私の廃道探索の原点ともいえる秋田県内で、未知の廃隧道探索を行う機会に恵まれた。
これは私にとって大変な興奮事として、2018年末の活動記録に刻まれたのである。
当サイトの古い読者さんはご存知かと思うが、私は2007年まで秋田に住んでいたから、土地鑑がある。
日帰りでは辿り着くことができない森吉山粒様(つぶさま)の奥地から、白神山地の奥に横たわる粕毛渓谷、あるいは県境にそびえる山々の頂まで方々に足を運んできたし、どこにもまだ書いていない探索の成果も含めて、県内にある廃隧道はもう一通り把握しているつもりであった。
だが今回、まだ知らない廃隧道の情報がもたらされ、それを探すことになった。
長年活動してきた秋田に、未確認の廃隧道があったといえば、どれほど山奥の話かと思うが、実はそんなことはなかった。
今回、隧道探しを行った現場は、県都である秋田市の中心部を隔てることわずか30kmの静かな農村地帯である。
地名で言えば、秋田県大仙市の大字大沢郷寺(おおさわごうてら)に属する小戸川(ことがわ)という小さな集落の近くだ。
この一帯は、雄物川と子吉川に挟まれた標高150m前後の低い丘陵地が広がっており、笹森丘陵と総称される(出羽丘陵の一部でもある)。
笹森丘陵は、秋田県民であれば大抵利用したことがあるだろう秋田自動車道が端を掠めているし、県民にはメジャーな道路である出羽グリーンロード(広域農道)が真っ只中を貫いている。
私もこのエリアには馴染みがあり、チャリ馬鹿トリオの時代からよく走り回っていた。「山行が」にも、立倉隧道という廃隧道のレポートを平成15(2003)年に公開している。
今回訪れた小戸川集落は、この立倉隧道から北に4kmほどの位置にある。
きっかけは、探索仲間である柴犬氏(「あきた鉄廃逍遥記」管理人)から、2018年の夏頃に送られてきたメールである。そこに――大正時代の地形図の、神宮寺駅の西側の山中に隧道の記号があるスね。
――と書いてあったので、手元にあった、大正2年測図・昭和9年修正版の5万分の1地形図「大曲」と、同「刈和野」(→)を見てみたところ…
神宮寺駅の7kmほど西に位置する小戸川集落のそばに、隧道の記号が確かに描かれている!
オイオイ! もっと複雑な経緯かと思ったら、単純に地形図を見逃していただけかよ! …そんなお叱りを受けそうだが、甘んじて受けたい。
しかし、理由はいろいろあるのだ。
たとえば、この地図上に発見された隧道も、右画像のように拡大して真ん中に置いておけば見逃しようもないが、実際の大きな紙上では相当に目立っていない(言い訳)。
しかも、私の経験上のこととして、破線の道(=徒歩道)には、あまりトンネルはない。だからチェックが甘々だった(言い訳)。
最後にもう一つだけ、この界隈の探索はとうの昔に終結したという感覚があって、近年は地形図に目を向けることさえなかった(言い訳)。
…はい。 反省します。
それはさておき、現在の地理院地図で同じ場所を場所を見ると、いまなお峠を越える破線の道が描かれている。
しかし、トンネルの記号は見当たらない。
まだ見ぬ隧道が県内に存在していた可能性は極めて高いが、その現状は、果たしてどうなっているのか?
決着を付けるべく、冬枯れが十分に進行したタイミングを見計らい、2018年11月21日(水)に現地探索を行った。
参加者は、地図上の発見者である柴犬氏と、たまたまスケジュールがあったミリンダ細田氏と、私の計3人である。