あ る 朝、 私 は 島 で 目 覚 め た。
まだ空には月が煌々と輝いていて、波打つ浜辺を照らしていた。
しかし私は強く覚醒しており、ペットボトルの水で溶いた冷たいカフェオレを1杯すするように呑み込むと、すぐさま私が寝転がっていた、その砂の上の柔らかな寝床を片付けた。
旁らには、見覚えのある自転車が私を待っていた。
島にいるのに、本土にいるときと同じように私を待っていてくれるこいつが愛おしい。
よし、決めた。
この島に居られる時間は、あと数時間しかないが、この自転車で島が全貌出来る場所へ登ってみよう。 いわゆる、思い出作りというやつだ。
目覚めて2時間後、時刻は午前6時半過ぎ。
私は島の南西部にある大きな採石場の跡に立っていた。
そこは海から直にそそり立つ斜面の上にあって、西、北、南の眺めを遮るものは何もなかった。
左の写真は、南の方角を撮影している。
ここはどこでしょうか?
……茶番はもう良いって?
失礼しました、ここは、【現在地(マピオン)】です。
ええ、 私にとっての初の離島として、未だ鮮烈な記憶を残す、あの新島ですとも!
東京都新島村ですとも!
写真の島影から分かる人は現在地が分かったでしょうが、手前の島は式根島、奥の島は神津島である。
そしてこの場所というのは、十数年くらい前までは沢山採掘されていて、島の財源を賄う重要な商品であった抗火(こうが)石の採掘場跡である。
島内には何か所も採石場があったが、中でも一番規模が大きかった、島の南西部の採石場だ。
この場所も面白いのだが(何がって、広大な露天掘りの採石場跡が迷路みたいで)、残念ながら今回の新島での時間はもう僅かだ。
私はNOS(ネクスト・オブローディング・ステージ)である神津島へと誘う、今日たった1便だけの定期船が、そろそろ港へ向かって近付いているはずだ。
かつて大型ダンプやブルドーザーが砂煙の中走り回っていただろう採石場の道を、港がある島の中央低地へ向けて下って行く。進行方向は、北だ。
もちろん、私の股の間には自転車が収まっている。とても股間を痛めそうな、ガレッガレの下り坂であり、調子に乗って転倒くらいならばまだしも、パンクさせて時間のロスになったら大変だ。慎重かつ、速やかに。
今は北へ向かっているので、先ほどまでとは見える遠景が全て違う。
視界の目一杯遠くに、まるで富士山のような山が見えるが、利島である。
一度見たらもう見間違いようのない姿であり、私は昨日から何度も利島を目にして、その都度胸の中に込みあげるものがあるのだった。
まあ、私が利島を愛しているという話は置いておき(まだ訪問出来ていないし)、利島の手前にある陸地が、この南北に細長い新島の北側半分を支配する島最高峰・宮塚山を主峰とする火山群である。
昨日、私が興奮のあまり興奮のあまり、興奮のあまり、…自転車を置き去りにして散々歩き回ったのは、あの山の右側の斜面の辺りだ(写真には見えない)。
また、今朝私が目覚めたのは、写真中央の入江の辺りである。
さらに今目指している港は、入江と現在地の真ん中辺りにあって、辺りには島の集落も広々と広がっているのだが、あいにく今いる山が足もとを遮っていて見えない。
おおっ。 島の地平が見えてきた。
しかし、その地平にも微妙な起伏があって、残念ながら集落も港も空港も見えなかった。
代わりに足元の地平に見えるのは、今の島の経済を支えていると言っても過言ではない観光関係の施設と、右奥のは防衛省の施設である。
ここへ登ってくるときには別の道を通ったのと、まだ薄暗かったので、島の全体像を眺めるのはまだ新鮮な気持ちである。
さて、写真中央に気になるものが。
望遠で覗いてみる。
新島のすぐそばに浮かぶ小さな島に、
なんか、いろいろある。
しかし、本当にすぐそばに浮かんでいる島なのに、
行くための、道がない!!
ハイコレキタ。 私の大好きなシチュエーション(笑)。
どうやっていくのか分からない、いわゆる “謎の道” 見つけちった!
7:25 さあ、いよいよその島が、目前となりましたッ!!
??!
おおっと! これはどうしたことだ?!
ヨッキれん選手、ここで華麗に島の前をスルーしたッ!
自転車で颯爽と通りすぎてしまったぞ!
まっ、 まさか、ここに来て痛恨の
タイムアウト・スルーか?!!
……45分後。
「否! ここでスルーはあり得ないッッ!」
なんと、島から退場したかと思われたヨッキれん選手!
ここで自転車を置いて、駈け足で戻って来ましたッ!
茶番乙。実は私は先に自転車で港まで行き、
乗船券の購入や、自転車を輪行袋に突っ込むなどの、
面倒な荷造りを先にしてきたのである。
スルーはあり得ないが、とはいえ島に居残りもキツイ。
そこで編み出した、ギリギリまで時間を測るスタイルだった。
とにかく、今の私には時間はないが、
面倒な荷物もない、超身軽である。チャンス到来!
8:10 【現在地(マピオン)】
↑おおマピオンよ! 島が繋がっているとはなにごとだ!
まじまじ眺めると、なかなかどうして、 変 な 島 である。
形がどうとか言うつもりはない。
な ぜ、 こ の 島 に は 道 が あ る の か ?
それに、島の道はここから見えている島の半面をぐるりと、まるで等高線でもあるかのようになぞっている。
しかし、上の写真を見直せば分かるが、決してこの島は利島のような整った円錐形をしているわけではなく、裏側はゴツゴツした岩場で、道も無ければ人が暮らす余地も無い。
結局、島の道は全周の3分の1ほどを巡っているに過ぎないが、ここから見る限り、まるでそれは独立した存在である。
新島本島との間に橋が架かっていないばかりか、船着き場があるようにも見えないし…。 まさか、完全に独立した文明の痕跡??
本島との間に恒常的な連絡路を持たないことからも、断言して良さそうだが、
この島は廃墟の島である。
流行りに乗じて、これを“東京の軍艦島”などと申すつもりはない。
無いが、しかしこの小さな島の地表における人工物の占める割合は、新島本土のそれを遙かに上回るであろう。
それに、本来は全く立錐の余地も無い急傾斜の島である。
そこに何らかの目的を持った道を置くために、鬼神じみた石垣が設けられている。
あの石垣はなんだ!
いつの物であるかを問うまでもなく、これだけの石垣は中々お目にかかれない。
仮に私の大好きな明治車道でこんな物を見つけてしまったら、軽く失神する。
そして、そんな道が行き着く最後に待ち受ける(と見える)のが、これまた安易に「謎」と付けたくはないものの…
謎の コンクリート柱
……である…。 ぶっちゃけ、探索時点ではこれが何の島か全然分からず仕舞いだった。
見とれてる場合じゃなかった!
早く上陸作戦を決行しないと!!
時計を見ると、乗船開始まであと20分しかなかった。
でも……
↑↑↑安全か?↑↑↑
笑
要は、タイミングの問題だ。
そりゃあ、島と陸を繋ぐ砂洲へと押し寄せてくる波が、ちょうど両側から合掌するタイミングに砂洲に残っていたら、
押し流されないまでも押し倒されて、カメラをぶっ壊される畏れは大である。 だから、タイミングだ。
それに、近付くまでは気づかなかったが、島の“鉢巻道”には、私を迎え入れる為の階段が付属しているようだ。
俄には信じがたいものがあるが、この島が何らかの施設であった時代から、人々は波濤の合間を駆け抜けていた?!
今だッ ! ! !
きーもーちーいーいー。
今こそ、レジャー以外(オブローディング)にも使える、
ウォターシューズの本気を見せるとき!
悠長に |
危うく波に呑まれかけたぜッ!
しかし、何はともあれ、無事上陸ッ。
8:13 【現在地(マピオン)】
こうして私は、乗船時間が刻一刻と迫るなか(あと15分くらい)、
新島の属島である小島 ―後日知ったが「鳥ヶ島」という―― への強行上陸に成功した。
小さいとばかり思っていた島だが、いざその一角に身を置いてみると、
なかなか大迫力なそそり立ちっぷりに、こっちまで熱くなる。
確かに、かつて海際から上がる道があったようだ。
それは斜面を斜めに横切る比較的に急な階段であるが、ステップは浅目に切られていて、登りやすい。
最初のうちは途切れ途切れだったが、登るにつれて次第にはっきりと現れ始めた。
これは海に近い所の階段ほど、強い波蝕に晒されて壊されてきた結果であろう。
階段の痕跡があるとはいえ、海にそそり立つ岩場を登っていくのはスリルがあって楽しかった。
また風景も素晴らしかった。 私がこの鳥ヶ島を見初めた山(その名も石山という)が、海を隔てて全展開した。
こうして、波、山、時、全てをつなぎ合わせて、いま辿りつく。
鳥ヶ島の廃道!
※なお、規模は小さい模様。
※なお、この画像は鳥ヶ島から撮影されたものではあるが、鳥ヶ島ではない模様。
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