山梨県道37号南アルプス公園線 新倉旧道 前編

公開日 2013.10.24
探索日 2011.01.02
山梨県南巨摩郡早川町


【位置図(マピオン)】

現在絶賛?進行中の「左岸道路(仮称)」もいいんだけど、今回それと同時多元的レポートでお伝えするのは、並行する県道37号南アルプス公園線の旧道だ。

左岸道路の解明編の回で述べた通り、左岸道路の正体は、大正末〜昭和3年に行われた早川第三発電所(導水路)工事の資材運搬道路であり、その異常な険しさ故、一般の使用期間はとても短かった。
そして左岸道路に代わって昭和8年に開通したのが、早川の谷底を通る馬車軌道(西山林用軌道)だった。

敷かれていた軌道が撤去され、路盤改修の後自動車道(県営林道)として再開通したのは昭和29年のことで、昭和33年に初めて県道認定を受けた(県道奈良田波高島停車場線)。
その後、県の野呂川総合開発事業の伸展に伴って県道野呂川波高島停車場線へ改名され、平成5年に主要地方道へ昇格した際に現行名の南アルプス公園線となった。

西山林用軌道の時代からは既に半世紀以上を経過した谷底の道は、その間ずっと早川第一の幹線であり続け、住民生活の生命線として活躍している。
その重い責務を全うすべく、随所で災害の復旧や改築に伴う路線の更新が行われ、現在では最奥の集落である奈良田以南の大半区間が2車線の明るい道路へ生まれ変わっている。

今回紹介する新倉集落から田代川出合付近までの区間も、平成2年から7年頃にかけて新道の開通によって順次旧道化した。
南側の小之島トンネル(平成2年竣工)に対応する旧道と、北側の明川トンネル(平成7年竣工)に対応する旧道を、このレポートの前後編でそれぞれご覧頂こう。
前者は現役の旧道だが、後者は地形図から抹消された廃道である。



奇妙な小トンネルが待ち受ける、小之島トンネルの旧道区間


2011/1/2 9:53 《現在地》

このレポートを時系列に当てはめれば、左岸道路レポ【序の前編】の上から2枚目と3枚目の写真の間の出来事である。
したがってこの探索の足は自転車である。

現在地は新倉集落の北端辺りで、北を向いてこの写真を撮影した。
足元の道路が県道南アルプス公園線(以下「現道」とする)で、真っ正面に見えるのは小之島トンネルだ。




小之島トンネルの坑門には相当手の込んだレリーフが陽刻されているが、そこに興味のない私は、脇にある旧道の方へ当然の如くカメラとハンドルを向けた。

トンネルの工事銘板によると、竣工は平成2年であり、主要地方道になる前の一般県道野呂川波高島停車場線時代の完成であった。
また553mという全長は、開通当時、青崖隧道を僅か1m凌駕し、この県道内の最長のトンネルとなった。(その後、新青崖トンネルが開通したために2位に後退)

ここから、小之島トンネルに対応した旧道へ入る。
なお、道路地図によっては今もこの旧道を県道として塗り分けているが、県道認定が残っているのだろうか?




小之島トンネルの旧道が廃止されていない、ただひとつの理由は、沿道にこの道でなければアクセス出来ない発電施設が2つもある事だろう。

旧道に入って間もなく目に飛び込んできたのは、早川の対岸に設けられた巨大な発電所の建屋だ。前の川を渡る人道の吊り橋と、背後の山に立て掛けられた細い落水路の鉄管も一体のものだった。

これらは田代川第一発電所の施設で、早川の支流でこのすぐ上流へ注いでいる田代川の高低差を使った導水路式の発電所である。
運転開始は昭和2年と記録されており、左岸道路を生んだ早川第三発電所と1年しか違わないが、元々の事業者は違っていた。早川第三発電所は早川電気によって計画され、その後身の東京電灯が工事・運用を行ったが、田代川の発電所は田代川水力電気という会社が同時期に計画・工事を進めたもので、戦時統合を経て現在はどちらも東京電力の発電所になっている。

余談だが、田代川の発電計画は土木的なロマンに満ちている。これは、赤石山脈を半分貫通したところにある静岡県の井川(大井川上流)からの導水を、明治時代に大真面目に計画した、日英合弁企業である日英水力電気の計画を、田代川水力電気が引き継いで、半ば力技で実現した物なのである。平成の現在なお道路が通じていない転付(でんつく)峠を、古い水路だけが通じて静岡の水を運んできているのだから、ゾクゾクする…。




対岸の発電所に想いを馳せつつ走っていくと、すぐに此岸が対岸以上に物々しい雰囲気へと変貌した。

道路が少し高くなっていて、その一段下の川縁に建っているのが、左岸道路のレポートでも繰り返し名前が出て来た、早川第三発電所(大正15年運転開始)だ。
こちらは早川本流の上流にある湯島地点から、左岸の地中に掘られたほぼ水平の地下水路へ水を導き、この新倉で一挙に落水させることでタービンを回転させる、田代川と同じ導水路式の発電所である。
湯島と新倉の間の地下道水路工事を地上からサポートしたのが、問題の左岸道路という訳だった。

そしてその落水路が、写真奥に少しだけ見えている。
道路が短い橋で渡っている、その下に入り込んでいる銀色の巻がそれである。
左下の建屋に発電用タービンが収められているわけだ。

なお、橋の上には県道時代に設置されたと思しき、「南アルプス街道」という道路通称名の標識が残っていた。




細長く数百メートルも続いた早川第三発電所の脇を通り過ぎると、道幅が急に狭くなり、かつての県道ならぬ“険道”であった道路の風景を留めていた。
それを見ながら「うんうん」と、孫の成長を見守るお爺さんのような気持ちで進んでいくと、行く手に早川と田代川の合流地点が見えてきた。

田代川沿いには結構奥まで林道が通じているが、その先が転付峠を越えて井川の二軒小屋へ通じる「井川早川林道」となる計画がかつてあった。しかしとうの昔に中止になっていると思う。
いずれは大井川の源流へも行ってみたいものである。

…目移りしてばっかりだな(笑)。
川の中に立ち尽くしている廃な橋脚にも勿論気付いたが、ある時期まで田代川へ入っていく林道はここを渡っていたのだろう。
昭和27年と29年に早川流域では壊滅的な大水害が起きているのだが、これはその残骸だったと思う。




そしてこの先で、

この旧道区間唯一と謂っても良い見どころが、出現したー。 フニャー。



10:00 《現在地》

ふにゃら〜。 なんだこの…

腑抜けたようなトンネルは!


…地形図に載っていない、短いトンネルが現れたのだが…。

土被りが、まるで見あたらないよ。

何のために、トンネルなのさ?

やたら、頑丈そうではあるけれど…。




銘板といって良いか分からぬが、扁額の位置に取り付けられたプラスチックのプレートを見て分かった。
こいつは、山の上にある導水路の水槽から余分な水を川へと捨てる「余水路」を潜っているのだ。

トンネルと言えば多くは「山」を潜るためのものだが、この隧道は「人工の水路」を潜っているのだから、土被りなどあろう筈もない。そして、防水のために頑丈な作りになっている事も納得出来る。

この撮影時には全く水が流れていなかったが、水路は管路ではなく明かりになっていて、放水時には滝のような壮観な光景となることが予想される。
ダムからの放水ほど量は多くないだろうが、あからさまに流れ落ちる水を潜る隧道は一見の価値がありそうだ。(誰か撮ってきて〜)

ところで、冷静になって思い返してみると、この手の余水路や或いは発電用の鉄管路を潜るトンネルは、今までも何度か各地で目にしてきた。
だが、多くは洞門やロックシェッドと同じような扱いをされているようで、トンネルとして記録が残っている物は見たことがなかったのである。
しかし、ここにあるこの構造物は、ちゃーんと隧道として、あの『道路トンネル大鑑』に記録されていたのである。
このことの方がむしろ驚きであったし、そのトンネルが…ちょっとだけ悲しかった。




放水路隧道
 所在地:南巨摩郡早川町新倉小之島  全長:16.0m  
 幅:5.0m  高さ:4.5m  竣工:昭和36年
『道路トンネル大鑑』(土木界通信社・昭和43年)より転載。

放水路隧道って…、そのまんまじゃないか。
別に格好悪くはないけれど… むしろ、格好いいけどね。

この短い風変わりなトンネルを抜けると、小之島トンネルに対応する旧道は、その終わりへ近付くのだった。




旧道とは言え現役の道路ならば、ちょっとこの路上のガレ方はまずいんじゃないか…。
高く固められた法面から頻繁に落石が起きているようで、鋪装されているはずの路面が、半ば砂利道のように轍を作っていた。
だいぶ草臥れた「徐行」の道路標識が前後に2つも見えているのは、この落石の多発への警戒だろうか。多分そうだろう。それ以外思い当たらない。

その崖側の轍を、一人の古老がゆったりした足どりで歩いていた。
私は追い越すときに挨拶がてら、直前の隧道についての質問をぶつけてみた。
ずばり、「名前はありますか?」 と。

すると古老は即座に「みょうがわ」と答えた。
この先の現道にあるトンネルが「明川トンネル」だが、確かに古老は放水路隧道を指して言ったと思う。
土木構造物の名前なんて飾りに過ぎないかも知れないが、「放水路隧道」なんて名前はちょっと隣人としては親しみづらいよね…笑。

…現道の「明川トンネル」が見えてきた。




10:08 《現在地》

ついつい話し込んでしまった。
(いわゆる、「つかまった」。古老はこれがあるから侮れない…。)
結局、553mの小之島トンネルを迂回する750mの旧道に15分を要したが、古老体験が無ければ10分もかからなかったに違いない。

現道との交差点には信号機も停止線もなく、現道側から見れば橋とトンネルに挟まれた短い地上区間なので、横断は要注意だ。
この現道を突っ切ってまっすぐ続いている道が、次の明川トンネルに対応する旧道である。
私はもちろん直進である。

なお、明川トンネルの竣工は平成7年なので、ここから先の旧道は今までより5才“若い”ことになる。

しかし、地形図からはなぜか抹消されてしまっている…。




ほぅら!

お待ちかね?!


これが、地形図から抹消されるということなのか。