道路レポート 神津島の砂糠山にある廃道 第1回

公開日 2016.2.19
探索日 2013.4.01
所在地 東京都神津島村

“山行が史上最大”の崩壊斜面


2013/4/1 10:39 《現在地》

「この島は、大丈夫なのか?!」

こんなの多分、余計なお世話なんだろうけど…
島が現在進行形で壊れていってないか?
ある日突然に沈没したりしないだろうな?!

これは多幸湾に上陸した誰しもが否応なく目にするはずの、神津島流“おもてなし”の風景だ。
(正面に見える大きな建物が東海汽船の窓口&待合所)

まさか、同じ東京都内で“日原旧道”より規模の大きな崩壊地を目にするとは思わなかったが…。
しかもただの崩壊地というわけではなく、これが私の進路上にあることは一目瞭然でありまして。
アハハ…ハハ…ハ……。



昨日の新島に続いて、神津島の都道とも初対面!
この島に1本だけ認定されている都道長浜多幸線の終点付近から、この島での自転車旅を始める。

…のだが、本格的にこの都道を使うのは、当分はお預けだ。
首尾よく砂糠山の最寄り港である多幸湾(三浦港)に上陸した私は、早速そちらへ向かうことにする。
どこまで自転車で行けるか分からないが、行けるところまで行くのは、いつもと一緒。




交差点に設置されていた観光客向けの周辺案内図を見る。
だが、「誰もそんなところ行かないよね?」とでも言うように、砂糠山方面は完全にフレームの外だった。この程度で動じる私ではない!

それより目を惹いたのは、上にあるキャッチコピーが完全に中2メッチャ格好いいことである。
「神々の集いし島 神津島 Kouzushima The Island of Gods」



神々が集ってる島で、まもなく“おいた”をしようとしている私は、どうなっちゃうのかなー。

そんな他愛のないことを考えながら海岸沿いの狭い道を東へと進んでいくと、100mも行かないうちに、行く手には確実な荒廃を約束された風景しか見えない状況になってきた。
今はまだ美しい海水浴場を望む朗らかな海辺の道だけど、進路には絶望しかない。
こんな崖を見ながら海水浴出来るのは、日本でもここだけじゃなかろうか?(笑)

つうか、マジでこの先の山の上に、地図に描かれていたような、大きな建物はあるのか?
そもそも、道が通じている気配が無いわけだが。
どうやって資材を運搬したのかとか、根本的に謎だらけだぞ…。




あ〜、これはもう道… 終わってますねぇ。

まだ都道から200mも来ていないが、予想外とは言わないでおこう。
実際に地形図でもこの辺りまでしか“実線”の車道は来ていない。この先は全部が“破線”の徒歩道だ。

なお、この終点らしき所にある囲いは、海水浴場に付き物の脱衣&シャワースペースだと思うのだが、素晴らしいのは、使用される水が水道では無いことだ。
左の斜面からは常時勢いよく地下水が流れ出ていて、完全掛け流し状態になっている。

一般に島というと水不足のイメージがあり、新島でもそう思っていたが、さすがは「水分け」の神会議が行われた山だけあって、ここにはそんな常識も通用しないようだ。
この神津島では常識に囚われてはいけないのですね!



10:57 《現在地》

本当に、道が終わってしまったよ。

終点には、本当に何気なく置かれたような木製のA型バリケードが一基だけ。
そこには「大島支庁」とだけ書かれていた。神津島は新島と共に東京都大島支庁の管轄である。

だが、バリケードの向こうを良く見ると、この場所が本当の“道の終点”というわけではないようだ。
なぜなら、左の山際にこれまで同様のコンクリート擁壁が、もう数十メートルは続いているのである。
恐らく、もともとはまだ先まで道があったのだろうが、砂に埋もれてしまったのだろう。
砂漠によって滅びた古代都市のように…。

そしてもうこのまま、先へ行っても二度と道が現れることはないようだった……。



改めてGPSでこの終点の現在地を確かめると、都道から200m弱、船を下りた地点から400mほどしか移動していない。

対して、私の目的地(山上に描かれた建造物)までは、ここからまず海沿いに砂糠山の麓まで1.6kmほど歩かねばならない。
さらに、そこから谷を上る行程があって、ゴールまではプラス400mくらいあるようだ。
合計すれば、片道2km以上。

そして、「道路を糧とする」オブローダーとしては正直いって気の重い展開だったが、この時点で車道からは見放されてしまった。
もうこの先では、「道なき道を行く」なんていう使い古された言葉のままの行程を余儀なくされるのであろう。
それは即ち、自転車を放棄せざるを得ない事をも意味していた。

…このとき一瞬、「地図に描かれた建造物の確認に、果たしてそこまで時間をかける価値があるだろうか」、という疑念を持ったことも事実である。
島で過ごせる限られた時間を、この探索は間違いなく大量に消耗するという予感があった。





だが、私はその迷いを振り切って、初志貫徹を目指す事にした。
決め手になったのは、ネット上にまったく情報が無かったということだ。
このまま帰宅してしまえば、答えを知られる機会はもう2度と訪れない可能性さえあると思った。

そして私は新島でやったのと同じように、デカリュックから子リュックを取り出し、必要な道具だけを持っていくという“親亀子亀作戦”をスタートした。
残していく自転車とデカリュックについては隠す必要さえ感じなかったので(海水浴のシーズンでもないし、ここは集落からは遠いし、さらに今日はもう船の入港もない)、そのまま道の終点に置き捨てた。どうせ私にしか価値の無いものばかりなのだし。

 探索、スタート!




道路は、
まだ死んでない…!

とんでもない状況になってはいるが、まだ当分は法面の擁壁が続いているのが見える。
ほんとうに、とんでもない状況になっている…。
でも、これは間違いなく、昔は車道だった感じがする!! オブローダー血圧上昇!!!




今まで見たことが無いくらいに、青い海だった。
正確には、この色の海を見たのは昨日からだった。これらは生まれて初めて触れ合う、“外洋”の色だったのだろう。

その青い海が、ゴミひとつ無い砂浜(これまた外洋だからだろう)に押し寄せては引いていた。
本当に美しい砂浜ではあったが、海水浴には向いていないかも知れない。
だって、海の上には遠浅でないとしか思えない色があったから。




3枚上の写真で遠望した道路“らしきもの”へ辿り着いた。

果たして、それは確かに道路“らしかった”。

しかも、そんなに古いものでも、脆弱なものでも無いように見えた。
道幅こそ1車線分しか無いが、路肩と法面の両側にコンクリートの立派な擁壁を持った、ちゃんと手間の掛かった道路だ。
また、このどちらかだけしかなかったならば、単なる護岸壁で道路とは関係ないとも疑われるところだが、これは道路に違いなかったのである。



本来の路面は完全に堆積した砂や瓦礫に埋没し、見る事が出来なかったが、

かつて一度はここに道路が存在していたに違いない…!

擁壁に引き続いて、見馴れた消波ブロック(テトラポッド)も、地中の道路に加勢していた。

もう、そんなことをしても二度と道は使われることなど無いだろうに…、愚かしいほどに健気。



普通であれば、これだけの人工物があれば、道を守り切ることも不可能では無かっただろう。 普通でさえあれば。

神々の島は、“全て”を消し去った。

そこに一切の手心が加わった痕跡は見られない。


だが、冷静になってよく考えてみれば、これだけの崩落が我々の暮らしの中で突如起きたとしたら、それは“大災害”である。
そういう記録がもし無いとしたら、我々は道路という物心を得たとき、既に現在進行形で崩れていた大地へと、
無謀にも、蛮勇を持って切り込んだのかもしれず…、
ここで人と自然のどちらがより積極的な加害者であるのかは、容易に判断出来ないと思った。

どう考えても近年に始まった崩落じゃないだろ……。



いま私がいる場所は、港から見た写真に照らせば、【ここ】だ。

崩落そのものの規模、すなわち崩落斜面の面積や崩土の容積的な部分についていえば、
これは間違いなく私がこれまでの人生で目にしたなかでの、圧倒的最大規模であった。
この場所に較べれば、今までの全ての崩落地は、ヌコのように「小さい」。



だが、踏破自体はとても容易だ。(跳ね石直撃などの危険はある)

理由は単純で、私にはほとんど滑落出来る高さがないことと、
粒が細かく乾ききった瓦礫からなる崩落斜面が、麓付近では
30度程度の緩い安息角で安定しているためである。

踏破の難易度的には「手応えがない」が、それでも退屈を感じるようなことはあり得なかった。
天上山の山頂が乗った標高500m内外の山上平地の南面が、海岸まで間断なく一挙に崩れている風景は、
絶景というより他に言葉がない。この初めの原因は、海からの強い吹き上げで転げた一つの小石であったやも知れぬが、
今では人類にはおろか、神の手をもってしても、この無限に続く崩落の連鎖を抑えることなど出来ないのではないか。



遠くから見たときにひときわ白く目立っていた崩落斜面(専門的にいえば「崖錐斜面」)は、
既に突入から200m以上もザクザクと横断を続けているが、未だに終わっていない。
だが、ようやくその終わりらしき、崩落に呑み込まれず頑張る僅かな“森”が近付いてきた。

ここに至って、海岸線を覆い尽くす瓦礫の厚みもやっと減少に転じ
(正確には調べようもないが、恐らく高い所ではビルの3階の高さくらいまで瓦礫に埋もれてる)、
しばらく見えなくなっていた消波ブロックが、海岸線からは随分と内陸の地点に現れ始めた。
これはつまり、崩落のため海岸線が相当後退したということだろう。(神津島村の面積が増えてる?!)

ただ、こうして消波ブロックは地中から出て来つつあるが、

道路の方は、どうなったんだろう…。




11:08 (歩行開始から11分後) 《現在地》【現在地(俯瞰)】

道路、来てる!!(嬉)


崖錐斜面を300m横断し、心理的にも肉体的にも完全に“日常”から離脱したこの場所で、

砂糠山へと向かう道路の続きを、私は再び掴んだ!!


ちなみにここ、地形図にははっきりと“川”(つうか水線)が描かれてるんだけど…。



いったいどこに川が…、水が……。

確かに、「谷」と呼べるものはあるんだけど……。

つうか、ああっ!

噴煙がっ!
神津島火山がぁーー!!!




一瞬、マジで噴気活動が始まったかと思ったじゃねーか……(汗汗)。

涸れ谷の奥では、今、まさに小規模な落石が発生したのだろう。
その結果大量の砂煙が巻き起こり、それが谷の乱気流で立ちのぼったのだと判断した。
噴煙でないと理解した後も、落石の規模が判明しないうちは、
こちらまで波及するのではないかという怖さを感じた。

この山、マジで尋常じゃねー……。



こんな大岩まで転げ落ちてきてるし…。
岩が転がってる場所は、もろ路面の上であるはずだし…。

擁壁があるから、ここが道の上なんだろうと分かるけど、ここまで痛めつけられてる道って、可哀想すぎる。

前も言ったように、そんなに古い道には見えないのだけど、まともに利用できていた期間って、どのくらいあったろコレ…。




ここまでの10分少々の間の我が軌跡を振り返る。

なんにもない!

と、思わず言いたくなる眺めだが、実際にはそうでは無かった。
非常に断続的ではあるが(というかほとんど消えている)、確かに一連の道のものと見做せる擁壁が、港の方からずっとここまで続いている事が分かる。
高さにも整合性が有るし、現在の地形図では破線(徒歩道)の海岸沿いの道の正体は、半ば地中に埋もれてしまった自動車道!
ここまで埋まってしまうと、もうどんなことがあっても発掘される気がしない。
それに、多分あと10年くらいしたら、“全て”埋もれてしまうのではないかという気がする。



進行方向に向き直ってみれば、多少は砂糠山の姿が近付いたと分かるが、まだ道半ばと言うには遠い。

足元には、圧倒的な暴力を前に抵抗を諦めた、憐れな道の残骸が連なっている。
もしこの道の先に、新島の時みたいに集落でもありさえしたら、この道は棄てられたにしても、
人は絶対に交通の維持を諦めなかったと信じられる。だが、この先にあるはずの“山上の建物”は、
それほどの絶対的な必要性を、島民や東京都に対して、説得できなかったか。

地図を見る限り、この道の先にあったのは、“それだけ”だもんなぁ…。




もう、許してやれよ…。