道路レポート 国道353号清津峡トンネル旧道 第1回

所在地 新潟県十日町市
探索日 2018.11.30
公開日 2019.01.04


2018年11月中旬、当サイトの読者である井之川氏より、とても興味深い情報提供メールを頂いた。
その内容は、以下の通りである。

初めまして。いつも楽しく読ませて頂いてます。私の拙い文書でちゃんと伝わるかわかりませんが、情報提供をさせて頂きます。

場所は新潟県十日町市東田尻という所で、十日町市と合併する前は、新潟県中魚沼郡中里村東田尻という場所になります。
そこから旧国道353号線が、清津川に沿って廃道として1キロくらい残っています。今から35年ほど前に新しい清津峡トンネルが出来て353号線がそちらに移ってから、何年かは遊歩道として残ってたのですが、管理に費用がかかるのか、いつのまにか廃道となってしまいました。
情報提供者 井之川氏のメールより

《広域図(マピオン)》

新潟県十日町市の清津川沿いを通る国道353号清津峡トンネルに、旧道が存在すること。そしてその旧道に1本の旧隧道が存在することは、以前から私も地図上で把握していたが、未探索だった。(平成18年修正版の2.5万分の1地形図には旧道と隧道がともに描かれているが、最新版の地理院地図では、旧道は描かれているものの、そこにある隧道の表記は削除されている)

地図上では1本のように描かれている清津峡トンネルだが、「平成16年度道路施設現況調査」によると、清津峡第1トンネル(全長180m)と第2トンネル(全長646m)という2本のトンネルからなっているらしく、いずれも竣工年は昭和57(1982)年である。トンネルが沢と交差している箇所があるので、そこで2本に分かれているのだろう。

清津峡トンネルが開通する以前に使われていたのが、旧道の瀬戸口隧道で、「道路トンネル大鑑」によると、全長134m、車道幅員3m、限界高3.7m、竣功昭和29(1954)年という年代物である。

このように地図と資料によって概要が判明していたこともあり、探索の優先度がなかなか上がらず今までスルーしていたが、今回はこのトンネルについて情報提供を頂いた。
なんでも、旧国道になってから数年の間は遊歩道として使われていたが、現在は廃道になっているという。
確かに、地図上の表記が徒歩道を示す破線になっていたり、最新の地理院地図では隧道の表記が削除されていたりと、廃道化の気配は濃厚だ。

ふむ。これを機にそろそろ探索しても良いかな……と思ったくらいにして、まだ幾分ゆったりと構えていたのだが、読み進めると、このメールにはまだ続きがあって、その内容に大いに昂ぶらされたのだ! 情報提供メールの続きは、以下の通り。


(つづき)
グーグルで十日町市東田尻で検索すれば旧清津峡トンネルの入り口は見ることができます。約150メートルくらいの片洞門を行くと、旧清津峡トンネルの入り口にたどり着けるのですが、実はこの片洞門の間にもトンネルが存在しているのです。今となってはこの事はごく一部の地元の人しか知らない、また、確認したわけではないのですが、「中里村」の歴史の本を探しても多分載っていない事実だと思います。

今から45年ほど前、私が3歳くらいの時、祖母におんぶされながら通った事が、私の中の忘れられない記憶として残ってます。
勿論、車両などが通る事は出来ないトンネルです。私が生まれる前だと思いますが、旧353号線が清津川沿いに出来て、車一台がなんとか通れるようになって、観光客が清津峡に行くのが可能となったのですが、それまでは本当に僻地で、そのトンネルを徒歩で行かないと、清津峡には辿り着く事は出来なかったんだと思います。

この東田尻という部落から、角間という部落までの約1キロの区間が旧353号線の最も危険な場所なのですが、冬の雪崩や道路からの転落などで、何人もの命が失われた場所でもあります。遊歩道であった時も地元の人はまず、通る事はなかったと思います。また、時代も移り変わって、旧道が通れる頃に、実際に通った事がある人でさえ少なくなってきました。

色々書きましたが、是非ともヨッキれんさんによるこの旧道のレポートを読んでみたくて、情報を提供してみました。是非ともよろしくお願いします。
情報提供者 井之川氏のメールより


このメールの内容から私は、右図に「」で示した範囲内に、地図には描かれていない隧道が存在する と解釈した。

情報提供者(古老というほど年配ではない)の幼少の記憶に残る、「車両などが通る事は出来ないトンネル」。
当時既に、昭和29年完成の瀬戸口隧道(=旧清津峡トンネル)があったはずだが、その手前(東田尻側)の“片洞門”になっている場所に、そのような隧道があったという。
単純に考えれば、その小さな隧道が後に開削されて、現在ある“片洞門”となったのではないかと思うところだが、メールの内容を読む限り、そうではないのだろう。

メールには、グーグルマップでこの片洞門や瀬戸口隧道の入口を見ることが出来ると書かれていたので、実際に見てみると…(↓)

ん? 旧道は描かれてはいないっぽいけれど…。

もしやと思い、ストリートビューに切り替えてみると――


(→)
心沸き立つ立派な片洞門が見える! その奥には、いかにもな感じの素掘りの坑口を見せる瀬戸口隧道の姿も!

これは確かに探索したくなる景色だ!

しかし、情報提供者が教えてくれた隧道は、どこにあるんだろう?
この片洞門区間に、隧道があるという話だったと思うが。



(↑)このビューは、上のビューの立ち位置である橋の上から、その北側の袂へ移動したところだ。

ここは旧国道の入口で、いかにも廃道らしい「通行止」の看板が掲示されていてワクワクするが……、

その塞がれた入口の数メートル左、草が茂っている辺りの日陰に目を向けてみると―

坑口らしき“暗がり”が見える!

これか! これが、情報提供者が伝えたかった隧道か?!





この貴重な情報提供をきっかけに行った現地探索では、情報にない、さらにとんでもないものを見つけることになった。

ほんとうに、それは、とんでもない………。




清津峡トンネル旧道を、南口から攻略開始!


2018/11/30 6:46 《現在地》

国の名勝・天然記念物に指定され、“日本三大峡谷”の一つとも称される、清津(きよつ)峡。
今回の探索は清津峡の2kmほど下流、その玄関口となっている十日町市小出(こいで)よりスタートする。
私がこれから探索したいのは「清津峡トンネル」の旧道であるが、その名に反して清津峡にはなく(広義では含まれるのかも知れないが)、ここから1kmほど下った(つまり清津峡からは3kmほど下流)ところに存在している。

なお、この日は朝から生憎の雨模様であり、川沿いの廃道を探索するにはいささか不向きとも思えたが、雨は前夜より降り始めたもので、まだ川の水量を大幅に増やすことはないと思えたことと、雨を避けられるトンネル探索がメインになるだろうということから、決行した。

写真の道は新潟県道389号清津公園線で、右奥に見える橋は清津川に架かる万年橋という。橋のこちらは小出、対岸が葎沢(むぐらさわ)で、葎沢を国道353号が通っている。



これは万年橋から撮影した清津川の下流方向だ。

小出と角間(葎沢の下流にある)の集落が川を挟んで相対しているが、そのすぐ向こうには山がそそり立っていて、重苦しい低い雲が垂れ込めている。
この景色を見て、探索の意欲を高める人はあまりいないと思われるが、正直私も同じ感想だ。
えらく薄暗いのはまだ朝だからというのもあるが、日の出の時刻はもう過ぎているはず。

ちなみに、出発直前に見た気温は約4℃で、十分に防寒対策はしているものの、雨に濡れれば絶対に寒い思いをする状況だ。
出来るだけ速やかに、順調に、この探索を終えて温かな車に収容されたいという弱気は隠せない。




6:49 《現在地》

県道389号の起点である、国道353号との合流地点だ。
清津峡入口のバス停があるここを左折すると、目指す清津峡トンネルまでは残り800m。
左折して、国道353号を津南・十日町方向へ!

チェンジ後の画像は、国道へ入って最初のスノーシェッドを過ぎた辺りの角間地区の景色だ。
川の下流へ向かっているのだから当然だが、下り坂で、しかも直線で、自転車なのでスピードが乗りまくって、一気に尻がぐっしょりした。(後輪からの水跳ねで。泥よけをつけても廃道探索ですぐ壊れるので付けていない) ふへへ…。



下り坂が徐々に平坦になって、最後に少しだけ登りはじめると、角間集落の端っこだった。
そしてペンション風の最後の一軒の向こうに見えてきたのは、トンネル!
探索外での通行経験もない道だったので、初めて見るトンネルに少なからずテンションが上がった。これが今回の探索の舞台、清津峡トンネル!!

さらに近づくと、道路工事看板が立っていた。
今は時刻が早いので工事はやっていないが、あと1時間半で工事開始である。
気になったのは、トンネル名の表示だ。「清津第2トンネル」と書かれているが、正しくは「清津第2トンネル」であるはずだ。(どうでもいいことにうるさい道路ユーザー…笑)




6:53 《現在地》

It's very easy !!

思わず浮つくほどに、絵に描いたとおりの新旧道分岐地点が現われた!
しかも、これから向かおうとしている旧道の第一印象がいい。
入口に面倒くさいバリケードや人の目がなくとてもシンプルでありながら、好ましい頽廃の雰囲気も醸している。望ましい。身体は早くも冷えているが、別のものからの震えが走った。

なかなかのお宝なのかもしれんぞ、この旧国道は。
もっと早く来ても良かったのかもな!




うわー気持ちわりぃ! 訳:良い!

ボロボロの舗装に、狭まり行く道幅、そして先の見えないカーブ、揃いも揃って不穏だ。

しかし何よりも不穏なのは背景だ。本物の清津峡には及ばぬまでも、険阻の匂いが隠せていない。

この旧国道、まるで険悪の垂壁にサンダル履きで迷い込むような危うさを感じるのは、私だけか。

先入観ではないぞ。今の私は少しばかり無知ではない。この場所についての予備知識を持っている。

それは井之川氏の証言の数々……、曰くこの先は、「旧353号線の最も危険な場所」

「冬の雪崩や道路からの転落などで、何人もの命が失われた場所」

「遊歩道であった時も地元の人はまず、通る事はなかった」……と語られた場所なのだ。


覚悟の必要は、ある。



6:55 《現在地》

この先のヤバい予感には、いかにも釣り合わなそうな、ゆるニャン閉鎖。 …なんとも地方らしい。

もちろん自転車ごと行く。旧国道ならば自転車くらいは通り抜け出来るだろうという、経験則からの判断だ。

わるにゃーん!




峡谷核心部を目指し、旧道を北上


これは旧道北口のバリケードを越えて、廃道区間へ入った直後の景色である。
この一連の旧道は約900mの長さがあり、600mの地点に瀬戸口隧道が存在している。
いまいる場所は北口から50mほど入ったところなので、当面の目的地である隧道までは残り550mくらいである。

私の今回の探索ルートは上流から下流へ向かっていくものだが、最初は意外にも上り坂から始まった。
路肩のすぐ下を幅広の清津川が勢いよく流れており、せせらぎが聞こえている。
道の前方の風景は、上り坂によって下半分を遮られているが、その上に見える遠景は、まさしく“峡谷”そのものだ。
地形図からもこの先の谷が相当に険しいことは予想できていたが、それは現実の風景とよく重なっていたようである。

谷へ入り込んでいくこの眺めは、私の気持ちを興奮へ導くと同時に、ギリギリと締め付けるような緊張も与えてきた。



旧道序盤の上り坂は長く続かず、すぐにこの写真のサミットに達した。
ここから下りに転じる。

この探索の36年前にあたる昭和57(1982)年に国道から旧道へと堕ちた道だったが、意外にも舗装されていた。
昭和50年代には、地方の300番台国道にまだ多くの未舗装区間が多く残っていたはずで、舗装されていたのはそれなりに優秀と思える。

ちなみに、国道353号の路線指定は昭和50(1975)年だから、国道だった期間はあまり長くない。
また、この国道の清津峡入口から塩沢の国道17号へ抜ける十二峠の区間が開通したのは、昭和54(1979)年である。
それでこの区間の交通量も急増したであろうし、そのために清津峡トンネルの整備が急がれたのだろう。




6:57 《現在地》

入口から150mほど進むと、この道の先行きをだいぶ遠くまで見通せる場面が現われた。
とりあえず道は当面無事そうである。かなり険しい崖下の道ではあるが、大きく崩壊している様子は見られない。

ただし、道が見えなくなった先に予感される険しさは、さらに決定的になったようと感じる。
隧道やら片洞門やらが待ち受けている峡谷の“核心部”が、この探索においても“核心部”となることは、ほぼ間違いがなさそうだ。


いやはや、なかなか気合いの入った場所を、道は通り抜けている。
落石ももちろんそうなのだが、(積雪時の)雪崩の危険度が、ちょっと尋常ではなさそう。

この先の灌木すら生えていない、草付きと露岩のツルッとした急斜面などは、雪崩の巣であることを自ら告白しているに等しい。
にもかかわらず、道の周りにはこれといった防雪の施設が建設されている様子がないのが、なんとも恐ろしい……。
現役時代、さすがに冬季は閉鎖されていただろうか。

いずれにしても、情報提供者が言う「危険地帯」の意味が、早くも理解される風景だった。
まだ核心部ではないだろうに、これである…。




しかし、地形の険しさという意味では、対岸である左岸は、さらに上を行っていた。
向こうは川縁に道を許す状況にない。

水面から80mくらいの高さまで、ほぼ垂直に切り立っており、獣でも転落死を免れ得ないような地形になっている。
繰り返される雪崩によって滑らかに研がれたこの絶壁は、見る者の寒気を催す偉容であった。

そしてそんな切り立った崖の上には、ひときわ目立つ烏帽子のような岩峰がそそり立っていた。
雲間に煙るこの黒い岩峰の姿は、さながら名作水墨画の顕現のようであり、単なる交通の障害としての峡谷に収まらない、観光の対象としての魅力を示していた。



路上は、かなり荒れている。
先ほどこの道は舗装されていると書いたが、舗装路とは思えないほど植物の気配が濃厚だ。
旧道となったあとは舗装の手入れはされていなかった可能性が高いと思うが、路上に育つ植物の多さと濃さは、放置時間の長さを感じさせるものだった。

また、情報提供者によると、旧道化後には遊歩道として使われた期間があったということだが、今のところ遊歩道らしい痕跡、例えば案内板であるとか東屋であるとかベンチであるとかは、全く見あたらず、普通の車道の廃道にしか見えなかった。




振り返ると、こんな感じ。
ここから見えているのが、これまで探索した旧道のほぼ全部である。奥の旧道が見えなくなるところが、最初に越えたサミットだ。

道は険しい川縁の斜面を半ば強引に横切っており、しかもそんな区間がとても長い。返す返すも、雪崩には弱そうな道だ。この区間をまとめて地中化した現道は、とても理に適っていると思う。




それにしても凄まじいのは、“屏風のような”という定型句がこれ以上なく似つかわしい対岸の大絶壁である。
この道を通っていると、頭を上から押さえつけられている感が半端ないのだ。空が圧せられている。

しかしこれほどの大絶壁でありながら、地図を見ると、そこを横切る1本の道が描かれている。
マジかよと思っていたが、崖に目をこらすと……見えた!
路肩の擁壁らしき、コンクリートブロックの面が!
屏風のような大絶壁の上、いくらか緩やかな斜面と混ざり合って、森と崖の境目となっている辺りを横切っている。
こちらの道も大概だが、あっちも凄い……。

後で実際に通ってみたが、道幅は狭いもののちゃんと舗装された市道だった。左の写真に見える擁壁のところから旧道を見下ろして撮影したのが、この写真。絶景である。





7:03 《現在地》

旧道入口から約400m、まもなく距離のうえでの中間ラインを突破しようというところであるが、

道を取り巻く風景にも新たな展開と局面が用意されているようだった。

ここにあるカーブを曲がることで、それまで見えなかった奥部、

いわゆる峡谷核心部が、ご開帳――。



お、お、お、お、

1メートルごとに拡大する驚きが、声にならない声を上げさせた。

今までいろいろな“道ある谷の景色”を目にしてきたが、

こんなにスッキリした眺めの峡谷は、初めてだ。




すげーな、ここ……。

悠久の川の流れは、天衝く大岩盤を無駄なく真っ二つに割り裂いて、その間を流れていた。
崖の切り立ち方も、川の流れる向きも、恐ろしいほど直線的で人工……
否、人の手には余る“天工”の妙を思わせた。

すぐ近くにある超有名な清津峡はもっと凄いのだろうが、こちらは峡谷としては全く無名に近く、
地図上に見所を示す記号も、観光地らしい注記も何もないだけに、
これだけの畏景が隠されていることは想定外であり、驚きは大きかった。

なにより興奮するのは、この景色が廃道の極めて近しい隣人であることだった。
交通路の存在を除外しない、通り抜けられる大景観。これが私は大好きだ。
現国道を走っている限り、トンネルで完全に無視されて存在さえ窺い知れないが、
旧国道はこの畏景の唯一の隣人として、真っ正面から挑んでいた。

大好き!




はっはっはっはっは

笑うしかないだろ、こんな景色。

一目瞭然なる峡谷核心部、凄まじい回廊だ。

どう見ても、トンネル以外にここを通過する術はない!



……というか、その瀬戸口隧道はどこ?


道の続きが、見えない……?!



いきなりの強烈な場面転換に焦ったが、冷静になって観察すると、

まだもう少しだけ、“トンネル絶対必要大回廊”の入口までは猶予があった。

道が見えなかったのは、大規模な土砂崩れによって道が完全に埋もれていたせいだった。

いったん自転車を放して身軽になってから、偵察のため先へ進んだ。




7:08 《現在地》

あった!

瀬戸口隧道と思われる隧道の坑口を発見!!

そしてここが、“トンネル絶対必要大回廊”の入口だった。

これより先は、トンネル以外に進む術なし。




ああん

自転車での通過は無理ですな、これは。

……まあ、いいでしょう。 人体のみなら、ワルニャンは出来そうだ。


しかし、このトンネル内に、予想外の「トンデモナイ」もの が、待ち受けていたのであった。