道路レポート 山口県道60号橘東和線 和佐狭区 第2回

所在地 山口県周防大島町
探索日 2019.12.24
公開日 2020.07.18

悪いよかんがするような……


2019/12/24 15:24 《現在地》 

道路は通れません!!
200M先に穴があいています

これには私もぶっ飛んでしまった!

内容よりも、看板(?)のあまりの見窄らしさ手作り感に!

いったい誰が用意したのか分からないが、さすがに道路管理者ではないと思われ。
地元の人が、たぶん親切心から手作りで用意してくれたのだと思うが、本当に200m先に穴が空いていて通れないというのならば、道路管理者はどうした?
半分ネタで言っているのでお許しいただきたいが、山口県庁機能してます?
山口県公式道路情報サイト「道路見えるナビ」でも、特に何の規制も表示されていないようなんですけれども…。

この看板(?)だと、さすがに見逃す人も少なくないと思われるが、そもそも看板が設置された経緯に興味が湧く。
通ろうとした人から地元に苦情でも入ったのか、そうではないが完全に親切心で行った「警告」なのか。
そして、例のグーグルカーはこれを無視して突入していったのか?!
先生に楯突くつもりは毛頭ないが、その世界戦略の技の冴えを確かめるべく、検証を試みたところ……。(↓)




先生は無実!

グーグルカーがここを訪れたのは、平成26(2014)年3月であるらしく、

当時このような看板は掲出されていなかったことが、画像から判明した。

というか、全体的に今回よりも道が綺麗な気がするぞ……。 悪いよかんが……




この道が県道であることの証しは、前回紹介した【境界標】だけではない。

泥汚れた姿ながら、その内容から強烈過ぎるインパクトを放っている、「最大幅1.0m」の規制標識。
そのひょろ長い標識柱にも、設置者を示す「山口県」のステッカーが!!
この種類の道路標識は、道路管理者のみが設置するルールなので、ここが県管理の道路である証左である。

さらに、これも前回解説済みだが、山口県が自ら管理する道路に設置してきた黄色いガードレール
それがこの先、惜しげなく披露されている。
はっきり言って、この入口の段階でも既に車道であることのギリギリの姿という印象であり、制限標識の数字を見るまでもなく、大切なマイカーで突入しようという人はまずいないと思ってしまう。

そんな姿でありながら、一応は車道、それも県道にありそうな装備(道路標識にガードレール)を与えられているというのが、楽しい!!
楽しすぎる!

うおー!



12:25 《現在地》 

奇声を上げて県道に突入したと思われただろうが、フェイントを掛けたみたいになってすみません。
まだ入ってません!
敢えて県道をスルーして、その下にある同じくらい狭い道を選んだ。

すると20mほどで、この写真の突き当たりに出る。
これまでの展開から見れば明らかに意表を突いて、ここには立派な真新しい2車線道路が待ち受けていた。
背後は防波堤で、その先はもちろん海!




憧れの瀬戸内海だ〜!

おそらく、多島海的風景としては、もっと島々が折り重なるような印象的な風景が沢山あるだろうが、
なんといっても今の私には、眺めの新鮮さが何よりも美味であった。 《眺望解釈図》
ここに知らない海があり、知らない島々が浮かんでいるのを見るだけで、私は癒される。

しかも、遠くの方に浮かんで見える小さな双子のような島…、
手前の大きな方が大水無瀬島、奥が小水無瀬島といって、それぞれ11kmと14kmほど離れているのだが、
前者は昭和37年まで有人島であったと聞いてしまえば、なおさら心惹かれるのは無理からぬこと。
この辺りは仲間の島が沢山ある海域じゃないせいもあって、無人化島の哀愁がより深く感じられた。



突き当たった2車線道路を右折すると、文句の付けようのない快走路が見渡す限り続いていて、逆光の山影に遠くの岬の上にまで達しているのが見えた。

主要地方道橘東和線の未改良区間、自動車交通不能区間の問題を一挙に解決した、これが“新道”である。
ただし、なぜか県道ではなく、周防大島町の町道片添和佐線として整備開通しており、県道は従来のままになっている。

ウィキの記述によれば、この町道の開通は平成16(2004)年12月とのことで、これは屋代島にあった4つの町が一斉に合併して周防大島町が誕生した2ヶ月後。そしてこの開通によって島内の海岸一周道路が初めて完備されたそうだ。
なぜか県道ではないものの、実質的に、今回紹介する狭路区間の解消事業は既に完了しているといえるだろう。

なお、この道は町道であるせいか、ぜんぜん黄色いガードレールというものが見えないのだが、山の上に伸びて行っている県道の方には、それがしつこいくらい続いているのが見えた。
ガードレールは続いているように見えました」、まさに橋本康成氏の情報通りである。
今回この行き先を、(グーグル先生の後追いだが…)俺が確かめちゃる!



なお、立派な2車線道路の反対側、すなわち和佐集落に入る側なんだが、こちらはご覧のように… 良い道ではない。

集落内の県道よりはマシだが、対向車に注意を要する1車線道路が、前回紹介した集落中心部方面へ通じている。

(→)
さて、本題の県道へ戻ろう。
と、ちょうどその時、1台の軽トラが“立派な方”の町道から素早くやってきて、躊躇いなく集落内の狭路県道へ曲がっていくのに出会った。
まさか、“次の交差点”を左折して「最大幅1.0m」区間へ行きやしまいかと、一瞬で色めきだって追いかけたのだが、

さすがに行かなかった。

というかこれ、
どうやっても左折出来る交差点の作りになっていなかった。
こっちから県道で森・平野方面へ行くことは、構造の時点で想定されていないらしい(苦笑)。




15:29 《現在地》 

では、今度こそ行くぞ! 県道60号線!

極めて稀な「最大幅1.0m」規制が敷かれ、
手作りのプラ板看板だけが「通行不能」を予告する、
地理院地図が「徒歩道」を意味する点線で表現している区間へ!!




いきなりやべーぞ、これ(笑)。

まず、狭い。
あんな制限標識を設置していたのだから当然なんだろうが、狭い。
とはいえ、幅1mしかないということは決してなく、現状ではぎりぎり2mくらいはあるかと思う。
だから、一応は普通乗用車なんかも通れるとは思うが……

道の中央部分にやや濃い轍(あるいは踏み跡)があるものの、四輪車が踏む轍はそれよりも薄いという怪しい状況になっているので、やはり滅多に四輪車は入っていないんじゃないか……。グーグルカーェ…

そして、急坂!
いきなり呷(あお)るような急坂だ。相棒の変速を最も軽い“3−8”にしないと、いきなり自走に困難を感じるレベル。

さいごに、怪しい。
路傍に散らばるように置かれた土嚢とか、1年間刈られず育ったらしい綺麗な穂を垂れたススキなんかが、この県道の整備体勢に著しい疑念を生じさせている。
県で管理しているようで、いないような、怪しさだ。

ただ、その全ての要素を加味してなお、通行量は皆無ではないようだ!
最近も誰かが通っている感じがある!




区間に入って最初のカーブに立って、路下を振り返った。
足元の主要地方道の可愛さに頬の緩みを抑えがたいが、良い景色。
今回のレポートの“これまでの全て”が、この風景に閉じ込められている。
まだよく知らない瀬戸内の大きな島の端にあるこの平穏な地から、妖しの道が始まった。
次の集落は、島の脊梁を乗り越えた先にある“森”というところで、かつての東和町の役場所在地だ。

さらばだ、和佐!


「200m先」にあった景色は―


2019/12/24 15:31 《現在地》 

和佐集落を後に、島の横断へ向けた登坂を開始した。
地図読みでは、海抜110mほどのところに無名の峠があって、そこまでの距離は約1.3km。
峠の先の下りは約0.7kmでほぼ同じ高さを下るようなので、向こう側の方が遙かに勾配はキツそうだ。
というか、700mで110mの高度差は単純計算で16%近い平均勾配なんですがそれは…。

まあ、もとより地形図はこの一連の区間を「徒歩道」としているのだから、本当に徒歩道ならどんな勾配もあり得るだろう…。

山口県管理の道路であることを示唆するみかん色のガードレールの下には、周防大島町が管理する立派な2車線道路がよく見えた。
これらが機能の面において実質的な旧道新道の関係にありそうだということは、前回述べたとおりである。



一番最初の日が当たる急坂が終わると、ちょうど入口から100mほどのところだと思うが、暖地性の濃い緑の森に入り込んだ。
すると、大量の腐葉土か流入土砂かは分からないが(多分後者)、路面の舗装が完全に隠れる量の泥土が路上を占拠するようになった。
早速にして、廃道状態を連想させる路面状況だったが、その泥の上に四輪の轍が深く刻まれていた。

ここまで封鎖はされてはいないし、通行止めに関する正統な“予告”もないので、全く無辜の県道利用者が通行を試みた痕跡かも知れないが、だとしたら彼の未来は私の未来よりも心配である。
私はまあ、自転車なんでどうにでもなろうという気持ちの余裕があるが、主要地方道を信じて四輪車でこの道を入っていく不安感は、想像するに余りある。(まあ多分、事情を知ってる通行人だろうが…笑)

それと、ここに至って道幅が少し広くなった。
山側の擁壁もしっかりとしたコンクリートブロック積みで、現代の施工である。
腐っても……といったら失礼だが、ガードレールの整備度合いといい、県道としての整備がまるっきり放棄されてきた地方山間部にありがちな未開通県道とは違った印象だ。



泥濘んでるな……。
>しかし、舗装も轍もまだ続いている。
泥が深いところには、轍を守るために板を渡すという安普請の痕も認められた。

そういえば、そろそろ入口から150mくらいだが、【手書き看板】がびっくりマークを付けて必死に訴えていた「穴」とやはら、まだ現われていないと思う。

(→)
先ほど下の町道から【遠望したガードレール】がここだ。

この道、ガードレールの整備率の高さが印象的だ。
確かにこれがなければハンドリングを誤った途端路肩から墜落しそうな急斜面狭路であるが、“ダメな県道”の中には、こうした防護施設の整備をまるっきり放棄したような道が結構ある。
繰り返しになるが、この道は存外、管理者によって手を掛けられてきたのかもしれない。
しれがごく最近になって、実質的な新道である町道が開通したことで荒れ始めたのか。

むしろ、このまま最後までちゃんと車道が貫通しているなら、地理院地図やスーパーマップルの「徒歩道」という表現は、やや過剰というか、道の性能を正しく認めていないという評価になる。
今のところ落葉や土砂といった軽い障害物はあるものの、幅員2m程度の車道が何者かの轍を大切に抱いて続いているぞ。




ここは見晴らしが良く、まだ汗をかくほどは走っていないが、最初の休息地点とした。
この道の歴史はまだ知らないが、どう捉えても新しい感じはない。
となれば、この眺めも新しいものではないはずで、昔の旅人も楽しんだろうかと思う。

和佐の村より海上に目を向ければ、陸地の傍に浮かぶいくつかの小島の間隙に、
やや大きいけれども相当に遠い霞がかった島影が、通い舟のない静けさの中に佇んでいた。
あれは約16km彼方に浮かぶ由利島で、四国松山からも16km沖合という中間の島だ。
所属は松山市だが、前出の大小水無瀬島と同様に、現代になって無人化した島だという。

私は今回の瀬戸内海の初旅の前に、こういう無人化島が多くあることを調べていたのだが、
これは普段、島のない土地を探索している時には、山中に廃村があると知っても遠望は難しいが、
島であれば、こうやって遠くからその姿を見ることで思い馳せることが出来るという小さな楽しみとなった。



順調である。

それも、楽しくて順調だから、言うことなし。

思いのほかに平凡な道だったから楽に進めるという意味の順調ではない、むしろ、期待していた以上に“怪しい”のが、とても楽しい。

そろそろ入口から200mだが、今度は「山口県」のステッカーが貼られたコーンが道の両側に置かれていた。
この配置は、道を塞ぐためのものにも見えるが、それにしては端っこ過ぎるし、通行止めといった標示物もない。

というか、こんな切り返すことのできない場所で突然通行止めだと言われたら、四輪車マジ泣きだろう。入口からここまで一度も広いところはなかったし、これをバックで脱出するというのは考えただけで嫌になる。



一足早く夜を迎えつつある領域へ。
小刻みな左右カーブを繰り返しながら、谷折り山折りを折り込んでいく。
だいたい一定の登り勾配をキープしていて、着実に高度を稼いでいる。

みかん色のガードレールは、全国的に見ても雨が少なく晴れの日が多い瀬戸内の気候にはぴったりだと――日中までは思っていたが、初めて目にする街灯のない夕暮れの中の“みかん色”は、太陽を描いた壁画を夜に見るような場違いさで、私を打ちのめしたのだった。

しかも、また落葉と土が深くなってきた…。




なんか小屋のようなものもが現われた。

木の壁が随所で破れた怪しげな小屋は、たぶん農具倉庫だと思うが、辺りに民家や人影はない。地形図でも沿道に家屋は描かれていない。

ストリートビューに写るこの小屋の壁は、これより遙かに整っていた。
2014年3月(先生撮影)から2019年12月(私の探索)までの間に、何かがあったっぽい。木造とはいえ、壁が破れるというのは、この地方の住人ならすぐにピンとくるくらいの災害級の出来事だったと思うが…。




あやややや!!

私はいま、ここまで一緒に来た轍の主となって、運転席にいる自分を想像しながら、この景色を見ている。

ここまでは、かなり狭いものの、ガードレールがしっかりあったおかげでまだ安心感があった。 だが……、

このタイヤが空転しそうな急坂と、急な勾配変化、
見えにくい助手席側にある転落防止柵のない崖、
その崖を鋭角に巻き込むような屈曲と、幅員の減少、
これらが全部複合して同時出現したのは、
戦慄する!




いや〜、自転車で良かったですねぇ。

しかし、完全に“今さら”な話になるが、「最大幅1.0m」規制なんだよなこの道。

ってことは、さっきから見える轍の主は、道路法違反ってことだよな(笑)。まさかグーグルも…?

しかし、幅1m未満の車両って何がある? 二輪車と…、一部の小型特殊自動車(小さなトラクターとか)くらいか。
いちおう、この道の設計上における“車両限界”は、二輪車専用というわけではなさそうでく、
軽トラならが通れるくらいだと思うのだが、安全のために余裕を持たせて、最大幅1m規制となったものか。



なんだこの路面!

真新しいんだけど?!



15:36 《現在地》 

この県道、なんと管理されている!

……すまん、 ちょっとふざけすぎた。

だが、申し訳ないけれど、これは私にとって完全に予想外だった。

山口県は、この県道を放置なんてしていなかったんだ。
手前の見切れている赤いコーンにも、「山口県」のステッカーが貼ってあった。
(幅1m未満の車両に対しては)封鎖の必要がないから、解放されていたんだ!

また、この修繕が行われるまでは、ここに「穴」が開いていて通行不能になっていたのだろう。
入口からここまで約300mだった。ストリートビューにこの修繕痕はなく、間違いなく最近のものである。



おおっ! 畑…… いや、 みかん畑が現われた!
この県道でなければ来られない畑があったぞ。
現役かは、まだ分からないが。

そして、県道にも新たな仲間が登場した。
「路肩注意 山口県」と書かれた、小さなデリニエータたちだ。
県道にありそうなものが、どんどん出てくるな。
狭いけれど、確かにここは県道だぜ!




15:38 《現在地》

みかん畑は、現役だった。

畑の敷地には小屋があり、

その隣の路上に、車が停車していた。

この道が、大きく見える、そんな車が……!




グーグルカーがこの道の撮影を2014年3月に敢行したとみられる件については、本編で繰り返し言及しているが、用いられた撮影機材は通常の四輪であるグーグルカーだけではなく、徒歩で人が背負うものや、2輪車に搭載可能なものもあるとのご指摘を、複数いただいている。
仰るとおりだと思うが、この路線の撮影については、やはり四輪自動車で行なわれたものと考えている。
なぜなら、右画像でよく分かるが、自車の車体の一部が映り込んでいる場面がある。

幅1m未満の四輪自動車すごい(笑)。