突然ですが、クイズです。
【問い】
昭和41年当時は国道に1箇所、都道府県道に93箇所、市町村道に413箇所あったけど、
令和元年時点では、国道にゼロ、都道府県道に8箇所、市町村道に38箇所まで減っているモノって、
な〜んだ?
答えは
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してみてね
【答え】
渡船施設。
いやいやいや、そんなワケないでしょ?
渡船って、フェリーとかのことでしょ。
まだまだ瀬戸内海とかに目を向けたら、何百という膨大な数があるはずだよ。
……仰るとおりであろう。
ここでいう渡船施設とは、日本中にある全ての航路交通路を指すものではない。
問いの文言にある通り、『国道や都道府県道や市町村道にある』ということが肝要なのである。
そしてこれをもう少し専門的に言うと、道路法の道路である渡船施設と表現できる。
ご存知の方もいるだろうが、高速自動車国道、一般国道、都道府県道、市町村道といった、我が国の道路網全体の8割程度を占めるいわゆる「道路法の道路」は、道路法 (昭和27年法律第180号)という法律に規定された存在だ。
そしてこの道路法の第二条に、次のような条文がある。
この法律において「道路」とは、一般交通の用に供する道で次条各号に掲げるものをいい、トンネル、橋、渡船施設、道路用エレベーター等道路と一体となつてその効用を全うする施設又は工作物及び道路の附属物で当該道路に附属して設けられているものを含むものとする。
下線を引いた部分だけを繋げて読んでみて欲しいのだが、道路法が規定する道路には、トンネル、橋、渡船施設、道路用エレベーター等が含まれるとある。
ではこの含まれるというのは、具体的にはどういう状況を指しているのかといえば、道路の区域に含まれていて、かつ供用されていることを指す。
道路は、路線の指定をしただけではだめで、具体的な区域を指定しておかねばならず、その範囲内でしか道路を供用することはできない。
供用というのは、一般に解放して使わせることで、開通している状況をいう。
道路の区域を決定は、道路上で私権(建物を建てるとか、モノを放置するとか、寝そべるとか、いろいろあります)を制限して、道路の管理を実効的にする仕組みである。
もっと簡単に言えば、区域の決定は、「ここは●●という道路の一部だ」と見えないラベルを貼る行為で、供用は、「誰でもご自由にお通り下さい」とゲートを開けておく行為といえる。
橋やトンネルと共に、渡船施設を道路に含むということを、より具体的に表現すれば、陸と船舶を結ぶ桟橋通路、陸上のターミナル施設や駐車場、そして水上を航行する船舶そのものも、道路に含むことが出来るのである。
この仕組みは、渡船施設を橋の代わりになるものとして観念している。
かつての日本では、大きな川にほとんど橋はなく、その代わりに膨大な数の渡し場があった。
次第に橋が増えてきて、渡し場は役目を終えて減ってきた。
冒頭に例を挙げた昭和41年でさえ、既に国道にはほとんど橋が完備され、渡し場は少なくなっていた。
それから半世紀が経過し、国道はおろか都道府県道からも絶滅寸前、市町村道においても風前の灯火となりつつあるのが、道路法の渡船施設なのである。
繰り返しになるが、道路法の渡船施設となるには、道路の区域として指定されていて、かつ供用を開始していなければならない。
渡し場の前後の道路はこの条件を満たしていても、渡船施設そのものは除外されているケースが多いのだ。多くの離島航路がそうである。内地の港と離島の港、それぞれが別々の道路の起点や終点になっていて、水域は道路から除外されているものが多い。
そしてもう一つ、道路法の渡船施設となる難しい条件がある。
それは、渡船の運行自体も道路管理者自らが行なうものでなければならないことだ(自治体や民間業者への委託は可能)。
実は、渡船施設とよく似た道路法上の概念に、海上区間というのもある。
たとえば国道58号(鹿児島〜那覇)は600kmを越える海上区間を持つなど、全部で459本ある国道のうち20数本に海上区間が存在する。
渡船施設との違いは、供用が行われているか否かだ。
道路の区域が水上にも指定されている点は共通するが、渡船施設は供用されていて、海上区間は未供用なのである。
現実には、海上区間を連絡する民間業者のフェリーが航行している場合は多いが、道路管理者自らが運行(ないし自治体に委託運行)していないものは、道路法の渡船施設とはならないのだ。
『日本道路公団二十年史』より
左のイカした写真は、かつて国道28号の渡船施設であった公団明石フェリーの運行風景だ。
船そのものも道路の区域に含まれうると書いたが、この景色はまさしくそのことを実感させてくれる。まるで車で埋まった道路橋のワンスパンだけが海上を移動しているようなじゃないか!
淡路島経由で本州と四国を結ぶ国道28号には、明石海峡と鳴門海峡という2つの海上区間がかつて存在しており、共に日本道路公団が一般有料道路事業で道路法の渡船施設を運用した時期がある。
公団明石フェリー(航路延長9.3km)は、昭和31(1956)年から昭和61(1986)年まで30年間営業していた。(昭和41年の渡船延長に計上されていないのは、一般有料道路は別枠で計上されていたため。ここに計上されている国道上の1箇所とは、国道231号の石狩川河口に存在した渡船施設である)
昭和61年に民間の明石フェリーに航路譲渡されたことで、道路法としては再び未供用の海上区間に戻っていたが、平成10(1998)年に明石海峡大橋(国道28号神戸淡路鳴門自動車道)が供用を開始したことで、海上区間が解消された。(鳴門海峡も同じような推移)
国道に最後まで存在していた渡船施設としては、国道197号の愛媛県三崎港〜大分県佐賀関港を結ぶ国道九四フェリーがあった。
ここでも日本道路公団が一般有料道路事業として渡船施設を運用しており、昭和34(1959)年から昭和63(1988)年まで道路法の渡船施設であったが、この年に民間の国道九四フェリー株式会社に航路譲渡されて再び海上区間に戻っている。(現在も)
本州と佐渡を結ぶ国道350号も海上区間を持つ国道で、ここに就航している佐渡汽船の船上には右画像のような案内がある。
確かに、国道350号の海上区間を航行しているのは間違いないが、佐渡汽船の航路は、道路法の渡船施設にはあたらない。だからここは海上区間なのである。
……とまあ、気付けば私のオナニーじみた道路ウンチクの時間になってしまっていたが、ようは、道路法の渡船施設はレアなんだよ!ということを言いたかった。
こっからが本題だ。
国土交通省が毎年最新版を発表する『道路統計年報2020』によると、平成31(2019)年4月1日現在、道路法の渡船施設は全国に46箇所存在する。
国道には全くなく、都道府県道に8箇所、市町村道に38箇所という内訳である。
で、都道府県道の8箇所をさらに細分化してみると、主要地方道に2箇所、一般都道府県道に6箇所となる。
国道に存在しない以上、現時点で最上位格を有する道路法の渡船施設は、主要地方道に存在する2箇所だ。
それがどこにあるかを調べてみたところ、1箇所は埼玉県と群馬県の県境に、1箇所は大阪市大正区にあるようだ。
後者は、主要地方道である大阪市道浪速鶴町線にある千歳渡だと思うが、指定市の市道が主要地方道に指定されているケースなので厳密には都道府県道ではない。(指定市は部分的に都道府県と同格の権限を与えられているから、市道も主要地方道になれる)
今回私が訪れたのは、埼玉県と群馬県の県境にある、主要地方道熊谷館林線の渡船施設“赤岩渡船”だ。
我が国に残る唯一の県境を跨ぐ渡船施設である。
県道としての路線名は、埼玉県道・群馬県道83号熊谷館林線といい、関東平野の北部で利根川を横断するおおよそ20kmの経路を持つ。
そして『道路統計年報2020』によれば、この路線は合計0.4kmの渡船延長を含む。
今回私は、熊谷市から館林市へ向けて、この県道を走破してみた。
全線走破ではないが、いまを生きる道路法の渡船施設がどんなものなのかを見てきたので、ゆる〜い気分でチェケラッチョ。