隧道レポート 倉俣へっつりの“雪中隧道” 前編

所在地 新潟県十日町市
探索日 2019.11.05
公開日 2023.06.24


《現在地(マピオン)》

雪中隧道(雪中トンネル)と呼ばれる、特異なトンネルが存在する。
これは個別のトンネル名ではなく、トンネルの利用方法を表わす一般名詞だ。
雪中隧道は、日本の特に雪の多い地域に見られる。
その名の通り“雪中”にあることに意味があるトンネルで、その主な目的は、通行人を雪崩災害から守ることにある。
豪雪地の道路によく見られるスノーシェッド(雪崩覆い)と同様の役割だ。

そして雪中隧道の多くは、人道用(歩いて通るスケールのもの)である。
加えて、公共事業によって行政が整備したものよりも、地域の住民が自主的に、自らの生活路の安全を確保するために手掘りで着工したものが多い。
また年代的にも、集落周辺における道路除雪態勢が全国的に概ね整う昭和40年代よりも前に作られたものが大半だ。

雪中隧道とそうではない隧道を明確に区別する基準はないが、昭和52(1977)年に新潟県長岡市(旧山古志村)に完成した、その名も「雪中トンネル」は、全長623m、幅2m、高さ1.8mという規模で、年代的に最後発だが、おそらく日本最長の雪中隧道だ。かの有名な“日本最長の手掘隧道”である中山隧道を掘った人々が手がけたこの隧道を、私は平成23(2011)年に捜索・発見・探索し、平成29(2017)年に執筆した書籍版『山さ行がねが 伝説の道編』でレポートしている。

また、平成30(2018)年に探索したレポート「国道353号清津峡トンネル旧道 第3回」に登場した人道サイズの手掘り隧道が、同レポートの机上調査によって、昭和26(1951)年に掘られた瀬戸口“雪中隧道”であったことが判明している。

今回はまた別の雪中隧道を1本、皆さまにお披露目したい。
この隧道との出会いは、前掲した清津峡トンネル旧道探索の机上調査にあった。
その時に熱心に読み込んだ『中里村史 通史編下巻』(平成元年刊行)に、ほとんど1行だけの記述であるが、次のような内容を見つけたのだった。

昭和42年3月 倉俣へっつり雪中隧道が完成(昭和33年度着工、271メートル、総工費1300万円)した。

『中里村史 通史編下巻』より

これは中里村の雪害に関する年表の中の記述であった。
このほか、巻末の年表にも、「昭和42年3月 倉俣のうち、へっつりに雪中隧道が完成する」と、ほぼ同じ内容が出ているが、情報はこれらの短い記述しかなく、これら以外のことは不明であった。

未知の雪中隧道の存在に強く興味を引かれた私は、「倉俣へっつり」とか、「へっつりの雪中隧道」といったさまざまなキーワードでネットを検索したが、それらしい情報は見当らなかった。また、歴代の地形図にもそれらしいトンネルは見つけられなかったために、未発見の雪中隧道がある確信を深め、さらに徹底的に捜索する心構えを持った。

右図は、現在の十日町市の一部にあった旧中里村のさらに一部を占めた旧倉俣村の位置を示している。
旧中里村のうち清津川の西側全てが、昭和30(1955)年まで存在した旧倉俣村の領域であった。見ての通りかなり広いわけだが、さらにその中に倉俣という(村役場所在地である)大字があり、“倉俣へっつり”は、その辺りにあったのではないかとあたりを付けた。
わざわざ雪中隧道を掘るくらいだから、人跡稀な山奥ではないはずだ。それなりに交通量の多い道だった可能性が高いと考えた。

そして、旧倉俣村の領域を通る幹線的な道路は限られている。
中でも最大の幹線は、領域内唯一の県道である新潟県道284号中深見越後田沢停車場線だ。
前出の『中里村史』によれば、この県道の路線認定は昭和26(1951)年とのことだが、それよりずっと以前の明治27(1894)年に、旧倉俣村が清津川左岸に沿って整備した幅9尺の道路がこの県道の北半分の由来であり、かなり長い歴史を有する道だ。

以上のようなことから、倉俣へっつりは、おそらくこの県道のうち大字倉俣近辺にあるものと推定するに至った。
そして次に、現地調査の準備として、可能性がありそうな場所を絞り込むべく、県道上で撮影されたグーグルストリートビューの画像をくまなくチェックする作業を始めた。


――作業開始から、おおよそ30分後。


なんと


見つかる。


雪中隧道らしきものを発見してしまう。


家にいながらにして、未知の廃隧道を発見してしまう時代……安楽椅子オブローダー(笑)。


探索時点では最新版だった、平成25(2013)年8月撮影のストビュー画像をご覧下さい。(↓↓↓)



お分かり、いただけただろうか?



たぶん、かなり分かりにくいと思う。



これはストビューから切り出した画像。

この部分に、道らしきラインに続いて、坑口らしき闇が見えるのである。




私は病気だろうか?

それとも、本当にここに坑口があるのだろうか。

現地で確かめる必要がある。



この場所のストビュー画像は、2022年3月と2023年3月にも更新されており、
そちらを見ると多分笑ってしまうので、本編のネタバレが嫌なら後で見てください(笑)。


なお、この場所は――

あたりを付けていた通り、県道284号上で、現在の十日町市芋川という大字だ。
大字芋川は大字倉俣の隣で、津南町との境にあたる。
ここは地形的にも、清津川に沿って崖の記号が居並ぶ上を県道が掠め通っており、いかにも、“へっつり”(へつりとは崖道のこと)な場所である。

なぜか地形図からは省略されているが、左図に描き足した位置には県道の「倉俣スノーシェッド」があり、ストビューで見つけた坑口(位置的にはおそらく北口?)は、スノーシェッドの北口からさらに100mほど北の山側法面にある。

また、雪中隧道の全長は271mと記録にあるが、ストビューでは出口に当たる坑口(南口)は発見出来なかった。
県道に沿って存在していた可能性が高いので、位置的にちょうどスノーシェッドにつぶされてしまっているのかも知れない。

果たして。ここに本当に雪中隧道はあるのか。

いざ、現地へ!



 ストリートビューで見つけたものの正体を確かめろ!


2019/11/05 13:54 《現在地》

現地へ来た。
ここは新潟県十日町市芋川を流れる清津川左岸の河川敷だ。
目的地はこの近くだが、ここに車を駐めておくのに都合が良い公園があったので、ここから自転車に乗り換えて出発するところだ。

ちょうどこの場所から雪中隧道の擬定地である川べりの急斜面がよく見渡せた。おそらくあそこが“倉俣へっつり”なのだろう。
蛇行する流れの外岸のもっとも激しく侵食を受けている部分の上部を県道が横断しており、雪が積もれば確かに雪崩が多く起りそうな地形だ。

しかも一連の斜面は川岸から上部の河岸段丘面まで150m近い落差があり、ここを迂回して交通するのは大変だろう。そのため昔から危険を承知のうえで道は斜面を横断してきた。
貴重な雪中隧道の在処として、納得感がある立地だと感じた。



14:05 《現在地》

準備を整え、自転車に乗り換えて県道へ出た。
道の先、前方に見えているのが、倉俣スノーシェッドだ。
ストビューで見つけた雪中隧道の坑口は、あそこを潜ってさらに100mほど進んだところにある。

チェンジ後の画像は、この近くの路傍に設置されていた、事前通行規制区間の看板だ。
ちょうどスノーシェッドがある前後0.3kmには連続雨量規制80mmおよび時間雨量規制40mmが敷かれており、今なお防災面に不安を抱えた区間だということが分かる。
雪中隧道が完成した昭和40年代であれば、今より遙かに危険な道だったことだろう。




倉俣スノーシェッドの南口に到着した。
この構造物は完成年が異なる2つの部分からなっており、手前側95mは平成20(2008)年、奥側58mは平成15(2003)年にそれぞれ完成した。現在の全長は153mである。

チェンジ後の画像は、シェッドの山側の擁壁と地山の間に隙間が無いことを確認している。
なぜここが気になるかと言えば、ストビューで雪中隧道の北口は見つけたが南口は発見出来ておらず、雪中隧道の長さが271mであったという記録に照らせば、未発見の南口は、スノーシェッドの南口付近にあった可能性が高いと考えたからだ。

周囲を簡単に見回した限り、やはり雪中隧道の南口らしきものはここには見当らない。
だがとりあえず北口から内部に入れれば、南口がどうなっているかを知ることが出来る可能性が高いので、先に北口を目指すことにしよう。



シェッド内はずっと登り坂になっている。
シェッドは全体的に新しさを感じさせる状況で、おそらくシェッドの外側に並行してある空き地は旧道敷きだ。

シェッド内の壁面に雪中隧道に繋がるようなものは全く見当らないものの、その位置や線形が私の想像と大きく離れていなければ、このシェッドの山側擁壁の裏側(そこはつまり地山の中だ)に並走する形で存在していると思う。




シェッドを潜り終えると直ちに短い橋を渡る。
昭和51(1976)年竣工の小樽沢橋である。
欄干の四隅に取り付けられた銘板の1枚に、新潟県道らしく、路線名が刻まれていた。

チェンジ後の画像がそれで、本題とは全く関係がない些末なことだが、「中深見越田沢(停)線」というふうに、「後」の字が「后」と書かれていた。昔から「后」を「後」の略字として使われることがあり、俗字ともされているが、最近はこういう書き換えもあまり見なくなった。



これは小樽沢橋の路上から、山側を撮影した。
小樽沢は滝と変わらぬ急傾斜で山側より橋の下へ注いでいるが、自然の河床ではなく、砂防ダムらしきコンクリートの壁に伝って流れている。
なぜこれが気になるかというと、おそらく雪中隧道もこの沢を地中で潜っているはずで、もしかしたらこのコンクリートの壁は、雪中隧道の外壁ではないかという気がしたからだ。

もっとも、藪のない季節のストビューで見ても、ただの砂防ダムと形に違いを感じないけれど……。

県道は橋を渡り、そのまま真っ直ぐ登っていく。山側にはコンクリートを吹き付けられた高い法面がそそり立ち、そこには沢山の雪崩防止柵が施工されている。斜面の随所にクズやススキが生い茂っていて、険しさをカモフラージュしているが、難工事の痕は十分に感じられる。

一方の川側も大いに切り立っており、清津川の雄大な流れを俯瞰することが出来る。私が車を駐めた駐車場がよく見えた。

チェンジ後の画像は、なぜか路肩に倒れたまま放置されていた、オリジナルデザインの警戒標識。オリジナルではあるが、明らかに「雪崩注意」と分かる秀逸なデザインだ。なぜか警戒標識には「雪崩注意」が制式されていないため、全国にさまざまなデザインの「雪崩注意」が存在し、私はそれを密かに蒐集して楽しんでいる。




14:10 《現在地》

ここだ。

…たぶん。

探索中もスマホでリアルタイムにストビューを見られるので、

目的地がここだというのは確信しているが、今日もまた…



藪が濃い!

ストビューの撮影は2013年8月で、私の探索は2019年11月である。

6年経過しているものの、季節的に藪は少しマシになっていると期待したが、そんなことはなかった。

県道からは全く坑口らしきものが見えず。

ただ、県道から登っていく狭いスロープは確かにあった。コンクリートで舗装もされている。




ぬわーーっ!

路肩に自転車を乗り捨てて、身軽になって藪に突撃したが、

キツイ。

キツいけれども、真偽確認までの距離は僅かに10m。

あっという間に、決着が付いた。




坑口を発見!

ただし、封鎖されている!




この人道のサイズ感と、ランプの宿感は、


紛れもなく、あの“雪中隧道”だ!





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