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これまで多くのオブローダーを引き返させてきたに違いない、ここは“壁”。
トンネルを塞ぐ“壁”。頭上にも岩の“壁”。
抜け道は、どこにある?
現在地は、ウエントマリの旧道入口から約1km地点。一連の旧道の全長は約3.7kmなので、4分の1強を終えたが、ここで完全閉塞の鵜の岩トンネル(全長300m以上)が行く手を阻む。
先へ進むために、トンネル開通以前に利用されていたとみられる、古い地形図には描かれていた海岸沿いの道(旧々道)を見つけたい。
これから探すが、すんなりと見つかってくれるだろうか?
この先の行程が、おそらく今回の探索の肝となる。
ここさえ首尾良くクリアできれば、距離のうえではまだまだ遠い最終目的地「ビンノ岬トンネル西口」は、十分手中に収めうるはず!
車道だった旧道と、おそらく徒歩道に過ぎなかった旧々道が、同じ高さにあったと決めつけられないが、セオリー通りならば、トンネル脇に入口がありそうだ。……そうであってほしい!
そんな旧々道の入口を期待したい位置には、“謎の広場”があった。そこにはくつかの建造物の痕跡も。
木製電柱が目立つコンクリートブロックの小屋は、扉の前にある目隠し壁の存在と、扉が並んで二つあることから、古い便所だと思われた。またその手前にあるのは東屋(あずまや)の基礎っぽい。壁の高さが腰くらいまでしかなく、もちろん屋根もなかった。
“謎の広場”にあった建造物は、全部で三つ。
三つ目は、道路からは一番よく見えていたこの物体だ。
しかし、これはなんだろう?
コンクリート製の細長い建物のようだが、入口がない。では中も充填されているかといえば、隙間から見える内部は【空洞】だった。
構造物の周りにだけ化粧の石畳が敷かれており、その外側はかつて芝生敷きだったとみられる明るい空き地だ。
この清楚な雰囲気は、構造物に高い象徴性を与えようとしていたような感じがする。
ずばり、この見慣れない構造物の正体は、モニュメントだったろう。
写真は道路側の面だが、こちら側にだけ何か大きなプレートを埋め込んでいたような窪みがあった。3畳分はあろうかという巨大な窪みだ。
この窪みには、それに見合った巨大な文字で、「ニセコ積丹小樽海岸国定公園」と書かれたプレートが収まっていたのではなかったろうか。(そして廃道化の際に持ち出された)
ここは今でこそ人が滅多に訪れない廃道だが、かつては雷電海岸の最も風光に優れた核心部の入口として、シンボラライズされていたとしても不思議ではない。
というのも、昭和32年の地形図では目の前の岬の向こうまでしか来ていなかった車道は、昭和37(1962)年に鵜の岩トンネルが完成したことで、初めて雷電温泉に達している模様(蘭越町までの全線開通は昭和39年らしいが)。そして翌年の昭和38年には、この開通を見越したように、雷電海岸一帯は、ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されているのだ。
全国区の観光地としてお墨付きをもらったに等しい国定公園指定に沸いた関係者の熱量が、開通区間の入口というべきこの位置に、巨大なモニュメントとあわせて、東屋と公衆便所を顕わしめたのではなかったか。
今となっては、侘しい廃れた風景にしか見えないかも知れないが、期待に満ちたモニュメントだったと思う。
廃道では、優秀な冒険者であることだけでなく、“探偵”であることも求められるオブローダーだが、私はまだまだ甘かった。手掛かりを与えられていたのに、このモニュメントの“正体”を言い当てることに失敗したのである。
私なんかよりも、上記コメントをした読者の方が、よほど優れた探偵であったといえよう。
上記のコメント主の前では、私など探偵の土俵にすら上がっていなかったようだ。
恥ずかしながら、現地の私は全くこのことに思いが至らなかったが、そういうことだったのである。
旧道入口の車止めとコンクリートブロック封鎖の間のスペースに設置されている「開通記念モニュメント」にある「ニシン漁のレリーフ」と「碑文」は、もとは鵜の岩トンネル西口前広場のモニュメントに填め込まれていたものだったのだ。これが、謎のモニュメントの正体だ。
ん…? これはちょっと気になる発見だぞ。
いままで見ていた鵜の岩トンネルの塞がれた坑口は、地山よりも相当に突出した存在だった。
そして地山に接触する部分にも、坑門工らしき構造があったのである。
この光景は、トンネルの延伸が行われた可能性を示唆している。
よく見られる防災のための延伸だ。
これを延伸部だと仮定すると、その長さは20mほどに見える。
先ほど問題視した「銘板」と『大鑑』におけるデータの相違(竣工年と延長が違っていた)を、この延伸部が解決するように思われた。
昭和37年の開通当時はこの延伸部が存在しなかったが、昭和46年に延伸が完成した。銘板は、そのことを示唆していた可能性が高い。
もしかしたらいまも旧坑門に当初の扁額が残っている可能性もあるが、延伸部の価値を物語る崩土の山のために、確認は不可能だった。
15:49 《現在地》
まずは、自転車を“モニュメント広場”に残した。
鵜の岩隧道を迂回する行程に自転車を持ち込むのは自殺行為になりそうだから。
次に広場の隅へ向かうと、そこには確かに、道形と思える平場が、磯伝いに続いているのが発見された!
これは幸先がいい!
昭和30年代には利用されなくなったと思われる道だけに、初っ端から荒廃が進んでいる様子だったが、旧地形図の徒歩道が実在のものと確かめられたのは心強いものがある。
後はこれを辿り切れれば、目的を達成できるはずだ。
道が見つかると、欲が出る。
何かの間違いで、これも車道だったりはしないだろうか?
そうであれば、遺構の存在にも期待が持てるのだが。今のところは、車道にもなり得るくらいの道幅と勾配を維持していて、楽しみだった。
……だが、奥に見える“尖った岩”の先まで行くと……。
15:52 《現在地》
道がなくなった。
あまりにも呆気なく道が、
いや、地面そのものが、なくなってしまった。
入口から僅か50m、早くも行く手は荒くれの磯場と成り果てたのだ。
もともと歩道などあってなきが如しものだったのか、崩れ果てて形を失ってしまったのかは、まだ分からない。
だが、とりあえず道が見当たらないので、磯を歩き始めるしかなかった。
写真は道が途切れたところから、岩場伝いに20mほど進んだところで振り返った。
海面から5mくらいの高さを飛び石伝いに通ってきた。波が穏やかでなければ歩く気にはならなかっただろう。
背後に見えるのは親子別覆道だが、これ以上進めば見納めとなる。
名前は怖いが、頑丈で頼りになるいい奴だった。そのことがもう恋しく思える。
そして、次に私が目にする“立派な道”は、あれの続きでなければならない。
辿り着いてやる!
うわ〜…。
きっついなぁ……
どうしよう。
波が穏やかである以上、出来るだけ高い場所には上がらず、転落で負傷するリスクが低い波打ち際を歩行したいのだが、地形的にそれは不可能だった。
もう強制的に上がっていくしかないような地形なのだ。
草付きに頼って上がっていくことは出来るが、先が怖い。
予想はしていたが、案の定とても険しい岩場だ。
道がなければ、遠からず進む術を失いそうな予感がする…。
この探索中、私の思考の中には常に、平成24年に梯子滝と車滝に到達したという先人の姿がちらついていた。彼はいったいどんな装備と技術で、この親子別側から向こうへ辿り着いて見せたのだろう。
彼の残したという感想……「しんどかった」……が、早くも私にも実感されつつあった。
高巻きをするのも限度がある。
頭上はこのような凶悪な絶壁に抑えられているから、どこかで水平移動に切り替えねばならない。
一点突破のポイントが、どこかにあると信じたいが、果たして初見の私に見いだせるのか。
不安に苛まれながら、慎重に草付きを上った。
15:55(迂回開始6分後)
あれは平場では!!
垂直に切り立っている大岩の表面を巻くように、平らな部分があるように見えた。
海面からは10mほど高い位置であり、偶然の地形かもしれなかったが、先へ進むには頼るしかないだろう。
藁にもすがる気持ちで平場に近づくと、その始まり(○を付けた位置)に、なんと人工物を見つけた!
岩に穿たれた小孔に通された、存置ロープの残骸らしきものが!
最近のものではないように思うが、ここが岬を回り込むことのできる貴重な通路である可能性を示唆していた。
私はここで、先人というべき、何者かの誘いに触れた可能性があった。
暗夜に灯台の灯を見るようなこの発見に勇気を得て、見えないロープにたぐり寄せられる心境で、平場へよじ登ってみると、
そこは思いのほかに狭く、天然のテラス地形である可能性が除外できなかった。
だが、すぐさま追加で発見された“人工物”が、私の不安を打ち消した。
“存置ロープ孔”の5mほど先に、今度はもっと明確で手の込んだ人工物があったのだ。
それは、岩場に埋め込まれた細い1本の金属棒だった。錆びきっていたが、間違いなく人工物。
遊歩道の手摺りのようには見えなかったものの、通行人を転落から守る目的のものに違いはなかろう。
ならば、ここが旧々道なのではないか?!
しかし!
15:57(迂回開始8分後)
にゃ〜ん!!!(涙)
微妙に途切れているッ!
比較対照物がないのでスケールが分かりづらいと思うが、落ちたら負傷は免れまい。海面は5m以上下だ。
幸い……、典型的な礫岩の岩場はとてもゴツゴツしていて、手掛かり足掛かりは豊富である。
なので、勇気さえ出せれば、道がない部分をカニのように岩場をへつって、突破出来ると思った。
思ったから、その通りやったらば――
うああぁぁぁ!!!
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現在私のいる場所を、少しでも客観視するには、この全天球カメラの画像が良いだろう。
道というよりは岩場。 写真からは、誰もがそういう印象を受けると思う。
だが、私はここに決定的ともいえる“道の証拠”を発見した。私が背を向けている方向を、よくズームして見てほしい。
2018/4/25 15:58 《現在地》
なんと、隧道があった!
さすがに天然の海蝕洞には見えない。手前の道形と合わせて見ても、確実に人工的な隧道だ。
ここには確かに、昭和32(1957)年の地形図に徒歩道が描かれていたのだが、トンネルの記号はなかった。
描かれないほど短い可能性も高いが、ここからは出口は見通せず、長さも、貫通の有無も不明だ。
「きたのたき」に登場した“到達者”も、ここを通ったのだろうか。
しかし、喜びのあまり、走って隧道へ飛び込むのはNGだった。
先ほどの写真では隧道前に何の障害物はなさそうに見えるが、実は入口にこんな裂け目が。
隧道の大きさとの比較になるが、この裂け目は人の背丈より遙かに深く、飛び込んだら大変だ!
当然、飛び越せるような幅ではないので、面倒でも一旦底まで下りて、また対岸をよじ登る必要があった。
(それにしても、この1本だけある木の柱は、橋脚の残骸だろうか? 正体不明)
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裂け目の底で撮影した全天球画像。背丈よりも深いことが分かると思う。
隧道の洞床までは背丈の約1.2倍、さらに天井はその倍くらいの高さにある印象だ。
ちなみにこの裂け目は海側に開けており、おそらく高波の侵食によって作られたのだろうが、それでも海面との高低差は5m以上ある。
ここまで波が上がれば、隧道も波を被るだろうが、それを目撃するような状況になったら、もはや生還は絶望的だろう。
だから、誰もそんな景色は見たことがないのではないかと思う。
手掛かり豊富な岩場をよじ登って、洞床に手が届いた。
祝!貫通!!
もはやこの手の探索では常識になりつつあるが、隧道は基本的に強固な構造物だ。
放置状態に置かれた場合、屋外の道路よりは遙かに原型を止める力が強いと感じる。
もちろん、地圧に屈して圧壊したり、出入口が埋没して失われるという、隧道ならではのリスクはあるが、
それでも四方を硬い地盤に守られている強固さは、隧道の最大の強みである。
貫通していると分かれば、ありがたく通り抜けるだけだ。
この道をかつて作設した何者かに、隧道を掘るだけの“本気度”があったと判明したことは、
この道を頼るほかに、自身の目的を達成する術を知らない私にとって、大きな励みになった。
隧道は完全な素掘りで、内部まで高波に洗われるのか、外の壁と同じ手触りだった。洞床も当然、ゴツゴツした岩場そのもの。
長さは推定15mほどで、歪にカーブしていて、ほとんど測量をせずに掘り進んだのかもしれない。
断面サイズは高さ2.2m、幅1.2m程度で、いかにも人道専用のサイズ感。
ここに道があり、隧道があることが、今までどれくらい知られていたのかは気になるところだ。
隧道を抜けると、地面がなかった。
そこにあったのは、隧道前に乗り越えた裂け目を、そのまま10倍に拡大コピーしたような地形であった。
人体のスケール感からしたら、もう一つ一つが城壁と思えるような巨岩怪石が、放埒な侵食に任せて、ゴロゴロトッチラカッテイタ。
あわや道を完全ロストかと冷や汗をしかけたが、よくよく上の方まで観察すると、道はこの難場をまた大きく高巻いて、草付きのレベルで越えるらしかった。
これが最近に発生した大崩れならば、こういう道にはならないだろう。昔からの崩れなのだと思った。
(→)
波打際での旧々道探索に入ってすぐにも一度あった展開だが、またもこうして怪しい草付きをよじ登るのか。
これは完全に人道ならではのアップダウンで、車道ではあり得ない。登山道やら獣道と大差がない。
しかし、そんな道にも隧道を必要としたところに、如何ともしがたい険しさが証明されている。
それにしても、凄い眺め。
これは斜面を登る最中に、潜り抜けた隧道を振り返って撮影したのだが、こちらから見るとまるで道の気配が感じられず、岩場に口を開けた天然洞窟にしか見えなかった。
もしこちら側から最初に遭遇していたとしたら、トンネルとは思わなかっただろう。もっと近づいたところで初めて気付いて、たいそう驚いたことだろう。
昔はもう少し道がはっきりしていたのかもしれないが、高波に洗われ続けた結果、こんな荒々しい姿になったのだと思う。
ちなみに、今日のように波が非常に穏やかな状況であっても、隧道を使わずに波打ち際を通過するのはおそらく不可能である。泳ぐというならば別だが…。
(→)
一気に高くなったなぁオイ……。
正直、滑落が怖いので、高巻きなどあまりしたくないのだが、道のないところを歩くよりはマシだと思う。
道を辿っているのだという気持ちの拠り所が必要だ。
それがなければ、こんなおっかない海岸線を独りで歩き回る気には滅多になれない。
ましてこんな、雨あがりと言えるかも微妙な天気のしかも夕暮れ、加えて、おそらく戻ってこなければならない往復切符の道行きなど……。
16:04 《現在地》
そうだった。ここで少し間が空いていたGPSでの現在地の確認をした。
するとここは、鵜の岩トンネルが貫く碗状の岬のちょうど中間付近、つまり、一般的には岬の突端と見なされる位置に到達していることが確認できた。
入口から見れば200m以上進んでいて、残りも同じくらいになっているはずだった。
道を見出したおかげで、恐る恐るではあるが、着実に前進できているのは嬉しかった。
ううう…… ここ怖い。
ここまででは、断トツで怖ぃ…。
海面から20m以上の高さで、怪しい草付きをトラバースしているが、道形らしいものは微かに見える。
だが、目の前では上下の崖に道が挟まれ、なんかもう、枯れススキの下が本当に地面なのか怪しい感じに狭まっていた。
上下に迂回することが出来ないかを観察したが、正面突破の方が、まだマシそうな地形で…。
「た、たのむから、踏み抜くなよー」
恐る恐る、この恐怖の数メートルを潜り抜けた私が、次に目にしたものは、形を持った――
絶望
地形図からは、正直ここまで凄絶な地形を読み取れなかったが、グーグルの提供する航空写真では嫌な予感を感じていた。
現われたのは、先ほどの隧道とは比較にならない巨大な海蝕洞を一つだけこしらえた、悪魔の居城の如き大絶壁だった。
出発直後は、旧国道の遙か上方彼方で、白雲に絡みつかれていたものが、岬の突端で遂に海面へ直落する姿だった。
先行した誰かが、何をどう言おうとも、
私には絶対に越せないと思った。
海蝕洞が隧道を兼ねたことを証明する
あの並んだ“鉄棒”を、
見つけてしまうまでは……!!!
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