2011/4/21 14:03 《現在地》
上村市営住宅の裏手にある「マムシの大岩」(←酷い略称だと思うがお許しを)の前で、車が通れる「国道」はいとも呆気なく終わりを迎えた。
自転車も、ここまでだ。
第二第三の「大岩」が転げ落ちてくることを阻止すべく、山の縁には真新しい土留め擁壁が施工されており、一見すると国道どころかいかなる道も続いていなさそうだったが、見えざる道を見る者であるオブローダーの本領発揮とばかりに付近を詮索した結果、写真の位置を「道」と判断した。
「マムシの大岩」の裏から東へ伸びる、高い擁壁と低い擁壁に挟まれた、細い上り坂のような敷地である。
周囲を「長野県」の用地杭が囲んでおり、「国道だから」だといいたいところだが、県が施工した「急傾斜地崩壊対策工事」の関係かもしれない。
いずれにしても民家の敷地ではないようだから、大手を振って歩いても…、良いのかな…?
擁壁と擁壁の隙間を10mほど歩くと山側の擁壁が終わり、宅地側にある擁壁の裏へ自然に入り込む形になった。
そして気付くと、自分は町側ではなく山側の存在になっていた。
国道は最終的にこの山の頂である小川路峠を目指すわけだから、山へ入ることは目的に適っている。
ここが正解だという期待を強くしたが、一方でそんな期待を挫くように、狭い行く手に大量の枯れ竹が山積みにされており、私の前進を露骨に邪魔してきた。
枯れ竹の山を踏み越えることは単純に面倒なだけでなく、バキバキと喧しい音を立てることになる。民家の裏手に忍び込んでいる現状に少なからず後ろめさを感じている私は、出来るだけ隠密に行動したかった。だから道なき斜面をよじ登って高巻きの迂回を決行した。右の写真は高巻き中の撮影だ。
土留め擁壁越しに、この国道の終点であり、旅の起点となった向井橋が見えた。
あそこからここまで、ほんの400m足らずでしかなかった。
上村側の国道256号のまともな区間が、どれほど僅かであるかがお分かりいただけるだろう。
全国458路線の国道の中で、終点や起点のこれほど間近に「自動車交通不能区間」がある路線は、他にないと思う。
これは同じ位置から振り返って、市営住宅内の俯瞰を撮影した。
国道はこの住宅地を狭い路地で横断し、山へ取付いていると思われる。
住宅地の造成が行われた後に国道が指定されたわけではなく、先に国道があったところに住宅地が造成されたのだと思うが、これほど目立っていない路地の国道も、ほかにはない気がする。
供用開始していない(=未開通)と言われれば素直に信じられる光景なのだが、そうではなく、ここには供用中の国道が存在することになっている。
そこに一番の驚きがある。
仮に私のルートの見立てが微妙に間違っていたとしても、それは住宅地内の路地が1本違うという程度だろう。
こうして枯れ竹地帯を高巻きで突破した私が出会った光景は、なかなかに衝撃的だった。
14:06 《現在地》
私はおびただしい数の石仏を前にしていた。
社寺の周辺やその跡地のほかではまず見かけないような規模の“群集”だが、
なぜここにこれほどたくさんの石仏が置かれ、そして放置されているのだろう。
ここから登っていく小川路峠が、古くからの信仰の道として著名な“秋葉道”(参考)ということは
予備知識としてあった。そして、目の前にある石仏たちの数は、そのことを示す証拠であった。
それと同時に、峠歩きや街道歩きのガイドブックに漏れた石仏たちのこの現状は、
現代社会が“秋葉路”の旧来価値に対して下した、その非情な評価を表わしてもいた。
ここが国道256号であるという探索の目的も一瞬忘れて、異様な光景に見入った。
道路への愛着や真摯さを感じられる石仏はおしなべて私の好物だが、
これだけの数が急に目の前に現われるのは……、ちょっと心臓に悪い。
衝撃的な風景を前にして、咄嗟に平穏を取り戻そうと振り返った目には、
平穏というよりは平凡な、どこにでもありそうな裏山の景色が映った。
しかし、これもよく見ると…、なるほど…、ちゃんとした道形をしている。
土留め擁壁によって原形を失ってしまったが、ここに古くからの道があったことは間違いない。
「国道256号の地形図にない区間」の、本番はここからだ。
そんな挑発が今にも聞こえてきそうなほどに険しい山道が、“石仏銀座”の右手へと伸びていた。
そこは上村川の崖っぷちである。ろくでもなさそうだ……。
それとは別に、左へ登っていく細い急坂道がある。一番石仏が集中して安置されているのは、そこを少し登ったところだ。
最終的には右の道を行くつもりだが、石仏が気になったので、「★印」のところまで、ちょっとだけ寄り道してみた。
下からもよく目立っていたこの3つの石仏は、全て馬頭観世音だった。
わが国では自動車の普及まで馬が人の交通を助ける最大のパートナーだった。
だから、馬の神様である馬頭観世音は、地蔵菩薩と並んで、おそらく日本の路傍に最も多くある石仏だと思う。
馬に対する日頃の感謝、交通路の安全祈願、特には路上で命を落とした愛馬の供養を目的として盛んに建立された馬頭観世音であるから、これがあるということは道の生きた証しである。未成道には決して置かれることのないものだ。
馬頭観世音というと、江戸時代や明治時代くらいまでの古いものが多いイメージだが、3つのうちの2つに昭和の年号が刻まれていたことは注目に値する。
昭和に入ってからも小川路峠を盛んに馬が行き交っていたのだ。
近代的な交通手段から長く隔絶されてきた遠山郷の秘境ぶりを感じさせる、そんな“新しさ”だった。
馬頭観世音軍団の隣に固まって置かれていたのは、お地蔵さま軍団。
厳密に、地蔵菩薩か道祖神か青面金剛かというような判別はしていないが、とにかく仏様の姿を舟形の石に陽刻にされた石仏たちが、狭い範囲の斜面に折り重なるように安置されていた。
付近には半ば土に埋もれた丸みを帯びた岩が多数あるが、その一部も石仏かもしれないし、厚く堆積した落ち葉の中にも埋もれていることだろう。
もう少し数が少なければ、一体一体に刻まれた文字を判読して、そこから道の情報に繋がる手掛かりを得たいとも思ったかもしれないが、ちょっとこれはありすぎる(苦笑)。専門家にお任せしたい。
道は続いているようで、急勾配を保ったまま濃い笹藪へと消えていた。
これも小川路峠を目指す道だとしたら、新道と旧道の関係だろうか。
この急坂道はあらゆる車両交通を拒絶しており、かなり古そうな気配である。
いずれ、この方向へ進めば、100mも行かないうちに県道251号とぶつかるはず。
あとで県道側の入口が分かったら、復路に使っても良いかもしれない。
“石仏銀座”の分岐地点へ戻り、改めて分岐の中央(【○印のところ】)に安置された石仏3つをチェックする。
今度は馬と牛の混合軍団だった。
目を惹くのは、珍しい牛頭如来。
牛も馬ほどではないが、日本全国で人間の歩きを助けてきた。牛の特徴は、馬より急坂、悪路、高所(馬は木橋のような高所の眺めが苦手)に強いことが挙げられる。だから特に道路状況の悪い地方では、馬以上に重宝された。
偶然かも知れないが、牛頭如来にだけ明治の年号があり、他は昭和が多い。
もしこれが、峠道の整備によって牛から馬へと主力が交代したことを示唆しているとしたら、地方交通史料として興味深いと思う。
14:07
さて、そろそろ「国道」の先へ進もう。
この道が国道256号であることは、関係者に見せてもらった地図を見る限り間違いない。
また、これを執筆している段階では、なんと地理院地図を差し置いてgoogleマップが、ここに国道を描いている。(途中で途切れているし、位置はそれほど正確でない気もするが)
この先は、推定1.4km前後で県道251号にぶつかるまで、道が続いているはず。
果たしてどの程度荒れているのか、ここへ来るまで情報皆無のため全く読めなかったが、とりあえずこの入口の時点で、相当の覚悟が必要という実感があった。
この先へはほとんど人が入っている感じがしない。しかも地形も険しそう。
ところで、この写真の中央に米粒のような白いものがポツンと見えるが…。
これまた石仏だった。
人が抱えて持ち運べるくらいの大きさではあるが、仲間はずれみたいに離して置かなくても良いのにね。
やはり馬頭観世音だったが、初めて大正の年号を見た。
これで明治、大正、昭和が出揃ったわけだが、年号の読み取れるものの中に江戸時代以前のものがなかったのはなぜだろう。
当時の道はここではなかったのだろうか。
急に視界の右半分が開けたが、これは危険な兆候だ。
開けた空間は、地質学上において赤石構造谷と呼ばれる、本州を二分するほどの巨大な断層谷だ。その谷底を上村川が流れていて、国道152号が通じている。
そして問題なのは、先ほどあの谷底を出発したばかりのこの道が、思いがけずに高い位置へ来ていたことと、谷沿いの地形が急峻すぎて道が壊されていそうだということ。
嫌な予感がする。
国道なのに…。
嫌な予感は、だいたい的中する。
この先、ろくでもないことになっていそうだ。果たして通りぬけられるか、まだ分からない。
そんな危険地帯の入口にも、念仏を唱える代わりの石仏かと思いきや(矢印の位置)、どうも違うみたい。
(←チェンジ後の画像) これはいったい、なんでしょう?
コンクリート製の円筒形をした物体で、太さは電信柱くらいだが、背が低くて上部が丸っこい。そして、付け根の辺りになんか小さな穴がひとつだけ空いている。見たことのない物体だ……。
…こういう人里に近い廃道の岩場とかでなぜか見るのは、あれだ… ハニーボックス(養蜂箱)。オブローダーなら見たことがあると思うが、しかし一度でも関係者が回収しているシーンに出くわしたことがあるだろうか。そんな不思議な物体。
しかし、ハニーボックスは持ち運べるような木製のものだし、これは違うよな…。
14:10 《現在地》
謎の物体を素通りして、難関へ。
ここはまず、今にも落下してきそうな大きな倒木の下をくぐることから始まる。
本当に落ちてきたら押しつぶされかねないので、触れないように気をつけながら、恐る恐る通りぬける。だがまだ終わりではない。
その先は、崩れた土砂のために、もともと狭かった絶壁の道が、硬く締まった土の急斜面を横断するような感じになってしまっていた。
短い距離だが、これがまた怖かった。
安定している倒木も利用しながら、崩壊地点を横断中。
崩壊斜面の幅は広くないが、見て分かるとおり、とんでもなく高い。
そのうえ不安定な倒木も絡んでいるので、うっかり触ってしまったら落ちてきて私を押しつぶしたり、私を連れて谷底にダイブするのではないかというような恐怖もあった。
これが国道256号の地図にない区間の実態ですよ!
終点からここまで、一度も道路管理者による「通行止」を見ていないが、それは道路管理者が、「利用者は誰もここを国道だと思っていないし、入ってもこない」と思っているからだろう。
見捨てられて可哀想に。
人知れず、とんでもない状況になっています。この国道は!
崩壊地点から見下ろす上村川の谷底と、対岸を走る国道152号。
えらく平和な景色だが、こっちは決死の歩行中だっつうの!
むこうの国道上に青看が見えるが、ちょうどあそこが本レポート【1枚目の写真】の地点である。
直線距離で6〜70mしか離れていないはずだが、高低差は30mくらいある。
こんなに近くを併走している2本の国道のあまりの違いに、変な笑いが出て来た。
そもそも、なんでこんな険しいところ通ろうとしたんだよ、昔の人は…。
どうにか突破したので、ホッとして振り返った。 出来ればここは戻りたくないぜ。
まだそんなに遠くないところに橋が見えるが、たった20分前に出発したこの国道の終点「向井橋」だ。
終点からようやく500m来ただけでこの有様とは…、いろいろ…酷い道…殺しに来てる…。
2011/4/21 14:11 《現在地》
危険度の高い崩壊地が、心と体の準備がまだ十分整っていない序盤に現れたものだから、「国道にしては荒れているな〜」みたいな緩めのノリでいた私は、その油断を即座に中止すると同時に、今後の探索の見通しについても、改めて地図に描かれた地形を検討する必要に迫られた。
まだまだ、「地形図にない国道」の探索は始まったばかりであり、こんなに早く怖い思いさせられるとは思っていなかったので面食らってしまったが、この先進むにつれて道は次第に川から離れていくはずだ。
だから、今のような河川の浸食による路盤の崩壊や荒廃は、この辺りが最も深刻なのだと思われる。
この序盤こそ正念場だと気合いを入れ直してから、ぶ厚く堆積した落ち葉によって全体的に滑りやすくなっている、いやらしく傾斜した土道を、慎重に前進した。
いざとなったら…… 一応、逃げ道はある。
白いガードレールが見えるだろう?
あれは、先ほど別れた県道251号上飯田線だ。
現時点では県道が国道の30〜40m上部を横断しているので、斜面をよじ登ればエスケープが可能である。
かなり急だが、崖というほどではないので不可能ではないだろう。
あっちの県道がどんな状況であるかについては、地方によくある1.5車線の山岳道路だと思って貰えればいい。
人が通るのもやっとという国道と、自動車が通れる舗装された県道が、このように近接して並行する“奇妙な状況”は、まだしばらく続くのであるが、そこには自然と次のような疑問が生じてくる。
「なぜ、あの県道を、国道に昇格させないのか?」
果たして、この疑問に合理的な回答はあるのか。
直前に踏み越えてきた路を振り返ると、スパルタン!
道の下は30m以上も落差がある上村川の谷底まで直で落ち込んでおり、樹木が生えているからいくらかは大人しく見えるが、万が一滑落したら止らないだろう。
酷い道だ。各写真ごとにいちいち「国道なのに云々」というもコメントは飽きてきたが、それを全く書かず、単にこの景色から受ける印象だけで道を判断したら、これはどう見ても“廃道”ということになると思う。
それも単なる廃“山道”ではなく、牛馬かあるいは荷車程度が通れるように全体に傾斜を緩やかにし、道幅もいくらか幅を持たせた……、それすなわち、私がこれまで廃道探索のターゲットとして何度も取り上げてきた【近代廃道】いわゆる近代車道(近代になって導入された荷車や馬車のような軽車両を通行させていた車道)の廃道のことの風景そのものであると思う。(具体的には、清水国道とか、牛岳車道なんかと同類)
これは事前にも予想していたが、「地形図にない国道」の正体は、現代に作られた得体の知れない道ではなく、近代までは大いに栄えたが、時代に取り残され零落した道だと思う。
廃道区間に入ってからまだ僅かだが、風景の節々にそんな古さと正統さが滲み出ていた。これで“良い石垣”でも見られたら、より確信できる!
気の休まる間はなく、またしても厳しい場面!
獣道か人跡か、おそらくは前者だろうが、辛うじて爪先を乗せられる細い平場が、土の急斜面を横断していた。
手掛かりとなるような立ち木がほとんどないし、下は目も眩む高度と急斜面だ。
……これが岩場だったら怖じ気づいて引き返したかもしれないが、土のゆとりに勇気をもらい、踏み越えた。
その先も狭い回廊状の崖道でひやひらさせられたのだが、そんな最中に再び“謎の物体”と遭遇した。
ちょっと前にも、同じように険しい場所で。【謎の円柱体】を見ている。
今度のは形がまるで違うし、材質も違っている。 トタン?
ただ、同じ道の同じような崖に置かれている謎の物体という共通点がある。
なんなんだろうこれは? 本当に分からない。
いずれ、そんな大昔ではない時期にここまで人が来て設置したものというのは間違いないわけで、正体が気になるところ。
ところで、とんでもない山奥みたいな険しい景色が続いているが、地図で見ると街(上町)はまだとても近い。
川の対岸には上村郵便局のほか、国道152号沿いに点々と家や畑がある。そんな里際の風景のなかで、国道256号だけが虐めのような責めを受けている気分になる。
しかし冷静になって考えてみると、日本中で最も3000m級の山脈から近い人里のひとつであるこの一帯は総じて地形が険しく、広い平地などないため、小さな平地に無理に集落を作っているようなところばかりなのだった。だから、郵便局の裏山だろうが市営住宅の裏山だろうが、山と付けばたいてい険しい。ここも山なんだから険しくても当然か(諦観)。
2011/4/21 7:56 《現在地》
先ほどから何度も話題に出ている、上村川の谷底を走る国道152号。
実はこの国道も決して羨望されるような完成されたものではないということは、多くの国道(酷道)ファンが知っているだろう。その事情の一部は、このレポートで紹介している。
それはさておき、私はこの同じ日の午前中に、国道152号も自転車で走行している。
左の写真はその際に撮影した。
午後から探索する予定だった国道256号の「地形図にない区間」を、事前に少しでも把握しようと思って視線とカメラを向けたのだが、道は見えなかった。
なのでここに描いた国道の位置は、本編の探索の成果から「この辺りだろう」と書き加えたものである。(県道も同様)
この景色自体は、国道152号を行き交う誰もが目にしているはずだが、対岸のあの場所に国道256号があると思っていた人が、どれだけいただろうか。(写真★の地点が本編中の現在地)
そしてこちらは、同時刻同地点より上流方向を撮影したもの。
私が廃道探索という名の格闘に明け暮れている現場を客観で見れば、壮大な山壁の一隅に囚われているに過ぎないということがよく分かる。
小川路峠という名の峠道が、いかに長いくて高くて壮大であるか、思い知らされる。ここから見える範囲に、かの峠はない。
幸いにしてというべきか、今回の探索は、一般に小川路峠の登り口と見られている「清水集落」までだが、それでも結構遠いし高い。
高さについて具体的に述べれば、撮影地点の標高は約590mで、対岸にいる探索中の私の「現在地」は約620m、そして清水集落が約800mである。そして、伊那山脈横断地点である小川路峠の頂上は海抜約1670mに達する。あの清水峠よりも200mも高い不通国道である。(不通国道としては標高日本一?)
この国道256号と比べれば、県道251号(全長1070mの赤石隧道がある峠は標高約1240m地点)の穏便さは、たゆまぬ人の進歩の結晶と思えるのだが、現在はさらに遙かに下って標高900m以下に全長4000mオーバーの矢筈トンネル(三遠南信自動車道・国道474号)があるのだから、マジ人は凄い。この足元にある国道152号の7km先にトンネルがあり、本当に最後まで上村川の谷底にいるだけで峠を越せてしまう。
なお、矢筈トンネルは矢筈峠の下をくぐっているゆえの命名だが、建設中の事業名は「小川路峠道路」といった。
したがってこの写真は、広義の小川路峠越えの3世代ルートを同時に見ているといえる。
話が少し遠くへ行ってしまったが、対岸から見る国道256号の観察へ戻る。
いま紹介した下流側と上流側の写真に挟まれた向き、ちょうど対岸をまっすぐ撮ると、この景色である。
かなり大きな民家が、東向きの明るい斜面の中腹で心地良さそうにしているのが目を惹く。たぶん廃屋と思うが…。
地形図にもここに家屋の記号が描かれており、近くにももう1軒あるようだから、小さな集落だといって良いと思うのだが、地名は分からない。
電線は通じているようだが、あそこへ通じる道は地形図に描かれていない。目の前の上村川を渡る手段(橋)も見当たらない。
この泰然とした無人集落のすぐ上部を、国道は通っている。
さきほど、「対岸から国道は見えない」と書いたが、ここだけは少し見える。
建物の少し上のスギ林の中を横切る細いラインが、たぶん国道だ。(本編の探索でこの後通過する)
昔はあの国道(や、さらに上部を通過する県道)からアクセスする集落だったのだろうか。
8:05 《現在地》
これは完全に余談だが、上記した、地理院地図には道も橋も描かれていないためにどうやって行くのか分からない、国道152号の対岸に見える小集落への行き方について。
実は400mほど上流に国道から対岸へ渡る1本の橋が架かっている。
少し前の地形図には掲載されていたのだが、なぜか最新の地理院地図から抹消されている。
おそらくだが、この橋を渡って行くのが集落の正面ルートなのだと思う。
問題は、橋だ。
何かを感じないだろうか?
トラスの径間が長いっ!!
最初【遠くに見えて来た】時点でも、かような山中に似つかわしくないトラス橋だと思って色めきだったのだが、てっきり川の中州辺りに橋脚を下ろした2径間のトラス橋と思っていた。
だが、近づいてみてびっくり!! なんと、橋脚無しの1径間!
たったワンスパンで幅の広い上村川を渡っており、橋長=径間長は50m近くあるかと。
なんともひょろひょろとした頼りないシルエットだが、この橋がなければ辿り着けない集落にとっては生命線だろうし、これでも鉄橋だから頑丈さは侮りがたいはず。
ちなみに、人道橋である。
これまでの写真でスケール感を勘違いしている人も居たかも知れないが…。
自転車を横に置いたら完全に塞がってしまうくらいのスモール断面のトラス橋だ。
しかし、この長さだけに独特の迫力があった。
(チェンジ後の画像→)
そして渡りきると、やはり家屋が見えた方向(下流)へ向って道が続いていた。この先は確認していないが、自転車も通れるか怪しいような小径だ。
しかし、周囲によく手入れのされたスギ林が広がっているので、全く往来がないわけではなさそうだった。
なお、橋の名前は分からなかったが、ちょうど橋の前の国道上に万場というバス停がある。
橋の名や、この橋によって辿り着ける小集落の名は、万場かも知れない。
以上、本来ならば独立したミニレポで取り上げようかとも思っていた、妙にひょろ長い人道用トラス橋のお話しでした。
本編である国道256号のレポートへ戻ります。
いくらか地形が優しくなり、道幅も本来用意されていたものが甦ってきたようだ。
勾配は依然として緩やかで、やはり近代車道の匂いが強い。西洋風RPGに出てくる幌馬車みたいなのは無理だけど、荷車くらいならば通行できそう。
もしこれが完全に歩きのための道だったら、急傾斜など厭わずもっと山の上へ道を付けて険しい谷沿いの崖を避けようとしたはずだ。しかしこの道からは縦断勾配を緩やかにしようという意識が強く感じられる。そして、それを実現する土木技術をもって作設されている。
やがてスギの植林地が見えてきた。
するとその手前から、道を邪魔するような雑木や下枝が払われていた。
それもごく最近に刈り払いは行われたようである。こまめに行われていた様子でもない。
これは最近急に道路管理者が発起して国道の整備をした……という訳では、多分ないんだろうなぁ。
山林管理の一貫だと思われるが、とりあえずどんな理由でも道が利用されている状況があるならば、探索するうえでは大いに助かる。 ありがてぇ。
14:18 《現在地》
完全にスギの植林地に入ったが、とてもよいスギの香りがする。
大々的に手を入れられたばかりらしく、刈り払われたスギの下枝や切り株から濃厚な香りが放たれていた。
引き続き県道は近くにあり、特に意識を上に向けなくても自然と視界に白いガードレールが入り込んだ。いざとなれば脱出できるというのは、気持ち的に楽でいい。
上には県道、下には……。
眼下の斜面に大きな屋根が見えてきた。
地形図にも描かれている家屋だと思うが、地形図上ではどこからも道が通じていない。
この先にももう1軒あるようだ。
これが(前記した)午前中に対岸の国道から見た家屋であった。
見下ろす谷は、早くも爽快さを感じさせる高度になってきた。そろそろ地上とはお別れなのだ。
写真中央の赤○のところに、対岸からもよく見えた家屋がある。
家の周りだけはスギ林でなく、花を付ける木が多く植えられているようで、明るい世界になっていた。
あとは茶の木が植えられているのも見えた。水田がほとんどない当地方における生業の複雑さを思わせた。
国道は家の敷地の上端あたりを通過しているのだろう。道を境に上はスギ林、下は庭(?)であった。
そしてそのために、ここだけは下にある国道152号から【こうして】この国道256号が見えるのだ。
別のアングルから望遠で撮影した建物。
花咲く木々に囲まれた仙郷染みた一軒家は、見とれるほどに美しかった。
立地からして、この道との交渉は浅からぬものがあると想像されるが、果たして。
さらに進むと、眼下のスギ林に埋もれるように地形図に描かれていたもう一軒の屋根が見えたが、こちらはかなり荒廃していそうだった。
それを過ぎると、道は本格的なスギ林の中へ。
かつてないほど県道に近づいており、一見簡単に行き来できそうだが、県道の路肩には高い土留め擁壁があるので、どこでもというわけにはいかない。
まあ、いまはそんなエスケープルートのことを考える必要もなさそうだが。
国家の根幹となる道路網として政府の指定を受けている国道としては、さすがに名前負け過ぎる悲しい現状であるが、周囲のスギ林が放棄されない限りは、この道から完全に人がいなくなることはないはず。林業用作業路以下の存在感でも、道が道として生きているだけ、さっきまでよりはよほどマシと思える。
ん! 前になんか見える…!
きっキター!
近代廃道の象徴、石垣だっ!!
雰囲気的にも、きっと現われてくれるだろうと期待していたが、さっそく出て来たッ!
しかも、これはかなり規模が大きい。
いや……、ただの道としては規模が大きすぎる。
14:31 《現在地》
なるほどこれは、そういうことか。
ここはきっと集落の跡だ。
道の左右だけではなく、周囲の山の斜面が石垣によって段々に均されていた。
典型的な集落跡の地割である。
ちょうどそこを国道と県道が上下に並んで通っているが、地割だけがあって現代的な生活の痕跡はまるで見られなかった。
例えば電気や水道のための施設とか、ガラスとか、機械の破片とか、そういう現代生活に欠かせないものがまるでない。
したがってここは、県道などよりは遙かに古い、それこそ小川路峠越えの秋葉街道が、秋葉詣の盛況によって、歴史上最も盛んに往来されていたとされる江戸時代にまで遡る集落跡かも知れない。
先ほど見た僅かな家屋敷は、その最後の末裔だったのだと思われた。
ここは国道の道幅も極端に広く、路上の賑わいが想像された。
例えば茶屋があったかも知れないし、馬を休める場だったかも知れない。
廃集落跡にありがちな状況として、現在はスギが鬱蒼と茂っているが、本来はたいそう見晴らしの良い場所に違いない。ここはちょっとした尾根の先端である。
ひときわ広くなっていたのは、道が尾根を回り込むところだった。
ここには本当に茶屋でもあった可能性が高い気がする。この左側の僅かに道より高い地割とか、いかにもそれっぽいではないか。
国道はここで地形に沿って左へ曲がる。
この先も引き続き、鬱蒼とした植林地が続くようだ。
こうした植林地は、自然美に乏しく、見晴らしもあまり良くはないので、廃道探索の舞台としては中の下といったところだが、比較的安全でかつ楽に進めるという意味では大いにありがたい。
このように元来の地形が険しい土地での探索では、植林地があってくれることの安心感は絶大であった。
ここを曲がっても、しばらくは楽かな――
なんて思っていたら
道が消えたー!!
くっそ! なんてことだ。
例の“関係者から見せてもらった地図”によれば、この辺りで国道が何か変な動きをしている様子はなく、そのまま斜面をトラバースしながら緩やかに登り続けているはずなんだが、道がない。
あるいは、見えない。
断崖絶壁というわけではないから、進めないわけではないのだが……
糞
ほど歩きづらいッ!
…これは、地味にキツい。
なんでこんなに荒れ果ててるんだ…、このスギ林は。
太いものから細いものまで膨大な量のスギが根元から切られて(バッサリ切られていた)、それがなぜか回収されず、重力に任せて林地内に大散乱していた。
しかも、この狼藉が最近のことでないのは明らかだ。倒れているスギは相当に朽ち果てていたのだから。
作業道のようなまともに歩ける部分も見当たらないし、なんなんだこのスギ林は。
誰も通らない国道に対する、弱いもの虐めかよ!
なんてこった!
さっきまであんなに近くで、「いつでもおいで」みたいな顔していた県道のヤロウ。
いつの間にか、あんな遠くまで逃げてやがった!さっきの集落跡のところでしれっと九十九折りをして俺(国道)を置いて行きやがったんだッ!
もうこうなっては、哀れに朽ちたスギ倒木の隙間を縫って進むしかない。
人に植えられ、人に伐られて、しかも回収されずに朽ちる。そんな奴らの恨みの籠もった反逆が、通行しようとする私へ障害という形で殺到する。まるで腐ったジャングルジム。地面が濡れている状況じゃなくて、まだ良かった。経験がある人も多いだろうが、こういう腐ったスギ丸太は濡れていると、踏んだ時に50%以上の超高確率で転倒させる地獄の障害物になる。乾いていてもかなり危険なんだが、まだマシだ……。
こんな状況がいつまで続くの?
っていうか、ちゃんと国道を辿れてるのか、俺…。
獣道らしいものが縦横に通じていて、“トラバース緩やか上りの原則”を貫くつもりだが、自信がなくなってきたぞ。
やはり、地形図にない道は、侮れない…。
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