2016/3/4 11:35 《現在地》
白い航跡が、見渡す限りどこまでも広がる水平線へと消えていく。船旅を愛する者ならば、誰もが心動かされる幸せな体験だ。
出航から間もなく2時間になろうかというこの時間、おそらく私は八丈島と青ヶ島の中間を少し後者へ寄った辺りにいたと思う。
出航時に八丈島の空を塞いでいた雨雲は、やはり大きなものではなかったようで、既に晴天の航海になっていた。
風波とも全くもって穏やかで、黒瀬川とも称される強力な黒潮の潮流を横断する元来波の高いこの海域においては、
おそらく10日に1度よりも稀なくらいの絶好な航海日和ではなかったろうか。
この少し前まで私は船室でごろ寝して、そのまま3日分の旅の疲れから意識を失っていたのであるが、
ふと目覚めてデッキに出てみると、このような天候の回復を目の当たりにして、私は有頂天になった。
そしてそのまま青ヶ島到着まで、デッキに並べられた椅子に居座り続けることになった。
島の味、といって良いのかは定かでないが、八丈島の商店で上陸した日に購入したピザパンを、昼食代わりにかじった。
ちなみに、青ヶ島にも商店はあるらしいが、念のため八丈島で青ヶ島滞在中に食べそうな食料は全て買い込んでおいた。
あと、ピザパンは賞味期限を1日過ぎていたが、とても美味しかった。
(自慢するようなことでもなんでもないが、基本的に私はどんなに珍しい旅先へ行っても、現地にある外食屋に食を求めることはない。例外も稀にはあるが、一人旅だとますますそうなる。これは元来あまり人と話すことが得意でない私の性分のせいもあるが、旅に出ている最中はだいたいずっと着替えをせず風呂も入らず、汗だく泥まみれ草まみれの野宿(or車中泊)で探索活動を続けるので、人の集まる場所に行きにくいという事情もある。今回は既に3日、さらにあと2日はこの状況が続くので、最終日に都心の電車に乗るのが申し訳ないぜ…。)
12:13
デッキに出てから40分、出航から2時間40分が経過し、予定の青ヶ島到着時刻まで20分を切った。
当然ながら、船は青ヶ島の近傍に迫っていたのであるが、このタイミングでようやく私はその姿を見ることができた。
デッキが船尾に向いているため船尾方向を見ることができず、船側に現れるほど近づいたことで、ようやく見られるようになったのだ。
昨日、八丈島の南端で遙か遠くに遠望して以来の人生二度目となる青ヶ島の肉視だったが、劇的に大きくなっていた。
なお、この日の船は、地図などに航路を示す破線で描かれている島の東を回り込む航路ではなく、西回りで島の南西側海岸にある港へ入る航路を採っていた。
そしてそのことが、私の青ヶ島上陸をさらに劇的な体験にしたと思う。
この後のデッキ席に展開しためくるめく映像を、私は生涯忘れないだろう。
接近!青ヶ島!
12:22 《現在地》
この島…、 人が住んでいる島…?!
島の全体のシルエットは、いかにも火山島らしい、海面から直接成層火山が突き出したような形をしている。
“原始島”や“無人島”、そんなワードが頭をよぎるが、ここは紛れもなく有人島で、170人の村民が住んでいるのである。
いま見ているのは、島の北端辺りから西海岸にかけてだ。
地形図を見る限り、この島の北側は唯一の集落がある場所で、地形的にも島内で最も穏やかであるように見えるのだが、実際には海岸線が絶望的に険しかった。
どうやって上陸するんだ、この島…。
そういえば、この島には幾つもの別名が伝わっている。中でも印象的なのは「鬼ヶ島」というものだ。あの有名な昔話ーに出てくる島と同じ名前だが、おそらく直接の関係はない。通りがかった船乗りによるもっと単純な連想から来たのだろう。この姿では無理もなかったかも…。
そして島唯一の集落は、とんでもない山の上だ!
この島が確かに有人島だと分かるのは、大きな建物がいくつか並んでいる一角が見えるからだ。後であそこにも行くのだが、青ヶ島村役場や村立の小中学校である。
その周りには民家もあるはずだが、海上からは見えなかった。
集落がある辺りの海抜が250〜300mもある。おそらく伊豆諸島の中には、これほど高い位置にある集落はほかにない。
海に住みながら、あまりにも海岸からは遠い印象だ。この島の最高峰は海抜423mの大凸部であるが、そこから数えて集落の位置は5合目以上。水面下700mの海底から聳える山としてみれば、9合目辺りにあるということになる。 …とんでもない。
前述した建物群と並んで有人の島を物語っているのが、島のてっぺん付近の山肌の一部に木が全く生えていない、てらてらと日光を反射して輝く奇妙な地表が広がっていることだ。後で知ったことだが、これは地表に特殊なシートを敷き詰めた水源地だった。川や湖のない島における用水の知恵だ。なお、この島は東京都心の2倍の量の雨が降るという。
12:30 《現在地》
一応、着岸予定時刻になったのだが、船はまだ海上にいた。
しかも、まだ港も見えていない。
この船は現在、集落がある島の北側から西側の海岸線を南下しつつある。島の周囲を反時計回りに進んで、南西岸の三宝港へ入るようだ。
「電車が遅れまして大変申し訳ございません」
同じ東京で働く電車だったら、たちまちそのような謝罪のアナウンスが流れそうな遅延だが、青ヶ島への船については、出船しただけで褒められるべき存在なのかも知れない。出航も説明なく10分ほど遅れていたし。ともかく、島の時間が都心よりも相当おおらかに流れていることは、想像していた通りのようだ。
そしてそんな中、私をさらにヒートアップさせずにはおかない、私(=道路趣味者)にとっての核心的光景が現れ始めたのである!
すなわち、島の道の姿が……!!
やべぇ!!!!!
都道 青ヶ島循環線、やべぇ!
なんつーところを、通ってやがるんだ!!
正気とは思えねぇ!! 普通選ばねーだろ、そこは!
海岸線から海抜400mまで一気にせり上がる島内最大の海食崖を、
その高さ300m辺りで、容赦なく横切ってやがる!!!
やべぇ!! やべぇやべぇやべぇやべぇーやべぇーやべぇやべぇやべぇやべぇやべぇーやべぇーやべぇやべぇやべぇやべぇやべぇーやべぇーやべぇやべぇやべぇーーーーー!!! 体中の血液が全て沸騰したァーー!! この島は完全にやべぇ!
日本の道路の極致がここにはある! 一目で判然した! 間違いない!!
やべぇ………(息切れ)
……あの都道が、先ほど見た集落と、島の玄関口である三宝港を結んでいる。
廃道ではない。今も手入れが続いているからこそ、そこかしこに法面を補修した形跡がある。
古い補修痕も、新しい補修痕も、どちらもある。島の命を支える、命懸けのパッチワークだ…。
12:38 《現在地》
船の速力は大きく、さほど大きくない島の見える部分は、どんどん移り変わった。
島の都道に絶句してから8分が経過した現在、その荒々しさの核心部は、次第に後方へと遠ざかっている。
“荒行”を潜り抜けた都道はいま、もしも下に海面がなければ“あの塩那道路”の“天空回廊”を彷彿とさせるように、
尾根沿いの高所斜面を大胆に横切っていた。その姿は、海上からあまりによく見え過ぎる。
そして、その徐々に下る道の先には――
見えた! 三宝港!!
地図に黒根の名が注記されている岬を回り込むと、それは水涯の果てに忽然と姿を見せた!
遂に上陸の時が迫ってきたことを実感する。
しかし、それにしても――
どうなってんの、道のつながり?!
見えている都道と三宝港の間の高低差が大きすぎるうえに、その両者を結びつける部分がまるで見えないんだが……。
その都道の一部であり、上陸直後の探索対象に予定していた「青宝トンネル」らしきものは、既に見えるけれど…。
都道の件だけでなく、それがある港の施設全体についても、さらにその周辺の地形にしても、
何もかもが、おそろしく立体的である!
……という具合に、行く手に見え始めた三宝港に心を奪われつつ、
それと同時に、船側に過ぎ去ろうとしている道路風景が、私を再度戦慄させた!!
↓↓↓
12:41 《現在地》
うわぁぁあああ!!!
都道がとてつもない規模で崩壊してて、
それを治そうとしてるッ!
と、とんでもねぇ……。この諦めない執念、とんでもねぇよぉおお!!
未だかつて、これほどの規模で崩れた道路を、同じ場所で復旧させようとしている現場を見た覚えがない。
普通なら同位置での復旧を諦め、別ルートを選びそうなところだが、それができない事情があったのだろうか。
いずれにせよ、海路の旅人をおもてなしするはずの第一景である部分で、とんでもなく美観を損ねまくってる。大自然の宝庫である島の美観が……そんなの関係ねぇ! この島には人が生きているんだよぉ!! 生きるために道が必要なんだよおおお!! …という魂の叫びを幻聴したような気がした。もちろん、こんな幻聴は私の妄想だが、富士箱根伊豆国立公園に八丈島以北の伊豆諸島の全有人島が含まれ、小笠原国立公園に小笠原諸島が含まれる中、両者に挟まれた青ヶ島だけが、なぜかどちらの国立公園にも含まれない。このことは、青ヶ島の自然の豊かさや貴重な地形的特徴を鑑みれば不自然な気がするのであり、そこではやはり、自然を手懐ける土木の最善を尽くさねば日本人の文化的な暮らしを維持しがたいほど厳しい、そんな島の地形的状況が関わっているのではないか……という妄想にまで至るのである。
ちなみにこの都道を巻き込んだ大崩壊は、平成19(2007)年に発生したものであり、以来復旧工事が進められているのだった。
いずれは再び通れるようになると思うが、浸食されゆく火山島の海崖をコンクリートで固める行為には、三途の石積みを連想してしまう…。
12:44
全身の血が沸騰して逆流して大変なことになっている私を乗せた船は、いよいよ青ヶ島港とも呼ばれる三宝の港内へ。
この港は島の西南岸で外洋に面しており、西風による高波を防ぐ長い埠頭が生命線である。
船は堤防を回り込む形で港内へ入り、そのまま埠頭東側に着岸する手はずであるようだ。
間もなく到着との船内アナウンスが聞こえてきたので、そろそろ荷物をまとめて下船の準備をしなければならないが、私の視線は依然としてこの“三宝港劇場”に釘付けであり、目を離すことができない。
なにせ、さっきまで存在が見当たらず、私を激しく訝しがらせていた、崖上の都道と港(青宝トンネル)との接続部分が遂に見えたのである。
……また、大文字絶叫の準備、良いか――?
お゙わ゙ぁあああああ!!鼻血ブー!
これが青ヶ島の玄関、三宝港の全貌。
まるで要塞と評したコメントがあったが、言い得て妙だと思う。これは人類の英知が自然を克たんと築いた、海陸の要塞だ。
船で来ていなければ、このファーストインプレッションだけは絶対に味わえなかっただろう。
そして、都道青ヶ島循環線は、俺が見てきた過去の全てを一瞬で超越してきた。
まだ海上だぞ俺は! 一歩も踏み入れてない時点で、この激しさ…。
この島は、究極にやべぇ。 陳腐な言葉しか浮かばねぇ。
なお、私はまだ、廃道については何も語っていない。
しかし、手元の地形図を見る限り、私が島に上陸して最初に探索しようなどと
らんらん気分で思っていた「旧道」とやらは、
実際問題…… ↓↓↓
実在しない模様。
これはそう述べるよりない風景。 ない。
青ヶ島よ。
俺を生かして帰してくれよ。 それだけは頼む…。
私がなおもデッキで景色を見ている眼下では、いよいよ着岸作業が始められた。
島の人々の姿を初めて見ると同時に、港に停まる沢山の車や、慌ただしく埠頭を走るフォークリフトなど、今まであらゆる離島への上陸時に目にしてきた、賑わいワンシーンを確認。
ホッとする。
この冷血の絶壁を見せる島にも、ちゃんと人の血が通っていてくれている。出迎えてくれる人がいる。
そして、待ちに待って陸に解き放たれようとする、10人ほどの乗客たち。
この島が受け入れる6日ぶりの船旅の者たちだ。
その一人が私であり、もう一人の輪行の男にも歓喜の時。
12:52、着岸完了。青ヶ島到着。
船は出航時点で10分遅れであったが、海上でさらに10分ほどを遅延し、合計22分遅れで着いた。
そのため、私に許された島内活動時間も22分短くなり――
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