道路レポート 埼玉県道・群馬県道83号 熊谷館林線 葛和田〜赤岩間 中編

所在地 埼玉県熊谷市〜群馬県千代田町
探索日 2016.05.06
公開日 2021.08.22

 葛和田河岸にて通行方法を“伝授”される


2016/5/6 8:28 《現在地》

河川敷へ降りたところに広場があり、1台のバスがちょうどいま来た道へと引き返していくところだった。
観光バスではなく、普通にこの地区を走っている路線バスだ。電光式の行き先表示板に熊谷駅と表示されているのをすれ違いざまに見た。
この姿を見た時に、私はほとんど確信することが出来た。

渡船場は、生きていると。

バスがわざわざここまで来ているなら、きっとそういうことだろう。

それはそうとして、主要地方道ともあろうものがこのような河川敷へ降りてくること自体、結構なイレギュラーだった。
普通、架橋があるとき、河川敷へ道は降りない。堤防から堤防へ一跨ぎである。
もちろん、河川敷に用事ある道ならばその限りではないが、主要地方道の目的地が河川敷にあるケースはなかなか思い当たらない。

バスが走り去ったことで、その背後に隠れていたもの(矢印)が現れた。



素朴〜〜〜。

普段の山行がならまず太字にならないような文字が太字になった。素朴である。光景に強烈な素朴さを感じた。
昔の渡船風景を体験したことがない私が言ってもあまり説得力はないだろうが、昔から渡船場というのはこういう感じだったと思わせるものがあった。
この渡船場については全くの初訪問ビギナーだが、渡船場に対する一般知識として、ひときわ目を引く“黄色い旗”の意味は分かった。

しかし、その意味を私が解説しても面白くないだろう。
皆様も初訪問した気持ちになって、現地にある案内物を、私と一緒に一つずつ見ていこうじゃないか。
なあに、黄色い旗があるということは、別に急ぐ必要はないということだ。

いろいろ見るものはあるが、まずは一番に語りたそうな顔をしている案内板から、いってみよう。
大切な内容しか書かれていなかった。
少し長いが全文を書き出してみよう。



   赤岩渡船の由来
 赤岩渡船の歴史は古く、既に永禄年間(一五五八年〜一五六九年)上杉輝虎(謙信)の案内状によれば、船橋を架けて軍が渡河していたと伝えられている。
 この河岸(かし)は、江戸時代の年貢米、参勤交代の荷物、生活物資等の集積地であり、上下流の物資の中継地点としてにぎわい、赤岩の地は宿場町として栄えた。また、坂東十六渡津(としん)(渡し場)の一つに数えられ、中山道熊谷、行田方面及び、野州足利方面への往還として水陸交通の要衝であった。大正十五年に県営となり、昭和二十四年千代田町が県より直接依託を受け管理運営にあたっている。現在、群馬県邑楽郡千代田町赤岩と、埼玉県大里郡妻沼町葛和田を結ぶ県道熊谷・館林線の道路渡船として地域の人々に利用されており、付近は水上レジャーのメッカでもある。


   運行時間 (欠航の場合は群馬県側に赤旗が立ちます)
四月から九月 午前八時三十分より午後五時まで
十月から三月 午前八時三十分より午後四時三十分まで
 但し、大水、台風、強風等により航行危険な場合は、欠航いたしますのでご協力ください。


   渡船に乗船される方へ
 ポールの旗を揚げると渡船小屋から渡船に乗りたい方が確認できますので、旗を引き上げて下さい。
 なお、渡船が動き出したのを確認されたら旗を降ろして下さい。(※ポール=黄色の旗)

  千代田町

いかがでしたか?
並々ならぬ赤岩渡船の歴史、お分かりいただけましたね。分かりましたよ私も理解した。こいつは筋金入りの渡船場だ。というか、いま残る渡船の大半はそうかも知れない。
しかも嬉しいことに、案内文の中に「道路渡船」という表現を使って、県道の一部であることを表明する部分があった。これは嬉しい、来た甲斐がある。
こちらはまだ埼玉県の領土なのに、対岸の群馬県千代田町の看板が立っていることに少しだけ違和感はあるが、この渡船はもともと群馬県営のもので(県道なんでこれは正当)、群馬県が地元の千代田町に管理運営を委託しているのがその理由だろう。
また、妻沼町は平成17(2005)年に熊谷市に合併しているので、それ以前に立てられた看板だと分かる。

運行時間の設定があるのは、道路としては残念な要素だが、渡船としてはやむを得ないこと。
そして黄色い旗の正体もさっそく明かされた。この旗をポールの上へ掲げると、対岸の舟守さんがそれを見て、わざわざ迎えに来てくれるのである。素晴らしいサービス。Great service. もちろん、旗は自分で揚げる。そして自分で下げる。そういうわけだから、ここでは時刻表を見ながらあくせくする必要がないのである。呼べば乗れる。最高!Wonderful!

……と、ここで気付く。

肝心のことが、書かれていない…?

運賃いくら?



運賃は……





“船の料金は無料です。”

マジかよ〜〜〜!!!!

ただ〜し! ここで重要な注意書きあり!

“(注意)遊覧船ではありません。”

“県道の一部として対岸へ渡るための船です”


これは、タダで船に乗れるのが楽しいからって、観光目的の往復の乗船は御遠慮くださいということだ。

渡ったら対岸で用事を済ませてこい。それからならまた乗せてやる。……ということだ。

問題ない。私は対岸に用事がある。県道の先を見るという用事が。そして帰りは別の手段で戻る。

よし、条件クリアだ。 ありがたすぎる無料の渡船、しっかり利用させて貰うぜ!



しかし、実はこの公共交通機関としては極めて稀な“無料”というのが、とても根の深い話であったりする。
あ〜、また私の中の、道路うんちくを垂れたい欲が、盛り上がってきたぁ〜〜。
もう少しだけ我慢するけど、間もなく垂れるぞぉ。

その前に、待合室の中を覗いてみよう。


田舎のバス停を少し上等にした、無人駅の待合室くらいのプレハブの小部屋。
基本的に渡船はあまり待ち時間が発生しないシステムなので、外の葛和田バス停のバスを待つのが主な利用用途だろう。(バス停の時刻表画像はこちら。日中は1時間1本程度の運行頻度だった)

しかし壁の一面にラミネ加工された紙が10枚ばかり貼られていて、それは渡船に関する内容ばかりだった。
まず右上にノートが見えるが、これは自由帳ではなく、「県営赤岩渡船にかかる安全運行管理に関する基準資料」という、素人目にはちょっと手が出せないガチめの文書だった。(そしてなぜか撮影するのを忘れていた。誰か撮っていたら画像を下さい…)
他には、「旅客の禁止行為」と書かれた注意事項や、運航サービスにかかる約款などの細かな内容もあったが、これらは公共交通機関としては特別目新しい内容ではないので紹介は略する。

ぜひ紹介したいのは、次の画像から。




「運航基準図」と銘打たれた、ラミネ加工のない裸紙。
この図の通り、渡船は利根川の流れにあまり逆らわない8ノ字の航路で両岸を往復しているようだ。片道それぞれ0.4km、所要時間5分とある。
短い船旅になりそうだ。

そしてこの距離は、冒頭で紹介した『道路統計年報2020』に、群馬県と埼玉県の渡船延長として記載されていた数字に合致している。
同資料による延長の内訳は、埼玉県が0.3km、群馬県が0.1kmであった。川幅の中心より奥に県境があるようだが、距離の短い群馬県側が全体を管理しているのは、どういう経緯からだろう。(なんとなく想像は付く。単純に群馬県側にこの渡船維持への熱意が強かったのではないか。地方が首都を指向する心理の現れとして…)



そしてこちらも要注目。
だいぶ黄ばんで年季の入った、千代田町役場建設水道課から渡船利用者へ宛てた各種案内だ。
基本的に、外にある案内とダブっている内容が多いが、わざわざ下線を引いたり赤文字にして強調されている部分に注目したい。

  • 渡船は対岸へ渡るための船です。遊覧船ではありません。
  • 県道の一部として運航しておりますので無料です。
  • 赤岩渡船は対岸へ渡るための船ですので遊覧船ではありません。
  • 県道の一部として運航しておりますので無料でご利用できます。

↑とにかくこの辺の内容を強調したいことがよく伝わってくる。
この、県道の一部だから無料だという内容は、私のうんちく心を超絶刺激した。
もう我慢ならん。語り始めます。興味がなく早く乗るところを見たい人は、このリンクでワープ!



 「県道だから運賃は無料」って、どういうことだろう?


「県道だから運賃は無料」のワケは、皆様もご想像の通り、道路法の道路は無料開放が原則だからだ。

渡船という(ただの道路にはない)特別な手間がかかっているものとはいえ、道路法の認識の中では県道の一部ということに過ぎず、そもそも渡船以外のただの道路も建設や維持の全てにお金は掛っているのである。そしてそれらは一般財源(税収)から支出されているから、我々は無料で利用できるのだ。同じように、渡船も一般財源で賄うというのが基本の考え方となる。
そしてここは県道なので、県が維持費の全部を負担する原則がある。(様々な国庫補助の制度があるが、ここでは考えない)

とはいえ、やはり渡船は道路法にとっても少しは特別な存在である。道路法第25条にこう書かれている。

(有料の橋又は渡船施設)
第二十五条 都道府県又は市町村である道路管理者は、都道府県道又は市町村道について、橋又は渡船施設の新設又は改築に要する費用の全部又は一部を償還するために、一定の期間を限り、当該橋の通行者又は当該渡船施設の利用者から、その通行者又は利用者が受ける利益を超えない範囲内において、条例で定めるところにより、料金を徴収することができる。
2 前項に規定する橋又は渡船施設は、左の各号に該当するものでなければならない。
一 その通行又は利用の範囲が地域的に限定されたものであること。
二 その通行者又は利用者がその通行又は利用に因り著しく利益を受けるものであること。
三 その新設又は改築に要する費用の全額を地方債以外の財源をもつて支弁することが著しく困難なものであること。
3 略
4 略
道路法

都道府県または市町村が管理する都道府県道または市町村道に限って、有料の橋や有料の渡船施設を設けることが出来るのである。
そして、実は道路法に盛り込まれている有料道路の実現方法は、これしかない。
じゃあなんで高速道路を通行するのにお金が掛るのかといえば、それらは道路法ではなく、その特別法である道路整備特別措置法(昭和三十一年法律第七号)によって実現されている。高速道路以外にもたくさんの有料道路があるが、その大半が道路整備特別措置法で実現している。
冒頭の解説で、かつて国道上にも日本道路公団が一般有料道路事業で行う渡船施設があったという話をしたが、それもこの法律に準拠した存在だった。本来、国道上の渡船施設では料金を徴収することが出来ないのである。

なぜ道路法では有料制度を橋と渡船施設に限って許容しているかと言えば、これらはやはり道路にとって特別にコストが掛る存在であり、地方の貧弱な一般財源による実現には相当に時間がかかるということから、先に地方債(借入金)をもって整備し、供用後に利用者から通行料を取って返済に充てる方法が旧道路法時代から許容されていた伝統による。しかし道路は無料公開が原則であることから、国道においては有料を除外しているのである。

ともかく、道路法の渡船施設は料金を徴収することが可能なのであるが、そのためには第二項に掲げられた3つの条件を同時に満たさなければならない。
そして、これをクリアして有料の供用をスタートしても、あらかじめ国土交通大臣に届け出て許可を得た期限内しか料金を徴収できず。徴収しうる総額も、橋や渡船施設の新設や改築のために拵えた借入金の額(利息を含む)を越えてはならないし、また一人一人の利用者から徴収する金額も、この渡船を使うことで得られる利益を金額に換算したものを超えることは許されない。(たとえば、迂回すると30分掛るなら30分の最低賃金を超えることができないというような話である)

……これほど厳しい料金徴収のルールがあるので、道路法の有料橋や有料渡船施設で利益を上げるというのは、はなからあり得ない話である。というか、思いのほか利用者が多くて期限内に利益で借入金を返済が終わったら、そこで有料は即終了である。維持費がかかるからと、ずっと有料にするわけには行かない。
道路整備臨時措置法による一般有料道路も基本的には上記と同様、限られた償還期間に利用者の便益を超えない範囲で料金の徴収ができる。だから料金は民間が営利目的で運航する航路より安くなる。(自治体が補助金などで民間航路の価格を低廉に抑えている場合もある)

赤岩渡船が無料としている理由が、具体的にどこにあるのかは分からない。
かつて(大正時代から県営で続いているらしい)は有料だったが、償還期間を終えて無料化した可能性が高いとは思う。前述した通り、維持費のために有料にし続けることは出来ないのだ。とうの昔に償還期間を終えているとみるべきだろう。おそらく有料を維持する根拠がないのである。
現在も有料である道路法の渡船施設の方が多いが、それらは案外に難しい橋を渡って、このか細い有料制度を維持しているはずなのである。

もうひとつ、赤岩渡船が利用者に対してことさら強調している「渡船は遊覧船ではない」については、こちらは道路法的にはそういう決まりはなく、実際に町おこしなどに積極的に道路法の渡船施設を利用しているケースが各地にある。(例:横須賀市道2073号“浦賀の渡し”)
赤岩渡船の場合は、料金が無料であることと、運航すればそのぶん経費が増すことで、基本的には住民の足としての利用をお願いしている状況なのだろうと想像する。
道路法の渡船施設として維持されている以上、遊覧目的での利用も実際は断れないのではないかと思うが、果たして。
待合所に掲示されている「旅客の禁止行為等」にも、遊覧目的の乗船は含まれていなかった。

というふうに、赤岩渡船が「県道だから運賃は無料」だと案内することには、道路法による根拠があったという話なのだが、やはりここで気になるのは、この渡船の維持にどのくらい経費が掛っているのかだ。
これも少し調べたら分かった。
平成27年第1回千代田町議会定例会(議事録はこちら)に、平成27年度歳出予算について、建設水道課長が次のような答弁をしていた(抜粋)。

渡船管理費の予算額は884万9,000円でございます。群馬県から委託を受けております県道熊谷館林線に係る赤岩渡船の運営費を計上いたしました。主な内容といたしましては、一般経費といたしまして、渡船の船夫2名分と利用者の安全確保のための補助員1名分の賃金及び保険料等でございます。また、渡船運営費といたしまして、渡船運航に必要な燃料費等ほか、新規に渡船待合室にAED配備のための借り上げ料を計上しております。

果たしてこの金額を、安いとみるか、高いとみるか。
群馬県からの委託ということなので、最終的には群馬県が負担するのであろう。
仮に架橋をするとしたら、前後の道路整備費を除いても10億円は要するだろう。主要地方道の改築事業ということになろうから半分は国庫補助で、県の負担が仮に5億円だとしても、未来50年以上の渡船運営費を一挙に支出することになる計算だ。

群馬県にその覚悟があれば、やがて踏み出す一歩となるだろう。





すっきり。



それでは、そろそろ、参ろうか。



周りには誰もいない。

少し不安な気持ちがある。

でも、やり方はさっき、案内板で読んだ。

道路というものの利用方法の限界を追求してきた私が、この壁を越えられないはずがない。

初体験を、この手で…!




標識旗、掲揚!




群馬に届け、この想い!

つうか、見てくれ船頭さん。



渡船場まで、残り100m。




 いざ、渡船区間を超える!


8:30 《現在地》

この旗は私が揚げた!

このときまで39年生きてきて、おそらく初めて旗を揚げるという行為をした。
毎日の活躍を裏付けるように、旗は簡単にするする上がり、てっぺんで固定できるようになっていた。やったことがなくても難しいと思うところがなかった。

私はいま、県道の利用するための“スイッチ”を入れた。
このアナログなスイッチである旗は、押した(揚げた)という事実は一目瞭然だが、押されたという手応えが弱いことが、デジタル世代の現代人には不安である。
これから、渡船が動き出すのを遠見によって確かめてから、旗を下げ、船着き場へ進まねばならない。
この辺りの加減が最初だから分からない。旗を揚げたら、どのくらいで対岸の船頭さんに認識され、船のエンジンが回り出し、動き出すのか。動き出して4分くらい掛ることは、さっき知った。

というかそもそも、この場所にいて対岸の船の動きなんて見えるのか?



ちゃんと見えるように、なっていた!

ただ、さすがに遠い。ここからだと川幅より広いので、600m以上も離れている。
私の場合、裸眼だと絶対に見えない位置だ。
渡船が生活の日常にあった昔の人は、総じて視力も良かったように想像する。

さて、あとは動きがあるのを待つわけだが……、どうしようかな。
実は利用者なんてほとんどいなくて、船頭さんも油断して、昼寝なんてしていたら。
ここから見る対岸が長閑な農村を思わせる一色なので、ついそんな侮った考えが浮かんでくる。
これは群馬だからと言うつもりはなく、対岸から見た埼玉も同じ色に包まれているはずだ。



8:33 (合図から3分後)

一挙手一投足も見逃すまいと、カメラの望遠レンズで対岸を覗いていた私だが、
黄旗を揚げてからちょうど3分後に、対岸に停泊する2隻の片方が白い波を船尾に吐き始めた。
どうやら私の思いが、船頭さんにちゃんと伝わったようだ。

この3分間、望遠レンズで対岸の群馬県邑楽郡千代田町の河岸を眺めていた。
某国の国境監視所のような建物がひときわ目立っており、その物々しさとの
ギャップが楽しいピンク色の路線バスが、私の訪町を待つように停留していた。

先ほどこちら側でもバスを見たが、渡船を挟んだ路線バスの行き来をこれ見よがしに見せられた。
私は、渡船が県道の一部としてちゃんと活躍していることを査察に来た役人のような気持ちになった。
こんなに県道として地域交通と一体となって利用されているんだから、橋が必要だよと訴えている?
だが残念ながら、私が決定権のある役人だったら、この素晴らしい渡船がなくなる架橋に承認印は押さないだろう。



船の動き出したことを察知した私は、旗を下げて元の状態に戻した。
もしこのとき誰か他の利用者が現れたら、私がいま船を呼びましたからと伝えるのが親切だろうが、こういう見ず知らずの人とコミュニケーションをとるきっかけが、アナログな時代にはいろいろあったんだろうなぁ……なんてことを考えたりしたが、もちろん誰も来なかった。
この分だと、貸し切り船になりそうだ。

それでは私も、最後に残された県境の渡船主要地方道、その埼玉県末端への歩みを進めよう。
スーパーマップルも地理院地図も、どちらも水涯線の際(きわ)の際(きわ)まで、県道色で道を描いている。
架橋がないために不通となっている県道は各地にあるが、たいていは堤防の上で県道色は途切れてしまう。際の際まで県道色なのは、渡船県道としての矜持のように思われる。




旗やバス停、待合室がある場所から船着き場までは、約130m離れている。

この間の道路ももちろん県道であるが、残念ながら“ヘキサ”があったりはしない。
せっかくの県道渡船である。ここに“ヘキサ”があれば、象徴的な存在として(道路ファンに)喜ばれそうだ。
ただ、この場所はあくまでも河川敷の一部であり、川の水位が上がると水没する畏れが高いので、そのことを考慮すれば何も置かないのが無難かも知れない。

ちなみに、今回のレポートのスタート地点である肥塚交差点からここまでずっと県道83号を(重複区間を交えつつ)辿ってきたが、一度も「通行止」や「通行不能」といったネガティブなメッセージを受け取っていない。
供用中の県道としての矜持なのか分からないが、渡船があるから歩行者以外通行できないとか、そんな野暮なことを、わざわざ書いていない。
まあ、就航している渡し船はカーフェリーではないので、現実的には車で渡河することは出来ないのだが…。苦笑。



8:34 (合図から4分後) 《現在地》

ついに道が途絶えている!

この最後の最後まで通行規制の表示はなく、そんな人はいないと思うが、車で通れると思ってきた人は、ここで驚くだろう。(そんな人いるはずがない)

まずは黄色いパイプ型の車止めが並んでいるので、自転車ごとそれをすり抜け、コンクリート舗装の場所へ入ると――




――その先、点字ブロックが横一線に並んでいる部分があった。道の終わりのことを、ちゃんと考えている。
そしてその先には、駅のホームドアのような形状をした、アルミ製の門扉が待ち受けていた。
運航していないときは、この扉を閉じておくのだろう。
いまはしっかり開いている!
この扉の周りにも多くの案内物が掲示されていたが、基本的にどれも待合室などで見たものだった。

扉を通り、いよいよ水面との間に一切障害物のない、駅のホームに相当する部分へ立ち入る。



自転車と一緒に、ホームで待機。
ここは野晒しでベンチ一つないので、ただ立って待つよりないが、楽しみな気持ちが強すぎて、待っている気がしなかった。

目の前の利根川はとても穏やかで、流れがあることを感じさせない。
しかしこれでも河口から160kmも上流の風景である。
川幅も実に広く、おおよそ400mある。
この辺りに橋を架けるということが簡単ではないのも、やむを得ない川の大きさだ。

しかし、赤岩渡船の前後は約10kmにわたって架橋がなく、この距離が周辺の平均より広いということも、架橋の必要性をアピールする基礎的な根拠になっているようだ。
確かにここから橋は見えず、もし渡船がなければ、対岸はほとんど別の国でしかないような状況である。




8:36 (合図から6分後)

きっ、キター!!

当たり前だが、櫂を漕いだりはしていない。
ボボボボボボボボボボボボという、小気味よいエンジン音を轟かせながら、波のない川を悠々と渡ってきている。

ただ旗を揚げる。
それだけの行為が、こうして一隻の船を県境の向こう側から呼び寄せる力を持っている。
全ては仕込まれたルールの中のこととはいえ、自分が少し大きな存在になったような不思議な達成感を得られた。
指先一つで船が来た。



すげーすげー!!

39歳、心の中で子供のようにはしゃぐ。

何がすげーって、

県道が、向こうから私を迎えに来てくれる。

ただのモーターボートだが、これは県道である。まさに動く県道。
道路管理者である群馬県は、この船着き場や航路の水面だけでなく、船自体を県道83号の道路区域の一部として決定し、供用を開始している。
これが道路法の渡船施設である。
ほんといままで私は、各地で県道であるはずの道を追い求め続けてきたが、県道の側から私の元に来てくれたのは、これが初めてである。




8:37 (合図から7分後)

県道渡船、ついに私の前に接岸の瞬間!

船側に書かれた船名は、新千代田丸である!
船上には明らかに乗客ではない二人の男性の姿があった。
操舵する人物が船夫さん、デッキにいるのが補助員さんだろうか。
(前回のウンチクのシーンで調べた千代田町議会の会議録の中で、
赤岩渡船は船夫2名と補助員1名の体制であることが述べられていた)

旗を揚げて対岸へ合図を送ってから、接岸まで約7分だった。
ラッシュアワーの慌ただしさには、そもそも絵面的に似合わないかもしれないが、
常に時刻表に縛られることなく、これだけ待てばいつでも対岸へ行けるのは便利だと思う。
橋と比較すればさ、そりゃあ橋の方が便利だけどさ。




うわわわわ!

促されるままあっという間もなく船上へ、そしてその直後には、もう川中の人になっていた。
出発アナウンスなんていう悠長なものはない。
私が乗ったら、もう船は岸を離れていた!

ああ、埼玉の大地が離れていく。
海洋航路は経験済だが、内水航路は初めての体験だ。
動く歩道ならぬ、動く県道の勇ましさよ! まるでエレベーターかと思うような隙の無さで、私を群馬へ連れて行く。

……そうだ。
これは確かに意外な印象だった。
渡船といえば、もっと悠長なものをイメージしがちだし、実際そういうところもあるとは思うが、この赤岩渡船については非常に洗練された動きを感じた。システマチックに、的確に、私を対岸へ運んでくれようとしていた。
これはこれで、むしろ根っからの現代人である私には、居心地が良いように感じた。無料なのにめっちゃ仕事するじゃん。



歌や酒が船上で振る舞われたりは当然しない。(あたりまえ。繰り返すが遊覧船じゃないぞ)

我らが新千代田丸だが、最大搭乗人員22名の船で、旅客は最大20人乗ることが出来る。
が、そんなに乗る場面がイメージしづらい。
座席は、椅子というか台のようなものがあって、そこに横向きで腰掛けることは出来るが、20人乗るときは立ち乗りが基本になると思われる。

そして、私が最初に不安に思っていた自転車だが、何の問題もなく乗せることが出来た。運賃が無料なんで、手荷物料金とかの割り増しも当然ない。輪行袋に入れるような煩わしさもない。
船内には、12歳以下の人は救命胴衣を付けるようにという張り紙があったが、私に対してそうした指導はなかった。

とにかく、水上を行く船とは思えないほど揺れは少なく、よほど苦手な人でなければ船酔いをすることはないだろう。
しかも、(残念なことに、)乗っていられる時間はわずか4分しかない。



そう、とにかく時間が短いのが、この船旅の唯一のネックだ。
もっと利根川の川幅が広ければいいのにとは、これに乗った誰もが思うことだろう。
現代のモーターボートに、利根川の400mそこいらの川幅は、あまりにも短い。
同じ場所に橋を架けようと思っても、いまだ実現しない“百年仕事”となっているのに、船は悠々とこれを超える。

逆に言えば、普段からあって当然のように慣らされている橋が、渡船と比較すれば大変な飛躍を遂げた存在であるということだ。渡船の次の段階は架橋だと言うのは容易いが、この間の飛躍の度合いは、利根川のような大河であれば特に大きいものだろう。日本中で渡船からの飛躍が起こり、しかし取り残されたわずかな例が、ここにある。

時間がない。
船上の写真を撮りたいが、運航関係者からの聞き取りもしたかった。
彼らが、私に時間を使えるのは、いまだけだ。
意を決しいくつかの質問を向けると、快くお答えをいただいた。
以下、教えて下さった内容を出来るだけニュアンスを変えず箇条書きにした。

  • 1日の運航回数は、だいたい30往復くらい。
  • 通勤や通学で利用している人は、現在はほとんどいない。
  • 渡船を解消するための橋の計画が進められている。橋があったら安心だと思う。でも、1箇所くらいはこういうものがあってもいいとも思う。
  • この上流の境町にも渡船があって(島村渡船のこと)、かつてはここと同じく県道だったが、いまは市道に降格してしまった。船もここより全然小さい8人乗りで、少しくらい波が立ってもこっちは動くが、向こうは休みになる。


8:41 (合図から11分後) 《現在地》

岸を離れてきっかり4分後だった。

埼玉県側とは少し外観や造りが違う群馬県側の船着き場へ、横付けされた。
やはり到着アナウンスはなく、乗降口のロープが外されたときが、降りるタイミングだ。
たいへん名残惜しい、愉快すぎる水上の動く県道であったが、自転車小脇に下船する。




別れ際、ホレホレこれだと指差されたのが、色褪せた1枚のポスター。(実は同じものが埼玉側にもあった、気付いた?)

利根川新橋建設促進大会のポスターだった。
あんまり色褪せているんで、何年も前のやつかよ苦しいなぁと思ったが、日付を見るとなんと今年(平成28年)5月22日とある。探索の約3ヶ月前じゃないか。
しかも、主催者である「新橋の会」発足10周年記念ということで、イラストにあるゆるキャラ達を呼んで盛大に行われたらしい。

……しかし、イメージ画像なのは承知しているものの、もの凄いスケールの吊り橋が描かれていることで、むしろ架橋の実現が遠いような気がしてしまったのは私だけだろうか。



いやー、あっという間でしたねぇ。

こんな簡単に渡れてしまうとは。
う〜ん、天気のいい日中に、徒歩や自転車で渡るなら、これで十分だと思ってしまった。
が、いま言った条件で満足する人って、基本的に物見遊山の旅行者だけだな。
産業輸送の役に立つのは、やはり橋だ。当たり前すぎる結論である。

渡船の持つ単純なレアリティと、風情あるイメージの良さを武器に、観光の色を纏って生き残ることは誰でも考えつく。だが、料金を取ることが難しい道路渡船場の枠組みでは、仮に人気になってもただコストが増えるばかりだろう。まあ渡船で稼げなくても、周囲の観光施設で稼げれば良いという考えもあるかもしれないが。

しかし、道路渡船場という旧道路法時代より連綿と続く生活の足に、そんな媚びた生き方は似合わない気もする。いまの赤岩渡船の姿は、道路渡船場としてのストイックさを維持した、とても好ましいものに見えた。
いつか使命を全うして役目を終える日まで、クールなままでいて欲しい!



私の感想なんていう不確かなものより、データが大切。
取っておきましたよ、データ! GPSのログデータ!

右図の地理院地図上に表示されたピンクっぽい線がGPSのログデータから得た軌跡である。
これを見ると、川を最短距離で横断しているわけではなく、確かに運航基準図で見たように8の字形の片道航路を取っているのが分かる。

というか、この軌跡が本当に美しいと思う。
渡船を利用するために陸上で迂回した部分がまったくなく、本当にシンプルに埼玉県から群馬県へと川の中の県道を走破しているのが分かる。美しい!!

あと、図の右下に表示したのは標高グラフである。
個人的に驚いたのが、この辺りの利根川の水面の海抜は、両岸の後背に位置する低地よりも高いということだ。
これでは洪水時の破堤が、たちまち周辺一面を冠水させるのもやむなしであろう。(参考:利根川下流域の想定洪水浸水区域

山ばかり見てきたせいか、なんとなく川は低い所を流れていると思い込んでいたが、そんなことはなかった。
しかし、昔の人はしたたかなもので、川岸にあってそれでいて水面よりも高い微高地に、集落を構えていたことも分かる。
両岸の葛和田や赤岩集落がある場所は、その後背の低地よりだいぶ高く、浸水しにくい立地である。



(ハッ!)

楽しみにしていた渡船区間が終わり、群馬県千代田町の川べりに、ぽつーん。

…………

……





県道の続きを、辿るぞ!