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  [No.12313] Re: 長野電鉄河東線幻の区間 投稿者:はじめ   投稿日:2021/08/03(Tue) 10:41:37

河東鉄道は長野電鉄より前にありました。神津藤平という人物を調べるとわかります。河東鉄道自体は、志賀高原までの観光需要(特にスキー)を主な目的として建設されました。志賀高原という名称を付けたのも神津藤平です。

長野県から新潟県は、千曲川(信濃川)を利用して船による物流が盛んでした。上越線が開業したとき、飯山の人たちは時代の変化を読み取り、当初反対していた鉄道建設に同意します。そこでできたのが飯山鉄道(現:飯山線)で、あの五島慶太が大きく関与しています。神津藤平と五島慶太は同じ長野県出身で、同じく政界から実業家に転身した人ということもあり、知らない筈はありません。戦時中の陸上輸送対策として、昭和17年頃に「鉄道軌道統制会」というものが設立されますが、この2人ともメンバーに入っています。

これは妄想ですが、つまり長野電鉄としては最終的に新潟県までの輸送を考えていたが、飯山鉄道があるのだから、そこと直通(もしくは吸収合併)しようと考えていた。しかし戦争の影響で飯山鉄道が国鉄に組み込まれてしまった。また戦後のモータリゼーションにより地元対象の鉄道輸送は需要が見込めないため、そのままとなった、といったところなのではないでしょうか。そして、当時の神津藤平と五島慶太の縁から、長野電鉄は今でも東急と関わりの深い関係なのかもしれません。


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