2009/1/3 12:39
安針塚を見終わって、恐らく今は市道として管理されているであろう、明治国道45号に戻る。
左図のように、横須賀市内の逸見町から田浦町まで明治国道のルートは海岸線を大きく離れて、「十三峠」へと迂回している。
現在地は逸見より1.3km、残りは田浦まで2.7kmほどである。
安針塚はちょうど塚山公園の中のぽっこりとした頂のテッペンにあり、道はその裾野を270°くらい回り込む。
切り立っているという表現はちょっと大袈裟だが、路外はかなり急峻な山腹になっている。
そんなところにあるただでさえ狭い道が、圧迫感のあるバリケードと、「私有地」をアピールする路面ペイントによって、さらに圧縮されている。
そして回り込みの最後、安針塚の真裏に来てピョコンと高度を上げる。
この狭い掘り割りが明治国道ルート上の最高所(海抜130m)なのだが、地形図に「十三峠」と注記されている地点は、もう500mほど先にある。
掘り割りを頂点として、道は進路を北へ改める。
これよりしばらくは、尾根伝いの道である。
それだけに、東側の見晴らしは素晴らしいものがある。
おそらく、三浦半島を訪れたことがある大勢の中でも、こういう表情を知る人は限られていると思う。
その根拠は、前述そして後述するような交通事情の悪さと、純粋に半島内では標高の高い場所が限られているということによる。
足元の尾根から東の東京湾へ向けて、幾筋もの尾根が分かれて降りている。
この枝尾根の末端を想像すると、国道16号と各種市道、JRと京急の鉄道線による、両手に余る数の隧道が見える。
ひとつひとつはたいした山に見えねども、この十三峠の高みへ古い国道を追ったのは、これらの山に違いない。
道は、その道を生んだ地形を意識するとき、もっとも親しみを感じさせる。
まだこのあたりは塚山公園の敷地の中であるらしく、路傍には公園的な装飾が施されている。
道の狭さも、全く相変わらずであり、お馴染みの“プレッシャー標識”が三度現れた。
だんだん、“彼”が踊っているように見えてきた。
あと、nagajisさんの自画像(ジス夫さん?)にもよく似ている気がしてきた。
そんな公園敷地も終わりにさしかかったとき、
予想だにしていなかった
「駐車場」が現れた。
って、大袈裟か(笑)。
でも、こんなに天気も良い休日(お忘れかも知れないが探索日は1月3日である)なのに、一台も車は停まっていない。
高層ビルが立ち並ぶ横須賀駅周辺から1.5kmも離れていないのに、しかも無料駐車場なのに、一台も停まっていないのである!
これは、首都圏のどこへ行ってもたいてい駐車場でお金を毟られムッとする私としては、ちょっと衝撃的だった。
ここに車を停めて駅前まで歩く習慣をしたら、身体に良さそうだ。
駐車場を過ぎると公園も終わり、果たしてどんな道になるかと思ったら、あまり変化はなかった。
とにかく狭く、その狭さをより強調するように、道の両側にはあらゆる種類の柵が並んでいた。
その柵の向こうにあるものは、時に崖であり、また山林であり、或いは畑や資材置き場なんかであるわけだが、その全てがいろいろな柵やガードレールによって塞がれている。
通行者(車)が路外へ逸脱しないための配慮というには明らかに過剰で、ようは路上駐車と不法投棄の防止柵なのだと思う。
もし対向車が来たら、マジバック(こめかみに青筋が出るくらいの激しいバック運転)必須だぜ…。
そんな窮屈な道だけど、路外の景色はこんなにも奔放である。
蛇行する尾根の上に建物が並んでいて、その背景は青い空しか見えないのって…
なんかこういう構図のものを、何かで見た覚えがある。
マチュピチュ。
これは、横須賀のマチュピチュだ!
路上の窮屈さと、路外の景色の爽快さ。
このギャップに快感を覚えるのであるが、そんななか、「十三峠」らしき地点が見えてきたようだ。
この十三峠というのは、近代以降の多くの峠がそうであるような、鞍部を乗り越す峠ではないらしい。
逆に近世以前は多かった、尾根上の峠である。
だから、明確に「ここ!」とはし難いのであるが、新旧地形図の注記の位置を読む限り、あのあたりであるようだ。
いずれにしても、標高的な最高所は先ほど過ぎている。
十三峠と考えられる一帯は、海抜120mくらいである。
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こういう場所ばかり撮影しているわけではなく、ずっとこういう場所なのだ。
そりゃ、所々には車をすれ違わせるための僅かな余地があったりはするが、基本的にはずっと“檻の中”の道。
住人もまた、檻の中を散歩している。
十三峠へは、緩やかに下りながら、迫っていく。
フェンスが時々途切れると、その都度こんな素晴らしい眺めが解放される。
こんな山の上にまで民家が並んでいる様子は、熱心な信仰が根づいた宿坊街や、海外の城塞都市を思わせるが、これも肥大化した大都会のなせる技だろうか。
少なくとも明治頃の地形図にあっては、この十三峠の道沿いに殆ど家屋は描かれていない。
(←)
住宅会社によって分譲された住宅地もあるのだろうが、どうやら最初の住人は、開拓の必要性からこの朝日の眩しい山上へ住まったようだ。
道を見下ろす壇上に、立派な開拓記念碑が建っているのを見つけた。
(→)
このあたりが「十三峠」だが、特にそれと分かるようなものは見あたらなかった。
地形的には、尾根上ではあるものの前後よりはやや低い場所で、よく考えると、側面から見た場合ここは「鞍部」なのである。
ただ、尾根を跨ぐ方向に越えないと言うだけである。
そんな峠としては微妙な感じの十三峠であるが、
ここからの眺めがまた、すばらしい。
対岸の千葉県が見える〜!
思えば三浦半島って、
かなり南の方まで行かないと、海岸線付近はほとんど工業用地か自衛隊や米軍の用地で、
海辺に出られる場所はあまり多くない。
しかも、かなり半島が入り組んでいたりして、海の向こうが見えるという印象が無かった。
でも実際には10〜15kmくらいしか離れていないから、対岸が見えるのである。
望遠で千葉県を俯瞰。
右が富津岬で、正面が木更津工業地帯のあたりか。
それはさておき、海上に浮かぶ2つの空母みたいな灰色の島が、異様な存在感を醸している。
あれが、地図上でその存在は知っていたが初めて目にする、第一海堡(右)と第二海堡(左)というやつだな。
海堡(かいほう)は海上の要塞のことで、現在は撤去された第三海堡とともに、すべて人工島である。
第一が明治23年、第二が大正3年に竣功したというから、廃道とは関係ないが、かなり惹かれるものがある。
そしてもうひとつ、この辺りからの特権的眺め(?)として、
男子禁制(嘘です、一般人は普段誰も入れません)の横須賀米軍基地内が、相当に見渡せるということだ。
「おいおい、こんなに見えて良いのか」なんて思っちゃうのは小心者の証拠だが、
高所からの眺めに戸板を立てるのは難しいわけで、当然見えちゃうのである。
もちろん、見えてもいいものだけが見えているんだろうけど…(笑)。
スパイにでもなった気持ちで、しばらく日本の中のアメリカというやつを眺めてやったが、全く動きはなかった。
こういう眺めのあることは、知っている人の中では有名なことばかりなのかも知れないが、そんなことまで下調べをしない“私の特権的快感”である。
街中でも山中でも、予想外ほど心地の良いことはないのである。
そして、道はただ一度も2車線に広がることのないまま、急激に下りはじめた。
尾根自体も道と一緒に下っている。
だから、総じて見晴らしと日当たりが良い。
サイクリングには、うってつけのルートといえそうだ。
海抜120mからほとんどゼロまで下るのだから、街中と侮るには少々辛い、本格的な下りになる。
しかもこの下り、ただでは終わらなかったのである。
消化試合に思われた下りで、明治国道最後の大博奕!
以下、最終回へ持ち越しだ。
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