《周辺地図(マピオン)》
徳島県美馬(みま)市を流れる穴吹川(あなぶきがわ)は、四国地方第二の高峰である剣山(1955m)に端を発し、木屋平(こやだいら)から剣峡の深い谷を流れ下って穴吹付近で吉野川に合流する。近年の水質調査で「四国一きれいな川」のお墨付きを得たこともあり、夏場を中心に多くの観光客が訪れる人気のレジャースポットになっている。
今回探索するのは、この穴吹川の下流右岸を並走する、一般県道254号 田方穴吹線だ。
以下はウィキペディアにある同路線の解説ページからの受け売りだが、平成22(2010)年の県資料を典拠とした全長は7067mで、昭和34(1959)年から認定されている息の長い県道である。
そして同ページには、「沿線には集落があり、生活道路として利用している」とある一方、「2021年8月に大雨の影響で落石が発生し現在通行止になっている」との記述がされていた。
これだと近年の災害以前は全線とも生活道路として利用されていたような感じを受けるが、
最新のスーパーマップルVer.24(2024年)で本路線を見てみると――(↓)
めっちゃ途中で途切れているんだが?
起点とされる美馬市穴吹町口山(くちやま)の穴吹川右岸、田方(たがた)集落付近から確かに県道色の道が始まっているが、そこから1kmほど下流の知野(ちの)集落内で突如県道色の道は途絶え、約3km下流の仕出原(しではら)集落附近でまた県道色が復活する。以降は狭そうな表現ではあるが、美馬市穴吹町穴吹の拝村(はいむら)を経て、最後穴吹川を渡って穴吹市街地で国道492号に合流する終点まで県道は繋がっている。
県道が途切れているように見える知野から仕出原までの約3kmのうち、上流側の1km弱は完全に道の表記がなく、残りの2km強は点線表現(徒歩道)はある。
この一連の区間は、常識的に考えれば自動車交通不能区間とみられるものの、そのように明言している資料は未発見だ。
いずれ、まともに車で通れる区間ではない気がしたので、探索に行くことにした。
ストビューも役に立たなかったしね。
予習のため、もう少し大縮尺の地図として、最新の地理院地図も見てみる(↓)。
闇深そう(笑)。
地理院地図だと、車が通れなさそうな区間は短いものの、分断区間は二つあるような表現になっていた。
二つの分断区間に挟まれた地図上の離れ小島的県道が大好きな私にとって、これはますます気になる存在に。
しかしそれにしても、全体に細々としていて、えらく頼りなさげな県道だ。
間近な対岸を国道が通っている状況で、基本的に整備の優先順位が低いんだろうなぁ…。
実際どんな道なのか楽しみだ。
探索は、2023年2月の四国遠征初日の午後少し遅い時間に行った。
終点の穴吹から上流へ向かって辿り、起点を目指す流れである。
それではスタート。
2023/2/12 16:14 《現在地》
ごめん。今日もまた遅い時間からの探索スタートです(苦笑)。
どこまで行けるかは分からないが、時間の限り、完抜目指して進んでいくつもり。
ここは美馬市穴吹町穴吹の国道492号上で、県道終点の丁字路を北向きに撮影した。
周辺は平成17(2005)年まで美馬郡穴吹町(あなぶきちょう)の中心市街地だったところで、県道田方穴吹線は全線が当町内にあった。
丁字路に信号はないが、案内標識の“青看”と“卒塔婆”が1本の標識柱にまとまって設置されていた。
青看では、右折する県道254号の行先として「徳島・高松」が表示されていて、直進である国道492号が「穴吹駅」を表示しているのと比較して、より広域的なルートという印象を受けるが、すぐに種は明かされる。あと、卒塔婆標識の路線番号が消えかけていた。
右折直後の県道風景。
何の変哲もない片側歩道の2車線道路で、すぐに高架式の上り坂が始まる。
この高架橋は平成13(2001)年に開通した市場高架橋という。下は普通の住宅地で、市道を跨ぎつつ堤防へ登る役割がある。
16:15 《現在地》
終点から150mの地点で、穴吹川の堤防上の丁字路へ。
青看にあるように、ここを左折すると再び国道492号となり、前述した錚々たる行先たちは当然のように、この国道に持って行かれた。
県道は直進だが、青看の行先表示は…… 出ました、空欄です。
ダメな県道の定番、さっそく出ました。
この流れから、一体どんな道へ連れて行かれちゃうのか、ワタクシ楽しみであります。
写真は、同じ丁字路を国道側より撮影したもの。やはり県道254号の左折する行先は空欄だった。
高松方面からの国道492号の順路としては、ここを右折して一瞬だけ県道254号を通ってから、冒頭の丁字路を左折することで再び国道492号になる。
このように一瞬だけ国道が切れるのは、国道側のバイパス整備が未完であるためだ。
国道492号には、穴吹市街地の人家連担区間やJRの踏切を一挙に解消する穴吹バイパスの計画が進行中で、平成12(2000)年に着工、平成19(2007)年12月に当交差点以北1.25kmほどが開通したが、交差点以南の僅か100mほどの区間だけ未開通であるため、ここで一瞬だけ県道を間借りする形になっているのだ。
国道バイパスとの丁字路を過ぎた県道は、直ちに穴吹川を横断する。
橋は新市場橋といい、平成12(2000)年8月の竣功だ。
察しの通り、市場高架橋と新市馬橋は、国道穴吹バイパスとの接続を念頭に近年整備された一連の新道だ。
対応する旧道と旧橋があったが、橋については既に撤去済みで跡形もなかった。
徳島県道254号は典型的な“険道”だと思うが、この辺りの区間だけはそれを全く感じさせない整備水準となっている。
橋の上から撮影した、穴吹川の上流方向の眺め。
穴吹は典型的な谷口の街で、これより奥はことごとく山峡である。
景色的にも、両岸の山々が閉合して峡谷に結ばれる様子が一目瞭然だ。
ここから源流の剣山周辺まで流長は40km以上もあり、いま見えている山々は何れも前衛に過ぎない。
穴吹川左岸の国道は頑張り抜いて剣山へ辿り着くが、右岸の県道は前衛の突破も出来ずフニャ付いて終わるなんて、なんとも愛らしいぢゃないか。
16:16
新市場橋を渡ると、右岸の市場集落へ。
依然として2車線の道は自然に右折し上流方向へ。
まだ当分先まではストビューも完備されている区間なんで、(実際に探索の残り時間が乏しいこともあるし)どんどん進むぞ。
16:19
市場を過ぎ、次の拝村へ向かう途上で、道幅は1.5車線に切り詰められたが、末端はいかにも拡幅したそうな雰囲気だった。
この辺りから川沿いの平地は河川敷だけになり、両岸とも山の傾斜に圧迫を受け始める。
ちなみに、今のところこの県道の行先に通行不能の箇所があるような予告などは出ていない。
16:21 《現在地》
気付いたら、めっちゃ狭くなってた!
県道の旅をスタートしてまだ800mほどだが、早くも本性を現わしはじめたようだ。
ここは拝村の集落で、傾斜地に立ち並ぶ多くの民家に県道は直接アクセスしている。
そんな訳で車の出入りは決して少なくないだろうに、乗用車でもすれ違えない狭さが強烈だ。
16:21
拝村集落内にある井の谷橋では、まさに拡幅工事が進められている最中で、おそらく現在では少しだけ通り易くなっていると思う。
そしてこの先は少しだけ道幅が広くなり、概ね1.5車線程度の道がしばらく続く。
16:23 《現在地》
1.1km地点、拝村集落の終わり間際にある市道との分岐地点。
青看が設置されているが、微妙に本式のモノとは異なる表現方法で違和感がある。
わざわざ「県道田方穴吹線」と文字で書いてあるのも珍しい。
県道はここを直進で、その行先には「仕出原」が表示されている。
ここまで来て、はじめて青看上で県道の行先となる地名を見ることができたが、地形図でも仕出原までは普通に車道じゃ通じていた。
その先に道が通じているか。そして通り抜けられるかどうか。それが気がかりだ。
16:25
拝村を出ると、いよいよ山岳道路的な風景に。
穴吹川のまだ広さがある川原をときおり眼下に見ながら、狭隘な1車線道路をぐねぐねと進んでいく。
地形はかなり険しいが、路面の状態を見る限り、それなりに交通量はある様子。待避所がとても少ないので、自分の車では絶対入りたくない!
この辺はストビューでも見られるので、絶対安全な所から狭さだけ体験したいなら見てみるといい。
なお、この区間の途中で大字が変わる。終点からここまでは美馬市穴吹町穴吹だったのが、この先起点までは美馬市穴吹町口山となる。
昭和30(1955)年までは、それぞれが美馬郡穴吹町と同郡口山村(くちやまそん)という自治体だった名残の地名である。
ここ、路上に敷かれた白線の位置間違ってるだろ(笑)。
この白線の位置だと、四輪は絶対踏まないと通れない。
しかし、さすがにこれは最初からこんな風なワケがないのである。
よく見ると、この部分の山側の法面は古い土嚢の山だった。
落石現場で土嚢を使って応急的に補修してあるのを良く見るが、ここではそんな応急の措置のまま、土嚢が土に還るほど時間が経っているらしい。おいおい……、「↑注意」じゃないよマッタク…。この「↑注意」もその辺のカーブミラーから持ってきて流用したんじゃないのか? これ標識じゃないぞ…。
16:27 《現在地》
狭隘な川べり区間を約900mほど進むと、スタート地点から累積約2kmで、先ほど青看で案内された地名の仕出原地区に到達。
いよいよ地理院地図における“最初の分断区間”への先端となる集落である。
ここには「しでの家」という川遊びの出来る公園が整備されており、売店や広い駐車場が狭い県道沿いに設けられている。夏場に撮影されたグーグル航空写真を見ると駐車場も川原も人で溢れているが、この時はまだ寒い2月の夕方だったから全く無人であった。
こんなに狭い県道しかアクセスルートがなくて、混雑期は大変そう。来たことある人いる? どうでした?
16:28 《現在地》
しでの家の駐車場から100mほど進むと、変則的な十字路にぶつかる。
県道は直進で、右折すると天神橋という赤い橋を渡って国道492号へ、左折すると仕出原集落へ登ることが出来る。
奥に石の鳥居が見えるが、おそらく天神社なのだろうな、橋名からして。
さて、もしこの先の県道の通行不能を利用者に告知するとしたら、この場所は最善だと思われる。
なにせ、ここを右折すれば直ちに国道へ出ることが出来るから。
だが、一切の告知も予告も発生しなかった。これは、ハズレ濃厚かもしれないな。 よく分からないけど。
まあ、行って確かめるまでだ。
天神橋から見える鳥居の前にもう一つ分岐があり、県道はここも直進。
写真は直進直後の県道風景。
また超狭くなっている。舗装はされているし、轍もあるが、前の区間より、舗装の色がなんというか……、おじいちゃんだ。
夕方の時間から入って行きたい感じの道では、無いかなぁ…。
16:29
県道は結局、“何も言わないまま”、仕出原集落も通過したぞ。
チェンジ後の画像が、集落の出口の様子。
相変わらず、激狭のようですけど……、行っても大丈夫だよね?
そういえばなんだけど、冒頭で紹介したwikiの解説ページにあった「現在は落石によって通行止」というのは、いつのどこの情報だったんだろう。
ちょっとばかりネタバレになってしまうかも知れないが、探索前の私見たんだよ。
「徳島県県土防災情報」という、県が管理している道路の規制情報の一覧をさ。
そうしたらさ、この県道については、一つも規制が無かったのね。通行規制皆無。
……だから、通れるはずなのよね。 ……ネタバレかもだけど…。
16:31
薄暗ーい、せまーい、川沿ーいの県道。
アップダウンがまったくといって良いほど感じられず、まるで林鉄跡を走ってるみたいだが、そういう経緯は無いらしい。ちなみに対岸の国道も、幅は違うが同じような平坦路だ。お陰で自転車での探索はとても順調である。
ちょっとした岩場を回り込んだ所に、収まりよくお地蔵さまがステンバーイ。
安置された時期や経緯は分からないが、ここを行き交うものが自動車ではない時代から道が通じていた、そういう名残の可能性は高い。(←)これは沿道にお地蔵さまを見る度に思うことだ。
16:32
何気ない走行シーンを撮った短い動画だ。
こんな感じの激狭&待避所極少の簡易舗装路が、坦々と続いている。
ちなみに、途中で一瞬だけカメラを向けた小さな四角い石標は、徳島県が建てた過去の災害復旧工事の目印で、この区間だけでも何本も見た。
こんな通行量の少なそうな道でも、県道として継続的に管理がされてきたことが分かる。
16:34
分岐だ。
天神橋から約700m、スタート地点からだと約2.4kmの地点だ。
突然の感じで、この分岐が現れた。
やや漫然運行となって私だが、これは思わず車を止めざるを得ない。
県道、どっちだ?
正直なことを言うと、分岐を見た瞬間に、「絶対こっちが県道だろ」という閃きがあったが、その閃きを受け入れるのが怖い自分もいて……。
ここはちゃんと地形図を見て、はっきりさせよう。(↓)
うん。
やっぱりだった。
やっぱり県道はこっち(いかにもダメそうな方)だった!
左の道を上った先には、大きなお屋敷が見えた。
たぶん一軒だけここに住んでいる。川べりに忽然と現れた開けた斜面の主の風格がある。
仕出原集落を外れてからここまでの激狭1本道の県道を、きっと独占して利用している。だって、直前まであった轍は全て左の道に吸い上げられてしまった。
この右の道、 県道…… まだ舗装はされているが、車通ってますかね最近……。
16:34
通ってませんよねぇ。
絶対通ってないよ!!
始まっちゃってるよ!! 廃道!
16:35 《現在地》
徳島県道254号田方穴吹線、
なんと、無言のまま廃道に突入した!
普通、なんか言うだろ途中で、この先通れないとか、通行止とかよwww
地理院地図だと、この先まもなく道がなくなっているんだが、どうなってんだよ〜〜徳島県!