隧道レポート 大沢郷の小戸川隧道(仮称) 第1回

所在地 秋田県大仙市
探索日 2018.11.21
公開日 2018.11.28


私の廃道探索の原点ともいえる秋田県内で、未知の廃隧道探索を行う機会に恵まれた。

これは私にとって大変な興奮事として、2018年末の活動記録に刻まれたのである。

当サイトの古い読者さんはご存知かと思うが、私は2007年まで秋田に住んでいたから、土地鑑がある。
日帰りでは辿り着くことができない森吉山粒様(つぶさま)の奥地から、白神山地の奥に横たわる粕毛渓谷、あるいは県境にそびえる山々の頂まで方々に足を運んできたし、どこにもまだ書いていない探索の成果も含めて、県内にある廃隧道はもう一通り把握しているつもりであった。
だが今回、まだ知らない廃隧道の情報がもたらされ、それを探すことになった。

長年活動してきた秋田に、未確認の廃隧道があったといえば、どれほど山奥の話かと思うが、実はそんなことはなかった。
今回、隧道探しを行った現場は、県都である秋田市の中心部を隔てることわずか30kmの静かな農村地帯である。
地名で言えば、秋田県大仙市の大字大沢郷寺(おおさわごうてら)に属する小戸川(ことがわ)という小さな集落の近くだ。

この一帯は、雄物川と子吉川に挟まれた標高150m前後の低い丘陵地が広がっており、笹森丘陵と総称される(出羽丘陵の一部でもある)。
笹森丘陵は、秋田県民であれば大抵利用したことがあるだろう秋田自動車道が端を掠めているし、県民にはメジャーな道路である出羽グリーンロード(広域農道)が真っ只中を貫いている。
私もこのエリアには馴染みがあり、チャリ馬鹿トリオの時代からよく走り回っていた。「山行が」にも、立倉隧道という廃隧道のレポートを平成15(2003)年に公開している。
今回訪れた小戸川集落は、この立倉隧道から北に4kmほどの位置にある。

【位置図(マピオン)】



きっかけは、探索仲間である柴犬氏(「あきた鉄廃逍遥記」管理人)から、2018年の夏頃に送られてきたメールである。そこに――大正時代の地形図の、神宮寺駅の西側の山中に隧道の記号があるスね。――と書いてあったので、手元にあった、大正2年測図・昭和9年修正版の5万分の1地形図「大曲」と、同「刈和野」(→)を見てみたところ…

神宮寺駅の7kmほど西に位置する小戸川集落のそばに、隧道の記号が確かに描かれている!

オイオイ! もっと複雑な経緯かと思ったら、単純に地形図を見逃していただけかよ! …そんなお叱りを受けそうだが、甘んじて受けたい。
しかし、理由はいろいろあるのだ。

たとえば、この地図上に発見された隧道も、右画像のように拡大して真ん中に置いておけば見逃しようもないが、実際の大きな紙上では相当に目立っていない(言い訳)。
しかも、私の経験上のこととして、破線の道(=徒歩道)には、あまりトンネルはない。だからチェックが甘々だった(言い訳)。
最後にもう一つだけ、この界隈の探索はとうの昔に終結したという感覚があって、近年は地形図に目を向けることさえなかった(言い訳)。

…はい。 反省します。

それはさておき、現在の地理院地図で同じ場所を場所を見ると、いまなお峠を越える破線の道が描かれている。
しかし、トンネルの記号は見当たらない。

まだ見ぬ隧道が県内に存在していた可能性は極めて高いが、その現状は、果たしてどうなっているのか?
決着を付けるべく、冬枯れが十分に進行したタイミングを見計らい、2018年11月21日(水)に現地探索を行った。
参加者は、地図上の発見者である柴犬氏と、たまたまスケジュールがあったミリンダ細田氏と、私の計3人である。



西側の秋通集落から「峠」を目指す


2018/11/21 12:03 《現在地》

ここは、大仙市大字大沢郷宿(しゅく)にある秋通(あきどおり)という集落のはずれだ。
秋田県道315号西仙北南外線がここを南北に通っているが、並行する出羽グリーンロード(広域農道)に比べて圧倒的に交通量が少なく、かくいう私もこれまで1度しか通った記憶がない道だ。
今回の探索は、このマイナーな県道から脇道へ入ることより始まる。

チェンジ後の画像は、問題の脇道の入口だ。
西仙北地区糠塚農道」という路線名が掲げられていた。
この道に入るのは初めてである。

我々は、ここに車を駐めて歩き始めることにした。
歩いて目指すのは、約1.2km先にある「峠」である。そこが隧道の擬定地だ。あとはそのまま「峠」を乗り越し、反対側の小戸川集落へ下ろう。それでも2kmほどの小さな旅である。



12:09 《現在地》

ときおり冷たい小雨がぱらつく舗装路を250mほど進むと、写真の地点で急に視界が開けた。
峠越えを目指している自分たちの現在の居場所が、実は谷底ではなく、もっと低い土地があったことを教えられるような風景の展開だ。

ここから右へ未舗装の細い脇道が分かれている。
次の写真は、この脇道を50mほど入った地点に待っている景色だ。




トンネル!

だがもちろん、ターゲットではない。
これは、栩平川(とちひらがわ)のトンネルだ。
河谷の蛇行をショートカットする全長100mほどのトンネルは、もちろん自然にできたものではなく、(コルゲートパイプの坑門からはちょっと想像しづらいが)明治時代に作られたものだそうだ。

『角川日本地名辞典秋田県』の「栩平川」の項目に、このような解説があった。
極端に蛇行しているため,少量の降雨でも洪水の被害を受けてきた。尊仏の南側もなべつるのように曲がり,右岸に三日月台と呼ぶ細長い台地が延びている。同台地にトンネルを掘って流路変更し,屈曲部を開田する計画が立案され,大場沢の田村春吉が秋通の今田巳之松の協力を得て,明治34年春着工,半年を費して高さ6尺・幅9尺・長さ80間の洞門が完成した。開田は翌35年から3か年の継続工事で進められ,同37年にはみごとに1町4畝歩余の美田が開かれた。

長さ80間(約145m)という長さもさることながら、幅9尺(約2.7m)高さ6尺(約1.8m)という比較的大きな断面のトンネルを、明治34(1901)年という早い時期に地元民の力で完成させていることは、特筆すべきだろう。
灌漑の一環としての水路トンネル掘削は江戸時代から全国各地で行われてきたが、そうした水路トンネルの多くは「二五穴(にごあな)」(幅2尺高さ5尺)と呼ばれるような小断面のものが大半で、交通のために作られるトンネルとは技術的にも相違が大きかったと考えられる。
だが、この栩平川のトンネルは、流量の多い河川本流を通す必要から、道路としても不足のないサイズで作られていた。
このことから、本河川トンネルと“峠の隧道”との間には、人的資源の共通や経験の継承があるのではないか――というのが柴犬氏の推論であり、私も首肯するところなのだ。

…といったことを熱く語り合いつつ、見た目的には面白みを感じない古き河川トンネルを後にした。



河川トンネルにより生じた約1kmもの“なべつる”状の旧河谷は、一面の水田に生まれ変わっていた。
川替えによって生み出された水田は無数にあるが、このような山間部においては既に放棄され、荒れ果ててしまっているのをよく見るだけに、美田が守られているのはありがたい。

なんとものんびりとした農道歩きだったが、我々には避けて通れぬ“山歩き”の時間が、近づいていた。




12:19 《現在地》

入口から約600m進むと、農道は旧河道とほぼ同じ高さまで下った。
やがて行き止まりになるこの道だが、我々はその終点まで行くことはない。
新旧地形図がともに「徒歩道」であることを示す破線で描いていた、小戸川への峠越えの道は、この辺りから“入山”するのである。

眼前の地形と、地図の中の地形を見較べてみると、目指すべき入山地点が一箇所に絞られた。
ちょうど畦道が正面の山並みに突き当たっている場所が、それである。
あそこから細い谷が奥へ通じている模様で、そこから600mほど谷筋を遡ったどん詰まりこそ、目指すべき「峠」と目される。




これはこれは……


この始まり方、なかなか示唆に富んでいた。 我々にとっての示唆に。

まずこの段階で、目指す峠の少なくとも片側が廃道であることとが、ほぼ確定した。

必然的に、その峠の頂上にあったはずの隧道も、廃隧道の可能性が非常に高くなる。

また、廃止後に人手が入り、意図的に隧道が埋められたり、崩される結末も考えられたが、

この入口の様子は、そういう人為的な攪乱の可能性が低いことを窺わせた。

つまりひとことで言えば……、廃隧道はあるがままにありそう!


「あるがまま」が一番嬉しい。ますます楽しみだ。 これは、期待できるかもしれない――

我が郷里での、久々となる、未知の廃隧道の顕現に!




12:22

期待に胸躍らせながら辿り着いた、谷の入口。

道は矢印のように曲がりながら、狭い谷筋へ滑り込んでいく。

そのように、描かれている。




だが、谷の中に道はなかった。

代わりにあったのは、谷を完全に塞ぐ砂防ダムの非情なコンクリート・ウォール。

…おいおい……、地理院地図の情報は、いったい何年前のものなんだ?



我々は、濡れた笹藪に覆われた道なき斜面に、飛び込んでいった。

まずは、砂防ダムを突破しよう。 話は、それからだ。





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