東京都の奥座敷、奥多摩町の中心が氷川(ひかわ)である。
多摩川と日原(にっぱら)川の合流地点に開けたさほど広大でもない緩斜面に町役場、小学校、JR青梅線の終着駅である奥多摩駅、国道411号などの都市機能が集中的に立地している。
そして氷川から日原川に沿って1kmほど北上した山腹に、除ヶ野(よげの)集落がある。
取り立てて何がある場所でもないが、古くから人の住う土地であったことは、この意味ありげな地名にも現れている所だ。
現在、除ヶ野から氷川へは、日原川に架かる北氷川橋渡って行くのが普通であるが、このルートは安寺沢林道が除ヶ野まで開通した昭和50年代から使われるようになったという。これは除ヶ野集落で聞いた話である。
そして古い地形図を見ると、除ヶ野から氷川まで順当に日原川左岸の山腹を緩やかに下って行く道が描かれている。
その表記は「破線」であり、小径の域を出ないものであったと察せられる。
そして再び現在の地形図に戻ると、相も変わらず「破線」が描かれているのである(赤く着色した)。
これが今回採り上げる「奥多摩古道」である。
この名前も特に定まったものではないが、奥多摩地域にある古道の一つという事で、このように呼ぶ事にした。
なお、「今も昔もこの道は破線で描かれている」としたが、より縮尺の大きな地図を見ると、道は断絶している。
次の地図(「プロアトラスSV7」縮尺5000分1)を見ていただきたい。
「奥多摩古道」は、氷川小学校の北側の一角で、途切れている。
そしてその周辺を見ると、様々な形と大きさの建物が密集している。
それは例えば「栃久保」<辺りに見える住宅地とは明らかに異なる様相を示しており、大いに不自然である。
いったいこの場所には、何があるのか?
知っている人は知っている。
人口5600人の山間の町が誇る、お土産物にはならぬ“特産品”が、ここで生み出されている。
かつて国鉄青梅線の御岳以西の区間を作ったのも、この場所を占める者である。
さらに奥多摩駅の貨物取扱高は、その“特産品”が鉄道で輸送されていた当時において、青梅線全体の8割を占めるほどに膨大であった。
それは、何者か?
↓答え↓
OKUTAMA KOGYO CO.,LTD. HIKAWA plant
こいつはすごい!!
山の斜面を活かした石灰石プラントは、工場ファン垂涎の現代版“九龍城”とったい様相である。
だが、工場ファンならずとも気になる、その内部はと言えば…
部外者立入厳禁!
ショボン…
南氷川橋から眺める、氷川工場全景。
工場は、日原川左岸から山腹のかなり高い位置まで占有している。
古道はその敷地に完全に呑み込まれ、林立する諸施設のために途絶して久しいのだろう。
…そう、思われたのだが……。