明智隧道 前編

所在地 栃木県日光市細尾町
探索日 2008. 5.11
公開日 2008. 8.15


前回は妙なテンションで失礼した。
こっからが廃道探しの本番だ。

前回の冒頭でも紹介した上の二枚の地図は、地形図(左)とマップル(右)それぞれの最新版だ。
どう見ても地形図の方が古いままの道っぽいが、果たして実際はどうだろうか。
伝統ある国土地理院、まさかの敗北か。 それはもうすぐ明らかとなる。




思いがけぬ展開が

 まず現れたのは、明智第1トンネル


2008/5/11 13:09

明智平では、廃止されたケーブルカー駅の建物が今も使われているというドライブインに入ったが、昼飯は持参の行動食があるし、特にお土産を買うでもない私は、極端に客の少ない店内にあって目立ちすぎた。
いたたまれなくなった私は、数分もたたず、相変わらず霧の深い屋外へ戻ってきた。
外では、常に動いていないと寒い。
濡れたサドルに跨り、目の前の国道120号へ漕ぎ出す。

すると、すぐに頭上4.5m制限のバーが現れた。
早速、この先のトンネルが狭かった時代の遺物なのだろうか。
それにしても、ここで予告されても背後は一方通行であるから、もうどうにも戻れないと思うのだが…。
対向車線に対する制限とは思えないし…。




200mほど進むと、短いトンネルが霧の中からボゥワーっと現れてきた。

しかし、ここでガードレールが左へ離れていく。
間違いなく旧道の始まりだ。
早速、二枚の地図の不一致が再現される。




一見、廃止から30年も経過したような風に見える。
なにせ、背の高い木々が路上に沢山育っているのだから。
しかし、よく見るとそれは植樹されたものだと分かる。
舗装も、車止めのある道の中央部分にだけ、細く敷き直されているようだ。



トンネルの銘板。

名前は「明智第一トンネル」である。
竣工は1994年(平成6年)と、想像していたよりもちょっと古かった。

そして、この短いトンネルが現れた時点で、道路の線形から地形図の敗北(情報古し)が確定。




U字形にトンネルを迂回する旧道。
最もありがちで平凡なパターンの旧道だが、その先端部分には頑丈そうな建物が。
扉には、「変電設備」「蓄電池設備」「関係者以外立入禁止」などと書かれてある。
旧道とは直接関係のない施設が、旧道跡地に建てられたようだ。





建物の裏手に、なんだか見えます。

近づいてみます。



既に路外に成り果てて久しい場所にポツンと取り残されていたのは、全く古びていない一方通行の標識だった。
19時〜6時というと、夜間だ。
旧道時代(94年以前?)には、現在は終日相互通行となっている明智平〜中宮祠間も、夜間に関しては上りの一方通行だったのだろうか。
確かに深夜はドライブインも閉まっているのだし、そんなに不便は無いのかも知れないが、意外な過去の交通規制の名残である。




変電施設だけならば、何の面白みもなかった50mほどの旧道も、一枚の標識が心地よいハテナをプレゼントとしてくれた。

そして、旧道は自然に現道へすり寄った。
合流地点は、明智第一トンネルの西口である。





 第1があれば、第2がある?


13:18

現道の合流すると、そこにはもう次のトンネルが見えていた。


  あれ?




   あれれ?


今度は、旧道らしきものが見当たらない。

まさか、坑口は共有していた洞内分岐とか…?


 いや…。

見逃してきたか?  入口を。




とりあえず、これが現在の二本目のトンネル。
名前は「明智第二トンネル」。
第一と同じ1994年の竣工だが、長さは段違いで、926mもある。
この一本で中禅寺湖の傍まで一気に行くのだろう。


やはり旧道の入口はこれより手前にあったはずだが、考え得る範囲というのは30m足らずとごく狭い。

嫌な予感がする。







何かを見落としたと思ったときは、戻ってみるのが鉄則。

いつもその手間をめんどくさがって失敗することが多いので、今回は30m戻ってみた。

先ほどの旧道の出口だ。


 …こーやって、旧道が出ていくわけだから…

 …自然に考えれば、怪しい場所は道向かいだよな。




しかし、道はない。

ただ、切り立った法面が第二トンネルまで連なっているのみだ。


 …だよね?


  ん?





 これは…

  もしや。




こ れ だ…

こんな場所に、カモフラージュされてやがった…。



トンネル坑門の上部らしきものが、法面の上の方に見えていた。
もはや、開口は絶望的状況。

…登ってみよう。 とりあえず。



登るのは、意外に大変だった。
一応階段のような形をしていて上りようはあるのだが、本来は階段でないために勾配が70度くらいあることと、この階段状の本来の目的である植物が邪魔をした。

つか逆に、 お前が邪魔だ。入ってくんな! とか、言われてそう。

…ともかく、辿り着いた。
廃隧道の坑門らしくはない、ちょっと洒落た感じの壁であるが…。




うわーーー!

明智くーーん(涙)!



完全に埋められております。
これはもうダメです。

扁額は、ありがちなアーチのてっぺんではなく、向かって左脇に取り付けられていた。
これによって、一本目の旧トンネルが「明智トンネル」であったことが判明。
地形図はもうズタボロですね…、これを明智第一トンネルと言うことにしてしまっているし。

ともかく、完全に埋もれていて入ることが出来ない。





 表がダメなら裏がある。



表がダメなら、裏がある。


これは、空き巣とオブローダーに共通するセオリーだ。


幸い、手元の地形図(いつも地形図を印刷して探索中は持ち歩いている)には、私の求める2本の廃隧道がはっきりと描かれている!(現道は描かれていないが。笑)
これを使って、もう一本の廃隧道、「白雲明智トンネル」とやらへ回り込んでみようじゃないか。
約1kmの行程である。





明智第二トンネルのナトリウムネオンは、洞内にまで垂れ込めた霧のため、一層テクノチックな雰囲気を醸し出していた。

しかも、900mを越えるトンネルは出入り口がともにカーブしており、出口の見えない時間が長かった。




この先には、何かトンデモナイ出会いが待ち受けているのでは…。

根拠もなくそんな予感を抱かせるアースゲートだった。

なお、トンネル坑口にはやはり4.5m制限バーがあり、規制は現トンネル用であったことが判明した。




13:25

トンネルを出たら、そこが分岐地点だった。

今度はなんら隠すでもなく、塞ぐでもなく…。

現道にほとんど遜色を感じない幅の広い旧道が、ゆったりと左へ分かれていた。




が、

速攻で塞がれていた。

この先は未舗装… か?

なんか、また様子がおかしいぞ。




うわーー…。

なんだなんだこの旧道は。

公園… みたいになっている。

かつての路面上に30cmくらい土が盛られ、その上に添え木をされた若木が、ポツポツと植えられている。

もともとの道の形はこれでも鮮明に分かるが… なんだか、全然楽しくない…。




小さな暗渠を見つけた。
ここが車道であった頃のままの姿に、少し気持ちが和んだ。


それにしても、手の込んだ廃道化である。

これこそが、日本の国立公園発祥の地「日光」における、廃道のあるべき姿。 或いは、定めだとでもいうのか。

ここまで廃道は隠されねばならぬのか。
まるで…、 過ちか傷跡のように……。






あーー…


嫌な予感が的中…

トンデモナイ出会いの予感は、ガセだった。

一番嬉しくない出会いじゃないか。これは。

一応、トンネル跡地には違いはないが…。




13:34

完璧に、しかも丁寧に、そのうえ美観にも配慮して塞がれた、坑口。

またしても扁額だけが、私への当て付けのように顔を覗かせていた。

「白雲トンネル」

私をこの2時間後に狂喜させる幻の滝は、このトンネルの華厳谷を挟んだちょうど対岸にある。




地図をもし持っていなければ、
そして扁額を確認する注意を怠っていたならば、
ここまでの発見を、単に一本の旧トンネルの塞がれた出入り口を見ただけだと判断したかも知れない。
ここで探索を打ち切っていたかも知れない。
まして、二つの坑門は塞がれ方こそ違うものの、元のデザインは全く一緒であるようだった。


2本の塞がれたトンネルにより、地上のあらゆる交通網から遮絶されている廃道の存在。

手元の地形図は、それを約束していた。


こんなに興奮できるシチュエーション……そうあるものではない!




前がダメなら裏へ回れ。


 もし裏もダメなら… 


        今度は…





二階から侵入だ!



尾根越えだ! 明智くん!