2023/10/2 16:40 《現在地》
5号橋建設予定地における未完成の新道と、旧道になるはずだった現道の位置関係は、この通り(→チェンジ後の画像)。
両岸の橋台が完成した後に工事中断となったため、先へ進むには狭い現道の橋を利用する必要がある。この橋の前後が酷いシケイン状の悪線形なのは、無理矢理に新道と繋げている影響が大きい。
現道の橋は、ガードレールや【親柱】といった付帯施設がかなり老朽化しており、橋そのものの狭さと合わせて古さを窺わせるが、銘板が失われているため現地では橋名も竣工年も分からなかった。「全国Q地図」の2018年度全国橋梁マップによると、橋名は「ドモセ橋」といい、竣工は昭和38(1963)年だそうだ。ちなみに長さ15.8m、幅3.0mだった。
前回登場した旧橋の「帰橋」は昭和55年竣工だったが、奥地にあるこのドモセ橋の方が古い。
ドモセ橋から眺める、左岸と右岸それぞれの橋台。
庄川の渓流を斜めに橋脚も立てず渡ろうとしていたようで、それに耐えるだけの大きく頑丈な桁を設置する設計だったのだろう。かなり重量感のある橋台だ。
そしてそんな重い桁を支える橋台を、さらに支える護岸もしっかり施工されていて、準備は万端。現代の工事らしい周到さが滲み出ている。
ただそれだけにコストは大きく、大小の新橋を全部で16も架けねばならない(+トンネルもあり)工事は、道半ばよりもだいぶ手前で立ち止まってしまったのだった。
5号橋(ドモセ橋)の先には、再び2車線の完備された新道が現れる。
ただ、この先の新道は、ここまで以上にカオティックだ。
これからその様子を見て貰うが、ひとことで言えば、この先では、新道らしい広い部分と、旧道のままの狭い部分を、頻繁に乗り継ぎながら先へ進んでいくことになる。
世の中にそういう道が他にないとはいわないが、その忙しさは少々度を超していて、不自然である。
そして、この先は前回訪れた2009年11月当時、工事中を名目で通行止となっていた区間である。
これは、本来ならもっと工事が進展し、ある程度の長い新道区間がまとまってから(ここまでの区間のように)供用開始させるはずが、工事がイレギュラーに中断されたため、そのまま無期限に封鎖を続けるわけにもいかず、細切れの新道と旧道がごちゃ混ぜになった状態のままで供用を再開せざるを得なかったのだと、私はそう考えている。
……とまあ、前置きはこのくらいに、見て貰おう。
これは5号橋を振り返り。
突き当たりのすぐ先に、5号橋の右岸側橋台が完成している。
だが、そこへ至る路盤は未施工だ。左岸同様に橋台は孤立している。
で、2009年の全く同じ場所の写真。
前回の最後のシーンで、2009年当時は通行止だったのに、なぜ写真があるかというと、実は「通行止」はドモセ橋だけで、大迂回して、終点側からここまで来れちゃったのである。(それも車のまま。工事の邪魔になるようなことはしてないよ! この行動を工事関係者が想定していたかはともかく…)
コンクリート打設中の橋台の様子がよく見える。
当時は、このまま橋の完成まで一気に行くんだと疑ってなかったんだけどなぁ……(遠い目)。
そして、この同じ立ち位置から反対方向(上流方向)を撮した写真が、次の1枚だ(↓)。
この写真、明らかに新道は未完成である。
足元の新道の続きは、いままさに重機によって切り崩されんとしている土山の斜面にあり、当時は右に見える半分沼のようになった泥塗れの旧道を、工事関係者や私のエスクードが行き来した。
さて、改めて2023年の同ポジ写真へ(↓)。
なんの変哲もねー道路になっていやがる!
って、それ自体は、この部分の工事が無事終わって新道が出来ているだけでなんら問題ではない。
10年そこらでこんなにも法面を始めとした道路周辺の緑化が進んでいることも、きっと喜ぶべきことなのだろう。
そして、2009年に我々が通った旧道は、もう草むらになってしまってほとんど判別が付かなかった。
地理院地図だと、その旧道部分も未だに国道の色で塗られているが……。
ともかく、2009年に引き返したり回り込んだりした“因縁の地”は、このように新道が出来上がっていて……、しかしなんかもう新道らしいフレッシュさはなく、……役目も乏しく…、ぼんやりしていた…。
5号橋の先のこの新道区間は、長さ150mほどの一つの直線だけからなる、とても短い区間である。
直線を淡々と進んでいくと、あっという間に左側から道幅が切り詰められていく。
ここに立っている2本の矢印看板は、道幅の縮小を伝えたいのだと思うが、直後にあるカーブは正反対の左カーブなので、ドライバーが勘違いしないか心配だ。まあほとんど車なんて走らないんで、心配するだけ無駄か。地元民(とマニア)以外、まずこんなところまで来ないだろう…。
このように、矢印とは反対方向へ思いっきり曲がりながら、急速に狭くなっていく(苦笑)。
いうまでもなく、ここからは旧道そのままの区間である。2009年も通った。
でも、2009年は、確かこのへんでも盛んに工事をしていた。(写真は撮っていなかったが…)
それがなんだったのか。
十数年ぶりに現地を見て、私は完全に理解した。
対岸に、橋台が!!!
しかも、
この橋台が見える対岸へ行く道は、まだない。
「エーーーーッ!!!」っていうバラエティ番組の定番の“ガヤ”が、私の中で大叫びしている。メッチャ楽しい瞬間だ!笑
まあ、事前に航空写真でこの状況を見つけた時が、一番驚いたんだけどね。
でも、対岸に橋台が施工されていることは、現地へ来ないと分からなかった。
2009年に何かやっていた工事って、対岸だったんだな。
そして対岸へ行く道は、工事の中断によってすっかり失われたご様子。
この辺りは、「地理院地図」と「SMD」の様子も、みんなちがって、みんないい。(笑)
より現状をリアルに描いているのは前者である。
SMDは、いったい何を根拠に対岸へ行く新道が開通済だと判断したんだ……。
SMDに描かれている道が忽然と存在しないのは、たまにあることだが、国道の現道でこれは珍しいぞ。
というわけで、今回の探索のハイライトと行こう!
庄川の対岸に、この6号橋の橋台が完成しており、さらに次の7号橋までの土工も、航空写真を見る限り、おそらく完成している。
6号橋〜7号橋の新道は、現道の対岸であり、かつ渡るための橋はない。
前人未踏(工事関係者除く)の“孤立国道”を、踏破せよ!!
2023/10/2 16:44 《現在地》
対岸にだけ橋台が既にある。
いまからそこへ向かうが、徒渉だけがその手段となる。
これまで私に数々の刺激的な探索(これとかあれとか…)を与えてくれた庄川の源流が行く手を遮っている。通常装備や長靴程度では足を濡らさず渡ることができない水量と川幅がある。私はこの展開を覚悟のうえで、普段の探索靴で来たので、意を決してザブザブ行く。
対岸から見る橋台は、川幅の分だけ離れているため視界の一部に収まるサイズ感だが、そこに一線を越えて近づくと……
その辺の二階建ての民家よりもデカーいのである!
足の濡れを受け入れなければ辿り着けない左岸へ、記念すべき第一歩を刻んだ。
この6号橋の左岸橋台が建造されたのは、工事中断となる直前の1〜2年の間であったはずで、具体的には平成20(2008)年か21(2009)年に概成したもののように思う。したがって探索時点で既に14〜15年は経っていた。
これがもし完成した橋の一部であれば、まだまだ新しいといえるのだろうが、「橋台だけ」という本来長く野晒しにされる前提ではない状況にあるせいか、十数年という月日以上に草臥れて見えた。
幸い、割れたり欠けたりといった破損は、まだ無さそうだが……。
橋台脇の地固めされた急斜面を攀じ登る。
この上には、まだ見ぬ未成道の地平が、待ち受けているかと思う。
航空写真には、それらしき土工が見えた。
今はどこにも繋がっていない、孤立した道が……。(←このシチュエーション、私の大好物である!)
16:46 《現在地》
うおー! 道だー!!
特別に変わった景色ではないが、@どこにも繋がっていない、A国道の未成道であるという、こんな二つのオイシイ要素があれば、外見が変わっているかどうかなんてあまり重要ではない。
発見し、辿り着いて、体験したことが、私にとっては重要だ。
10月の夕暮れの渓に濡らされた足も、報われたというもの。(このあと底冷えしてきて辛かった)
ここから先へ進む前に、もう一度振り返り――
片割れなき悲しき橋台に、慰めの歩みを刻め!
どこまで行っても見た目は普通な、ほぼ出来上がった橋台でしかないが、このシチュエーションは悲しい。
工事期間中は、当然対岸の現道との間に工事用の仮設橋なり土管橋なりが設置されていて、忙しく工事車両や関係者が出入りしていたはずだが、工事の終わり(というか中断)は、行き来するための仮設物を撤去させたようである。川を占有し続けるには、河川法とかいろいろ決まりがあるからなぁ…。
しかし、いずれの日か工事を再開できるとしても、また仮設橋の作設から始める必要があるわけで、工事中断によって二度手間が生じたのは間違いない。そもそも、未使用のまま何十年も経過してしまったら、この橋台が無事でいるかも分からない。こんな現状では、点検も望めないだろうし。
工事の中断自体は、大局的判断から仕方がないことだったんだとは思うが……(事情は机上調査の時に書く)、この橋にとってはタイミングが悪かった。
裏込めの土砂は充填されず、中空状態で川に面している橋台。
護岸はしっかり施工されているので、よほどのことがなければ壊されることはないと思うが、自然が相手だから不安はある。
対岸に見えるラインは、さっきまでいた狭い現道である。向こう側の橋台は、最後まで未着工だったようだ。
なお、先ほどから何度かこの橋台の状態に対し“完成”ではなく“概成”という表現を使ったが、概ね出来上がっているという意味だ。橋として完成していないのはいうまでもないことだが、しかし橋台に限定すれば、おそらく完成しているように思う。一部の鉄筋が露出していて未完成感があるが、この先は上部構の工事ありきの部分なんだろう。たぶん。
橋台を後に、未成道部分へ進む。
こちらは土工が概成している状況で、路面は未完成だ。側溝などの排水施設もまだない様子。
未舗装であるため、十数年の放置でススキがだいぶ生い茂っているが、道路幅を持った帯状の平場という道路らしい形状は感じられる。
そして写真からだとあまり感じられないかもしれないが、結構急勾配な登り坂になっている。
ここは6号橋と7号橋に挟まれた区間だが、川の蛇行に付き合っていた現道より短いぶん、勾配がきつめに出ている。
おおっ! これはっ!
「岐阜県」の用地標だ!
道路沿いでしばしば目にする何の変哲もない標柱だが、このシチュエーションは、取り残されたような悲しさを感じてしまう。
そこが現役の道路であるかどうかなんて、用地とは関係のないことなんで、用地標があること自体はおかしくないんだけどね…。
あ〜、世界に私だけって感じがする。
(↑ 大好きなシチュエーションの独り占めに、だいぶテンションが上がった。)
6号橋から50mほど進むと平場を覆うススキが薄くなり、概成した路体が顕わとなった。
ここにも簡単に砂利が敷かれているが、最終的にはこの上に路盤を整備し、さらに舗装したものが路面となる。
道は高い盛土によって川との比高を保っており、盛土の下には生長したスギの植林地がある。そのため川や対岸の現道がほとんど見えない。そのことがまた、この空間の秘やかさを深めていて、より私好みだった。
開通すれば、6号橋と7号橋の間のほんの一瞬で走りすぎてしまう場面だろうが、現状は、目的ある者だけを受け入れる、極めて濃密な空間だ。
世間的には、全く何の役にも立っていないけど……。
16:49 《現在地》
地形的に分かっていたことだが、足を濡らしてまで辿り着いたこの対岸の未成道は、とても短い。
6号橋の橋台から出発して僅か70〜80m後には、この7号橋の橋台に突き当たって終わってしまう。
こんなワクワクする道なら、もっと続いてくれても良いと思うが、終わりである。
終わりに、立つ。
ここからは、対岸の川べりを通る狭い現道がよく見えた。
“酷道”の汚名を返上する、新たな国道が半ば出来上がっているのに、橋がないため活用できないままに時を重ねている。
これまでいろいろな未成道を見てきたが、行き止まり以外の部分がこんな風に孤立しているのは、なかなか珍しいケースだ。
工事が終わったら行けなくなるなんて、普通は思わないよな。
7号橋橋台の正面には、川しかない。
対岸の橋台は、護岸ともども、未施工である。
だが、その先の陸地に新道の続きが既にあることは、スギの森の開け方から窺い知れる。
次はあそこへ向かうが、その前に置き去りの自転車を回収すべく、6号橋の徒渉地点より現道へ戻った。
これが現道側の風景だ。
ガードレールすらない川べりの狭路。
絵に描いたような“酷道”風景だ。
区間全体が行き止まりであることや、10年ほど前までバイパス工事で一般車の出入りが難しかったせいもあって、全国的にあまり知名度のある酷道区間ではないと思うが、この風景はたぶん多くの酷道ファンが好きだと思う。
バイパス工事がご覧の有様で中断されているため、現在は一応この現道が、国道の終点とされている地点まで(冬季閉鎖中でなければ)解放されている。きっと関係者一同、こんなツギハギな状態での再解放はしたくなかったと思うが…。
チェンジ後の画像は、現道から対岸の新道を覗き見ようとしているが、このようにスギの森が視界を遮り、薄ら築堤の緑が見える程度である。
現道側からもとても良く見える7号橋梁の左岸橋台。
橋台も、新道も、その全体が上り勾配に傾斜しているのがはっきり見える。
こんな露骨に未開通の道路を、開通したもののように描ききっているSMDの剛毅っぷりが面白い。誰かが指摘したら、次版では修正されたりするのだろうか。少なくとも2021年発売のVer.22以来未修正であることは確認済だが…(苦笑)。
……工事中断までに出来たものも、残りが少なくなってきた。悲しき工事の果てが、近づいている……。
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