2024/3/28 16:50
内部に廃屋とみられる小屋を抱えた、奇妙な穴を発見した。
奥行きを確かめないと断言は出来ないが、村誌という根拠を持って探しに来ただけに、これこそ探し求めた隧道の跡なのだとほぼ確信している。
もちろん、内部に建物があることは全くの想定外で、驚いたとしか言いようがなかったが。
これは坑口を背にして振り返った眺めだが、見ての通り、坑口へ通じる道は見当らない。
村誌の記述によれば、隧道が利用されていた当時は現在の市道の位置まで川が迫っていたようだから、市道の整備に伴って河川の埋め立てを含む大規模な土地の改変が行われていることが推測できる。
その過程で、隧道へ通じていた旧道は、前回見た片洞門という僅かな痕跡を残して、ほぼ失われてしまったのだと推測している。
地図上に発見した坑口の位置を書き加えた。
また、点線を描いた辺りに旧道があったのだと思うが、片洞門以外は何も残っていなかった。
16:51
次はいよいよ洞内を探索したいしたいしたい超したい!
しかし見ての通り、ここでも落石防止ネットが鉄壁を思わせる執拗さで崖面への直接接触を阻んでいる。
下を潜れる場所がないか探したが、どこも土砂を巻き込んでいて隙間を空けることは容易ではない。
それでもどこかに隙間はないかと探し歩くこと、一寸。
16:52
うっふふふっふ、隙間発見!!
なんのことはなく、岩壁が市道へ最も迫るところに、人が潜り込めるだけの大きな隙間が出来ていた。
写真はネットの裏側から、その隙間を撮影した。
今は市道のずっと向こうを千曲川は流れているが、かつてはこの岩場の下を渦巻いていたのだろう。
そうでないなら、わざわざ隧道を掘る必要などなかった。
ネットの裏からオーバーハングした崖際を辿って、今度こそ隧道との直接対面の時が来た!
やはり幻ではなく、一軒の小屋がすっぽり穴の中に収まっている。
小屋の存在は気になるが、そもそもこの隧道がいつまで道路として利用されていたのかという重要な情報が欠落しており、とりあえず、村誌が刊行された昭和32年当時はおそらく現役だったのだろうということくらいしか分からない。
普通に考えて、小屋が建てられたのは隧道が利用されなくなってからだろうが、落石防止ネットが整備されたのはさらに後で、小屋も利用されなくなってからだと思う。
廃墟然とした小屋の様子から、隧道が廃止されてから相当の年月が経過していると推察された。
坑口前からもネットを透かして交通量の多い現道がよく見えたし、また現道側からも坑口は見えたわけだが、探索前にインターネットを検索したときは、この隧道の情報は見つからなかった。
旧地形図に描かれたことがないことや、現道にはトンネルの必要性が感じられないことなどが原因となって、発見されにくい隧道だったのだと思う。
(なんかもうこれが隧道であるという確信のもとに話を進めているが、……大丈夫だよね?笑)
坑口の全貌は、画角が無限大の全天球画像でなければ1枚には収まらなかった。
ネットのせいで離れた位置から撮影することが出来ないのだ。
隧道は、先に見た片洞門の素朴なサイズと比較すると、随分と立派な断面を持っている。
収まっている小屋は決して大きなものではないが、これを撤去すれば大型自動車が通れるサイズ感だろう。
特に坑口が広くなっているのは、素掘りである上部の岩盤がラッパ状に広がっているせいで、これはもともとオーバーハングしていた崖に隧道を掘ったためか、落盤によってこのようになったのだろう。
小屋は壁も屋根も波トタンで覆われていて、骨組みも金属だ。
基礎がなく洞床である土の地面に直接建てられた、いわゆる掘っ建て小屋。
前面に片開きの扉があるものの、坑口前に小山となって堆積している瓦礫のせいで開くことが出来ない。この小山のせいで、洞内や小屋を見下ろす感じになっている。
隧道内部を占拠している小屋ではあるが、右側に幅1m弱の空間が残されており、そこを通って洞奥にも入れるようになっていた。
小屋の側面はサイズの異なる当て板で補修した形跡が残っており、なかなかカオスな雰囲気だ。
そして、天井から落ちてきたらしき少量の瓦礫を乗せたトタン屋根には、おそらく重しとして廃レールが何本も乗せられていた。
それも普通レールではなく、良く林鉄などで目にする軽レールだった(6kg/mとみられる)。
軽レールは林鉄以外にも鉱山鉄道や工事用軌道などの様々な場面で利用されたから、由来を特定するのは難しいだろうが、近くに軽レールを使用していた軌道として思い当たる路線はない。
よく見ると、継ぎ目板が取り付けられたままのレールもあるから、どこかに敷かれていたものを転用したのは間違いないと思う。
廃レールは、林鉄という潤沢な供給源があった関係から、特に林業関係で汎用の建材として頻繁に使い回されていたので、この小屋も林業関係な気がする。
しかしどんな由来だとしても、廃隧道の洞床に独立した建物を置くというのは、ありそうでなかなか見ない思い切ったアイデアだと思う。
続きましては、ワクワクドキドキの、洞内へ……。
16:56
建物の外壁と、素掘りの隧道内壁の隙間という、なんとも言えない怪しい空間を進む。
このとき、破れた外壁を通して建物内部を覗くことが出来るが、心境的には覗きたさと覗きたくなさが半々くらいであった。
私ほど廃隧道に度胸が据わった人間は珍しいと自負するが、廃隧道の中にある得体の知れない小屋の中というのは、なかなか気持ちが悪いのである……。
昔ドリフターズの怪談系コントで定番だった、こういう壁の一面から手がニョキニョキと出て来るのが地味にトラウマなんだよな。みんなもあれ怖くなかった?
……まあ、覗きますけど。
壁の隙間からカメラを挿し込んで撮影した小屋内部の様子は、これらの写真の通りである。
チェンジ前の画像が側面から、チェンジ後の画像は前面から、それぞれ撮影したものだ。
現状では唯一の出入口が土砂で封印されているため、開かずの小屋になっている。
床は洞床のままで、板張りなどはない。
ほとんどもぬけの殻であるが、唯一、ダルマストーブらしいものが残っていた。
ダルマストーブがあることも、建物自体の造りも、営林署が林道沿いとかにしばしば設置する作業員の休憩所によく似ているように思う。
手がニョキッとして気持ち悪い全天球画像はこちらです(笑)。
果たして、“隧道内小屋”の居心地は、どうだったんだろうな。
洞内とはいえ空気は乾いているので、悪く無さそうな気がする。夏でも涼しそうだし。土臭さはあるが。
いくら隧道が好きでも、洞内で一夜を明かした経験は皆無である。
経験値獲得のため、こっそり忍び込んで宿泊してみたいような気もするが、やっぱり気持ち悪いな…。
そしてこちらが、小屋の奥に眠る洞奥空間へと通じる“門”だ。
気持ち悪さに、ステータス全振りしてる……。
隧道でこんなにドキドキするのは、久々な気がするぞ俺。
……シツレイシマース、ハイリマース……。
16:58
祝! 隧道確定です!!
ほぼ土に埋れてしまっていたが、西口の貫通を漏れ来る光によって確認。
見慣れた半円形の断面を持つ坑道が、シンプルに東西の坑口を結んでおり、小屋の存在だけがイレギュラーであるが、あとは見慣れた廃隧道そのものだった。
こいつが、イレギュラー。
ほんと綺麗に隧道内に建ってるな。
小屋を建てた当時は、西口はこんなに埋れていなかったんだろうか。
片方の坑口が崩れて埋れた洞内に長居するのは、今にも閉じ込められそうで気持ち悪いと思うんだよな。
これより、まだ見ぬ西口の地上へ。
一度はそう志したのであったが……。
これはちょっと、這い出すのキツいっす!
崩壊が進み、開口部がすっかり縦穴化してしまっていて、それも非常に狭い。
挙げ句、地上から濡れた泥が流れ込んでいて、這いつくばって攀じ登ることへの拒絶感が凄い。
どうしてもここを通らなければ西口へ行けない状況なら、頑張れば攻略出来ると思うが、そこまでしなくても地上から西口を目指せるはずだ。
ここは一旦撤退しよう。
村誌の隧道を見つけ出し、さらに内部を確かめるという探索最大の目的は、見事果たしたからな!
西口を埋めた崩土の山に攀じ登り、ほぼ天井の高さから振り返り見た洞内全景である。
村誌によって存在を明らかにされたが、名称や規模については記載がなかったこの隧道。
いま、規模が判明した。
地図上での計測及び目測であるが、全長はおおよそ30m。
断面のサイズは目測で、高さ5.0m、幅4.5m程度と判断。
思っていたよりもだいぶ大きな断面だったから、おそらく自動車が通行していたと思う。後年に拡幅が行われた可能性もある。
洞内は完全に素掘りであるが、内部に崩壊はほとんどなく乾いていた。
一方、両坑口には地表側より土砂の流入があり、特に西口はほぼ閉塞状態まで埋め立てられていた。
以上で洞内探索を終了する。
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