鳥ヶ島の廃道、いかがだっただろうか?
こんな小さな島には不釣り合いなほど立派な石垣や道がとかく印象的だったが、無論これだけ特徴的な光景があるからには、納得の行く理由があるはずだ。
それが、ほとんど例外のない土木の世界の掟である(大勢が命をかけるものに、無意味なものはないという)。
その解明に取りかかる前に、今回目にした鳥ヶ島の廃道や、関連すると思われる遺構の位置関係を整理しておこう。
左図の通りで、鳥ヶ島の東から南にかけて、海抜15mほどの高度に道が存在する。
部分的に上下2段になってはいるが、別々の場所へ通じているワケではないので、まあ一つの道と考えて良いだろうと思う。
(この構造の理由は解明できていない)
そして肝心の鳥ヶ島の廃墟・廃道の正体であるが、当サイトではお馴染み「新島村史」にその答えを求めることにした。
昭和五一(中略) 新島から式根島へ海底送水が始まる。(一日八○○t送水)「新島村史」年表より
昭和六一年八月からは、新島から式根島への全日送電が開始されている。「新島村史」p699より
残念ながら詳細な敷設場所までは書かれていないが、新島から式根島へ向けて、水道と電気の両方が海底ケーブルにより融通されていることは確かである。
位置的に見ても鳥ヶ島は式根島との距離が近く、かつ新島の中心部である本村と式根島を結ぶ直線上に位置しているので、このあたりにケーブルが存在するのは間違いないだろう。
だが、これが廃墟・廃道の正体であるとは思えなかった。
鳥ヶ島には、別の用途があったはず。 さらに村史をつぶさに調べていくと、遂に「鳥ヶ島」という地名を含む重要な記述に行き当たった。
現場では明かすことが出来なかった、謎の答えが。
石 積 場
中河原海岸の一部をコーガ石の石積場として利用したことがある。その年代は向山のコーガ石の採掘が企業化され、採石場から海岸まで、運搬設備が造られた大正五年から昭和六年まで利用していた。
昭和七年からは向山山上から鳥ヶ島までケーブルが引かれ輸送施設が整備され、それまでのトロ運搬は漸々に利用されなくなって行った。
戦後は港湾施設が整備され、中河原海岸での石積場機能は廃止され、港への中継石置場に変更されたのである。(以下略)
「新島村史」p1120より
これだ!!
間違い。あのコンクリート製の柱のてっぺんには、循環する主索を切り返すための滑車が設置されていたのではないだろうか。
図らずして、私が鳥ヶ島を見初めたあの場所(採石場跡)こそが、鳥ヶ島を今の形へと作り替えた原因であったとは!!
偶然の妙に震えた。
村史にはこれ以上、鳥ヶ島と、そこを終点にしていた索道についての記述は無い。
そこで更に裏付けを得るべく、昭和27年版の地形図を調べてみると、ばっちり索道が描かれていた!
当時の地形図の図式で使われている用語に倣えば、「架空索道」という記号である。
それが向山(石山とも)と呼ばれる辺りから、間々下浦(中河原海岸ともいうようだ)の方へ張られており、終点が鳥ヶ島となっている。(島には独立針葉樹の記号が見られる。今はそんなに目立つ針葉樹は生えていない)
先ほどの村史の記述 「戦後は港湾施設が整備され、中河原海岸での石積場機能は廃止され、港への中継石置場に変更された
」 の通り、この当時は中河原海岸にて索道より降ろされた抗火石は、現在の新島港がある場所に新設されたばかりの埠頭から積み出されていたのだろう。戦前は中河原海岸から直接船積みしていたらしいが、いずれにしても索道がこの役目を担っていたのである。
なお、この地形図には石山の採石場を一周する、まるでお伽列車のような「特殊鉄道」の記号も見られる。
これが採石場内外で使われていた手押しのトロで、索道が整備される以前は、インクラインとトロの2段構えで中河原海岸へ降ろされていたという。今回、その遺構は捜索していない。(ただ、石山内部は相当地形が変わっていて、軌道の痕跡は無かった)
残念ながら、私の調べは今のところここまでである。
鳥ヶ島にあった索道施設はおろか、この石材運搬索道の写真自体見つける事が出来ていない。
【追記】 写真は見つかりました!! 撮影時期は不明ですが。 →【東北芸術工科大学東北文化研究センターアーカイブス】
廃止の時期も定かではないし、中河原海岸の石積場の跡の現状や、索道、トロ道などの遺構が他に存在するのかどうかについても、まだ現地踏査をしていない。
だが、鳥ヶ島に興味を惹かれなければ、まるごとこれらの事象を見過ごしていた可能性が大である。
石山〜鳥ヶ島間の索道は、地図上の計測でも直線延長1000mを下ることはなく、高低差200mを行き交うさまは、かなり壮観なものであったはず。
そうでなくとも新島にとって抗火石採石は長らく基幹産業であったのであり、記録はまだまだ豊富に存在するはずである。
今後、また新島に行く事もあるだろうから、引き続き調査をしたいと思う。