このタイトルを見て、「ついにネタが切れて公園遊具まで手を出すのか」と思った方もいるかも知れないが、そんな甘っちょろいものではない。
「山行が」が対象としているのは、“交通に関するもの全般”だが、遊具のすべり台はその範疇にない。
でも、今回紹介するすべり台は、紛れもなく 交通機関としてのすべり台 だった。
ただ、一般的な“道路”でないことは確かなので、「道路?レポート」とさせてもらった。
「山行が」史上最も奇抜な“廃すべり台情報”を提供してくださったのは、山形市在住の“まこと氏”。
氏のメールの一部を転載させていただこう。(情報提供ありがとうございました!m(_ _)m)
山 寺 は、急な階段が二千段くらいあるお寺でして、奥の院まで結構な登りなんです。
あの有名な松尾芭蕉が「静かさや岩にしみいる蝉の声」読んだまさにその場所です。
山形市民にとってはなじみのお寺で、僕も子供の頃から何度も行っている場所です。
その山寺に実は40年前に滑り台があったのです。
登りは急な階段ですが帰りは楽に滑り台で、というような安易な発想だったのでしょうが、修験僧が修行した山寺の急峻な岩場を縫って、奥の院から山麓まで滑り台があったんです。
しかし、そもそもあの急な坂に滑り台を作ろうという発想自体が間違っていて、案の定けが人続出(死亡者もいたという噂もあります)で、すぐに閉鎖になってしまいました。
僕が物心ついた頃は既に閉鎖されていて、僕自身は滑った経験はないです。
母親によるとムシロのようなものをお尻の下に敷いて滑ったらしい。
(以下略)
確かにそれは、発想自体おかしい(笑)。
お寺に登拝して帰りはすべり台って…。 どんだけものぐさなんだよって話だ。
これってもしや、東北を代表する社寺観光地の一つ“山寺”の、語りたくない黒歴史というやつなのか?!
今さらほじくり返すのも何だかなという気がしないでもないが、まこと氏がその一部を発見してしまったとのことなので、これは全貌も調査しなければなるまい(責任転嫁かよ)。
ということで、信心とは無関係に山寺の聖地へ分け入ったらば、とんでもない苦行にあった…。
2009/7/30 14:28 【周辺図(マピオン)】
JR仙山線の駅名にもある山寺(やまでら)とは、宝珠山立石(りっしゃく)寺の通称であり、“まこと氏”も言うとおり、かの「奥の細道」にも詠まれている古刹である。
奇巌の林立する山中に数十の堂宇が点在する、まさに「山の寺」の趣は、松尾芭蕉の高名と相まって人気を呼び、いまも地方を代表する観光地なのであるが…、基本的に観光地が苦手な私は初めて訪れた。
有料駐車場嫌って数キロ離れた山中に車を停めた私は、チャリに乗り換えて門前町である山寺地区を目指す。
すると間もなく、叢樹に覆われた小高い山中に幾つかの木造建築物や、白っぽい岩場が露出しているのを発見。
あれが、立石寺なのか。
うぇ…
これは…
なかなか…
高い……。
この時点ですでに“すべり台”のイメージじゃないんだが…。
その“すべり台”の起点は「奥の院」附近だそうだが、見えているお堂がそれだろうか?
奥の院というくらいだから、山の高いところにあっても不思議ではない。
門前に架かる橋上から、真っ正面に“山寺”を見上げる。
麓にたくさんの建物が並んでいるが、山上に見えるのは二つのお堂だけ。
これを手許の地図と対照させてみると(→)、見えているのは「開山堂」らしい。
で、「奥の院」はそれよりまだだいぶ奥だ…。
開山堂でさえ、ここから見れば160mも頭上なのだが…
マジで“すべり台”…?!
門前にあった、全山を描いた絵地図。
色褪せ具合から見ても、最近のものでは無さそうだが、すべり台は描かれていない。
「奥の院」の周りだけでなく全体をくまなく探してみたが、すべり台やそれを上から塗りつぶしたような痕などは見つけられなかった。
…ううん。
本当に“黒歴史”だったなら、消されているのは当然。
まずは、奥の院まで行ってみることにしよう。
14:41 《現在地》
山門前で、入山料300円を徴収される。
ただでは下山しないと心に誓う一瞬だ。
賑々しい山門を抜けると、いきなり石段が始まった。
“昔から石段を一だん二だんと登ることにより
私達の煩悩が消滅すると進行されている
修行の霊山です”
私の煩悩、すなわち “オブ悩” は、この石段で癒されるのだろうか?
ものの本によれば、奥の院まで1015段もあるそうだ。
煩悩滅却…
煩悩滅却…
某悩滅却…
そんなことを口の中で唱えながら、目は石段の周囲をキョロキョロ。
こんな不審な参拝客は他にいないぞ。
…当然、探している。
すべり台、ないしは、その入口を。
“まこと氏”曰く、
観光客が通る階段をちょっと外れて獣道のようなところを少し行くと、うっそうとした林の中に、直線で50m分くらいの滑り台跡が残っていました。
ちょっと外れるわけね…。
でも、この“ちょっと”は曲者なんですよね…。
そもそも、どのくらい登ったところから入るのかも分からないので(敢えて詳細を伝えまいとしてくれていたのならば、これに勝る喜びは無し!)、まずは奥の院を目指すことが基準になるのかな…。
写真は、参道中で最も細いと言われている場所。
確かにこれは、“超狭小!”
行く手に現れた、垂直に近い奇巌の壁。
まさに霊山の面持ちとなってくる。
そんな中を石段は絶え間なく続くが、適度に蛇行して電光型の線形を描いていることと、随所に名所旧跡を案内する立て札があることで、意外に疲労を感じない。
まあ、常に視界に10人くらいも老若男女が入っている状況では、疲労を感じること自体への負い目もあるしな(笑)。
体力勝負のオブローダー、三十路を越えたといえども、まだまだ息を上げている場合ではないのである。
努めて慣れたような足運びを作りながら、目はキョロリキョロリと登っていった。
14:50
山門をくぐって10分後、初めて“中休み場”的な場所に出た。
すでに70mくらい標高は上がっている。
立て札曰く、ここは「弥陀洞」。
崖に刻まれた石経やら膨大な数の卒塔婆やらが、観光と言うには少々重苦しいムードを醸しているのだが、人によって感じ方も違うようで、傍らにはスケッチに勤しむ少女の姿も。
またここからは、本線を外れて右手に分かれる水平方向の歩道があることを認めたが、“けもの道”ではなかったので、とりあえずスルーした。
上の写真の奥の木陰に写っているのが仁王門で、そこをくぐると様子が変わる。
背の高い木が参道の周りから消え去り、三次元的な奥行きを持って多くの堂宇が集在する風景が現れた。
修行僧ではないけれど、なんだか地上を離れて別天の地へ辿り着いた心持ちがする。
いかんいかん! すべり台の事などすっかり忘れて、単なる一観光客になってしまうところだった!
けっこう、馬鹿に出来ん観光地だぜこりゃ。
14:53
再び分岐地点が現れた。
左と右に道があるが、右が「奥の院」へ行く本道らしい。
左は開山堂(麓から見えたお堂)へ行くようだが、先にそちらへ行ってみることにした。
開山堂附近は見晴らしが利きそうなので、なにかすべり台へ繋がる発見があるかも知れない。
キタキタ。
見覚えのある青っぽい屋根のお堂と、その隣の小さな赤い祠。
大きな方が「開山堂」といい、1000年以上も昔に立石寺を開山した慈覚大師がいまも籠もっているそうだ。
小さい方は「納経堂」とのこと。
あまり突っ込むとマジで出来の悪い観光地ガイドになりそうなので、先へ進む。
この開山堂のすぐ裏手に(写真には写っていないが)、もうひとつのお堂がある。
それが、全山中最高の展望所とされる「五大堂」である。
次は五大堂からの眺めだ。
すんばらしい!
25分前はあの下界にいたのだが、煩悩を滅却しながら石段を上り詰めた結果がこれだよ。
ちなみに、本レポートの序盤に出て来た赤い欄干の橋は、写真中央右手に写っている。
開山堂から登ってきた参道は、この五大堂の脇で行き止まりになっていた。
だが、ここは…
臭う…ぞ。
よく見ると、夏草に隠されそうな通路が、まだ奥へと続いている。
何かトラロープのようなものが行く手を遮っているが…。
修行の場所?
それって、
オブ的な?
違うよな、多分。
とりあえず、いまは止めておこう…。
“けもの道”と言うにはちょっと広すぎる感じもするし。
…でも、有力な「候補地」ではある。
15:08 《現在地》
一旦引き返し、順路に戻って「奥の院」へ到着。
海抜400mは開山堂よりやや高く、五大堂とほぼ同じ高さである。
(開山堂附近と奥の院の間には、私が通った参道の他に、水平に近い近道もある)
多くの観光客がここまで来て引き返すため、人の出入りが激しい。
もうこれ以上先に行く道はなく、けもの道さえ見あたらない。
当然すべり台は無いし、もしこの開けた場所の一角にあれば、流石に気付くだろう。
どうやらすべり台の上端は、奥の院そのものではないらしい。
すんなり発見とは行かなかったが、まだこのくらいは迷ったうちには入らない。
ここからが手探りオブローディングの醍醐味である。
今度は、この見下ろす眺めの中を、じっくりと調べていこう。
この高低差の中に、すべり台が本当に残っているとしたら、それはとんでもないものであるはず。
…期待感むっくむく! (←変なフラグが立ちそう…)
そして、その疑わしい場所はこれまで【二箇所(赤矢印の地点)】あった。
弥陀洞と五大堂だ。
まずは近場の五大堂から再訪してみようか。