2011/1/2 10:09
キター!!
眼前に現れたあからさまなバリケードに、興奮。
直前の道路がそれなりに立派なだけに、その全幅を余さず塞ぐバリケードも巨大にならざるを得ない。
しかしその塞ぎ方は全くスマートでなく、言葉は悪いが、スラム的。
廃道の外にまで、廃道の中身が漏れてきてしまっているみたいだった。
普通にガードレールで塞げば済むことなのに、徹底して塞ごうとした結果がこれらしい。
…そんなに荒れ荒れなのかと、私は余計に興味を持ってしまうンだナ。
封鎖地点のすぐ手前は桟橋になっており、その下を「早川第三発電所1号水槽余水路」というものが通っていた。
時系列的にこの時は「ふーん」だけであったが、翌朝この水路を上から見下ろして「スゲー!」するのであった。
このレポートのこの写真である。
←いきなりごちゃごちゃした図で申し訳ないが、前回紹介した「放水路隧道」が潜っていた2号余水路と、今回登場した1号余水路の関係を図にまとめてみた。
ただ道路を辿るだけならば、ここまで把握しても特にメリットは無いが、狭隘で急峻な地形を上手く回避し、或いは反対に利用して、道路や発電所といったインフラがひしめき合っている様子を表現したかった。
そして左岸道路や旧県道など、大方の役目を終えたものは容赦なく地図から抹消されていくという現実も。
この複雑な配置を電力会社の内部資料などに拠らず、外部から見て取れる表示物だけで解明出来たことが、大いに自己満足的であった(笑)。
電気の話はこのくらいに、本題の廃道へ参ろう。
こいつは非道い。
返す返すも、塞ぎ方に品がない。
廃道なるものに過分な要求であるかもしれないが、
何十年も我々の隣で頑張ってきた仲間にこの仕打ちというのが、やるせない。
とまれ、この私の評は決して誰かを非難したいというものでもない。
少なくとも私はこんな場面を待っていたし、ワクワクしてしかたがないのである。
良かろう。私が味わいましょう。
うわわわわ…。
初めて覗くバリケードの向こう側は、思った通りの廃れっぷり。
平成7年の旧道化後すぐに塞がれ、そのまま15年以上の月日を放置されていた…としても、結構酷い…。
この攻撃的な様子と、バリケードの意外な高さを前に、私は自転車による走破を、早々断念してしまった。
どうせそんなに長くない区間なので、身軽な徒歩でこの廃道を往復してから、自転車を回収し現道を走った方が、先の分からない廃道に無理やり自転車を持ち込むよりも短時間で攻略出来ると思ったのだ。
ということで、自転車を乗り越えさせる必要は無くなったこのバリケードである。
右端のぺらぺらな感じの部分を少しめくって、その隙間から身一つで乗り込もうとしたのであるが…
その時私に衝撃が走った!!
なんじゃこりゃあああ!
バリケードの脇を塞いでいた金属板は、ただのブリキの板きれではなかった!
何かの案内板だぞこれっ! 酷い使い方をされているッ(涙涙)。
とりあえず、元に戻せることを確認してから、引っぺがす。
そして、その衝撃的な「内容」を、白日の下に!
バリケードの一部として転用されていた案内板は、「赤石岳登山案内図」という、初めて目にするものだった。
どこか別の場所から移されてきた物であれば価値も半減だが、右端の「現在地」の赤い印は、確かに此の場所(新倉)を指していた。
そして案内図の目的地は、題の通り「赤石岳」。それは本邦第7位標高3120mを有する高峰で、南アルプスの別名である赤石山脈の名前の元となった主峰である。
私が度肝を抜かれたのは、現在地と目的地の間を隔てる圧倒的な遠さと高低差である。
この案内図が案内しているルートを現在の地図でなぞってみると、平面距離でおおよそ25km(片道である)もある。
さらに高低差は一層凄まじく、標高500m(現在地)→2000m(伝付峠)→1400m(二軒小屋)→3120m(赤石岳)といった具合で、片道でも海岸線から富士山へ登る以上のアップダウンがあるのだ。
いかに健脚の人間でも、片道3日くらいかかるのではないか。
赤石岳は静岡県と長野県の県境に聳えているから、山梨県早川町の現在地からだと、伝付峠でまず静岡県に入り、それから住民不在の大井川源流部を横断し、改めて長野県境を目指すという、全く以て肉体イジメが趣味でなければ耐え難いようなハードコースである。
この案内板が何時頃までここに掲示されていたかは定かでないが、これが赤石岳登山の一般的なルートであったとしたら、古き岳人の健脚には感服する。
しかし改めて地図を見て見ると、これでも静岡県側の最奥集落である井川から登るよりは近いようだ。
長野県の小渋温泉辺りから登るのが行程的には一番ラクそうに見えるが、東京からならば新倉から登るのが良いのかどうか…。
いやはや、私は登山家でなくて本当に良かったなぁ…。
…これは甘かった。
実は明治時代の初め頃、山梨県と長野県は協議をして、新倉から小渋温泉がある大鹿村まで、「伊那街道」なる新道を作ろうとした事があり、実際に工事が行われた記録もある。
伝付峠はこの伊那街道の通り道であり、静岡長野県境は三伏峠(海抜2600m)であったという。
この新道は現在ゆるゆると机上調査中であり、その結果次第で、いずれ登山以外の目的を持ってこの山域に入山する日が来るかも知れない。
おそらく強力な協力者を要請した上でも、なお私の命を何度か差し出すハメになりそうだが……。
バリケードがこの位置に存在する理由は、バリケードの前で旧県道から分岐する、この道(田代川林道)があるせいだ。
伝付峠や赤石岳方面へと通じている道である。
なお、橋は明川橋といい、銘板によると同橋の竣工は昭和41年8月、管理者は東京電力となっていた。
前編で見つけた旧橋の橋台は、この橋に置き換えられたものであろう。
明川橋から下流を眺めると、現県道の「明川下橋」と、前編で潜った放水路隧道が見えた。
こうして遠景で眺めても、やっぱり土被りが皆無の放水路隧道は不自然な見え方で、吹いた。
で、これが反対側、上流の眺め。
岸壁にへばり付いているガードレールは、もちろん旧県道にして廃道のもの。
見渡す限りずっと続いている。
途切れず続いているので、大きな災害は起きていないようであるが、まだ油断は出来ない。
そしてその中ほどには、明らかに建設された年代が前後と違っていそうな鉄とコンクリートの合成桟橋が見えていた。
もちろん、廃橋である。
ちなみに、このアングルだとギリギリ見えないが、少し横にずれると、上流側にも現道を見通す事が出来た。
それは今回の旧道の終点となる「明川上橋」の、特に面白みもない姿であった。
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