2023/10/2 16:22 《現在地》
入口から約1km地点の地点より、三尾河BPとしての唯一の完成区間が始まった。この完成区間は約1.3km続く。
その道路状況はご覧の通りで、形は完成した2車線道路なのに、交通量の極端な少なさや日常的な手入れの薄さが全く隠せていない。
例えばセンターラインや車道外側線の白線の薄れ方。あるいは、道路両側のススキや枝葉の車道への覆い被さり方などなど。
これはもう、行き止まりの未成道らしい道路風景としか表現のしようがない景色だった。
チェンジ後の画像は、何気なく撮した沿道の側溝の様子だけど……、これはヨメの掃除の不出来をいびりたくて仕方ないシュウトメじゃなくても顔をしかめるぞ。
これで開通から10年そこらの新国道だから悲しすぎる。全ては、環境が悪い。
前回訪れた2009年11月当時は、こんなチャキチャキした道路だったのに……。
この時以来一度も手入れされてないんじゃないかという疑惑が。
でもほんとこの時点では、バイパス工事がまもなく休止されなんてことは全く思っていなかったし、おそらく工事関係者だって知らなかったと思う。だからこそ、山中に忽然と出現した真新しい道路を目にしたあの日の私とよごれんは、我々の食い扶持である酷道が、あと数年、遅くとも10年後にはまた一つ減っちゃうねなんて軽口を叩いたのだが……。
この道に入って、初めてのスケールの大きな眺めだ。
頭上を高らかに超えていく2本並んだ高架橋は、東海北陸自動車道である。
一つ上の2009年当時の写真と見較べると分かるが、この十数年の間に高架橋が増えて4車線化が実現している。最初は奥に見える現在の上り線だけがあった。
4車線化工事の最中には一度も訪れなかったので、その工事で国道257号がどのくらい活用されていたかは不明だ。
ちなみに、この場所から最寄りのICは、西に6km弱離れたところにある荘川ICだ。
で、そんなことが公には構想レベルとしても語られたか知らないが、もしもここにICがあれば、下呂市方面から北陸方面へ向かう際の最寄りのICになったと思う。(現状では中部縦貫道の高山ICが最寄りだが55kmほども離れている。もしここにICがあれば45kmほどだ)
……え? 実現性の全くない話をするなって?
いやぁ……、真新しい国道と立派な高速道路が、一切の交渉なく交差しているのが虚しくてねぇ…。せめて、三尾河バイパスの開通の効果を最大化するような施策が欲しいと思ったんだが…。まあ…、高速交通体系から取り残された下呂市を救う意味では、地域高規格道路の濃飛横断道路が同市と郡上八幡ICの間に整備されつつあるので、やはりそちらが本命になるよなぁ。
16:26 《現在地》
高速道路を交渉なく頭上に見送り、さらに奥山への一歩を進めると、今度は橋が現れた。
どこにでもありそうな平凡な新しい橋だが、工事中の仮称は「4号橋」と呼ばれていた。
その名の通り、この三尾河BPが4度目に庄川を渡る橋である。
全長7.5kmの三尾河BPには、全部で1号橋から16号橋までの16本の橋が計画されていたが、うち【魚帰り橋】としてBPの事業化以前に既成であった1号橋を除けば、この4号橋が唯一、工事休止までに供用された橋となった。
悲しいかな、通り過ぎてきた【2号橋】と【3号橋】は未だにヒロセプレガーダーⓇだし、ネタバレするが、この先の5号橋以降にも完成した橋は………。
それを考えると、このバイパスの完成度は、最後まで低い状態だったんだなって思う。
唯一の完成の4号橋を渡ると、直後に目立たない合流がある。
ここで右から合流してくるのが、3号橋の袂で分れた以来の旧道(制度的には現役の国道)だ。
覗いてみると、入口同様、この出口も超やる気なさげに塞がれていた。
ちなみにこの探索の帰り道で、もう暗くなってからそこを通ったが、いかにも酷道という感じの川べりの【狭路】で、まだ荒れてもいないので自転車なら全乗車可能だった。また、東海北陸道の【高架を潜る部分】だけは、旧道なのに広い道幅が取られていて、国の事業の鷹揚さを感じさせた。後から県が国道をどのように整備したいと言い出しても、ある程度手広く対応できるようにしてあるんだなぁと。
16:29 《現在地》
さて、次のステージ。
4号橋から次の5号橋までの約800mは、三尾河BPの整備事業によって最初に供用された区間であり、3号橋から4号橋までの約500mよりも先に開通した。とはいえ道路の実態にこれといった違いはない。手入れがあまりされていないことに目を瞑れば理想的な2車線道路が、彼方の峠越え目指して淡々と登っていく。今回の私は自転車なので、それなりに時間を費やしながら進まざるを得なかった。(スタート時間が遅かったので、日が傾いてきて少し焦っている)
新道についてはあまり語ることのない淡々区間だが、地理院地図に描かれている旧国道に目を向けると、ここもちょっとややこしい。
正直なところ、本当に地理院地図が描いている通りにこれから紹介する旧道の国道指定が継続しているのか疑わしいところもあるが(道路台帳を見ないと確定出来ないので保留中)、国道マニアの端くれとしては、地形図に赤く塗られている道の現状把握を無視できないので、簡単に紹介しておこう。(このレポート的には少し蛇足だ)
まず、この写真の左には分岐があるっぽいのが分かると思うが、そちらを向くと次の写真の景色だ。
地理院地図だと、この草生したところが旧道で、国道の色で塗られている。
16:30 《現在地》
で、30mばかり進むと、大量の工事残土によって埋め立てられた土地に突き当たる。
地理院地図の旧道は、残土の山の下に辛うじて残っているような残っていないような、なんとも微妙な状況で放置されており、もしかしたらここが法的には未だ公道だから埋め立てていないのかもしれないと想像を駆り立てるが、実質的に全く使われてないし、無理矢理この廃道を進んでいっても結局――
残土処分場のただ中に放り出される形になる。
(この場所はバイパスの工事が休止された現在でも重機が置かれており、何らかの利用が継続している)
16:31 《現在地》
しかも、残土処分場の出入口を兼ねている旧道の出口部分は、このように塞がれている。「工事関係者以外立入禁止」の看板があるので、地理院地図では国道の色で塗られているのに、公道と思えぬ扱いだ。ただ、地理院地図が間違いでしたと言われればそれまでなので、あまり興奮しない。というか、早く先に行きたい。(←本音が出過ぎ)
ただ、ここまで紹介したなら、このことも言及しないわけには行かないだろう。
地理院地図に赤色で塗られている道には、この図のように行き止まりになっている枝道がある。
果たしてここが本当に国道なのか怪しいが、この行き止まりがどうなっているかというと――
こんな風になっていて、行き止まりの部分に1本の橋が取り残されている。
これは2009年の写真だが、2023年時点も変わらず存在している。
バイパス工事が始まる以前の国道だったこの橋は、行き場を失っている。
橋としては健在であり、地理院地図には変わらず国道色で塗られている橋だが、実際は残土処分場の片隅で、道路の扱いを受けぬ悲しい末期を送っている。
親柱とともに4枚の銘板が全て健在で、「帰橋」「かえりはし」「かりこ谷」「昭和五十五年三月二十五日竣工」だそうである。
隣の現道は、この「かりこ谷」というらしき小川を小さな暗渠で平らげているので、16本も架けられるはずだった新橋のレパートリーに、「帰橋」という変わった名が加わることはなかった。
なお、この竣工年は国道257号に昇格する前の架設であり、当時は岐阜県道245号三尾河麦島線といった。国道昇格によって消えた幻の県道の数少ない忘れ形見といえる橋である。
16:33 《現在地》
さらに現道を少し進んだところにも、現道の小さな切り通しを川側に迂回していた100m足らずのミニ旧道があり、そこも地理院地図だと国道の色で塗られている。
意外にもこの旧道は封鎖されておらず、車も自転車も通り抜け出来るが、短いこと以外には特徴がない。
これで寄り道は終わり。ここからは再び本題の未成道だ。
見通しの良い坂道の勾配が一段とキツくなり、西日に照らされたカーブの先になかなか辿り着けないもどかしさをこらえながらジリジリと登っていくと、この写真のすぐ先に、完成した道路の姿が破綻に転じる場面が、唐突に現れた。
入口から約2.4kmの地点にて、工事休止時点までに供用が果たされたと言われる区間の終わりに辿り着いたのである。
そこは、2009年の我々にとって、ちょっとした因縁の場所だった。
先に当時の状況を見て欲しい。(↓)
メッチャ工事中!
当然、通れませんでした!
あのときの我々は、建設されつつあったこの新道ではなく、その奥地に取り残されたいにしえの峠越えを探していたので、地図上では普通に(旧道が)繋がっていたここが、まさに工事中で通れないことはショックであった。そして、この工事現場を迂回して先へ進むために、引き返し、別の道から大迂回して行った(図)わけだが、それはさておき、ミキサー車が生コンを何らかの型枠に流し込んでいる姿も見える、このいかにも活発な工事現場の “兵どもが夢” を、2023年の再訪時に目の当たりにした。
それが次の景色だ(同じ場面)。
16:35 《現在地》
兵ども、居なくなってる……。
しかも、何か盛んに作っている様子だったのに…
完成した新道は、ここで終わっている。
左車線がなくなるよ、狭くなるよ、だから右に行ってねの「右向き矢印」と、その直後の道が左に折れていることを示す「左向きの矢印」が、短い間隔で相前後しているために、まるでサーキットに意図的に設けられたシケインのようだ。そのうえ突然道が下り始めるので、先の見通しは全くない。突然これでは、「減速!」の看板も立てたくなる。
で、このシケインめいた左へのねじ込むような下りの急カーブに入ると、道路の外の草地の中に、何かがあることに気付いた。
正体は――
庄川に面して建つ、大きな橋台だった。
ここには仮称「5号橋」が計画されていたが、見ての通り、工事は途中で終わっている。
2009年に我々がここで目にしたミキサー車が生コンを流し込んでいた構造物は、この橋台だった。
橋台は完成したが、上部構未着工のまま、10年以上を経過している。
かつて引き返した因縁の5号橋工事跡地。
これより奥には、さらなるカオスな世界が広がっていた。
覚悟をしろよ……
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