8:30 《現在地》
この旗は私が揚げた!
このときまで39年生きてきて、おそらく初めて旗を揚げるという行為をした。
毎日の活躍を裏付けるように、旗は簡単にするする上がり、てっぺんで固定できるようになっていた。やったことがなくても難しいと思うところがなかった。
私はいま、県道の利用するための“スイッチ”を入れた。
このアナログなスイッチである旗は、押した(揚げた)という事実は一目瞭然だが、押されたという手応えが弱いことが、デジタル世代の現代人には不安である。
これから、渡船が動き出すのを遠見によって確かめてから、旗を下げ、船着き場へ進まねばならない。
この辺りの加減が最初だから分からない。旗を揚げたら、どのくらいで対岸の船頭さんに認識され、船のエンジンが回り出し、動き出すのか。動き出して4分くらい掛ることは、さっき知った。
というかそもそも、この場所にいて対岸の船の動きなんて見えるのか?
ちゃんと見えるように、なっていた!
ただ、さすがに遠い。ここからだと川幅より広いので、600m以上も離れている。
私の場合、裸眼だと絶対に見えない位置だ。
渡船が生活の日常にあった昔の人は、総じて視力も良かったように想像する。
さて、あとは動きがあるのを待つわけだが……、どうしようかな。
実は利用者なんてほとんどいなくて、船頭さんも油断して、昼寝なんてしていたら。
ここから見る対岸が長閑な農村を思わせる一色なので、ついそんな侮った考えが浮かんでくる。
これは群馬だからと言うつもりはなく、対岸から見た埼玉も同じ色に包まれているはずだ。
8:33 (合図から3分後)
一挙手一投足も見逃すまいと、カメラの望遠レンズで対岸を覗いていた私だが、
黄旗を揚げてからちょうど3分後に、対岸に停泊する2隻の片方が白い波を船尾に吐き始めた。
どうやら私の思いが、船頭さんにちゃんと伝わったようだ。
この3分間、望遠レンズで対岸の群馬県邑楽郡千代田町の河岸を眺めていた。
某国の国境監視所のような建物がひときわ目立っており、その物々しさとの
ギャップが楽しいピンク色の路線バスが、私の訪町を待つように停留していた。
先ほどこちら側でもバスを見たが、渡船を挟んだ路線バスの行き来をこれ見よがしに見せられた。
私は、渡船が県道の一部としてちゃんと活躍していることを査察に来た役人のような気持ちになった。
こんなに県道として地域交通と一体となって利用されているんだから、橋が必要だよと訴えている?
だが残念ながら、私が決定権のある役人だったら、この素晴らしい渡船がなくなる架橋に承認印は押さないだろう。
船の動き出したことを察知した私は、旗を下げて元の状態に戻した。
もしこのとき誰か他の利用者が現れたら、私がいま船を呼びましたからと伝えるのが親切だろうが、こういう見ず知らずの人とコミュニケーションをとるきっかけが、アナログな時代にはいろいろあったんだろうなぁ……なんてことを考えたりしたが、もちろん誰も来なかった。
この分だと、貸し切り船になりそうだ。
それでは私も、最後に残された県境の渡船主要地方道、その埼玉県末端への歩みを進めよう。
スーパーマップルも地理院地図も、どちらも水涯線の際(きわ)の際(きわ)まで、県道色で道を描いている。
架橋がないために不通となっている県道は各地にあるが、たいていは堤防の上で県道色は途切れてしまう。際の際まで県道色なのは、渡船県道としての矜持のように思われる。
旗やバス停、待合室がある場所から船着き場までは、約130m離れている。
この間の道路ももちろん県道であるが、残念ながら“ヘキサ”があったりはしない。
せっかくの県道渡船である。ここに“ヘキサ”があれば、象徴的な存在として(道路ファンに)喜ばれそうだ。
ただ、この場所はあくまでも河川敷の一部であり、川の水位が上がると水没する畏れが高いので、そのことを考慮すれば何も置かないのが無難かも知れない。
ちなみに、今回のレポートのスタート地点である肥塚交差点からここまでずっと県道83号を(重複区間を交えつつ)辿ってきたが、一度も「通行止」や「通行不能」といったネガティブなメッセージを受け取っていない。
供用中の県道としての矜持なのか分からないが、渡船があるから歩行者以外通行できないとか、そんな野暮なことを、わざわざ書いていない。
まあ、就航している渡し船はカーフェリーではないので、現実的には車で渡河することは出来ないのだが…。苦笑。
8:34 (合図から4分後) 《現在地》
ついに道が途絶えている!
この最後の最後まで通行規制の表示はなく、そんな人はいないと思うが、車で通れると思ってきた人は、ここで驚くだろう。(そんな人いるはずがない)
まずは黄色いパイプ型の車止めが並んでいるので、自転車ごとそれをすり抜け、コンクリート舗装の場所へ入ると――
――その先、点字ブロックが横一線に並んでいる部分があった。道の終わりのことを、ちゃんと考えている。
そしてその先には、駅のホームドアのような形状をした、アルミ製の門扉が待ち受けていた。
運航していないときは、この扉を閉じておくのだろう。
いまはしっかり開いている!
この扉の周りにも多くの案内物が掲示されていたが、基本的にどれも待合室などで見たものだった。
扉を通り、いよいよ水面との間に一切障害物のない、駅のホームに相当する部分へ立ち入る。
自転車と一緒に、ホームで待機。
ここは野晒しでベンチ一つないので、ただ立って待つよりないが、楽しみな気持ちが強すぎて、待っている気がしなかった。
目の前の利根川はとても穏やかで、流れがあることを感じさせない。
しかしこれでも河口から160kmも上流の風景である。
川幅も実に広く、おおよそ400mある。
この辺りに橋を架けるということが簡単ではないのも、やむを得ない川の大きさだ。
しかし、赤岩渡船の前後は約10kmにわたって架橋がなく、この距離が周辺の平均より広いということも、架橋の必要性をアピールする基礎的な根拠になっているようだ。
確かにここから橋は見えず、もし渡船がなければ、対岸はほとんど別の国でしかないような状況である。
8:36 (合図から6分後)
きっ、キター!!
当たり前だが、櫂を漕いだりはしていない。
ボボボボボボボボボボボボという、小気味よいエンジン音を轟かせながら、波のない川を悠々と渡ってきている。
ただ旗を揚げる。
それだけの行為が、こうして一隻の船を県境の向こう側から呼び寄せる力を持っている。
全ては仕込まれたルールの中のこととはいえ、自分が少し大きな存在になったような不思議な達成感を得られた。
指先一つで船が来た。
すげーすげー!!
39歳、心の中で子供のようにはしゃぐ。
何がすげーって、
県道が、向こうから私を迎えに来てくれる。
ただのモーターボートだが、これは県道である。まさに動く県道。
道路管理者である群馬県は、この船着き場や航路の水面だけでなく、船自体を県道83号の道路区域の一部として決定し、供用を開始している。
これが道路法の渡船施設である。
ほんといままで私は、各地で県道であるはずの道を追い求め続けてきたが、県道の側から私の元に来てくれたのは、これが初めてである。
8:37 (合図から7分後)
県道渡船、ついに私の前に接岸の瞬間!
船側に書かれた船名は、新千代田丸である!
船上には明らかに乗客ではない二人の男性の姿があった。
操舵する人物が船夫さん、デッキにいるのが補助員さんだろうか。
(前回のウンチクのシーンで調べた千代田町議会の会議録の中で、
赤岩渡船は船夫2名と補助員1名の体制であることが述べられていた)
旗を揚げて対岸へ合図を送ってから、接岸まで約7分だった。
ラッシュアワーの慌ただしさには、そもそも絵面的に似合わないかもしれないが、
常に時刻表に縛られることなく、これだけ待てばいつでも対岸へ行けるのは便利だと思う。
橋と比較すればさ、そりゃあ橋の方が便利だけどさ。
うわわわわ!
促されるままあっという間もなく船上へ、そしてその直後には、もう川中の人になっていた。
出発アナウンスなんていう悠長なものはない。
私が乗ったら、もう船は岸を離れていた!
ああ、埼玉の大地が離れていく。
海洋航路は経験済だが、内水航路は初めての体験だ。
動く歩道ならぬ、動く県道の勇ましさよ! まるでエレベーターかと思うような隙の無さで、私を群馬へ連れて行く。
……そうだ。
これは確かに意外な印象だった。
渡船といえば、もっと悠長なものをイメージしがちだし、実際そういうところもあるとは思うが、この赤岩渡船については非常に洗練された動きを感じた。システマチックに、的確に、私を対岸へ運んでくれようとしていた。
これはこれで、むしろ根っからの現代人である私には、居心地が良いように感じた。無料なのにめっちゃ仕事するじゃん。
歌や酒が船上で振る舞われたりは当然しない。(あたりまえ。繰り返すが遊覧船じゃないぞ)
我らが新千代田丸だが、最大搭乗人員22名の船で、旅客は最大20人乗ることが出来る。
が、そんなに乗る場面がイメージしづらい。
座席は、椅子というか台のようなものがあって、そこに横向きで腰掛けることは出来るが、20人乗るときは立ち乗りが基本になると思われる。
そして、私が最初に不安に思っていた自転車だが、何の問題もなく乗せることが出来た。運賃が無料なんで、手荷物料金とかの割り増しも当然ない。輪行袋に入れるような煩わしさもない。
船内には、12歳以下の人は救命胴衣を付けるようにという張り紙があったが、私に対してそうした指導はなかった。
とにかく、水上を行く船とは思えないほど揺れは少なく、よほど苦手な人でなければ船酔いをすることはないだろう。
しかも、(残念なことに、)乗っていられる時間はわずか4分しかない。
そう、とにかく時間が短いのが、この船旅の唯一のネックだ。
もっと利根川の川幅が広ければいいのにとは、これに乗った誰もが思うことだろう。
現代のモーターボートに、利根川の400mそこいらの川幅は、あまりにも短い。
同じ場所に橋を架けようと思っても、いまだ実現しない“百年仕事”となっているのに、船は悠々とこれを超える。
逆に言えば、普段からあって当然のように慣らされている橋が、渡船と比較すれば大変な飛躍を遂げた存在であるということだ。渡船の次の段階は架橋だと言うのは容易いが、この間の飛躍の度合いは、利根川のような大河であれば特に大きいものだろう。日本中で渡船からの飛躍が起こり、しかし取り残されたわずかな例が、ここにある。
時間がない。
船上の写真を撮りたいが、運航関係者からの聞き取りもしたかった。
彼らが、私に時間を使えるのは、いまだけだ。
意を決しいくつかの質問を向けると、快くお答えをいただいた。
以下、教えて下さった内容を出来るだけニュアンスを変えず箇条書きにした。
- 1日の運航回数は、だいたい30往復くらい。
- 通勤や通学で利用している人は、現在はほとんどいない。
- 渡船を解消するための橋の計画が進められている。橋があったら安心だと思う。でも、1箇所くらいはこういうものがあってもいいとも思う。
- この上流の境町にも渡船があって(島村渡船のこと)、かつてはここと同じく県道だったが、いまは市道に降格してしまった。船もここより全然小さい8人乗りで、少しくらい波が立ってもこっちは動くが、向こうは休みになる。
8:41 (合図から11分後) 《現在地》
岸を離れてきっかり4分後だった。
埼玉県側とは少し外観や造りが違う群馬県側の船着き場へ、横付けされた。
やはり到着アナウンスはなく、乗降口のロープが外されたときが、降りるタイミングだ。
たいへん名残惜しい、愉快すぎる水上の動く県道であったが、自転車小脇に下船する。
別れ際、ホレホレこれだと指差されたのが、色褪せた1枚のポスター。(実は同じものが埼玉側にもあった、気付いた?)
利根川新橋建設促進大会のポスターだった。
あんまり色褪せているんで、何年も前のやつかよ苦しいなぁと思ったが、日付を見るとなんと今年(平成28年)5月22日とある。探索の約3ヶ月前じゃないか。
しかも、主催者である「新橋の会」発足10周年記念ということで、イラストにあるゆるキャラ達を呼んで盛大に行われたらしい。
……しかし、イメージ画像なのは承知しているものの、もの凄いスケールの吊り橋が描かれていることで、むしろ架橋の実現が遠いような気がしてしまったのは私だけだろうか。
いやー、あっという間でしたねぇ。
こんな簡単に渡れてしまうとは。
う〜ん、天気のいい日中に、徒歩や自転車で渡るなら、これで十分だと思ってしまった。
が、いま言った条件で満足する人って、基本的に物見遊山の旅行者だけだな。
産業輸送の役に立つのは、やはり橋だ。当たり前すぎる結論である。
渡船の持つ単純なレアリティと、風情あるイメージの良さを武器に、観光の色を纏って生き残ることは誰でも考えつく。だが、料金を取ることが難しい道路渡船場の枠組みでは、仮に人気になってもただコストが増えるばかりだろう。まあ渡船で稼げなくても、周囲の観光施設で稼げれば良いという考えもあるかもしれないが。
しかし、道路渡船場という旧道路法時代より連綿と続く生活の足に、そんな媚びた生き方は似合わない気もする。いまの赤岩渡船の姿は、道路渡船場としてのストイックさを維持した、とても好ましいものに見えた。
いつか使命を全うして役目を終える日まで、クールなままでいて欲しい!
私の感想なんていう不確かなものより、データが大切。
取っておきましたよ、データ! GPSのログデータ!
右図の地理院地図上に表示されたピンクっぽい線がGPSのログデータから得た軌跡である。
これを見ると、川を最短距離で横断しているわけではなく、確かに運航基準図で見たように8の字形の片道航路を取っているのが分かる。
というか、この軌跡が本当に美しいと思う。
渡船を利用するために陸上で迂回した部分がまったくなく、本当にシンプルに埼玉県から群馬県へと川の中の県道を走破しているのが分かる。美しい!!
あと、図の右下に表示したのは標高グラフである。
個人的に驚いたのが、この辺りの利根川の水面の海抜は、両岸の後背に位置する低地よりも高いということだ。
これでは洪水時の破堤が、たちまち周辺一面を冠水させるのもやむなしであろう。(参考:利根川下流域の想定洪水浸水区域)
山ばかり見てきたせいか、なんとなく川は低い所を流れていると思い込んでいたが、そんなことはなかった。
しかし、昔の人はしたたかなもので、川岸にあってそれでいて水面よりも高い微高地に、集落を構えていたことも分かる。
両岸の葛和田や赤岩集落がある場所は、その後背の低地よりだいぶ高く、浸水しにくい立地である。
(ハッ!)
楽しみにしていた渡船区間が終わり、群馬県千代田町の川べりに、ぽつーん。
…………
……
県道の続きを、辿るぞ!