隧道レポート 初代・十石隧道(エンドレス) 中編

所在地 茨城県北茨城市
探索日 2016.04.18
公開日 2022.03.28

 難攻不落“沼”攻略、ヨッキれんに秘策あり?! 


2016/4/18 14:02 《現在地》

再訪の時、来たる。

しかしこれは先ほどまでの探索と同じ日の出来事だ。
約1時間半後に、私は戻ってきた。

“沼”攻略への“秘策”を手に。

あの沼を突破して洞内を探索するには、大きな障害が2つあると感じた。
1つは、探索時に身につけていた装備が確実に水と泥にまみれてしまい、そのまま市街地での探索を継続することは問題があるということ。
ここが無人の土地ならまだしも、周辺には北茨城市の市街地が広がっており、あまり酷い姿でウロウロするのは、見る人は不快だろうし、通報のリスクもあろう。
そのため一旦撤退して、今度は現地の傍にベースキャンプでもある車を持ってきた。探索後は速やかに着替えることができるように。

だが、より大きな障害が、もう1つある。
それは、沼が深く、しかも酷く泥濘んでいて、踏み込んだら最後、脱出できなくなる恐れがあったことだ。
できれば泥沼へ身体を浸けずに済ませたいが、泥沼ではいつかのようにボートを浮かべることは不可能である。
そして、私はこれまでの泥沼探索経験から、先ほどまで着用していた長靴が、泥沼では非常に危険な装備であることを知っている。
だからベースキャンプに戻り、泥沼に相応しい装備を、持ってきた。

このような2つの理由から、私は一旦撤退し、そして戻ってきた。



この再出発の直後、私は、“やらかし”という名の煮釜の縁を、気づかないうちに歩いていた。

実は、この探索の開始直後、歩いて旧道へ入ったところで私は車のキーを落していた。
いつも探索中はウェストバッグにあるチャック付きのポケットにキーを入れておくのだが、気持ちが逸っていたのか、ちゃんと入りきらないままチャックを閉めたらしく、落っことしていた。
それに気づいたのは、この探索が終わり、車へ戻る道すがら、旧道に落ちているキーを見つけ、「こんなもの来たときに落ちていたか」なんて訝しく思ったら、自分のキーだったというオチで。

全く不幸中の幸いというやつで、実質的に探索への悪影響はなかったものの、ここで見つけず、車へ戻った時点で気づいたら、焦っただろうなぁ。
このときはスペアキーを車の中にあるリュックに残したままだったし…。
また、落とした場所が藪の中だったり、沼の中、隧道の中だったりしたら……後者の2つは発見が絶望となり、はじめて内鍵での救援要請をする羽目になるところだったのだ。



戻ってきた。

相変わらず沼は静かだったが、日が陰って、やや陰鬱な感じが増している。

坑門の前は切り通しになっていて、3mほどの落差がある。
この落差を回避して切り通しへ入るためには、坑門からだいぶ離れた位置からの入水となるので、泥沼を長く歩く必要がある。
できるだけ沼を歩きたくない私は、落差を受け入れることにした。

とはいえ、飛び込むようなことはもちろんしない。
坑門の見え方から推測して、水深は1mないだろうが、勢いよく入って1m近く身体が泥に刺さったら、脱出困難になりそうだ。
その後、泥の海を這い回ってどうにか生還できたとしても、カメラなどの精密機材類を失う可能性が高く、そこまでのリスクは冒せない。
だから、落差を受け入れつつも、水面へ軟着陸する必要があった。

と、その前に、今回の秘密兵器をご覧に入れよう。

ヨッキれん流、泥沼探索用装備は―




←これだー!!!

こいつは、ウォーターシューズ!

そんな装備で大丈夫か?
そんな声が聞こえてきそうだが、もちろん、
大丈夫だ、問題ない。

泥沼で長靴が危険なのは、泥に靴を取られて脱げるからだ。
その点、ウォーターシューズは水も泥も通す。だから、抜けにくい。
これが、私の泥沼対策の答えである。
足が濡れることを恐れるような次元を超越したところにこそ、泥沼攻略の鍵はある!

イクゼー!




……怖え……

足、着くんだろうな、本当に…。

本来の路盤の高さに底があれば着くだろうが、

万が一、掘り下げられていたりしたら……。 気持ち悪いなぁ…。

最悪、足が底に着かなくても助かるように、石垣に生えている生木を握って、慎重に水面へ下りた。

最後の石垣のステップから、足を、下ろす ……



グジューーーー ポポポポ…

(前半は、身体が沈んでいく音。後半は、空気が泥から漏れ出る音)
まともな靴を履いている時とは違い、水面に触れた瞬間に足が濡れた。
正直、不快だったが、もちろんそれは織り込み済。濡れるのは仕方ない。

次に来た感触は、身体全体が下へ沈んでいく、恐ろしさ。
だが、非常に岸に近い位置に足を下ろしたことと、体重全てをまだかけていないこともあり、
沈下は恐れいていたよりも深くは進まなかった。左足が臑(すね)くらい、右足が踝(くるぶし)くらいまで。
そこから、掴んでいた生木を離して、全体重を足に預けたが、大丈夫そうだった。

とりあえず、下降は成功。



こうして初めて目線に近い高さに来た、初代隧道南口。
依然として本来の洞床より50cmくらいは高い位置に立っているとは思うが。

足元がポポポポと言っているのは気持ち悪いけれど、立ち止まって撮影した。
切り通しの中央付近が深いと嫌なので、このアングルからだけで勘弁してね。
実はもう結構いっぱいいっぱいな気分だが、まだ本題に入っていない。
本題は、未だ知られざる洞内の探索にあるのだ。

南口坑門の形状も、北口と変わるところはないようだ。
煉瓦の巻き方、彩り、笠石の配置、どれも一緒だと思う。シンプルだが美しい。
アーチの天端近くの壁面に、2つの碍子が金具で取り付けられているのを見つけた。
かつては洞内に電線が引かれていたのだろうか。



あ〜〜〜ん…。

初めて洞内が見えたけど、やっぱり、水没してるよなぁ……。
これで、洞内の水深が足が着かないほどだったら、
完全にアウトだ。ボートはここには持ち込めないし。

しかしそれにしても、誰が、いつ、このネットを破ったんだろう…。
人が破ったにしては位置が低すぎる気もするが……、
いまの私にはそんなことはどうでも良くて、もう潜るだけだ。
這いつくばりたくはなかったが、穴が小さいのでやむを得ず、両膝より下はここで濡れた。



14:04 《現在地》

入った。




・・・・・・。




 これこそが、世にも珍しい“エンドレス軌道用隧道”の特徴だ! 


14:05 《現在地》

100%北茨城産素材使用、熟成濃厚落葉シチュー自転車和え。
自らその新たな“具材”となった私が、これから禁断の煮釜の奥へと突入する。

洞内の状況についてあらかじめ分かっていることは、ほとんどなかった。
全長が290mもあること、そして、仮に北口まで貫通できても外へは出られないことが確定している。

これは大正5年に竣功したエンドレス軌道用の隧道だが、エンドレス用の隧道に関する経験値がほぼゼロなので、どんな個性があるのか、非常に興味があった。

入洞。


これが、入洞と同時に飛び込んで来た、洞内の様子(→)。

圧倒的第一印象は、水没。

この一言に尽きる。

だから、両側の坑門しか見られない状況では決して知ることはなかった、内部は素掘りであるという重大な事実でさえも、一瞬遅れの把握となった。
入口からたった10mほどの位置に見える、素掘りに変わる位置でさえも遠く感じられるほどの、圧倒的な水面の圧迫感だった。

これまで非常に数多くの水没隧道を見てきたが、水位を目視によって推測するバロメータとして、水面が隧道内壁の側面にあるか、それともアーチ部まで達しているかということが、大きな分かれ目であると認識してきた。

一般的によく見られる隧道の断面は、背丈以上の高さがあるほぼ垂直の側壁部分と、天井を取り巻くアーチの部分に分かれている。したがって、もし水面上にアーチ部分しか出ていないとなると、その水深は人の背丈以上もあることを“示唆”していることになるわけだ。
今回の隧道……、どう見ても、アーチ部分しか水面上には出ていない。

おそらく、前回の最後に右の画像を見た読者諸兄の多くも、上記のようなことを自然に考えて、歩けないほどの水位があると、そのように感じたのではないだろうか?



だが、実はそこまで水は深くなかった。

この隧道の断面には、――これはかなり珍しい特徴なのだが――、側壁と呼べる部分がなく、洞床から直接アーチが天井まで起ち上がっている。

水面上にアーチ部分しか見えないせいで深いように“錯覚”するが、実際の水深は……60〜70cmくらいだと思う。
もちろんそれでも濡れることに違いはないが、胸まで水に浸かって、とか、泳がないと進めない、という水位ではなかった。

右図(チェンジ後)は水面下の部分を含めた隧道の断面形状を示している。
水面下は実際よりも浅く見える傾向があるが、それでも足が着かないほど深いわけではない。
洞床には堆積物があって完全には見えないが、側壁らしい部分がなく、いきなり起拱線(アーチの下端)から壁が起ち上がっていることが分かるだろう。
隧道の断面サイズは、高さ2.5m、幅5m程度であると目測した。もしこの通りであれば綺麗な半円形だ。

このような半円形に近い断面は、高さをあまり必要としない暗渠などではよく見るが、通行を目的とする隧道では非常に珍しい。
そして、このような低天井で相対的に幅広な扁平断面に、エンドレス軌道用隧道の特徴が現われているのだと推測できる。
エンドレスは石炭を満載した鉱車が通るもので、それは自動車のように背高ではないし、また天井の架線も必要としない。
そして、エンドレスは構造上複線であることが基本であるから、高さよりも幅の広さが重要だったはずなのだ。
だからこの半円に近い断面形状は、理にかなっている!

このような半円形の断面形状は、両側の坑口にも現われているのだが、たまたま両坑口とも下部が水や土砂で埋れていて、本来の形を分かりづらくしていた。
しかし、洞内の断面まで見たことで、「こういう形の隧道だった」ことが、はっきりと認識された!
エンドレス軌道ならではと思える発見が、とても嬉しく、興奮した!
私は、一見不思議に思えても、実はちゃんと納得できる理由があることがとても多い、洗練された効率主義が通底する土木構造物の世界が、大好きだ。



しかし、こういう形の隧道だったと言われても、すぐには感覚的に受け付けがたいものがあった。見慣れた形と違いすぎるから。
こうして振り返って撮影した入口の写真を見ても、凄く水位が深い気がまだしている。

だが、入口を塞ぐために設置されたフェンスの扉の位置からも、さほどの水位ではないことが分かる。
扉部分の水深は、せいぜい20cmほどでしかない。




これが上の写真を撮影した位置の水深だ。
臑の辺りまでの水位である。
ただし、これが最大水深というわけではない。
まだ完全に洞床に足は着いていない。坑口付近は土砂が堆積していて、浅くなっていた。

もう下半身を濡らす覚悟は出来ているので、洞奥へ向けて進行開始!




入口から10mほどの地点まで来た。
ここで煉瓦の巻き立てが終了する。

坑口付近だけの巻き立ては、外観を整えるための飾り付けというよりも、坑道の構造を補強するために必要なものだったと思う。
根本的に隧道というものは、土被りが浅い坑口付近に大きな偏圧がかかり易く、かつ地上の気象や浸透水の影響を受け易いため、崩壊の危険度が高いのだ。だから両坑口付近を優先的に補強することがよく行われる。

煉瓦巻きが終わった先は、ほぼその断面の形と形状を受け継いだ素掘り断面であった。
しかし、素掘り隧道で、こんなに綺麗なアーチ形の天井も結構珍しい。
人間が手作業で掘っているはずで、こういう綺麗な曲線を出すのは高難度の作業だと思う。

坑門を見る限り煉瓦は四重巻きだったから、厚みは約40cmあった。
素掘りになっても隧道の断面のサイズがほぼ変わっていないということは、あらかじめここまで巻き立てをする前提で、坑門付近をより大きな断面で掘っていたことになる。

こうした調整も含めて、この隧道の掘鑿には洗練された技術性を感じる。
坑道掘鑿の筋金入りのプロたちが集った炭鉱会社の事業であればこそ、このくらいは朝飯前だったか。



これが、現地点における水位だ。
膝を越えて、腿の中くらいまでの水位となった。60cm前後といったところか。
坑口付近で目測した水深に達している。

問題は、このあと上るのか下るのかということに尽きる。
言い換えれば、全長290mの隧道が、どのような勾配構成になっていたかだ。




これが一般的な鉱山鉄道であれば、山元から麓へ向かっての一方的な下り勾配である可能性が高く、本隧道の立地なら、南口から北口へ向かって一方的な上り片勾配となろう。その場合、進むほどに水深は浅くなるはず。
しかし、エンドレス軌道は多少の逆勾配にも耐えるので、山元に向かって洞内が下り坂の可能性があった。あるいは、洞内にサミットを持つ拝み勾配の可能性も。

入洞から数メートル入ったところでいまの60cmほどの水位となり、そこで薄っぺらなウォーターシューズ越しに洞床の堅い感触が得られるようになった。
以後、ここまで水位の変動は感じていない。
勾配があるとしてもかなり緩やかなのだろうとは思うが、この先水位が増えるとしたら探索の困難度は増していくので、非常に気になるところだ。



天井は素掘りでありながら綺麗なアーチ形で、中央の高い所には手が届かないが、両側に近いところは目線よりも低い。
洞床がなみなみと水に浸かった完全な地底湖状態でありながら、この水の出所となるような出水は、今のところ全くない。
周囲の全ての壁は砂岩のようなザラザラとした質感を持っていて、海底での堆積を思わせるゆったりとした地層の模様が現われていた。
わずかな崩壊も見られず、とても安定しているようだった。

そんな水上の壁面に、初めて生き物の姿を確認した。
それは見慣れたゲジゲジたちだ。
彼らは見た目こそ不快だが、非常に大人しく、カマドウマのように飛び跳ねて突っ込んでくることもないので、ほぼ無害だ。
彼らの静かな一生は、この光のない水上の壁に始まり、終わるのだろうか。



14:08 (入洞3分後) 《現在地》

入洞から3分経過したが、太腿までの水位を恐る恐るで進んでいるので、ペースは非常に遅速だ。
振り返って入口を見ると(チェンジ後の画像)、やっと50mくらいか。
ということは、まだ全体の6分の1を越えたくらい。

290mという長さは、現代の感覚だとあっという間に車で通り過ぎてしまうが、大正5年の隧道としては、侮りがたい長さだ。はっきりした統計はないが、完成当時から戦前を通じて、道路用鉄道用のトンネルを合わせても、県内最長の隧道であった可能性が高い。

そんななか、いくらか水が浅くなってきた!
やったぞ! 上り勾配になっているようだ。これで拝み勾配でなければ、あとは最後まで浅くなる一方だと思う。

そして同時に、壁面の形状に少し変化が現われてきた。
最初は綺麗な半円形だったが、奥の方は徐々に台形に近づきつつある。
この断面変化に伴い――



――壁面に大量の掘鑿痕が見えるようになった。

向きが不揃いなこの痕は、人が手作業で鑿(のみ)と鏨(たがね)で掘り進めた痕だと思う。
あるいは鶴嘴(つるはし)も使ったかも知れないが、いずれにしても、男たちの過酷な肉体労働だけが、この努力の痕を壁に刻むことが出来るのだ。

現在の水位は40cmほどだ。
いくらか浅くなってきているが、まだまだ足の重さと不快感が強い深さである。
そして、壁面に色濃く残る水平線の痕を見る限り、いまより40cmほど水位が高い状況も珍しくないようだ。季節的な雨量の増減によって、水位も緩やかに上下変動しているようである。
もし上端の水位であれば、入口のフェンスのワルアナを潜れず、探索を断念した可能性が高い。




緩やかに浅くなりつつある水位に、少しだけ勇気をもらいながら、

不気味な洞内をジャップジャップと進んでいくが、

この世界は、深いから、不快へ、変化しつつあった……。



水中に散乱した、大量の太い丸太…。

これらは、単純に私の進行を邪魔する障害物となったが、

腐りきった木材の気色の悪さ、あのブチュッとした感触、そのヌメリを、

私はサンダルに毛が生えた程度の防御力(ぼうぎょ力2)しかないウォーターシューズ、あと、素手で、

乗り越えていかねばならなくなった。



どうしても、快・不快の問題は、物理的に進めるかどうかの問題よりは重要ではないと考えられがちだが、
探索するのが心を持った人間である以上、展開を左右する相当に重要な問題であることは間違いない。
そして、物理的には進めるが進みたくないという状況は、オブローダーにとって、ある意味で一番ツラい……。




14:10 (入洞5分後) 《現在地》

まるで、バリケードでもあったかのように、膨大な量の朽ちた丸太が、ここに集まっていた。
もし転倒でもしたら、腐った丸太の隙間に、“心”を落としてしまいそうだ……。

この大量の丸太の出所だが、答えは両側の壁面に見られる微妙な凹凸にあるだろう。
ここには、両側の壁を隙間なく埋めるほど密度で、木製支保工が組まれていたと思う。
それらが朽ちて倒壊し、さらに水位変動をくり返すうちに浮遊して、ここに集まった可能性が高い。

嫌な気持ちになりながら、先を見たい、攻略したいという一心で、

ここを突破した。




嵐の後の、静けさ…。

水は浅くなったかも知れないが、

光を透かした黄金色の地底湖、その得体の知れなさは、深化していく。


……この奥には、初めて見る光景 が、待ち受けていた……。




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