2026/3/21 9:30 《現在地》
鬼女洞を逆走し、巨大なドリーネに中に収まった柏集落へと戻ってきた。
まもなく自転車のデポ地点にたどり着こうという所で、往路では会わなかった畑仕事中の住人に遭遇。
ここしかないと直感を持った私は、すぐさま自身の目的を明かして、聞き取り調査を開始したのである。
聞き取り対象者: 柏集落在住 80歳 女性
私ははじめに、証言者は鬼女洞に入ったことがあるかを聞いてみることにした。
たぶんYESであろうから、そこを取っかかりに、昔の洞窟の様子を聞いていこうという考えだったのだが、
数秒後、彼女が想像外の衝撃的な証言を始めることを察した私は、反射的に録音ボタンを押していた!
というわけで今回は、実際の証言内容を文字起こししたものを直に読んでいただくことにしよう。
……やべえぞ。内容。
| 聞き取り内容 前編 (太字=証言者 細字=私) |
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松明みたいにして。 タタタタタタタタターッと、急げば燃え尽きるまでに、通れた。 燃え尽きるまでに歩かないといけないの? すごい勢いで、ダダダダッ。 えー!??!(驚) それからトトトッ降りて。 通学してたんですか!鬼女洞を通って?!(驚) いや、普段はこっち(西)から山をおりて(高梁)川沿いを歩いて国道に出ていた。けど、ちゃんとした道路じゃないもんだから、雨で増水するとなくなるんですよ道が。今は広くなったでしょ? はい、今は車通れますもんね。 このぐらいの道なの(狭い道をジェスチャー)。そうすると、ちょっと増えると水がバシャバシャ来たら、もう歩けないでしょ。そうしたら、「あ、今日はこっちだ」と思って。 じゃあ、街へ出る鬼女洞を通路として使ってる方が、ここには他にもいらしたんですか? いや、他にはいない。私は毎日行かなきゃなんないから。 学校に行くために! たまに用事があって行くんじゃなくて、毎日でしょ。 線路まで出てからは、どうしてたんですか? あそこ出てからは、小舟で渡らせてもらったり。「おーい」って言ったら渡してくれる人がいたんですよ。でも、大水が出たら危ないから渡してくれないでしょ。そうしたら、あのー、線路があるでしょ。あそこにトンネルが2つあるんですよ。 (ニヤリとして…)あ、線路歩いて! それをトトトッと走って、トンネル2つくぐって、鉄橋渡って、その下に降りて、そこに自転車を置いてて。それで自転車ザーッと漕いでいって、井倉駅まで行って。 うわー、すごい。 それで駅まで行って、あとは電車通学。 えー!大変ですね、それ。 そう。だから冬なんか朝、電車がたいていね、6時半くらい、井倉駅を。 はい。 そうすると、ここを出て行くの6時に出ちゃ間に合わないでしょ。だから暗いのに電池(懐中電灯)を持って、そこ、杉ボラの間を通って行ったり、この鬼女洞を通ったり…。 あ、鬼女洞の上にも道があった? 本当に水が出ると鬼女洞も通れなくなるから、そのときは上に道があったんですよ。山を越えて、線路へ。 行きも帰りもそうしてたんですか? そうそう。帰りもそう。いやー、だから、もう、こんな思いまでして高校行かなくてもいいわと思いながらやってました。 |
……さすがにぶっ飛んだぜ!! この証言には!
この証言者、かつて、このようなこと(↓)をしていたというのだ!
証言者はかつて高校へ通うために、鬼女洞を通っていた。
その際には、イメージ画像のように、丸めた新聞紙に火を付けたものを灯りとして、それが燃え尽きるまでに脱兎の如く洞内を駆け下ったという。
毎日の通学路だったわけではなく、川が増水し普段の通学コースが使えないときの緊急的ルートであったとは言うものの…。
これは私の想像を遙かに超える体験談であった!!!
この証言者の通学ルートを、実際に当時の地形図上に再現してみたのが、次の図である。(参考までに、2026年現在80歳である昭和21(1946)年誕生者の高校在学時期は概ね昭和37(1962)年4月〜40年3月である)
チェンジ前の画像に紫線で示したのが、平時の通学ルートである。
証言者は、高校へ井倉駅から電車通学をしていたが、自宅(柏)から井倉駅まで行くためには、高梁川の右岸のごく狭い道を歩いてから、(おそらく渡し船で)対岸の国道へ出て、駅へ向かっていた。
だが、この高梁川沿いの道は、川が増水すると通れなくなった。
チェンジ後の画像に紫線で示したのが、増水時の通学ルートである。
自宅を出るなり、鬼女洞を(即席の新聞たいまつ、あるいは懐中電灯)で潜り抜け線路へ出る(ここまで私が探索したルート)。
線路に出ると、普段はそこにも渡し船があったが、増水時は渡れないので、そこから線路をトンネル2本、鉄橋1本を渡って国道へ出、そこに停めておいた自転車に乗り換えて、駅へ向かったというのである。
また、これは私の個人的な印象だが、証言者は増水時だけでなく、より高い頻度で鬼女洞を通学に使っていたのではないかという印象を持った。
たとえば、自分の自転車を線路と国道の交点に普段からデポしていたという話や、本当に増水して鬼女洞も通れなくなったときの第3のバックアップルートを持っていた話などが、むしろ鬼女洞ルートが通学のデフォルトルートに近い状態だったのではないかと思わせるのだ。
私のこの感想はともかくとして、高校の3年間では相当回数を通学路として利用したのは間違いないだろう。
となれば、柏集落の住民の多くが同じように、生活路として洞内を通行していたのではないかという印象を持ったが、証言者はこれについては、「自分だけである」と明確に否定したのもまた面白い。もし時間があれば、他の住民にも話を聞いてみたいところであった(笑)。
証言者が高校時代、通学用自転車をデポしていたという、伯備線の第6高梁川橋梁と国道180号の立体交差地点の様子。
当時、国道はこれほど広くはなかっただろうが、鉄橋の姿は変わってなさそうだ。
日本広しといえども、通学のために鍾乳洞と鉄道トンネル2本&鉄橋1本を歩いていた経験を持つ人物は、彼女だけかもしれない!
また、文字起こしは省略するが、この後私は小学校・中学校時代の通学路はどうであったかも質問している。
証言者の小学校および中学校への通学ルートをまとめたのが、次の図である。
法曽小学校(平成14(2002)年閉校)へは、片道約3.5kmの道を歩いたが、鬼女洞を通る必要はなかったとのこと。
また、井倉中学校(平成22(2010)年閉校)へは、片道4kmの道を歩き、やはり増水時には図中にピンクの線で描いたような、大変な迂回路を通らねばならなかった(約6km)というが、鬼女洞を通った記憶はないらしい。(理由は分からないが、学校で厳しく禁止されていたのだろうか?)
証言者の話が面白すぎて、聞き手である私もテンションが必要以上に上がってしまった感があるが、最後は観光洞としての鬼女洞の終焉について伺った。
| 聞き取り内容 後編 (太字=証言者 細字=私) |
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高校生の頃には、鬼女洞はもう観光洞としては利用されていなかったのですよね? そうそう、もう、それはもう完全にやめてしまってたんです。 そんなに早く。 観光客は、国道沿いに絹掛の滝があるでしょ。 はい、はい。ありますね。 あのあたりで車を止めておいて、それから冬とか水の少ない時期だけ架かっていた板橋を渡ったり、水の多い時期は渡し船があって、それで渡ってきていた。 川を渡ってから、線路がありますが、どうやって線路を渡っていたのでしょう? 線路は、下を潜れる場所があった。 (内心「あっ!ヤラレタ」と思いながら……) ああ、確かに線路の下に小川が流れてますね、あそこが通れた? そうそう。 で、観光客は洞窟を潜り抜けて、柏の集落まで来ていたのでしょうか? 潜っても、そのまままた引き返していたんだよ。柏には車も入れなかったし、観光客も(集落までは)上がってこなかった。 通学に使われていた頃の洞内は、どんな感じでしたか? 観光のために整備したコンクリートの階段や通路がしっかり残っていて、照明は消えていたけど、歩き易かったよ。 それが今では随分と荒れていますが…。 昭和47年にとても大きな水害があって、洞内に大量の土砂が流れ込んで埋もれたり、階段や通路もほとんど流れてしまったんだよ。 なるほど、そうだったんですね いやー、大変なあれでした、もう本当に。道路がないっていうのは、本当にもう……。 どうもお邪魔しました。ありがとうございました。 |
この後段の聞き取りの中で私が「ヤラレタ!」と思ったのは、探索中に歩道の終点と考えて引き返した線路端から、さらに線路を潜って川まで降りる経路が存在したという話である。
私が現地で撮影した動画の中に何食わぬ顔で写っていた、小川を渡る小暗渠か橋梁と見えた部分には、観光客が通る通路が併設してあったのだという。
さすがにこのことを確かめるためだけに、あの洞内に舞い戻る気にはなれなかったので放置しているが…。
ついでに、鬼女洞東口の対岸を通る国道路上より撮影した、周辺の遠景も紹介しておこう。
このように、洞窟の存在も、そこへ通じる道の存在も全く窺い知れないのであるが、予め場所を知っていれば、洞口がある巨大な岩崖や、洞口より流れ出る柏南平谷川が形作る門戸のような谷口の存在は、見て取ることができる。
かつて大勢の観光客がここを通って楽しみ、それが終焉した後も、少なくとも一人の学生を助ける仕事をした、道であった。
以上、洞窟探検を終えた私が、柏集落で巡り会った、“奇蹟の証言”を紹介した。
この証言を得たことで、地形図上にまるで道路トンネルのように表現されるという奇抜な特徴を有する天然の鍾乳洞である鬼女洞が、
少なくとも一人の人物によって、通学路として日常利用される道であったことが判明したのである!
期待を上回る聞き取りの成果に、私はもうお腹いっぱいになるくらい満足したが、ちゃんと文献調査も行ったので、最後にその成果をお伝えしよう。