道路レポート 島根県道23号斐川一畑大社線 塩津不通区 第2回

公開日 2015.02.04
探索日 2014.05.20
所在地 島根県出雲市

風車の山から山陰の海へ


2014/5/20 10:01 《現在地》

出雲市小津町から塩津町に抜ける、県道23号の自動車交通不能区間探索。
小津側から1車線の舗装道路を上り詰めること約2.4kmで、無名の峠へ辿りついた。
そして峠の一帯は今や、巨大な風力発電施設の一角となっていた。
峠には、峰伝いに連なる巨大風車の列を巡る、主要地方道である県道23号よりも遙かに立派な専用道路が存在していた。

県道は、発電所専用道路との交差点を境に、塩津側が「通行止」であった。
それは、十字路の左右へ通じる専用道路が封鎖されているのとは意味が異なる通行止めだった。
赤や黄色の目立つ色の様々な標識や警告板が、車1台分だけの舗装路を仰々しく封鎖していた。
その通行量を思えば大袈裟だったが、法的には国道に準じる重要道路である「主要地方道」を通行止めとすることへの、道路管理者なりの罪滅ぼしのようにも思えたのだった。 (むろん、妄想である。確実なのは、オブローダーの多くが、こうした封鎖を好むということだ。)



いつものように、その先へ。


真一文字に風が吹き抜ける、峠の切り通し。
幅は狭いが、深さはかなりのものがある。トンネルを穿っても良いと思えるほどだ。
地形図上では標高190mの地点だが、実際はさらに10mほど掘り下げられていると思う。

そして深さは、間違いなく自動車なり荷車なり、車両交通を見越して作られている。
明治22年という遙かな昔に、この峠は村境としての役目を終えていた。
残念ながら、この峠の名は分からないが、これから向かおうとしている塩津という集落にとって、外界へと通じる唯一の道だという時代が、きっと長く続いていたと思う。
それを信じるに足るだけの孤立が、これから望む日本海側の地形には感じられる。
まだ、それを直に目にしたわけではないが、地図がそう教えていた。

それでも、道は通じている。
塞がれはしたが、塞がれなければ車も通れる道が、まだ続いていた。
私は喜々として、その末路を探り始めるのであった。
これまでも、こことは遠いどこかで繰り返してきたのと同じである。




峠を越えるとすぐさま、今までは見えなかったものが、


行く手いっぱいに広がった。



峠の登り口で一度別れを告げてきた日本海との再会だった。
そしてこの海は、そのまま新たな目的地になる。

県道は風走る峰に別れを告げ、
山の陰なる海岸の村へ走り出す。

ここからは目指す塩津の集落は無論、海岸線さえまだ見えない。
だが、静かな海原に対しては、つんのめるような高度感があった。



これが、国道の次に偉い、現役の主要地方道なのだというのが、堪らなくステキだった。
峠までの道も、狭さだけならこれと大差ないところもあったが、「一般人には危険!」と、道があるにも拘わらず道路管理者が「ドクターストップ」を下した区間というのは、やはりハンパなかったのである。

今までこれよりも荒れ果てた道はごまんと目にしてきたが、そう言うのとはまた違った、現役の車道であろうとする怖さがあった。
先ほどの標識やバリケードさえ存在しなければ、ここへも恐る恐ると一般車も入ってきたんだろうなと思えるのが、リアルに怖い。




今はまだ自転車の気軽さに味方されている私は、自分の身にワルクードを重ねることで、想像のゾクゾクを楽しむ余裕があった。

峠から始まる下り道は、ご覧の通りの道幅で、転回所などもちろん1箇所も無く、待避所すらも存在しない、真性の1車線道路だった。
それでも、車道であることだけは全く放棄していないし、鋪装もされていた。主要地方道だからか。
かつては車が行き交ったこともあるのだろうか…。

幸いにも(?)ガードレールが無いお陰で、もし対向車が来たら道路外にはみ出しての待避も出来るが、草むした道路外は路面じゃないので、何があるかは保証できません。
とにかく何があっても鋪装は、車1台分の幅だけというのが、ここのルールのようだった。狭量だ。

なお、峠のてっぺんから海岸線までは、最短距離で300mほどしか離れていなかった。
そして、《現在地》は早くも峠より150mほど海の方へ下ってきているので、海岸線までの距離も既に200mを切っている。
地図上の海岸線はもう間近なのだが、間の高低差が依然として大きいために、その近さを感じる事が出来なかった。
いったいこの道がどうやって海岸へ下って行くのか、それが楽しみだった。




笑いが込み上げてきた。

キツイだろ、このブラインドカーブww

対向車なんて絶対に現れるはずがないという、そういう前提条件なのか?
そう考えなければどうにも納得しがたい、糞みたいなブラインドカーブだ。
しかも相当鋭角なカーブなのに道幅に余裕が少なく、ホイールベースが広い車は接触するでしょこれ?笑
接触上等としても、今どき林道だってここまで杜撰ではあり得ない視距対策だ。
せめて…、せめてカーブミラーを……。遊歩道じゃないんだぞ。

でも、こんな状況なのに、一方ではガードレールがしっかりしているのが面白い。
法面も、ガッチガチに固められていて、だいぶ本格的じゃないか。
このように、主要地方道らしい部分もあった。




10:06 《現在地》

酷いブラインドカーブを、いくつか通り過ぎる。
峠からは下り坂ばかりなので、私はただ、楽しさだけを享受できていた。

無論、下って行くことへの不安を感じないではなかった。
万が一引き返す羽目になったら、この下りは、全て障害に変わるのだから。

ものの数分で、峠から400mも来た。
順調に進んではいたが、進むにつれて、着実に“封鎖”の影響が濃くなってきた。
もはや誰の目にも明らかな、路面の荒廃。
この道には既に、落石や倒木や落ち葉を掃き清める力が宿っていないようだ。
今はまだ致命的な何事も起きてはいないが、先の封鎖のために、本当に廃道になってしまった道と同じ末路を辿ろうとしていた。

そして進むほどに深まる荒廃の度合いは、この先の道路状況に対するさらなる不安を駆り立てたのであった。



「路肩注意 島根県」と書かれた細いデリニエータが立つ路肩は、既に崩れはじめていた。
ガードレールもあるが、その真下は抜け落ちている。遠からず道は崩れてしまいそうだった。

そしてこの怪しい路肩を通して、初めて、私は目指すべきゴールともいえる海岸線を目にする事が出来た。
海岸沿いに道路も見えるが、あれがこの県道の代わりに利用されている出雲市道だ。
なお、ここから見えたのはまだ、本当のゴールである塩津集落ではない。
集落はもう少し先で、まだここからは見えないが、それもまもなくだと思う。

大切なのは、私と海岸線の間にある比高と傾斜の全体を把握出来たことだ。
随分とある。
なんか、まだ期待したほどは下れていないと思った。
車道という意志が強すぎるのか、等高線に沿って緩やかに下っている感じで、なかなか目指す海岸線には近付いていない。
もちろん、これほど山の斜面が急なのだから、どうやっても一気に下りはしない(出来ない)だろうが…。



いよいよ、先行きが本格的に怪しくなってきた。

法面も適当になってるし、路肩の防護壁もなんか……車道っぽくない。
この華奢なガードパイプが、壊れずに残っていると言う事は、こういう風に整備されたのはそんなに昔のことではないと分かるのだが、このガードパイプよりも、道そのものが力尽きてしまいそう。
次のカーブを過ぎたら突然道が無いとか、そんな未来が予感される…。


と思いきや、踏ん張った。
再びガードレールが蘇り、巨大な法面工も現れる。
一向に海岸線へ近付いている気配はないが、徐々に東へ向かって進めてはいる。
東には目指す塩津集落がある。
このまま車道の姿でゴール出来るのかどうか、とても興味深い。

ここに「地下特別高圧ケーブル」が埋め込まれているという表示があった。
設置者は、新出雲ウインドファーム。山上で見た巨大な風力発電所の運営者である。

どうやら、この塞がれた主要地方道には、“道路”として以外の役目が与えられているらしい。
それが、市町村道ではイケナイのかは分からないが、ともかくこの道に与えられた、おそらく一番重要な役割だろう。私が通り抜ける事よりも遙かに重要な役割。




10:08 《現在地》

峠から500m。

突如、前方の道に、あからさまな違和感を憶えた。

今までの道幅でも自動車にはほとんど限界だったのに…。

こんな山の中腹みたいな所で、唐突に……

本当の意味での「自動車交通不能区間」が、お出ましか?!




結局峠からここまで、一箇所も自動車が転回出来る余地も、待避所も、現れなかった。

この区間に一般車を入れないという現在の措置は、安全上、避けがたかったものと思う。

これは、発電所の地下高圧ケーブル埋設のためだけの鋪装道路だったとでもいうのか?

謎深い、主要地方道の一区間であった。