2023/2/12 16:35 《現在地》
左右を石垣の段差に挟まれた、幅2mほどの激狭の道。
狭いだけならまだしも、冬枯れのススキが路面を覆い尽くさんばかりに繁っている。
当然、舗装されていない。
もはや、県道としてまともに機能していない事は明白だが、路肩に「路肩注意 徳島県」と書かれた小さなデリニエータが設置されていて、なおも県道である(厳密には徳島県が管理する道路である)ことを表明していた。
こんなものが設置されているくらいだから、車が通れた時期があるのだろう。
枯れススキを踏みしめながら、自転車を強引に押し進めていく。
草生してはいるが、道自体が崩れている様子はない。
16:36
ススキ地帯はすぐに突破出来たが、今度はひっつき虫(コセンダングサ)のエリアとなった。
こいつの藪は浅く見えてもススキより凶悪だ。ズボンや衣服(とくに袖)にトゲのある種子が大量にひっついて、これが後々チクチクしてイライラする羽目になる。しかも取ったと思っても先端だけが取れてなくてもっとイライラするのだ。けれど、この藪は苦手だから引き返しますとは出来ない。いまは前進あるのみ。デリニエータも応援してくれているじゃないか!
チェンジ後の画像は、路上から左手の山側を撮影した。
ここに至る県道の独占的利用者であろう大きなお屋敷の一部が見えている。
手前右側の樹園に植わっているのは柿だろうか。見ての通り綺麗に整えられた圃場だ。にもかかわらず、隣にある県道がこの有様って……、普通は逆だろ。
16:37
ひっつき虫エリアもすぐに終わり、藪のない場所に出た。
しかし苔生した砂利の路面に車の轍は全く見当らず、もう何年も車は通っていない雰囲気だ。
路肩のコンクリート擁壁が現代風の積みブロック壁なんで、県道として最後に手入れを受けた時期は意外と古くなさそうだが…。
そんないまひとつ状況に統一感のない道の両側に、畑や田んぼの跡らしき平坦な荒地が広がっている。
全部合わせれば一戸で耕すには持て余しそうな広さで、以前はこの場所にもっと多くの家があったか、あるいは……(↓)
対岸に見えている中野宮の集落から、出作りで通っていたか。
現在、この周辺に行き来できる橋はないが、平水時の水量は穏やかなので、簡単な板橋でもあれば渡ることはできただろう。
なお、対岸の車が走っているところが国道492号だ。県道の状況など全く素知らぬ顔だ。当たり前だが。
どこで両岸の道の整備状態にこんな大きな差が付いたのか、背景が気になるところ。
16:38
無い物ねだりは時間の無駄だな。私には“こちら岸”しかない。この県道を、どうにかしてやる。
【最後の分岐】から150mほど進み、再び山が川岸へ押し寄せてくると、そこに少々場違いなデザインのフェンスゲートが設置されていた。
県道を塞ぐものというよりは、その辺のガレージにあるヤツっぽいが、実際、県が設置したものではないんだろう。
フェンスゲートの左右に金属製の防獣フェンスが延びており、ゲートに通行を規制する表示や施錠もないので、当サイトが取り扱う“険道”に限ってはさほど珍しくない、通行したい人は自由に開けて通行してくださいのパターンだと判断。
その通りにさせて貰う。
ガラガラと軽妙な音を立てながら開くゲート。
開けて、自転車を通してから、閉める。
ガラガラ、ぴしゃん。
……なんだか人んちの畑にお邪魔したような気分だ。
自転車で県道を通行しただけなのに、作法の場違いぶりに変な笑いがこみ上げてきた。
なお、公道に柵を作るのは道路法上の占用行為にあたります。設置には道路管理者の許可が必要DAZE!
さあ、ゲートは越えた。 この先は!?
16:39
妙に広い。
これまでの窮屈な道幅から一転して広くなったが、直前の道の状況を思えば違和感しかない。
やはり路面に轍は見えず、反対側から車が来ている様子もないし…。
なんだこの空間……、未成道っぽい??!
しっかりとした護岸の擁壁の位置が、この道幅の要である。
そう考えると、護岸を整備した当時は、この広い道幅で県道を整備するつもりがあったのだろう。
実際に開通もしたのだと思うが、現状では訪れる車もなく、ほぼほぼ放置されている様子。
私のように自転車や歩きなら到達は難しくないが、自動車で来るのはちょっとキツイ。規制も路体の崩壊もなかったから、脱輪せずに激狭ススキ地帯を越えられる車なら不可能ではないだろうが…。
あと、山側に大きなサクラの木が並木のように並んでいるが、これも県道が生きていた当時に植えられたのだと思う。車高の高い車だと、立派な枝振りにぶつかりそうである。
といった具合に、とりあえず道が続いていることは確認できたが……(↓)
最新の地理院地図だと、道はここで終わっている。
この先、おおよそ500mにわたって、道が描かれていないのである。
が、平成18(2006)年の地形図を見較べると、当時はこの先にも点線の「徒歩道」が描かれていた。
最新のスーパーマップルデジタルでも同じように徒歩道が描かれているが、それはこの地形図を参考にしているのだと思う。
わざわざ最新の地理院地図で道を消去したのには、近年に何か劇的な変化、例えば災害などがあったものか。
全ては、ここからの実踏によって確かめられるはず。
16:41
地形図から消えた区間に入って100mほど来たが、明らかに幅を持て余している道がここまで続いている。
ガードレールも何もない高い護岸で川に面しているので、国道や中野宮集落がある対岸がとても良く見晴らせた。
反対に、国道からはこの県道が見える。
【これ】がさっきまでいた一戸だけの集落?の全景で、県道沿いのトタンの防獣フェンスが白く目立って見える。
そしてここから右に視線をずらすと見える【この護岸の上】が今いる県道である。頑丈そうな護岸だ。よく見るとフェンスゲートも見える。
しっかりした護岸に護られた県道。
そうなると、問題は護岸の切れた先だと思うが、この先どうなっちまうんだ。
まさにこの先だ。
見るからに、狭く、険しそうな感じがするが……。
16:42
「落石注意」
うん…、確かにそうだね。
まるでこの道の現状を平常のモノのように振る舞う消えかけた看板の出現に、私の反応が消失(笑)。
これ、きっと道路管理者である徳島県が置いてった注意書きだよね…。
さっきも見たデリニエータに括り付けられているし…。
確かに「落石注意」なのは路面の様子から納得出来るけど、それ以前に「廃道注意」じゃないか…(苦笑)。
もしかして、マジでこの県道は、これで平常運転なのか。
だから封鎖されていないってか?!
どう見ても、“見慣れた”廃道状態なのだが、道形自体は鮮明だ。
自転車に乗って進める状況ではないが、こいつを捨てて進むと後で回収のために引き返してくる手間を生む。時間に余裕がないし、今は少々無理をしてでも自転車ごと突破してしまいたい場面…!
この道を平然と解放している徳島県を、俺は信じるぞ!
2023/2/12 16:43 《現在地》
ヤベぇなこの県道。
穴吹川の険しい切岸、水面より7〜8mのところに、幅2mジャスト1車線ギリギリ幅の未舗装路が続いている。
ここだけ50年前の道なんかと思うくらい、転落防止柵とか落石防止ネットとかの安全施設が一切ない。
そもそも自動車が通る前提の道なのかという疑問も生じるところだが、直前の道まではそんな造りだったし、そこから自然に繋がっているからなぁ。たぶん、その前提なんじゃないかなぁ…。
なぜそこに執拗に拘るのか不思議に思う読者さんもいるかも知れないが、私としてはやはり、「通行止」とか「通行不能」の表示物を越えていないのに“自然と”この状況に辿り着いているという事実を重視したい。
もちろん、途中に明らかに車道が途切れているような場面があったのなら、わざわざ表示物を置く必要もないだろうが、そんな場所はなかった。
前述した通り、県の道路規制情報にも規制情報がないしな。
だから、仮にもの凄く察しが悪いドライバーがいて、私と同じ流れで終点側からこの県道を地図を頼りに辿って来たら、途中で何かを察して引き返さない限り、ここまで辿り着いてしまうのである。レク○スであってもだ。 絶対にそんなヤツはいないって? まあいないだろうけど…笑。
これらの写真は、道の下と上を、それぞれ撮った。
下は穴吹川の穏やかな清流。四国一の水質という触れ込みも伊達ではないらしく、真っ白い砂利が川底と河原に敷き詰められていて、川のヌルヌル感がない。あんまり透き通っていて深さがよく分からないが、たぶん浅くはない。これなら県道から車が落ちてもすぐに発見できそう(笑えない)。
(チェンジ後の画像)上は崖。ずいぶんガッツリと険しい。地形図でも崖の記号になっているが、確かにその通りだった。木は生えているものの、見える範囲の地面はほとんど岩場だ。こんな地形のところに、狭路とはいえ道を通すのは難工事だったに違いない。
16:44
これが令和の県道風景か。(←言ってみたかった)
見える範囲においては、全てが石と土だけで造られた前時代的な道路であるが、最後に自動車が通ったのはいつなんだろう。
バイクでもおっかないだろうが、出来れば四輪限定で。
もし、ご自身が運転する車で通った、もしくは乗せられて通ったことがあるという読者さんがいたら、コメントで教えて欲しい。
ここを自動車が通っていたという確証はないが、何度も言うように道としては一繋がりだから、地元の軽トラとかなら通行した気がする。
16:45
「落石注意」
設置者は明示されていないが、状況的に道路管理者である徳島県が建てた思われる「落石注意」は、これで2回目。
前の看板と外観が少し違うが、地面の近くに設置されているのは共通している。
だいたい足元を見ながら歩く歩行者向けってことか。そう考えるのか自然だろうな、この道路状況だし。
いずれにしても、一般に開放している道だという道路管理者側の認識があってこそ、こういう看板が設置されたものと思う。(←地味に注目すべきポイントだと思う)
16:46 《現在地》
最新の地理院地図から道が抹消された原因が特定出来ないまま、約500mの抹消区間も終盤に差し掛かりつつある。
この写真の場所は大量の瓦礫で道全体がガレ場と化しているが、廃道と思えば見慣れた風景だ。
今回の自転車同伴での突入という賭けは、幸いにして私の粘り勝ちに終わりそう。(フラグになるなよ?笑)
そして、このガレ場の通過中、思わず うおっ! となる発見が。
うおっ!
「危険」は、確かにその通りである。
私が思わず うおっ!となったのは、「脇町土木事務所」の部分である。
これは県道の管理者だった徳島県の出先機関の名で、実際に県道の管理業務にあたっていた部門だ。
この表記を見つけたことで、いよいよここが、道路管理者も認める「危険」な状況の中で、なおも一般に解放された県道ということが明確になった。
ただし調べてみると、脇町土木事務所は現存しない。平成18(2006)年の県機構の再編で西部総合県民局の県土整備部に統合されたようだ。
それを踏まえると、県道の管理者がこの場所を実際に訪れて「危険」の看板を建てたのは、平成18年以前ということになる。まだ地形図の徒歩道が繋がっていた時代だ。たぶん周辺の似たような看板も全部同じ由来だろうし、その頃までは最低限の維持管理、落石の片付けや刈払いが行われていたのかもしれない。
行政の効率化や省力化を目指した機構再編によって、地方の道路管理者から“こんな県道”に手をかけてやる余力が失われた……のか。
ふぅ〜〜。
どうやら一番険しいエリアは抜けたよう。直前の「危険」なガレ場を振り返って一息ついた。
遠くに見える立派な護岸も、全部県道の路肩を兼ねたものだった。その一番遠くに見えるのが、一軒家のあったエリアだ。
なんだかんだ、護岸についてはかなり本格的に造られている。そうでなければ生き残れないくらい、洪水の猛威があるんだろう。
16:47 《現在地》
地理院地図で道が抹消された区間を通り過ぎて、県道色の軽車道が描かれた区間(平成18年版地形図では徒歩道表記)に達したが、道の様子にこれといった変化はみられない。
依然として道は狭く、かつ廃道同然の状況だった。
16:48
護岸と一体化した道が直線的に延びるエリアへ。
この山側の擁壁の上に、少し前の動画に写っていたのと同じタイプの工事標柱があった。
標柱には、「昭51災害国補 第1566号道路工事 53.9竣工」の文字があり、直前までの「石と土だけ」の前時代的道路に比べて明らかに現代風である擁壁区間の素性が判明。すなわち、昭和51(1976)年に発生した災害に対する国庫補助の災害復旧事業によって昭和53年9月に開通した区間だった。
果たしていま、ここが災害で破壊されたとして、災害復旧工事は行われるだろうか……。
災害復旧区間内の独特な道路風景。
なんだか、車が通る道路というよりは、鉄道の路盤(というか廃線跡)っぽいが、そんな事実はない。
ガードレールが全くないのが道路っぽく見えない最大の原因か。あと待避所的なものもなさ過ぎる。
おそらくだが、近年に路面の高さまで水嵩が上がる洪水があって、路面の砂利が流失したんじゃないだろうか。それで路肩の壁よりも路面が低いんだと思う。
路肩から水面まで7〜8mの落差があるが、水の逃げ場がない峡谷内では洪水時に普段からは想像できないほどの水嵩になることがある。
実際、対岸の国道と見較べると、明らかに国道の方が高い所を通っていて、洪水への備えが出来ている。写真左に見えるガードレールが対岸国道だ。
そして両岸の樹木と岩肌の境は、だいたい県道のすぐ下くらいにあって、数年間隔程度の洪水時の水嵩を想像できる。だから数十年間隔というような大洪水になると、県道は冠水すると思う。過去にここで災害復旧工事が行われた原因も、そんな大洪水だったのではないか。
なお、【対岸の国道】からは、反対にこの県道が【よく見える】。
見えるのだけど、実際に辿ってみると、嬉し恥ずかし、ほぼほぼ廃道状態というわけだ。
16:52
賑やかだ(笑)。
なんでこの場所にだけこんなに集中しているのか不明だが、これまでに見たことのある看板たちが全部ここで再登場していた。オールキャストだ。
なお、この辺りは路面があまり荒れておらず、自転車を漕いで進める場面がそこそこあった。時短のため、自転車は最大限に活用したい。
16:53 《現在地》
川の曲がりに沿って、かなり先が見えるようになった。
500mくらい先の県道の行く手に大きな建物があることを発見。
手元のスーパーマップルに「ブルーヴィラあなぶき」の注記がある宿泊施設らしい。
久々に人気(ひとけ)に触れて、県道は息を吹き返すのか?
そんな期待感よりむしろ、これまでなかった建物の大きさを前に、県道が断ち切られているんじゃないかという不安の方を強く感じてしまう。
だって、絶対この県道なんかをアクセスルートに想定していないでしょ?(苦笑)
ちなみに、対岸の国道から見たこの場所(私が立っている場所)が結構綺麗だったので、ご覧下さい。
【遠景】/【望遠】
↑こうやって見ると、この県道も案外手が掛かっていることが分かると思う。県道認定以来ロクに整備されずにずっと放置されてきた系の道ではないと思う。最近まで頑張ったけど、力及ばなかった系の道って感じだ。
16:56
MTBで走るとちょうど楽しいやや荒れ状態の土道を、しばし車上で進む。
こういう前時代的な土道と災害復旧によって整備されたとみられる頑丈な護岸の道が、まだらに混在しているのが面白いところ。
ゆくゆくは全線をそれなりに整備する思惑があったのかも知れない。
16:57 《現在地》
一軒家の近くの分岐から約1.1km、例の宿泊施設が間近に見えると同時に、道が急速に“現代”へ戻ってくる。
ガードレールや山側コンクリート擁壁、そして舗装といった現代の県道の標準装備を瞬く間に獲得していくが、通行量が全く噛み合っていないと分かって悲しい。
そしてまもなく、路上を通せんぼする形で雑に置かれた2つのU字溝と遭遇した。
これを道路封鎖と言って良いのか分からないが(少なくとも道路法の所定の手続きは全く踏んでいない)、県道終点より約4km進んだこの場所で初めて出会った、道を塞ぐ人工物である。
そのさらに50m先にも、コーンと“巨大なキノコの○”を並べた雑なバリケードあり。
そしてこれが、反対方向からの通行人にとって、実質的な道路末端となって機能していた。
ここに来て、県道の通行止としてはなおざり過ぎるインターフェイスに、少々の落胆を覚える。
さっきまで、あんな道にせっせと看板を設置していた徳島県の誠実さは、どこへ行ってしまったんだ。
しかも、この“キノ○の山”って、すぐ隣の【駐車スペース】から引っこ抜いた車止めじゃん! 雑すぎ!(苦笑)
おそらくだけどこれらの封鎖は、駐車場の利用者(=施設利用者)がそのまま廃県道へ迷い込まないよう、ブルーヴィラの関係者が善意でやったんじゃないかな。
道路管理者である徳島県的には、県道の通行を規制するという意識が働いていない可能性がある。それらしい表示物は一切ないし。
ここまでで、本県道の7分の4を終了。
果たして私は残りの区間も無事に攻略出来たのか。明るい時間はあと1時間ない。
次回も、お楽しみに!
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