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良い感じですねえ。旧長崎橋。現役の写真が見られそうです。 |
コメントの方で「利賀大橋って言うバス停云々」書かせて頂いたんですが |
位置とデザイン的に、旧長崎橋=利賀大橋のような気がしますが... |
abroaderさんお気遣いありがとうございます。しかし事実は…(涙)。 |
なんかあっちこっちで勘違いも入った混乱あるんですね。 |
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> このお話は、遠からず「その」レポートの時に書かせていただきます。 |
> いやぁいい雰囲気のアーチ部分だなぁ、スリムな橋にもなんか萌えるなぁ。 |
> 今年の2月に撮影されたという、真冬の主塔とアーチ部2連の横像です。 |
またネット上で拾ってきました。 |
「国土変遷アーカイブ」鳥瞰のかぎりですが、1977(昭和52)年7月と翌年7月のあいだに、桁など中央支間の主要構造が消えたように見えますよね。 |
> なぞとして残るのは火災の時期、桁の消失(撤去?)時期、主索など撤去時期だと思います。図書館で北日本新聞をひっくり返していただけば、ある程度分かりそうな気もします。富山県民のみなさん、頼りにしてます。 |
朽ち果てた利賀大橋を見たときに木曽にある桃介橋を思い出しました。いまは綺麗に復元されていますが、以前は朽ち果てた姿をさらしていました。国道19号線が橋の下を潜っており、当時はなんで撤去しないのか?と通るたびに思ったものです。 |
> JSCE橋梁史年表の検索で「利賀」をググりました。 |
> > 「利賀大橋」(最近)は、1948年(昭和23年)6月開通。幅員3m全長178.8m。1965年代に火災廃橋、 |
> 今更ながら、変なもの発見。 |
(http://library.jsce.or.jp/Image_DB/koshashin/ishii/)」→「アルバム3」→「No.50画像」も秀逸ですな。 |
> 「変なもの」どころか結構なお宝を見せてもらいました。 |
路傍の石さん、こなつさんコメントありがとうございました。 |
不思議なんですよね。今、無残な姿をさらしている利賀大橋の、まともな姿を捉えているのが、とやまデジタル映像ライブラリー(http://www4.tkc.pref.toyama.jp/video/video_detail.phtml?record_id ..... ay=allplay)ぐらいですから。大牧温泉か、庄川峡ネタの絵葉書に、写っていても何ら不思議ではないんですが。1930年の利賀大橋が、短命だった割にあれだけ画像が残っているのに…。 |
酷い…かな?どっぶりと濁流に呑まれた庄川町の藤掛橋の、写真を見かけました。利賀大橋が突風で壊れた。んな馬鹿な!と思ったのですが、利賀大橋が破壊されたその翌年、庄川を襲った大洪水。小牧ダムが必死に放水する(その画像もあるようです)その一方で下流は…という写真かと思われます。通りで昭和12完成の利賀大橋が高く架け直されているはずだと思った次第です。http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/006/966/73/N000/000/002/11881 ..... 127727.JPG |
> 不思議なんですよね。今、無残な姿をさらしている利賀大橋の、まともな姿を捉えているのが、とやまデジタル映像ライブラリー(http://www4.tkc.pref.toyama.jp/video/video_detail.phtml?record_id ..... ay=allplay)ぐらいですから。大牧温泉か、庄川峡ネタの絵葉書に、写っていても何ら不思議ではないんですが。1930年の利賀大橋が、短命だった割にあれだけ画像が残っているのに…。 |
前便urlを貼り忘れたようです(翌年1月の大坂毎日の記事です)。 |
Google地図では、利賀大橋までの道が実線でありました(利賀大橋はありませんでした)。 |
利賀大橋が全焼に至った理由について、複数の読者さまから、全焼するなんて不自然だ。誰かが油を撒いて放火したのではないかというような疑問がコメントされています。 |
> しかし思うに、吊り橋部の木材にはクレオソートやコールタールのようなものが塗布されていたのではないでしょうか。だとすると、ただの木材以上に激しく燃焼したのではないかと想像しています。 |
富山は雪の質が湿っぽいためか、昔から外部に露出する木材には |