
そのうちの「区間2」を意味して「256-2」という表示になっているのだと推定する。
また、「251」や「256」の数字に国道や県道を意味する表記はないが、同じ路線番号の国道と県道が近くにないので問題はない。
管理上の目印としてはこの程度でも十分に、右図のように路線が異なっていることを示せるのだと思う。

この路上のペイントによって分かるのは、ここが国道256号と県道251号の境界であるということだけで、奥の橋が国道である証明にはならないが、ここにはほかに脇道はないし、状況証拠としては十分である。冒頭で見た管内図だとちょっと縮尺的に厳しいが、私が関係者から見せてもらった図面でも、この橋が国道になっていた。それも、路線指定だけがある未供用区間ではなく、ちゃんと道の位置や幅が空間上にしっかり定められている供用済の国道としてである!



右折して橋を渡ると、“国道臭”は皆無である。
谷と直角の向きに4棟の市営住宅が建ち並んでおり、棟と棟の間には漏れなく車1台分の舗装路がある。

最終的にはこれらの建物の裏側にある山に国道は入っているので、これら棟間の道のどれかが国道256号だ。

これはやはり道路台帳の図面を見なければ確定出来ないが、私が関係者に見せてもらった2万5千分の1の図面だと、ほんのちょっとだけ左にズレてから山へ入っていた。だから、おそらく右図の位置が国道だと思う。ここではその判断で先へ進む。



一旦左へ折れて、10mほど先にあるこの角を、右。

もしかしたら微妙に間違っているかも知れないが、これが仮にひとつ手前か奥の路地が本当の国道だったとしても、国道らしからぬという意味ではどれも全く一緒である。いずれはっきりた答えが分かったら追記しようと思う。

右の写真は、いま渡った無名の橋の隣に見つけた橋脚跡だ。
旧橋がここにあるということも、この路地を国道と考えるひとつの根拠になっている。



で、右折すると驚くべき国道光景。
↓↓↓



行き止まり(笑)。

もしも、ひとつ左の道が正解だったとしても、やっぱり答えは、【行き止まり(笑)】



ア〜ンド


「マムシもいます。」(笑)



しかし、ここがもし本当にただの行き止まりだったら、

わざわざ「ロープの中に入らない。岩の上に登るとすべって落ちます。マムシもいます。

なんて注意書きをここに用意する必要があるだろうか。

大岩が邪魔をしてはいるが、その向こう側にも平場が見える。

自転車をここに残して、マムシに気をつけながら、岩の向こうへ進んでみる。



半信半疑のまま

先へ進んだ私が見たものは――



おびただしい数の石仏から始まる、
地図にない“幻の国道”だった!