山寺の廃すべり台 後編

公開日 2010.1.17
探索日 2009.7.30

立石寺の山門から「奥の院」へと続く1015段の石段は、登拝者の煩悩を取り払う聖域であるという。
このほか枝分かれして諸堂へ通じる参道にも石段は存在し、全山で2000段を超えると言われるが、私はこの石段を3000段は上り、また同じだけ下った自信がある。
もちろん、数時間のうちにだ。

「前編」では奥の院まで登った模様をお伝えしたが、結局すべり台を見つけることは出来なかった。
やはり、一般の目には付かない場所に隠されているのだろう。
だが、登る途中で2箇所ばかり封鎖されている地点を見つけていた私は、それぞれをまず探索してみた。

「五大堂」の奥と、「弥陀洞」の横道だ。

そして、当初は「中編」としてその模様を紹介しようかと思って、実際に途中まで執筆したが、ぶっちゃけ冗長になったので止めることにした。
結果から言うと、五大堂の奥を2回、弥陀洞の横道を1回探索し、ともに発見できずだった。

先に「石段を3000段は上り下りした」と書いたのは、この往復のために参道を行ったり来たりしたからである。
御山駆けの行者よろしく、気温30度に迫る山寺山中を駆けずったのは、「このくらいの山の中ならすぐに発見できるだろう」と侮り、ろくに事前の情報収集もしていなかった罰であろうか。


…ぜんぶ端折ってしまうのは、汗にまみれた70分間を全く捨て去るようでやっぱり悔しいので、主な場面だけでも見てやって欲しい。




「弥陀洞」の横道を入ったところで見つけた、斜面を一直線に駆け下る溝。

一瞬「すべり台発見か!」と色めきだったが、なんてことはない、ただの集水渠であった。



「弥陀道」の横道は東の林道(地図では破線で描かれているが一応は車も通れそうな林道)に通じており、その林道を上り詰めると、終点は「奥の院」一帯を遙か見下ろす崖上の高みであった。
今回はチャリは下界なので林道歩きはかなりつまらなかった。

しかも、よく見るとこの終点の岩場には…。



階段が切り付けられていたり、古い鎖が取り付けられており、かつては修行場であったことが伺えた。

とてもじゃないが、私のような素人が入って良い感じではないので、撤収した。



ちなみに私が撤退した辺りを、「奥の院」側から見るとこんな感じである。

近くの立て札曰く、この辺りに多数見える穴を行者達が駆けめぐって修行をしたそうである。
だが、墜落して死ぬものが後を絶たず、いまは封鎖されているとのこと。

くわばら、くわばら…。



これは、2度目に五大堂奥へ入ったときの模様である。
(五大堂自体へは、前編で紹介した1回をあわせ、3回登拝したことになる…)

入口に修行場だから入るなと書かれていたわけだが、確かにこんなところで修行をすれば強くなれそうである。
負けじと(つうかすべり台欲しさに)ここを下ってしまった私は…。



ここを(下ってきたところ)登り直すのに、えらい苦労した!

しかも、歩道から離れたところはヤブ蚊が大変多くて、刺されまくった。

この日、一番体温が沸騰した場面である。

で、この辺りをさんざん彷徨っていて、漸く見つけた成果といえば…



この、
超しょっぱい廃屋一戸

別にお堂の廃墟というわけでもないし、ただの物置小屋のような建物の跡である。


頭は火照るし、体は蚊に刺されるし、参拝料300円は成果のあるなし問わず返ってこないしで、踏んだり蹴ったり…。





とにかく、疲れた。

日頃 “オブ的発見運” にだけは恵まれていると思っている私だが、流石は慈覚大師がいまも息づく霊山だけあって、私の下賤な運など全く通用しないらしい。


と言うところで「幻の中編」は終わって、落胆の下山シーンから始まる奇跡の逆転劇が、この「後編」なのであーる。



実在した、すべり台


2009/7/30 16:11  

二度目の五大堂奥の探索で精根尽き果てた私は、これ以上山上を捜索しても行き倒れになると思い、苦渋に満ちた下山の決断を下した。

すでに午後4時をまわった山中からは、潮の引くように観光客達の姿が消えていった。
残っている人々もみな私と同じく階段を下る最中で、下界に待つ観光バスや、そう頻繁運行ではない仙山線の駅へと急いでいた。

このまま山門を出てしまえば、チケットの効力は切れてしまう。
最後まで諦めきれず、周囲を捜索しながら下っていくと…。



山門まで残り100mくらいのところ、笠石と呼ばれる辺りで、電光型に折れ曲がった参道の外へ延びる、一本の “けもの道” を発見!

情報提供者の言葉が脳裏をよぎる。

「観光客が通る階段をちょっと外れて
 獣道のようなところを少し行くと、
 うっそうとした林の中に、
 直線で50m分くらいの滑り台跡が残っていました。」


怪しいぞ、ここ!





“けもの道” を、

20mかそこいらの僅かの距離分け入ると…








!!!




あった!

すすすっすっすべり台!




発見されたすべり台は、私がかつて体験したすべり台とは一線を画するものだった。

つうか、マジでこれがすべり台か?
さっき見た流水溝とあまり違わないんだが…。

32才の私が知っているすべり台は、まず金属製、あとはローラー製のもの。
コンクリート製は、稀にあるゾウやタコを摸したすべり台しか知らない。

また、こうした山の斜面そのものにすべり台があるというのは、幼少の記憶としては無く、大人になってから稀に地方で見ることはあったが、それらはみな始まりと終わりを見通せるような規模のものだった。




すべり台と参道の位置関係は、最も近いところでこのくらい。

両者の中間地点に立って、左(←)を見るとすべり台が、右(→)を見ると参道が見える。

そして、私がすべり台と遭遇した地点が、現存するすべり台の下端であり、すべり台と参道の進路は30度ほどずれている。
もちろん、どちらも山の上に向かって延びていることは共通している。




それにしても、尋常ではない勾配。

背景の杉の木は直立していると考えて勾配を計ると、約30度あった。
これを道路勾配の%表示に換算すれば…、58
普通じゃない!!

もっとも、すべり台としてはこれが普通で、このくらい無いと途中で止まってしまうような事になるのかも知れない。
確かにその辺の公園にあるすべり台だって、道路で考えればとんでもない勾配がある。




一方通行が補償されていて、操縦の必要が無く、普通は速度超過も緩やかに受け止めてくれる緩衝帯がある(終わりは砂場)“すべり台”と、一般の道路とでは、その設計概念が全く異なっているのは当然のことであろう。

そう、アタマでは理解していても…

この立石寺のすべり台は、実質的に“交通の便に供せられて”(=交通路)いたんじゃないのか?

どちらかというとこのすべり台は遊具と言うより、都会の近郊の著名な寺山に決まってある観光客や参拝客向けのケーブルカーやロープウェーを、より安易安価に導入した装置のように思えるんだが…。




感想はさておき、登っていこうか。

正直、もう足が山を登りたくないと訴えていたが、ここまで来て引き返したのではオトコが廃るというもの。
これが最後の一番とハッパをかけて、いざ、すべり台の近くの斜面を上り始める。

ちなみに、すべり台の中は絶対に足を踏み入れられない。

雨が降れば流水溝のようになるらしく、目には見えないヌメリがある。
試しに片足を入れてみたら、一瞬で持っていかれそうになった。

すべり台はいまでも滑るに良い(良すぎるくらい)が、死への片道超特急を覚悟しなければならない。


…そうこうしているうちに、前方に変化が…。




カーブ
 キタ――!


無茶だろ〜。

このカーブ、一体どれほどの血を吸ってきたんだろう…。

怪我人続出で封鎖というのも、本当の話っぽくないか…。

カーブの上はここよりもっと急勾配という……。

せめて、カーブ外側の壁は高くして欲しかったぞ。




速度調節を誤ればコース外に放擲されるのは当然だが(オイオイ…)、その行き先がまた奮っている。

そこには、ちょうど良い具合にこの岩場(→)



香の岩 があなたを待っているのだ。

コースアウト → 放擲 → 下界直行 → dead end…

ゲームじゃないんだから…。




あり得ない
急☆勾★配!

最初に見た30度(58%)は、実はゴール間際と言うことで、減速のためのセーブされた勾配だったらしい(苦笑)。

脇を登っていくのもしんどいほどのこの勾配は、実際に滑ってみたいとは万に一つも思わせない。
現役当時を知る方曰く(感想コメントありがとうございます!)、子供は危ないから親同伴でしか滑らせなかったそうだが、「危ない」と分かっているなら滑らせるなよー(苦笑)。





「緩和曲線って何? それって美味しいの?」

設計士達の間でそんな言葉が交わされたのではないかと思われるほど、すべり台はクイックリィ&トリッキィに右左折を繰り返していた。

これは、真っ直ぐ斜面を駆け下ると勾配が厳しくなりすぎて危ないから備え付けられたカーブだと思いたいが、
実際には、「グネグネしてた方が楽しくね?」だったりして。


“滑り殺す気” 満点である。





昭和40年代に生を受け、瞬く間に廃止されたというこのすべり台。

意外によく原形を留めている。

完全にコースが壊れている部分は無い。

まあ、コンクリートの側溝だと思えば、4〜50年無傷で残るのも不思議はないのかも。


それにしても、カーブには少しで良いからバンクを付けて欲しかった。
あと、何度も言うが、外側の壁はもっと高くても良いのではないか。


マジで “滑り殺す気” 満点である。




で、ここがコース内でも一番急勾配と思われるエリア。


実はここは“起点”、すなわち滑り始める地点から近いので、景気づけ加速のために急勾配なのかも知れないが、完全に利用者の制御を超えた勾配となっている。


はっきり言って、このすべり台の利用方法には謎が多い。

利用者はゴザを借りて尻の下に敷いて滑ったと言うが、その際のブレーキはどうしていたのか。
まさかとは思うが、手をコースの縁と摩擦させて減速しようというのは、無茶である。
実際に触って確かめたが、欄干の部分はザラザラした砥石のような手触りのコンクリートであり、確かに摩擦はあるかも知れないが、その前に人間の皮膚がめくれ上がってしまう。

何か減速用の手袋みたいなものも支給されたのだろうか。
それがなければ減速は完全に足の力だけで行うこととなるが、例えば(当時ならば普通にいただろう)草履や下駄の人は、ゴム底の靴とは違って摩擦が弱いはず。
ほとんど減速不可能な状況だったのではないだろうか。


お寺に参拝に来て怪我をして帰るとか、シュールにもほどがある…。




申し訳ないが、この最後の部分は藪が酷くなりすぎているのと、すべり台のそばに適当な斜面が無いために、忠実なトレースを断念した。

また改めて藪が浅く、気温が高くなく、ヤブ蚊の少ない時期に確かめたいものだが、その任を誰かに譲っても良いと思っている(笑)。

ともかくそんなわけで終盤の10mほど、ちょうどカーブひとつ分だけは、未確認である。




右の写真は、迂回の途中に振り返って撮影したもの。

すべり台が如何に奔放に斜面を駆け下っているのかを、今回撮影した中では最も広いアングルで捉えている。

→【今回唯一の動画】



すべり台を少し離れて登っていくと、すぐに見覚えのある、アノみすぼらしい廃屋に出た。

これで漸く今回の探索が一本の円環となったわけだが、すべり台はどこだ?

辺りをくまなく捜索すると…




16:42

はじめて山門をくぐってから2時間もかかったが、ようやく捉えた。

これが、すべり台の降り口(乗り口)だ。

つまり廃屋の正体は、「見張り小屋&ゴザ貸し所」だったのだろう。
一度来ていたのに、足元のこれに気付かぬとは不覚。




ちょっとだけ広く平らな“滑り口”を発すると、すぐに先ほど迂回を余儀なくされた猛烈な藪へ呑み込まれる。

ボブスレーみたいな姿勢で滑れば藪をクリア出来るかも知れないと思ったが、実際に滑ってみる勇気は出ず。

つうか、マジでやめた方が良いぞ。
六厩川橋なんかより10倍は死ねるから。


頑張ってコース脇を下ってみたが、3mでご覧の有様。
5m進めば、これ…。(カーソルオン→)

戻ってこられなくなる危険を感じて撤収。

一番苦しかったのは、ヤブ蚊の多さだが…。

ともかく、最終的に10mほどの未確認区間を残した。


この後は、来たルートに則ってすべり台沿いを下山した。




今回探索したすべり台を、山門にあった絵地図に落とし込んでみたのが右図だ。

私は下山の最中の「笠岩」附近にて初めてすべり台と遭遇し、「香の岩」附近で大きなカーブ、その上部はグネグネと蛇行していた。
カーブひとつ分だけ未確認だが、滑り口は「五大堂」奥の「修行通行止」となっていた通路の奥であった。
最初に廃屋へ辿り着いたときには道を外れて苦労したのだが、それと分かってしまえば、坦々たる道が廃屋まで続いていることも確認できた。

謎が残ったのはむしろ「降り口」の方である。

「笠岩」附近ですべり台の下端と参道を結ぶのは、狭いけもの道のような通路であり、いかにも中途半端だ。
おそらくはその直下にある「本坊」附近まで、すべり台は続いていたものと思う。
参道から見えてしまうことが問題視されたのかは分からないが、撤去されたのだろう。
地形的には上部よりも緩やかだから、十分に可能である。




同じ内容を正縮尺の地図に落とし込んだのが右図である。

提供された情報では「奥の院」から下るという話だったが、実際には「五大堂」が最寄りであった。
だが、これがポイントなのだが、奥の院と五大堂の標高はほぼ変わらない。
高低差という意味では、十分「山上から下界まで」と言える規模であった。

具体的な数字で言うと、滑り口の標高は400m。
現存するすべり台の下端である笠岩のそれは270m。
その比高は130m。
仮に本坊まで続いていたとすれば、比高は160mに達する。

平均勾配はといえば、現存区間の水平距離はおおよそ220mで、高低差は130mだから、約60%である。

とてもこれらを道路の基準と比較するわけにはいかないから、同じすべり台で比較すると…
関東近辺で言えば山梨県丹波山村のローラーすべり台は、日本一の規模であると【公式サイト】に書かれていた。

全長247m、高低差42m だという。

比して我らが立石寺のすべり台は…

(現存)全長220m、高低差130m。



…勾配がおかしいだろ。

日本一より3倍も急って…。

マジで半端ない……。

ただしよく考えると、立石寺のすべり台の220mというのは地図から計った水平距離だから、比較すべき全長は300mくらいあるはず。
(当時の資料にも全長300mとあるという情報が、読者さんから寄せられている)
その場合、先の計算よりは少し緩やかとなるが…それでも…。






みちのくの名刹立石寺に語り継がれる、

芭蕉も仰天の“殺人級すべり台”。



それは、確かに現存した。


合格祈願に立石寺へ詣でたら、お帰りはすべり台で!









下山途中に見つけたこの巨大キノコ。

なんか、超高級そうな雰囲気を醸してないか?

マリオならば間違いなく1UPしたと思うが、ちょっと勇気が出なかった。


これって、ナニタケ??