道路レポート 山口県道60号橘東和線 和佐狭区 第1回

所在地 山口県周防大島町
探索日 2019.12.24
公開日 2020.07.17

《周辺図(マピオン)》

久々の “島さ行がねが” の舞台は、 屋代島。 初!瀬戸内海!!

中世に村上水軍が根拠とし、幕府艦隊が第二次長州戦争の砲火を吹き、戦艦陸奥が謎の爆沈を起こした海上交通の要衝で、著名な民俗学者宮本常一の故郷となった風光と風土に恵まれた、山口県産ミカンの80%を生産するこの島で、私はどんな道と出会ったのか。

屋代島、別名周防(すおう)大島は、諏訪湖の約10倍にあたる130平方キロの面積を有する、わが国で22番目に大きな島(北方領土を除く、壱岐の次で沖永良部島の前。瀬戸内海では淡路島と小豆島に次いで3番目)。瀬戸内海を安芸灘と伊予灘に分ける防予(ほうよ)諸島の主島でもある。

本土(本州)との最短距離は島北西部の大畠瀬戸で1km弱しかなく、昭和51(1976)年に世界初の多脚式橋脚を持つ大島大橋(当初は有料道路、現国道437号)が架橋されたことで陸続きになり、いわゆる離島ではなくなった。島形は東西に長く約30kmあるが、南北方向は薄く、島西部で約10km、東部は特に薄くて、幅1.5kmに満たない部分が半島のように続く。

全域が山口県大島郡周防大島町に属し、同町の人口は2020年現在約15000人。“町の木”はみかんの木、“町の花”はみかんの花、主要産品はみかんである。そして私はみかんが好きである。みかんの旬は冬である。探索日は冬である。ナンダこの簡単すぎる方程式。



もちろん、みかんのためだけに秋田から片道1500km近くも車を走らせたわけではなく、探索があった。
はるばる向かった島での探索対象は、山口県道60号橘東和線という主要地方道である。

島の東部、前述した半島のような細長い陸地の南岸(伊予灘側)に沿って走る路線で、全長約35km、島を一周する径路の一部を構成している。
しかし、途中に道路地図上(右図)では車道が繋がっていないように見える部分がある。

地図上の流れを追いかけてみると、起点の東安下庄(ひがしあげのしょう)を出発した路線は、20km地点の片添ヶ浜までは順調に南海岸を走るのであるが、そこで突如南岸に別れを告げて島を横断、21km付近で北岸の平野(ひらの)に達し、そこで島内最大の幹線道路である国道437号に触れるか触れないか(後述)したかと思うと、22km付近の森(もり)で急に表記が怪しくなり、間もなく徒歩道表現へと陥落。徒歩道のまま再び半島を横断し南岸へ戻ると、24km付近の和佐(わさ)で車道表現が復活。以後約11kmは南岸に沿って走り、最後に島東端に近いところでもう一度横断して北岸、陸奥記念公園があり四国松山行きフェリーが出る伊保田(いほた)終点に達する径路である。

路線名と起点や終点の地名が一致しないようだが、平成17(2005)年まで、起点は大島郡橘町、終点は同郡東和町という両町を結ぶ県道だった。


右図は最新の地理院地図で、平野から森を経て和佐に至る区間が県道を示す黄色で描かれている。

この区間の問題はまず、主要地方道でありながら島の脊梁山脈(高さはせいぜい100〜150m)を横断する森と和佐の間の峠越えが、徒歩道として表現されていることだろう。
ウィキもこの区間を「通行不能区間」としている。すなわち【自動車交通不能区間】供用中の道路のうち、幅員、曲線半径、こう配その他道路の状況により最大積載量4トンの普通貨物自動車が通行できない区間をいう。なのだろうが、現道自体はあるらしく、山口県道路情報サイトでは特に通行規制は表示されていない。(探索当時及び執筆時点)
通行止めではないっぽい? 通れるの?(笑)

もう一点気になるのは、平野と森の間の奇妙な径路だ。
ここで県道は、国道から50mも離れていない隣接地を500m近くにわたって並走するのだが、結局合流することなくサヨウナラするという“奇妙な径路”を描いている。

近くに県道の支線があり、支線は国道と接続しているのだが、これは最近開通したものであるらしく(平成13年の地図にはない)、以前は、国道とは終点以外で接続していなかった。
このように超絶接近しながら合流しない径路が、地味に興味深かった。

――というわけで、県道60号の連続した3kmほどの区間に、2つの気になる箇所があるので、これらをまとめて探索することにした。
もっとも、地図上におけるこれらの印象は総じて地味で、わざわざ秋田から行くほどなのかと思われるかもしれないが、私が一番好きなのは、もともとこういう印象を受ける場所である。
それに、私は何年も前からこの道へ行ってみたいと思っていた。焦がれていた。

なぜならば――




最大幅1.0m規制標識の在処らしい!

「最大幅1.0m」規制標識は、過去に某静岡県道でタイ記録を見たことがあり、
これより狭いものは、某石川県道で「0.8m」というのを見たことがあるだけだ。

情報提供者は、フェイスブック友達の橋本康成 氏(Facebook)で……

山口県周防大島の右下の方です。
地図では不通区間になっていましたが、
海岸部を走る町道から見上げると
ガードレールは続いているように見えました。


……とのことで、まだ見ぬ“山口県特産黄色いガードレール”の行き先を、是否この目で確かめたかった!





ところで、これは余談だが、なんと上の写真の遙か先まで、

グーグルカーが入っていて、ストリートビューが撮影されている。

敢えてこの時点でリンクは貼らないが、待ちきれない人は探して見てくれ。
一応、ストビューも避けている区間が少しだけあるが、
「よくこんなところに入って撮影したな!」と、驚いてしまった。

通行止めではない主要地方道なので、当然のこととして、突入したのかも知れないが……。




それでは、久々に“島”へGo!!



いきなり迷った、和佐集落の罠


2019/12/24 15:11 《現在地》 

今回の私のスポーン地点は、これまでのどのレポートよりも西だ。普段住んでいる秋田県は本州北端の青森県の隣だが、この山口県は本州の西の果てだ。屋代島は県内では東端だが、それでも私がこれまで体験したことがない西っぷり。(これまでの西端は、仕事で一度だけ訪れた愛媛県松山市、探索関係だと島根県出雲市(レポート)だった)

とはいえ、この日は朝からずっと山口県内で探索しているものの、何かの勝手の違いに戸惑うというようなことはなく、初めて目にする本格的な多島海風景(いうまでもなく瀬戸内海を指す)も、島好きな私にとってはまさに楽園のような楽しさであり、すんなりと「好き」になった。

そして、この日の探索もそろそろ終盤、冬の日差しが傾きつつあるこの時間、今回の屋代島で一番楽しみにしていた道が始まろうとしていた。
ここは山口県大島郡周防大島町の和佐集落の東口、県道60号を終点側から辿ってくると、和佐東バス停がある地点だ。

写真の通り、ここで道が二手に分かれていて、地理院地図には右の道しか書かれていないが、左の道はきっと旧道なのだろう。
県道は右の道で、集落裏手の山裾を緩やかに巻いて進む1.5車線道路である。
問題はこの集落から次の集落までの区間であり、正面に見える島の脊梁山脈(ちょっとこの表現は大袈裟だが)を越える必要がある。

しかし現実には、私が思っているよりも少し早いタイミングでトラブルが発生した。



15:13 《現在地》 

和佐東バス停から500mほどで、集落の中心地にある十字路にぶつかった。この角に、和佐バス停がある。
落ち着いた佇まいを持つこの和佐は、屋代島でも古い集落であるらしく、地区内に建武2(1335)年の銘を持つ宝篋印塔があると角川日本地名大辞典に出ていた。

ここでトラブルが発生。
なんと、複数の地図を所持して探索しているにも拘わらず、道が分からなくなった。
《現在地》の地図を見て欲しいが、地理院地図上ではここは十字路で、県道は直進でなければならないにもかかわらず、現実にはどう見ても三叉路でしかなく、直進する道が見当たらなかったのである。

チェンジ後の画像は、三叉路から北側を向いて撮影したもので、立派な2車線道路が延びている。
特に案内標識はないが、県道を走ってきた自然な流れでは、このまま2車線道路を行くことになる。
しかし、地理院地図によれば、この2車線道路は県道ではなく町道である。
背後に見える低い岡(島の脊梁である)をまっすぐ越えて、島の北岸(内浦とも呼ばれる)を通る国道437号に通じている。

県道60号を辿ろうとする試みは、早くも障害に突き当たってしまった。



付近を観察したところ、驚くべき事実が発覚した。

地理院地図も、スーパーマップルデジタルも、集落内の道の位置が現実と違っている!

実際の道路の位置は左図の通りだった。
これでは、地図を頼りに県道を辿ろうとしても上手くいかないはずである。

とはいえ、これが地形図(そしてそれをベースとして開発された道路地図)の誤表記だとしても、おかげで県道の正しい位置は分からなくなってしまった。
実際には、この地図の通りの位置に実態としての道がないまま県道が認定されている可能性もあるが、そのことを確かめるには、現地の道路管理者が持っている道路台帳図面を確かめる以外なさそうだ。
とりあえず現状では、和佐集落内の県道のルートは一部不明ということで進めたい。




一応、現地で撮影した写真から、地理院地図が描いている県道のルートも検証してみたのだが、「1車線の道路」の記号で県道が描かれている部分に、そのような道形は存在しないというのが結論だ。

ただ、これが本当にただの誤表記なのか、古い道の位置が関わる歴史的に意味のある誤表記なのかについての判断はつかなかった。
航空写真なども見て調べたところ、なんとなく後者のような気はするのだが、確証持てず。



(←)
本題に入る前に古い集落の幻惑攻撃を食らってしまったが、改めて「現在地」の三叉路から正しい県道の進行方向を臨んでいる。

点線の部分の道は正体不明で、その先からおそらく現在県道に認定されているだろう道が集落内に通じているのが確認出来たので、そこからレポートを再開しよう。


(→)
ここを右に入っていく道が、県道60号の続きとみられる。

すぐ先の左にある道は、【和佐東バス停】で分かれた“旧道”の続きであり、左から右へ一連の旧道(集落道)が小さなクランクを描きながら通じる形になっている。これが現在の新道(バス通り)が開通するまでの古い形であったに違いない。

それにしても、どこかの辺鄙な山中ならばいざ知らず、人が住んでいる集落内の主要地方道の表示位置が、こんなに実際とズレた表記のままで何年も経過しているのは、どうしたことだろう。
住人の誰か、あるいはここを通り掛かったドライバーの誰かが、国土地理院や地図会社に苦情を上げることはなかったのか。
まるで、誰もこの県道になんて注目していないといわんばかりじゃないか。
(グーグル以外…)




15:16 《現在地》 

これが県道60号橘東和線の続きだ!

どこからどう見ても、どこにでもありそうな街路に過ぎない。

これが主要地方道だということには驚きを感じるが、派手さは全くない。
県道であることが分かるようなものが全然ないせいだろう。
正直、そこまでそそられる感じはないが、私を遙か屋代島へと誘った【写真の場所】は、もうすぐ先だ。



街路というか、裏路地感がある。
浜に面した集落(特に漁村)、特に自動車の導入が遅かったり限定的だった離島の集落でよく見る、狭い路地を中心とした集落だ。
集落周囲の土地がそれほど狭いようには見えないのだが、家屋の大半が浜沿いに密集している。

一応、集落を東西方向に横断する道は、この県道のほかに浜際を通る町道があって、向こうはもっと広いので、通過する人は普通こちらを選ばないだろう。
県道だとかそういう表示や案内もないので、なおさらだ。




ところで、空から見る和佐集落の家並みは、このように四角形の地割が明瞭に見て取れるものである。
これは、かつて(主に江戸時代まで)塩田があったところを宅地化した名残であるという。
屋代島の多くの浜でかつて大規模な塩田が営まれており、古い住居は後背の山際(この写真だと左上の辺り)にあったが、明治以降の大幅な人口増により塩田跡が集落化することが多かったそうだ。



そんな塩田の名残かも知れないのが、地割の区画に沿って存在する、こうした古い石垣の水路だ。
今ではすっかり淡水化された風景だが、こうしたものが塩田の痕跡たり得ることが『東和町誌』に出ていた。

そして、ついに出たぞ!

“山口名物” みかん色のガードレール!!

ここにあるのは、もしかしたら別の場所から持ち込まれたものかもしれないが、山口県の道路を他県と決定的に隔てる特徴が、この色のガードレールである。自著『日本の道路120万キロ大研究』から引用しよう。

昭和38(1963)年に県内で国民体育大会が開催されたことを契機に景観整備の一環として、県が管理する国道や県道に特産の夏みかんをイメージした黄色いガードレールを設置した

――というわけなので、この色のガードレールは山口県で国道や県道など、県管理道路を見つけるための重要な手掛かりになっているのである!
ただ、最近新たに設置されたものは、普通の色のガードレールが増えてきているらしいが…。



山の日陰のために一足先に薄暗くなった集落の西端が近づいてきた。背後に山が迫ってくる。
たまたま車通りはなかったが、沿道の敷地にはいろいろな車が駐まっていて、生活道路として機能している主要地方道。

過酷の時が、迫っている。




15:23 《現在地》 (←さっきから“この数字”は何なのか。いずれネタバレするが、深い意味はないので気にしないでOKだぜ!)

あっ! ここは?!





キターーー!!!

日本第2位タイ記録?! 最大幅1.0m制限標識!!!

2016年に【いただいた写真】の場所だ!!

標識の汚れは酷くなっているようだが、間違いない!



うおおおー!

【あの写真】の中に俺はいる〜〜!

フレームの外にあったモノ達が、コンニチワしてる〜!!

一つは、山口県の用地杭。この場にあっては、県道である証しと捉えてよい。


もう一つは――



急傾斜地崩壊危険区域の看板で、これは道路探索者が沿道で見つけたら必ず見るべきものなのだが、
その理由は、設置された当時(たいてい古い)の詳細な地図と路線名が書かれていることが多いからだ。

あったぞ! 路線名!

「主要県道橘東和線」

って、掠れた文字で書いてある! 主要県道って表現は初めて見るが主要地方道のことか。
また地図をよく見ると、集落を浜際で迂回する町道も描かれていなかった。



どうやら今日も、解放されている!

コンプライアンス・ファーストの化身グーグルカーが、ここから入っていったのは伊達ではないぞ!

今日も絶賛放置開放中だ!



山口県は、まだ我々を警戒していない(笑)








気付くか、こんなん……